天岩戸別神社/奥の院:徳島県名東郡佐那河内村上
立岩神社/天岩戸立神:徳島県名西郡神山町鬼籠野元山746
阿波には「天岩戸」を冠する神社が四社ある。「阿波 石の紀行(1)」では天石門別八倉比賣神社を取り上げたが、本稿ではその内の二社を紹介しよう。前日の夕方、石尾神社から月ヶ瀬温泉までの道のりは三つの山越えになった。車一台がやっとのヘアピンカーブの連続でゆるゆると進まざるを得ない。暮れなずむ中、心細い思いをしながらやっとの思いで辿り着いた時には、すでに2時間半も経っていた。徳島といえば、阿波踊り、鳴門のうず潮、眉山といったイメージしかなかったのだが、思いのほか山深いことに恐れ入ってしまった。さすがに「三大遍路ころがし」の札所を持つ阿波だけのことはある。
翌朝も九十九折の林道を一時間近く走った。目的地近くまで来たが駐車場がわからず、三叉路にある案内板のあたりに車を寄せて、石で舗装された山道を下っていく。しばらく進むと右手に「天岩戸を開けた手力男神の塚」と書かれた板が立っており、少し上ると磐座があった。楕円の立石の間に小さな石祠が据えられている。おそらく天岩戸に擬えたものだろう。人間の感覚というものは面白い。いつもならしばらく場の聖性に身を委ねているのだが、昨日の石尾神社の巨大な磐座を見た後では、この程度のものは可愛らしく思えてしまう。さらに下っていくと社殿があった。下の小川に向かって石段が続き、中程に鳥居がある。少し先の谷あいには家屋のような建物が見え隠れしている。往時は下から登って参拝したのだろうが、その道はよくわからない。ここで現地の案内板を参照しておこう。




天岩戸別神社
当神社は、上古より三所大神宮とも呼ばれ、天手力男神・天照皇大神・豊受皇大神をお祀りし崇敬されてきました。手力男神は、天照大神を導き出すため天岩戸を開けた神様です。その手力男神は、「古事記」や「先代旧事本紀」に「手力男神は佐那那縣に坐す」と書かれています。佐那河内村は「古くは佐那縣と呼ばれた」と「村史」に記録され、現在も佐那河内村にある、この天岩戸別神社に手力男神をお祀りしております。また、地名の牛木屋(うしごや)は、「大人木屋」とも書かれ、「牛」は「大人」で「主」の事です。つまり佐那縣の主が住まいした地にあたります。
手力男神の塚
神社を上に登ると手力男神の塚と呼ばれる磐坐があります。この磐坐は、西方6kmにある天岩戸立岩神社(神山町鬼龍野元山)の御神体、天岩戸を模したと思われます。また、奈良県の香具山にある天岩戸神社にも同形式の磐坐が御神体としてお祀りされ、「阿波風土記」が、阿波の元山から大和・天香具山を別けたと伝えています。神山町にある天岩戸が、徳島市の気延山にある式内社の天石門別八倉比売神社を始めとする、全国各地の「天石門別」の付く九社の式内社に広がったものと考えられます。また、出雲(島根県浜田市)の「大祭天石門彦神社(式内社)」の看板に書かれる社伝には、「古代、阿波忌部氏の一族がこの地を開拓して祀った」と書かれています。天岩戸別神社から手力男神の塚に登る途中にある棚田跡を奥に進むと奥の院と呼ばれる古墳のような塚があります。この周辺には、昭和の中頃まで数軒の家があり、古くから人々が生活していました。阿波古事記研究会
奥の院。円墳のように見える。

