5月6日 光の瞑想 四日目

瞑想会には、三日目の壁がある。
普段座り慣れていない人は、三日間座ると精神的にも、肉体的にもエネルギーを想像以上に消費する。

しかし、三日目を超えると、峠を越えた状態となり、心が晴れ渡り、これぞ瞑想と言う世界が待っている。

自分も昔は三日目の壁で相当、体力、気力とも削られたが、今はそういった類いの辛さとは無縁になった。

四日目の始まり

四日目ともなると、安定感が増してくる。
文章にするのは難しいが、感覚的に確実に認識出来る。
非常に静かで、穏やかな世界の中に、いることができる。

そんな中にいても、身体の微妙な変化、心の微妙な変化には、気づき姿勢、意念を含め微調整を行い、より良い状態に自分を導いている。

今の瞑想が過去最高とは言えないが、平時の生活に比べ、十分すぎるほどリラックスできており、非常に満足感が得られる。

本来は瞑想と、実生活を融合させていくのが理想ではあるが、自分程度のレベルでは、夢物語であるのが実際である。

現在の自分は瞑想の時間と、実生活は、完全に分離しているが、この分離した時間の中では、相当のリラックスが得られており、十分な価値はある。

昼食は珍しく CoCo壱 でした。
中国人の気質、日本人の気質についての雑談でしたが、面白く可笑しく会話が盛り上がり楽しいひと時でした。
しかし、CoCo壱 メッチャ高いな。

