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ゆうゆうねこの感想ブログ

「会計ねこ子の感想ブログ」から
ゆうゆうねこの感想ブログとなりました。
内容は、本などの感想です~~

 

安土城天守からは、琵琶湖が見えるのです。

 

信長は、毎日それを見ていたことでしょう。

(見れない日もあったとは思いますが)

 

そんな琵琶湖で真珠が取れるのだとTVで知って。

 

しかも、琵琶湖真珠は母貝が育つのに3年、真珠になるのに3年はかかるのだと。

それに淡水パールは、水質がきれいでないと取れないのです。

 

淡水パール自体はそんなに高いものではありません。

現に外国の安い淡水パールに押されて、

琵琶湖真珠の養殖は商売として成り立たないのだそうです。

(今年で、養殖も中止になると何かで読みました)

 

でも、琵琶湖でできてるってことが大切なんじゃないの。

 

これは、宝物。

 

2年前のあのとき、信長のお墓に行こうと思っただけでした。

そしてそのあと、

佐和山城に立ち寄って。

 

けれど、雨が降ってきたので

セブンに。

そこで「道灌」というお酒を見つけて。

 

そして、その日は

お祭りだったので、

「道灌」の太田酒造さんが開いていたのです。

 

 

 

本当にすべてが、偶然なのです。

 

というか、目の前に来ているものに飛びついてしまうというか。

 

今、言えることは、

やはり

「ありがとうございます」

ということです。

 

カフェでお茶することの心地よさに、

目覚めたのです‥。

 

カフェ 1

 

行きたかった憧れカフェ。

都内です。

すばらしく高貴な…。

だから敷居が高かったのです。

値段も高く、ねこ子を拒み続けていました…。

 

けれども入店~~。

 

周りは外国人ばかり‥。

 

けれど、

自分がいけないのですが、

ライムギパンをたのんでしまったので、

サンドも食べづらかったです。

お茶もおいしくなく、

残してしまいました。

 

そして、店員さんの態度も‥。

 

ここは、あるホテルが経営しているお店なのですが‥。

立地のせいなのか、

自分がいけないのか、

…。

 

多分両方。

 

 

カフェ 2

 

平成最後の日、

 

今度はおいしくてびっくり。

さすが都内。 東京!

と思ったら、地方の喫茶店の支店でした。

 

本当はブルーマウンテンを頼みたかったのですが、

エメラルドマウンテンを頼みました。

 

おいしーい!

 

サンドは喫茶店で出てくる

ちょうどいい感じ。そして高くない。

 

そして、埼玉に帰ってきました。

 

けれども、平成最後に向けて、整理をはじめました。

 

いらないものの山~~。

 

けれど、「いらないもの」なんて思ってごめんね。

その時は欲しくて、我が家に迎えたのです。

 

そして整理してしまってから、

あれあったっけ?

と。

 

けれど、そういったものはやはり捨てずにとってある、

ということが多いですね。

 

(だって断捨離しない人によって、古文書とかは残ってきたのですよ)

 

けれども今日は捨てるぞ~~!!

 

 

今日は平成最後のごみの日!

 

 

 

 

 

 

風邪なのか。

 

胸がむかむかして、調子が悪くなってしまいました。

 

気候もなんだか変です。

美容院も行かれないままです。

 

明日は、行けるかな?

延期したほうがいいのかな?

 

ネコが大げんかして帰ってきました。

 

 

 

 

歴女と蕨に行きました。

 

「要害通り」

という看板がありました。

要害?

こんな所にですか。

 

歴女は大学院に合格していました。

いいなあ、と思いました。

 

浦和のアトレでささやかにお祝いしました。

 

自分のために

何かを買ってあげたかったけど、

やめました。

 

中央図書館で

調べました。

 

電車で

妹に席を譲らされて

立っていたお姉さん。

 

かつての記憶がよみがえり、

「お姉さん、座って」

と自分の席を譲りました。

 

10連休、

あってよかったのか。

悪かったのか。

 

けれども、滞ったいろいろなことを片付けるチャンス。

 

ネフリュードフは、まだ駅でうろうろしていたのです。

 

「昔、あれほど自分に身近だった姉のナターリアはもう存在しておらず、

自分には無縁で不愉快な、黒い毛むくじゃらな夫の女奴隷がいるに過ぎない、

とネフリュードフは感じた。彼ははっきりそれを見抜いた」

(「復活」下 トルストイ作 藤沼貴訳 岩波文庫)

 

けれど、ナターリアがそんな風になってしまったのは

ナターリアのせいだけではないのです。

 

ナターリアは、ネフリュードフの姉なのに、

なぜ、女公爵になれなかったのか。

弟にすべてを譲ったからではないの?

社会の矛盾はナターリヤの上にもあるのに、

ネフリュードフも、さすがにそれには気づかないのです。

 

それに「奴隷」と思っているのはネフリュードフだけで

ナターリアは本当に安穏で豊かだし、満ち足りて幸せなのです。

 

それなら、それでいいではないですか。

 

けれども、

ナターリアも、そして全てにおいて「奴隷」にならないためには、

ネフリュードフのように、そしてトルストイ自身のように

「三等列車」を選ぶことしかないのでは?

本当は。

 

それが、みじめに見えたとしても。

「選ぶこと」それが、精神の力なのだから。

肉体は滅びるよ。

 

 

けれども「奴隷」を選んでも「三等列車」を選んでも

生きるということは

大変なことなのです。

 

「虹を見ると、いいことがある」

「神社で生き物を見かけると、いいことがある」

 

そんなことを、何となく信じる私です。

 

そして昨日もまた、

 

けれどもそれは、秘密にしておきましょう。

 

目には見えないものに、

感謝しています。

 

そして、河越合戦のあったこの日が

太田資頼の命日と言われています。

 

それは嫡男太田資時(あるいは資顕)が、

北条氏に寝返ったため、

諌死したのだといわれてきました。

 

本当のところは分かりません。

 

資頼の遺骸は、

沈香を薪にして火葬されたのだそうです。

その煙は、川越城にまで、届いたのだそうです。

 

扇谷上杉は滅んでしまったのです。

けれども

勝利を得た北条氏もまた、

わずか44年後、滅んでしまうと誰がその時思えたのでしょうか。

 

そして、その後の徳川時代が何百年も続いて、

それでもいつかは、時代が終わってしまうということ。

 

今日は、かつていつもしたように河越合戦の犠牲者を追悼してみました。

そして、心に浮かぶ今は亡き人のご冥福を祈らせていただきました。