岩戸神社:兵庫県洲本市上内膳
岩上神社:兵庫県淡路市柳澤乙614
雨乞山:兵庫県淡路市生穂

前稿に続いて淡路の巨石祭祀の場を巡る。

淡路島の真ん中、先山(せんざん)という標高448mの山の山頂に千光寺という古刹がある。開基は 901年(平安時代)、播磨国の猟師が矢で射た大猪を追って先山に登った際、矢が観音像に刺さっているのを発見し、自らの殺生を悔いて十一面観世音菩薩を祀ったとの伝承がある。出所はわからないが、先山は淡路島で最初につくられた山とされており、古くから信仰を集めた山のようだ。通称「淡路富士」、淡路四国八十八ヶ所第一番札所でもある。

 

先山千光寺(出典*1)

 


岩戸神社へは千光寺に通じる石段の前の茶屋を通り過ぎ、登山道に入っていく。しばらく行くと右手に下っていく道があり、木造の鳥居が立つ。さらに進んでいくとなにやら威圧感のようなものが強くなってきた。行く先を見るとそこには巨大な岩塊が聳え立っていた。かなりのスケールでその存在感は圧倒的といってよい。手前の巨石はおそらく人為によって置かれたものだろう。その前に大理石の賽銭箱、奥に小詞が申し訳程度に据えられている。樹木に遮られ岩石の突端がよく見えないが、おそらく10m近い高さはあると思われる。周囲にも巨石の存在が窺えるが足元が悪く、急斜面を検分することは躊躇われた。登山の心得は少しはあるものの、六十代半ばに差し掛かった我が身に過信は禁物である。




「岩戸」という社名はもちろん「天の岩戸」を指し、ここに天照大神を祀ることは間違いない。だが、これは後世の付会と考えるべきではないか。形状からするとこの巨岩は陽石、つまりファルス(ギリシャ語の男根)であり、女神を祀ったものとは考えにくい。一方、音韻の似たファロス(灯台)とも考えられる。往時は山麓あるいは海上からこの巨岩が見えていた可能性がある。日本書紀の神武紀には、熊野新宮の神倉神社の御神体「ゴトビキ岩」に神武一行が登った(熊野の神邑に到り、且ち天磐盾に登る)と記されているが、熊野灘から見ると那智の滝同様にこの岩が正に「山当て」として機能していたことがわかる。また、同社の「御燈祭り」では白装束を着て松明を持った男性の上り子達が山頂のゴトビキ岩から一気に駆け下りてくるが、ゴトビキ岩を男根、駆け下りる白装束の男達を精子に見立て、性的な意味(豊穣・生殖・通過儀礼など)を持つとする解釈もある。

神倉神社とゴトビキ岩

もう一つは修験者の行場の可能性である。冒頭で触れた千光寺の縁起にある播磨国の猟師が猪(観世音菩薩)を討つ話には実は類話がある。今昔物語集の巻二十第十三話「普賢菩薩を射殺した猟師の話」で、ここで射殺されたのも野猪(くさいなぎ)なのである。千光寺の開基(902年)は今昔物語集の成立(12世紀中頃)に大きく遡るが、この説話は人口に膾炙したようで、宇治拾遺物語の巻八第六話にも採録されている。猟師も修験者も同じく山の民である。殺生を行う猟師が懴悔のために修験者に転じるということもあったかもしれず、ここを修験者の行場と考えることも出来るのではないだろうか。以上、陽石説、山当て説、修験者の行場説と三つの仮説を提示したが、僕は最後の行場説を採りたい。先山は一時間程度で登れることもあり、いまも登山者が多いようだ。岩戸神社から戻ってくると、登山道で下から登ってきた家族連れに出逢ったのだった。



次は岩上神社だ。伊弉諾神宮から3kmほどの場所、標高143mの山の中腹にある。車一台がやっとの狭い坂道を延々と登っていくとやがて右手に鐘楼が見え、さらに進むと開けた場所に出る。ここに岩神寺の本堂が建つ。淡路西国三十三所霊場の第二十五番とされ、文明七年(1475)に淡路城主細川成春の巡礼の際、札所となった寺だ。向かい正面の石段を上ると岩上神社の社殿。こちらは天文十年(1541)に山麓の柳沢城主、柳沢隼人佐直孝が大和国の石上神宮から分霊を勧請し、 布都御霊大神が祀られている。いずれも室町時代の中期から後期にかけての創建だが、元々は社殿の左側に聳え立つ巨石が御神体であり、そこに神仏を祀っていたと思われる。一説に伊弉諾神宮の奥宮とされているのだが、管見では根拠はなかった。伊弉諾神宮の社務所には岩上神社の案内チラシが置いてあり、宮司が兼務していることからすると、おそらく近年に意図して奥宮としたものだろう。


岩神寺


岩上神社本殿。後ろに神籬石が見える。

社殿右手の磐座、神籬石(ひもろぎいし)を仰ぎ見る。隣の社殿が霞むほどの威容だ。通称「ひもろぎのお岩さま」と呼ばれているらしい。高さ12m、周囲16mの大きさで、奥に屹立する神籬石を支えるかのようにいくつかの巨石が配されている。この様子を見る限り、風雨に晒されて自然に出来たものというより、人の手による作為を窺わせる。脇には参道が設けられていて上まで登ることができる。僕はさっさと登ってしまったのだが、どうやら拝殿に備えられている塩で身を清める必要があったらしい。登ってみると神籬石の脇に簡易な展望所が設けられていた。ここから播磨灘が望めるが、周辺の地形や遺跡との関係も含めて、行場、山当て、高地性集落といった趣は感じられなかった。神籬石周辺から平安時代のかわらけが出土したことから、単立の石神として祀られていたと思われる。








