そして、河越合戦のあったこの日が
太田資頼の命日と言われています。
それは嫡男太田資時(あるいは資顕)が、
北条氏に寝返ったため、
諌死したのだといわれてきました。
本当のところは分かりません。
資頼の遺骸は、
沈香を薪にして火葬されたのだそうです。
その煙は、川越城にまで、届いたのだそうです。
扇谷上杉は滅んでしまったのです。
けれども
勝利を得た北条氏もまた、
わずか44年後、滅んでしまうと誰がその時思えたのでしょうか。
そして、その後の徳川時代が何百年も続いて、
それでもいつかは、時代が終わってしまうということ。
今日は、かつていつもしたように河越合戦の犠牲者を追悼してみました。
そして、心に浮かぶ今は亡き人のご冥福を祈らせていただきました。