昼寝後は、更に安定感が増した。

昨日までは、瞼の裏側に白い景色が広がったに留まっていたが、今日は周辺からボワッとした光が広がり、光に包まれた様な景色となる。

この状態になると、潜在意識の中の情報が、整理されるらしい。
トラウマも解消するらしい。
確かに、そんな感じはする。

二回目の昼寝時は、寝ているが、起きているような状態で、ずーっと映像が浮かんでいた。

それは夢じゃないの、と思われると思いますが、違うのです。
まるで寝ていても、瞑想しているのと同じ状態となりました。

午後二回目の瞑想です。

非常に安定しています、非常に。
意識をどうしようとか、姿勢を修正しようとか、もーどうでも良いです。
この、静かで安定した状態で十分です。

そういった状態になると、アッという間に時間が過ぎ去ります。

座り始めたなと思い、少し落ち着いたなと思ったら、先生から終了の掛け声が掛かります。
良い時間は、感覚的には非常に短いです。

今回は苦手意識があった 光の瞑想 でしたが、自分的には確実に進歩が見られ、今後の瞑想にも、良い影響を与えるだろうと思われるものでした。

瞑想なんて、ただ座っているだけでしょと思われる方も多いと思いますが、内面は想像以上の変化があります。
見えない世界ではありますが、これぞ東洋の叡智です。

終了

5月5日 光の瞑想 三日目

朝、地下鉄で瞑想していたら乗り過ごす。
よって、本日も神楽坂で下車、教室まで歩く。
ケヤキ並木が心地よい。

三日目開始

始まった時点で、気感が強く身体中に充満している、充満感があると気が入り込む隙間がなく、気が動きにくい。

これは良い状態なので、そのまま光の瞑想に入る。

心は非常に安定している、雑念もほぼない。

しかし、光の瞑想が目指す、段階には到達しておらず、まだまだ、練習が足りていない。

今後も地道に練習を続けるしか道はない。

昼食時は、哲学的な話になることが多い。

正直、哲学には縁遠く、あまり興味もない。
性格的に、見て、触れて、聞いて、を非常に大切に生きてきたので、机上で理論をこねくり回すのはあまり好きできない。

私が武術を好むのは、理論を、誰もが納得できる形で、ほぼ検証できるからだ。
実績や、ある程度の実力が無いと、誰も相手にしてくれません。
結構、厳しい世界です。

そういった性分なので、身体の感覚を大切にして、考えるにしても、動いた結果を元に、いろんな事を考えてきた。

だからと言って、心の動きだけに従っていれば良いとも思っていない。

今後、練習が進み、自分はどうあるべきか、という課題にブチ当たった時、先生に聞くととか、誰かに聞くと言うことは、無くなると思う。

そういった時に、哲学的な物が指針になる可能性は確かにある。
感覚と理論と現実が融合できれば、それはやはり素晴らしいと思う。

午後からは、更に安定した状態となり、光の瞑想で言う、瞼の裏全面が白く明るくなるような状態が何度か発現した。

それに伴い身体の感覚が薄くなり、全身がチリチリ、ピリピリした感じがある。

自分的には、このチリチリ現象は、身体感覚が喪失する時に現れる、前段階の現象なので良い傾向だと思う。

指を見たら、パンパンに張って、真っ赤っ赤になっている。
ミツバチに刺されて、腫れているぐらいの張りがある。
バインバインである。

午後二回目の瞑想は、昼時に提起された哲学問題に意識が取られ、ほぼ集中することができなかった。

実はここ数年、この哲学問題と、同質の問題で悩まされている。

分かりやすく言うと、実生活と瞑想の融合問題だ。

今の自分の瞑想は、実生活とは完全に分離しており、融合などとは程遠い。

これは以外に辛い悩みで、解決の糸口は今のところ全く無い。

難しい問題に取り組んでいると思う。

出家坊主の様に山に籠もってしまえば、この問題は瞬間で可決するが、そう言う訳にはいかない。

家族はさほど待っていなくても、犬だけは私の帰りを熱望している。
犬の為にも、私は山に籠もる訳にはいかない。

何にしても、基礎的な部分を、もっと強化していかなければならないと強く感じました。

 

夕食はジビエ料理の店でした。

練精化気。


カンガルーとクロコダイル

 

ダチョウ

 

ダチョウ倶楽部

 

 

四日目に続く

5月4日 光の瞑想 二日目

朝から武友2号のLINE攻めにあう。

昨日、武友1号と池袋で、ガチ中華を食した。
その時、武友2号に武友1号と飯を食っていますとLINEした。

〇〇さん、東京まで何しに行っててるんですか と言うメッセージが届き、気功を習いに来ていると答えた。
すると、どんな気功で、どんな事習っているのと返信がきた。

昨晩は、ここまでで寝たが、日が変わりLINEのメッセージが、矢継ぎ早に届き、返信していると飯田橋を乗り越し、神楽坂で降りるハメになった。

だが、質問は止まらず、次々にLINEが届く。
メッセージを返していたら、教室に到着したのは、予定の15分遅れになった。

武友2号は剣術家で、瞑想の内容が相当気になるようで、是非とも教えてほしいとのこと。
今度、基本を教えてあげようと思う。

二日目の始まりです。

二日目と言っても、やる事は初日と何ら変わりません。
たくさんの事を、覚えるのが目的ではありません。
深める事が目的です。

光の瞑想ですので、光をイメージします。

昨日に比べ、イメージで浮かぶ、光の強度が強くなっています。

潜在的な意識から飛んで来る信号(雑念)が映像を結びます。

次から次へと、映像が切り替わります。

夢などは、物語風に、関連が途切れないように映像になりますが、今回の瞑想中に現れた映像は、スライドショーの様に、ある程度の時間間隔で変わります。
自分の奥側の意識から来てますので、なんでその映像が選ばれたのか、当の本人も分かりません。
不思議な感覚です。

瞑想を取り組むようになって、自分と言う人格は、複数の意識から成り立っている、と言うことに嫌でも気付かされます。

一般の人が、自分と思っている自分は、結構表層の自分で、以外に重要なのは、その奥にいる自分です。

まーこんな事は、普通の人には理解するのは難しいかもしれませんが、こういった経験をすると、自分に対する理解は、深まるかなと思います。

光の瞑想は、身体部分に意識を向けませんので、五感感覚は弱まり、身体から来る信号は弱くなるような気がします。

身体から来ている信号は、想像以上に多いような気がしています。

そういった物が、遮断されますので、雑多な信号から解放され、安定的な精神状態になります。

一言で言えば 何か幸せ となります。

午前の部終了

昼食はインドカレー

本日の雑談テーマは哲学と、AIでした。
博学な人が多いので、話題は多彩です。

正直、頭の中にカニミソが、適度な量詰まっている私には理解不能です。

しかし、宇宙論等は哲学者が生きた時代の概念とは、全く変わってしまっており、当時の時間軸を基本とした理論等は、すべてヒックリ返ってしまう可能性があるんじゃないかと思います。

時間が、過去から現在に流れる保証はありませんし、そもそも、時間事体が解明されていません。

4次元世界で生きる私達ですが、宇宙はもっと多次元で構成されていると言う理論もあります。
時空の概念が、私達の感じている物とは違うと言うことです。

ビッグバンから始まった、とされている私達の宇宙ですが、他にも存在する宇宙があるのではないかと言われています。
そうなると、ビッグバンは宇宙の始まりでも何でもないかもしれません。