古代の人々はこの岩に何を見たのだろうか。修験者は山中の巨石を様々なものに見立てる。烏帽子岩、屏風岩、胎内岩、天狗岩、不動岩などがお馴染みだが、神籬岩は一見して陽物を連想させる。いってみれば諏訪信仰圏における「ミシャグジ ≒ 縄文時代の石棒」が巨大化したような形状なのである。石棒は男性器を象徴し、なかには勃起した陰茎を精巧に模したものもある。呪物としての機能は主に生殖・豊穣祈願を中心としたと考えられている。これに類する石の信仰は世界中に分布する。屹立した石は人類共通の信仰原理によって象徴となるのである。その源に「性」があることは言うまでもないだろう。あらためて神籬石を眺めると、なおのことそのように見えるのだった。

最後に淡路島の東岸近くの雨乞山を取り上げよう。こちらは山麓の延喜式内論社、賀茂神社の奥宮と伝わる。淡路島東岸、淡路市役所のある生穂新島の先を左折して雨乞山公園に向かう。公園といえど短い登山道が設けられているだけで、よくある高台の住宅地だ。行き会ったのも母娘と思しき女性の二人連れのみと、地元の人々がたまに訪れる裏山なのだった。早速登山口から登っていくとほどなく鳥居の前に出る。その先に樹々の枝葉の間に岩の塊が集まった様子が見え隠れしている。あそこが磐座かと歩みを速めた。


雨乞山の登山口。山頂までここから5分程度だ。

 


鳥居の奥に磐座が見える。

大小様々な形の巨石が積まれ、祭壇を構成しているように見える。石の配し方から一目して人為によるものとわかる。上部に申し訳程度に小祠が据えてあるが、これは賀茂神社の奥宮としての体裁を持つためのものだろう。瀬戸内の島々で見た山頂の磐座に非常によく似ていて至近に海を臨むことから、僕は高地性集落における祭祀遺構と考えてみたい。この磐座のある生穂地区や南側の志筑地区には弥生時代の遺跡が広域に点在しており、その可能性はあるように思う。また、北側の野田尾地区の山中にも類似した磐座の存在が確認されている。(参考*2)




この磐座の向って右側に山頂への道が続いていたので行ってみた。磐座の脇にも巨石が散在し、まるで巨石で造られた要塞のようだ。山頂は開けていた。岩盤が風化して赤褐色の砂地が露頭しており、眼下には東浦(大阪湾)が一望できる。航行する船を見張るには近隣にこれ以上の適地はないのではないか。山頂の電信柱の前には、賀茂神社の眷属である八咫烏の絵額が掛かっており、周囲には小ぶりの岩が数個と小さな石祠があった。




側面も岩また岩だ。


山頂。磐座の裏側にあたる。


ここにも巨石が並ぶ。海が見える。

雨乞山については、賀茂神社のホームページに以下の記載がある。


当社の北東に雨乞山があります。淡路島は昔から水不足に悩まされており、特に江戸時代の享保から天明年間にかけての大飢饉は大きな被害をもたらしました。そのため、山の頂に水の神の「貴船の神」と火の神の「愛宕の神」を祀って雨乞祈願をしたところ、大雨が降ったので雨乞山と名付けたのがこの山の名の起こりとされています。以降、干ばつの年には、山頂で松薪を焚き、地元生穂の里人たちが交代で数日間山に篭り、蓑笠の雨具をつけて「大雨たんもれ、じんぐいな、天に大雨ないかいな・・・」と唱えながら、鉦と太鼓を打ち鳴らして祈願を続けました。現在も、毎年5月初旬には地元雨乞町内会の人たちによって雨乞い祈願の神事が執り行われています。また、雨乞山は巨石信仰の山としても有名です。当社は神が宿る奥の院として往古よりこの山を遥拝してきました。山頂付近では、御社岩、焚火岩、龍越の岩、覗岩等の自然の巨岩が神秘的な姿を見せています。雨乞い祈願が始まる江戸時代よりはるか昔から磐座(いわくら―神が宿る巨石)として信仰されていたのです。更には、山頂からの景観は淡路八景の一つにも選ばれていました。山頂には望遠鏡を備えた広場があり、大阪湾を広く望み、また津名の地域が一望出来る景勝の地でもあります。(出典 *2)
 
以上、淡路島を代表する磐座を三ヶ所紹介したが、この他にも巨石信仰の地は数多くある。それだけではない。淡路には豊富な海産物、温泉、人形浄瑠璃など再訪を促す旅の要素も多い。さらに鳴門大橋を渡ればそこは阿波だ。あまり知られていないが、ひとたび山の中に入ればそこは磐座の宝庫なのである。

(2026年3月12日、3月14日)

出典
*1 先山千光寺 淡路島日本遺産ホームページ
*2 雨乞神事と巨石信仰 賀茂神社ホームページ

参考
*1 今昔物語集現代語訳 巻二十第十三話 普賢菩薩を射殺した猟師の話 
*2 淡路市野田尾の磐座 Google Map