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ゆうゆうねこの感想ブログ

「会計ねこ子の感想ブログ」から
ゆうゆうねこの感想ブログとなりました。
内容は、本などの感想です~~

(携帯電話を職場に置いてきてしまいました)

 

今日は、川越に行かなければならなくなりました。

道真の館があったという山田地区を通りました。

 

山田八幡神社という神社がありました。

 

社伝によると、

源頼政の奉祀があり、頼政からの灯篭が残されているといいます。

 

太田氏の祖先である源三位頼政公。

太田桔梗は、頼政公の狩衣の模様であり、

旗印の鏑矢は、頼政が弓でヌエを退治したことに由来するのだそうです。

 

そして、気づいたのですが、今日は河越合戦から472年目です。

 

天国と地獄。

 

ただし、オッフェンバックの。

(あの運動会に流れている曲です)

 

けれども、よく考えてみたら何も始まっていないのでした。

昨日、考えました。

専門家でも何でもないのです。

そこのところを。

 

悲しむべきなのかもしれません。

 

いや、すべてのことがこれから始まる本番の

予行練習なのです。

 

「いや、いいんじゃないか、それを優先して」

 

と言ってもらえたのに、

 

多少優先しない方向で答えてしまったのです。

 

「また優しさをもらい損ねてしまったのか」

 

と、悩んで帰ってきました。

 

 

 

 

 

(ブログを書くのは難しい‥。)

 

左足に違和感が‥。

 

気づいてから足を大切にするようになりました。

触り、足指を動かし‥。

回らなかった左足が回るようになりました。

 

まるで分っていなかったのです。

この足が自分を支えてくれていたのに‥。

 

そして、ウイスキーを飲みました。

 

そこに行ったということ。

それはおそらく奇跡。

 

「ベンチャーウイスキー」

 

 

 

そして「ベンチャーウイスキー」のことに気づいたのです。

秩父蒸留所。

 

かつて羽生にあったウイスキーの蒸留所。

 

 

いよいよ明日から。

 

今日、大切にしていたイチローズモルトを飲みました。

そして、シャンパンもあけたのです。

 

つまみはイチゴとチーズ。

そしてチョコレートです。

https://jp.rbth.com/articles/2012/09/23/39139

 

自分よりかなりな年若のソフィア夫人と結婚した時すでに

何年も関係を持っていたアクシーニャという愛人がいたトルストイ。

アクシーニャのことを愛し、赤裸々に日記に書いていたレフ・トルストイ。

 

レフの思いは強かった、けれど、アクシーニャはどうだったのか。

本当は嫌だったとしても、自分の夫だってトルストイの農奴だし、

受け入れるしかなかった?

 

それとも本当にトルストイを愛していた?

 

けれどもトルストイは、出会って数週間の若きソフィア夫人と結婚してしまうのです。

 

ソフィア夫人が次々にトルストイの子どもを産むのをどう思っていた?

ひっそりと男の子を産んでいたアクシーニャは。

 

そしてその体験がトルストイに「復活」を書かせたのだというのです…。

 

人を人とも思わなかった若き頃のトルストイ。

人を道具のように扱っていたその時代。

 

ソフィア夫人を愛すればこそ、

罪の意識にも芽生えたのではないか。

 

そう思えたのです。

 

ソフィア夫人とその子たちにそそぐ愛、

その愛が幸せに満ちていればいるほどに

「捨てた」アクシーニャ(あんなにも愛していたのに)

に対する罪悪感も深まっていったのでは‥。

 

「復活」で、間引きされようとしていたカチューシャを助けたのは「ソフィア」

 

けれども、アクシーニャはレフのことをどう思っていたのか。

 

字を読めも書けもできなかった(と思う)アクシーニャは、

トルストイやソフィアのように日記を書くこともなかった。

 

そして、トルストイの小説を読むこともないまま死んでいったのだと思う。

 

彼女は、ヤースナヤ・ポリャーナ(トルストイの領地)にいたのか。

ソフィア夫人のことはいろいろに語られているけれども、

アクシーニャのことは何も語られていない。

 

トルストイの分身であるネフリュードフ公爵は、

かつて傷つけたカチューシャとの結婚を決意してシベリアへ追っていくのだ。

まだ最後まで読んではいない。

カチューシャは、どうなるのだろう。

カチューシャは、ネフリュードフを愛しているのだけれど‥。

 

そしてソフィア夫人はどうだったのか。

世界3大悪妻に入れられている彼女。

けれどもそれは少しずつ見直されているようである。

 

ネフリュードフと同じく三等列車に乗り、

肺炎を悪化させてしまったトルストイ。

 

そして、ヤースナヤ・ポリャーナに眠っている。

 

けれども、そこにソフィア夫人はいない。

それはなぜだったのだろう。

4月から新しい部屋、

そして6人衆との生活(?)が始まります‥。

 

別れがあれば、出会いがある。

 

雑兵たちの運命は過酷だった。

 

大体、少し「足りない」彼らが取り立てられたのは、

それだけ人材が枯渇、不足していたからなのだ。

 

深沢七郎の「笛吹川」で、「ギッチョン籠」の惣藏が

武田家の直臣、土屋家の婿になれたのもまた

滅亡まじかの武田家の人材が枯渇し、

戦えるものなら何でもよかったからである。

 

 

 

 

 

似たような運命が

彼らにも待っていただろう。

 

歴史では

その後の第二次河越合戦で、扇谷上杉家は滅亡することとなっている。

 

若き主君上杉朝定は討死し、(彼の墓所はどこなのだろう)

難波田弾正は、古井戸に落ちてしまったのだという。

 

(何かに古井戸って書いてあったのですが、井戸とは城外にもあるものなのでしょうか)

(もしかすると彼らは河越城内に入っていたということはないでしょうか)

 

彼らもまたその時死んでしまったのだろう。

 

けれども、もしか生きていたとしたら、

岩槻・松山両城主として立った太田資正に味方をしたのだろうか。

 

けれども空想では、

第二次河越合戦で彼らは勝利する。

 

歌。

 

かつて

「うたの国」

という名前の脚本を書こうと思っていた。

 

それは、徴兵された若い雑兵たちが「侍」に憧れ

「道灌」を目標に歌を学ぶ、という内容だった。

 

彼らは武州松山城に出入りする。

そこにはまだ扇谷上杉家の残党が残っていた。

難波田弾正もいたし、若き太田資正もいたのである。

 

難波田や資正の持つ「武士」のたしなみは本物だっただろう。

 

雑兵たちは当主上杉朝定から直に声を掛けられ感激もする。

 

そして本物の侍になろうと精進するのである。

 

彼らがテキストとして使ったのが「百人一首だった」

とそんな空想をしていた。

 

そして彼らは、難波田弾正の「末の松山」の歌合戦で初陣する。

難波田弾正が口ずさんだ「末の松山浪も越えなむ」

を大声で何度も何度も唱した。

(スピーカーもないその当時、雑兵たちがそうしなければ相手に届くことはないだろう)

 

今日は寝ないで起きていた。

 

ここまで起きていたら

 

スーパームーンを見てみよう。

 

 

雨は上がったのか。

 

今日は上弦の月だから

 

午後から月が見られたのです!

 

昼間の月が

 

なんだか特別なもののように

 

思えてきました。

 

 

それに星を引きました。

 

 

そして 

天文年鑑を買ってしまいました!

 

 

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