頭にカニミソが、適度に詰まっている私はある結論に達しました。
今、生きているそれで十分
ある意味、真理かもしれません。

さー、午後の部です。

昼からは、光の強度がさらに増し、瞼の裏、全面が真っ白になります。

しばらく、その時間が続き、またユラユラと明暗が反転します。

真っ白の、静かな部屋に一人佇んでいるような感覚です。

静か、と言うのは、本当に幸せな感覚になります。

忙しい時代を生きる私達には、本当に必要な時間です。

こうして、練度が深まっていく。

同じ事をしていても、午前の瞑想と、午後の瞑想では全く違います。

こうして少しずつ、瞑想の質を上げていくのが、禅密気功の瞑想会の、真骨頂かなと思います。

三日目に続く

5月3日 光の瞑想 一日目

教室には、だいたい30分位前に到着する。
集中コースが始まるまでは、身体を動かし各部をほぐす。

手のひらが、真っ赤になっている。

準備完了である。

本日から4日間 光の瞑想 に参加。

どちらかと言うと、苦手意識のある 光の瞑想 自分にも、馴染み深いものにしていきたい。

性格がガサツなので、繊細な感覚を身に着けていきたいものだ。

光の瞑想 は 氣の瞑想 とは違い、意識の置きどころ、持つべきイメージが違う。
氣の瞑想 が極まって来ると、自ずと 光の瞑想 に移行していくが、意識、イメージを 光の瞑想 の要求に合わせれば、単独でも 光の瞑想 に入っていくことができます。

さー、集中コース始まりです。

まずは、蠕動。

動功は瞑想の為にも、とてつもなく大切です。
良い瞑想の為にも、入念に行います。

その後、まずは 氣の瞑想 に入っていきます。
集中するべき対象である 氣 を流し、全身を氣で満たす為に、まずは 氣の瞑想 です。

氣の瞑想 の基本を行います。
氣の瞑想は、瞑想の基本中の基本です。
これがダメだと、瞑想は始まりません。

教室始まりの前に、準備が完了してしまっている私は、初っ端から調子が良いです。

座った瞬間から、非常に落ち着いています。
雑念も、ほぼありません。
よって、非常に静かで、穏やかで、心地良い状態から瞑想が始まります。

あー、ずーっとこのままで良いんだけど と内心思っています。

しかし、時々、思いが湧くことがあります。
その、瞬間に脳裏に映像が結ばれます。
雑念が湧くと景色がみえます。

禅密気功では、そういった事象には、全く拘りません。
見えたら見えたで、放置です。
そんな事は、しょっちゅう起こるので、いちいち相手なんかしません。

脳の活動レベルが落ちてくると、よく映像が現れます。
夢に近い現象ですが、決して寝ていません。

脳の活動レベルが落ちると、身体の感覚が薄くなります。
全身が、真綿で包まれているような、柔らかい感じになります。
身体の輪郭が、ぼやけている感じです。
柔らかい物に包まれている感じですので、冬場の温かいベットの中にいるような感じです。
気功態と言ってよい状態だと思います。

意識するべきポイント、イメージを変え光の瞑想に入って行きます。

目を瞑っていますので、一面真っ暗ですが、光の瞑想に入ると、明暗が変化します。
ユラユラと変わる明暗をなんとなく見ている感じです。

時間間隔が通常とは違うので、あっという間に午前の瞑想は完了です。

昼食に向う道すがら、会員の方と雑談する。高い金を掛けて、田舎の温泉に行くより、都心の真ん中で瞑想したほうが、ずーっと心地よいと言ってみえました。
瞑想期間中は、世の中のしがらみから離れた別の世界で、心身ともに本当に休まり、助かりるとも言ってみえた。
激しく賛同した。

いろんな事を、今だけは忘れ、短い期間だが瞑想に集中する、それが休み明けからの活力になります。
良い、心身のメンテナンスになります。


午後の部に入る。

いつも昼寝の時は、あまり寝入らないが、今日は1時間程だがよく寝られた。

昼からも落ち着いた感じだ。

普段の生活の中でも、特に何もやってない時は、この気持ちで過ごしたいと思う。

午後の 光の瞑想 も明暗がユラユラ変わる状態だが、明るい状態が、午前よりいくらか強くなっている。
明るさが消えたり、現れたりを繰り返す。

二回目の昼寝に入る。
相当、身体、精神が整っているようで、もう寝られない、横になって静かにしている。
お疲れの方は、ぐっすり寝てる。

この、お昼寝タイムは、禅密気功の魅力の1つだと思う。
寝て、休むことも大切な練習の一部です。

午後、二回目の光の瞑想に入る。
明暗のユラユラがなくなり、全面が白くなる事がある。
よい、傾向だ。
過去には目を瞑っていても、全面、眩しいぐらいの光に包まれた事がある。
数えるほどしかないが、面白い現象だった。

本日は全面が白くなった状態までで終了。

自分の、レベルに一喜一憂すること無く、良くても、そうで無くても、明日を楽しみたい。


二日目に続く

太極拳の歴史と言えば 楊式太極拳 で終わりと思っているあなた・・・

 

確かに楊式系の太極拳は、大衆化し世界に広まった。

しかし、広まる事で、太極拳の本質は薄まってしまった。

楊無敵、こんな言葉すらほとんどの人が知らない。

 