社殿向かって右側は開けていて、たしかに棚田跡のようだ。今も囲いをつくってなにか農作物を育てているようだ。奥に盛土があり、前に「奥の院」の札が立っていた。盛土は円墳のようにも見え、上に二基の小さな石祠を戴いている。いつの頃かはわからないが、これは当地に古くから住む人々の祖先、おそらくは地元豪族の長の墓のように思われる。神社はその土地の祖神を祀ることが多い。たとえば我が家近くの井草八幡宮は、源頼朝が当地を訪れるまでは春日大神を祀っていた。一帯は旧石器時代から縄文時代にかけての遺跡でもあり、境内とその周辺からは土偶や土器が出土している。本殿背後は禁足の森で、僕はここに往古に当地を治めた豪族の長が眠っていると考えている。聖地は動かずとも祀られる神は祀る側の都合で上書きされていくのである。当社も祖神と手力男神を結びつけて祀った可能性があり、「手力男の塚」という磐座も奥の院の被葬者が祀られた後、数百年経ってから拵えたものかもしれない。ちなみに案内板にある大和・天香具山の天岩戸神社(奈良県橿原市)の磐座は、大きさはともかく形状は瓜二つだ。下の画像と比べてみてほしい。そしてその大元は、阿波の元山、立岩神社にあるという。
天岩戸神社(奈良県橿原市)の磐座
立岩神社は天岩戸別神社から南西に8kmほど下った山中にあった。こちらは参道入口に案内板が立っているのでそれとわかりやすい。鳥居をくぐり、山肌を舐めるように歩いていくと左側の斜面のあちこちに巨岩が屹立している。ほどなく拝殿と思しき建物が見えてきた。その上に目を遣ると、壮大な巨岩が聳えている。めまいがするほどスケールが大きい。思わず「なんだこれは」と声が出てしまい、しばし放心する。
神々しさここに極まれりで、正に威容である。これまでにも各地で天岩戸と称する巨岩を見てきたが、これほどのものはなかった。どれが本物の天岩戸かと問われれば、僕は迷わずここと答えるだろう。その由緒は以下の通りだ。
立岩神社 由来記
阿波風土記逸文に「ソラヨリフリクダリタル山ノオホキナルハ、阿波国ニ、フリクダリタルヲ、アマノモト山トイウ、ソノ山ノ、クダケテ大和国ニ、フリツキタルヲ、アマノカグ山ト、イウナン申。」とあり「天の元山」を眉山や剣山に想定していますが、神山町には天より降りくだったと古代人の感覚で捉えた、この元山の頂きに巨大な祭祀遺跡が現存し地名も古代より「元山」(天の元山)だったと言われ、この逸文の意は、高天原に住んでいた人たちが阿波に降りた所を天の元山と言い(後略)…という解説もしているのであります。標高六百五十米のこの山頂の立岩神社には、 「志都都比古神」「志那都比売神」(二神は風の神) 「弥都波女神(水の神で水銀朱にも関係す)の三神を祀り、阿波の古代銅文化の中心地を示しており、その山の麓の青井夫は「タタラ踊音頭」の盛んな所で現在も音頭が残っています。神社の「御神体」二つの巨石はぴったり組合され、拝殿の額に刻まれている神紋【 】は「卜」と同意を示しているのであります。尚対岸には向って左に不動明王、右に蛇神さんを祀ってある。昔、元山の村人が蛇を討ち血の海になったと云われている蛇渕が今なお残っています。神山町観光協会 古代神山研究会 立岩神社氏子会
立岩神社の神紋
文中の【 】に入る神紋は上の画像である。古くて恐縮だが、まるでオバQかドロンパのようなデザインだ。こんな神紋は見たことがない。AIに尋ねてみると、由来記の「ト」は岩戸の「戸」で、古語の「ホト」、つまり女陰に通じ、立岩神社の巨岩の割れ目をモチーフにしたものだという。さらに徳島県多家良町の立岩神社の陽石と対を為すという珍説も飛び出した。しかし由来記はなぜ唐突に「ト」を持ち出したのか。これは「戸」ではなく、卜占の「卜」(ぼく)を指しているのではないだろうか。だとすれば、亀の甲羅で占う「亀卜」(きぼく)や、鹿など獣骨の肩甲骨を用いる「太占」(ふとまに)に通じる。神紋の形は「亀」に似ていなくもないので、その可能性はあるかもしれない。それでは祭祀を職掌とした忌部氏との関係はどうか。記紀の天岩戸神話では、天太玉命(忌部氏祖神)は天児屋命(中臣氏祖神)とともに祭祀を行っているが、その内容は「太占」であって「亀卜」ではない。残念ながら「亀卜」は卜部氏の専売特許なのだ。手掛かりを求めて「神紋総覧」(参考*1)にもあたってみたが、忌部神社の神紋は「かじの葉」であり、オバQのような神紋はどこにも見当たらなかった。この神紋の由来は帰京した今も気になって仕方がない。さて、この由来記に関連してもう一つ気になることがある。それは伊豫國風土記の逸文である。
伊豫の國の風土記に曰はく、伊与の郡。郡家より東北のかたに天山(あめやま)あり。天山と名づくる由は、倭に天加具山あり。天より天降りし時、二つに分れて、片端は倭の國に天降り、片端は此の土に天降りき。因りて天山と謂ふ、本(ことのもと)なり。(出典*1)
阿波国風土記の逸文とほぼ同じなのだ。さらに、天石屋戸神話はアジア各地に類話がある。ここで詳しくは紹介しないが、大林太良氏や吉田敦彦氏ら比較神話学者の著書を参照してほしい。たとえば、阿波はオオゲツヒメが生まれた地として知られるが、これもハイヌウェレ神話の一類型であって、日本の神話の構造は汎アジアに求めることが可能なのである。天岩戸に限らず神代記はあくまで神話であり、人物や場所を比定することにはほとんど意味がない。だが、この種のことはあちこちで横行している。お国自慢であれば他愛のない話だが、これが国家の歴史観に紐づくと厄介である。今回の皇室典範の改正議論の中で、未だに皇紀を持ち出す政治家や識者がいることには正直驚かされたが、解釈によっては憲法違反にもつながる発言だろう。現代は世界的にミュトスがロゴスを駆逐する情況にあると思うのだが、日本人の知性はその程度のものなのだろうか。特に、政権与党の近くにいる議員たちは学歴はそれなりなのかもしれないが、知性など微塵もないことにげんなりするのである。
くだくだと話を続けてしまった。ともあれ、立岩神社の巨岩の存在感はずば抜けている。自然神として古くから畏れられていたと思われ、前段の天岩戸別神社周辺に人が住んでいたのならこのあたりもテリトリーであったように思われる。だが、天石屋戸神話と結びつけられたのはそう古いことではないのではないか。このことを解くひとつの鍵は当地の修験道にあると考えているのだが、次稿ではその根拠地の剣山に加えて、今回の旅で出逢った至高の聖地をご案内したい。

(2026年5月30日)
出典
*1 「風土記」日本古典文學大系2 岩波書店 1967年
参考
*1 丹羽基二「神紋総覧」講談社学術文庫 2016年
「古事記」岩波文庫 2001年
「日本書紀(一)」岩波文庫 2015年




