初めて愉気による整体指導を受けられる方には
カラダが整体へ向かいだして
無意識運動がふたたび動き出した場合には
猛烈な怠さや痛み、発熱などの反応が出る可能性について説明している。
なかには
「自分は変わりたいので望むところです」
と返事をされる方もいる。
ところが言葉とは裏腹に実際に大きな反応が出ると怯えてしまわれたりする。![]()
反応という言葉は知識としては知っていても
今まで体験したことがなかったんだろうね。
体験したことがあるのはせいぜい揉み返しとか。
揉み返しってカラダに触れる人が下手くそなだけで
カラダの反応でもなんでもない。
実際に大きな反応が出た人というのは
整体から遥かに離れてしまった不整体の人たちだった。
妙なものを体内でつくっている人から
数日寝込みましたとか、皮膚がボロボロになりましたとか
イメージしていたよりも強烈な体験だったと驚きとともに報告いただく。
「わたし」という意識がこのカラダに宿る以前から
カラダ(細胞)という「いのち」は営まれている。
カラダとは
人間体験をして生きているあいだじゅうずっと
必ず一緒にあるもの。
いつも必ずここにあるもの。
なので当たり前すぎて
「いのち」の営みに目を向けることがない。
健康が続いていればなおのこと気づけない。![]()
この「いのち」を営んでいる無意識運動は
ぼくらが眠っていて意識がない状態であっても
カラダの死が訪れるまでは
一瞬たりとも途切れずに営まれている。
せっかく病気という
無意識運動の営みに不調が生じても
ほとんどの人は自分の内なる営みである無意識運動に目を向けない。
薬を放りこんでみたり
栄養のある食べ物を摂ってみたり
外に目を向けて救いを求めてしまう。
だから回復要求が湧きおこって
カラダが整体に向かって動き出すと驚いてしまう。
今まで目を向けてこなかったカラダがいきなり目の前に現れる。
カラダが力強く発熱してみたり
眠くて眠くて起きていられなくなったり
嫌でも動き出したカラダを感じざるをえなくなる。
無意識運動の邪魔をしていた硬張りが緩んで気が通りだすと
カラダは再び自由に動けるようになっていく。
体験できた反応はずっと一緒にいたカラダに出逢いなおす旅路だったりする。
わたしを「今」に連れてきてくれたカラダ。
そして人間体験を終えるまでずっと寄り添ってくれるカラダ。
はじめまして、わたしのカラダ。
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