今日は Mr.太極拳 

この人抜きにして太極拳は語れない。

 

私は太極拳を20年やっていますのよ、今日は白鶴亮翅(バイフーリャンチ)と倒巻肱(ダオジェンゴン)を少し嗜みましてよ、オホホなどと能天気にお話しているあなた。

 

この人の名をご存じか?。

もしこの人の名前も知らないのに、太極拳を嗜んでいるなどと言っているあなたは、恥じなければならない。

 

太極拳が太極拳と呼ばれる理論を築きあげた巨人、その名を 武 禹襄 と言う。

 

武 禹襄

 

ここまで山西省の民間武術が陳家溝に移り、少林寺の影響を受けながらも陳氏の拳法になった事を書いた。

それが 楊 露禅 に伝わり、楊式太極拳になり、それに伴い陳氏の拳も多分、陳式太極拳と呼ばれるようになった。

 

しかし、楊氏の拳も、陳氏の拳も、そのころから太極拳と呼ばれていたかは大変怪しい。

 

要するに太極拳の定義である。

 

太極拳の定義は実はハッキリしている。 

 

王 宗岳 の 太極拳論 武 禹襄 の 理論書 を守り拳が構成されている事である。

※王 宗岳は太極拳の人ではありません。

 

いくら強くても、この二人の理論から逸脱しているのであれば、太極拳ではない。

太極拳は各流派で風格が相当異なるが、この二人の理論で拳が構成されているのであれば、形が違っても、技の順番が違っても、それは太極拳となります。

 

さて 武 禹襄 についてです。

 

この辺からは、出典がハッキリ示せないので参考程度に読んでほしい。

 

武 禹襄楊 露禅 の、パトロンであったとも言われる。

楊 露禅 が陳家の拳を学ぶ為に、色々と援助したと言われる。

 

パトロンであった 武 禹襄楊 露禅 に、陳家で学んだ拳を教えてほしいと言ったらしい。

パトロンであった、武 禹襄 には、要求するだけの権利がある。

当然、楊 露禅武 禹襄 に拳を教えた。

ある程度、ある程度・・・

 

武 禹襄 は全部教えてくれよ、と言ったらしいが、楊 露禅 は全てを教えなかったと言う説がある。

武 禹襄 は、じゃあもういいよ、陳家溝にいって自分で学ぶと言う事になり、陳 長興 から拳を学ぼうとするが、色々な理由から拳を学ぶ事が出来なかった。

 

そこであきらめる 武 禹襄 ではなかった。

陳家溝ではないが  趙 堡鎮 に行き 短期間ではあるが 陳 清萍(小架 ここ大事)から、陳氏の拳を学び、自分の太極拳を完成させる。

 

太極理論に基づいた 武式太極拳 誕生である。 

 

武式太極拳は、楊式系と言われることも多いが、伝系的には、経歴を見ても楊式系に書かれるのではなく、楊式と横並びか、陳式系でも、いいのではないかと思う。

 

その証拠に、武式太極拳は架式が小さいく(小架、陳 清萍の影響)、結構メリハリがあり、姿勢が実戦的である。(楊 露禅の太極拳も小架であったと言う説がある、今の楊式は大架となった)

 

武 禹襄 は大変裕福でもあり、秀才でもあった。

そして、兄から入手した 王 宗岳 の文章を研究し、太極拳の理論書を完成される。

王 宗岳 の文書には 太極 と言う文言が書いてあり、その太極を以て、太極拳と言い出したのが、太極拳の始まりではないかと言われている。

 

ここまで書くと、武 禹襄は理論家で実戦では、弱かったのではないかと言う人もいるが、拳を通し、文書が書ける人は、それ相応の境地にならないと理論書はかけない。

 

逆に分かる人が読めば、その人の境地が分かるらしい。

 

インテリでもあった 武 禹襄 にはこれと言った武勇伝はありませんが、客人の武術家と腕比べをしても、負ける事は無かったそうですし、楊式太極拳二代目の実戦派 楊 班侯 も 武 禹襄 を慕い教えを受けた事からも、達人の域であったと思われる。

 

ただ、裕福であった、武 禹襄 は武術を生業とする必要もなかったし、当時のインテリ層には、武術は蔑まされたものでもあったので、広く伝わることは無く、一部の親族だけに 武式太極拳 は伝わった。(武式が大きく広がらなかったのはこのような理由もある為)

 

ただ、さすが太極拳の理論書を作り上げたの流派だけあり、無駄がなく本当に良い太極拳だと思う。

 

 

個人的には、この武式太極拳が最も好きである。

ただ伝承がほぼ無い為、習うまではいかなかった。

残念。

 

これにて 武式太極拳 終了。

 

さあ、いよいよ誰も期待などしていない 太極拳の歴史 最終章に突入 天下第一掌 と言われた達人です。