Aliyah
 大学院に所属していた1999年の春先にインターンを探した。夏に卒業に必要な2教科を取る予定をしていたので、クラスを受講しながら昼間働こうと思っ た。その時はまだ学生で、専門教科やスクール・プロジェクトが主に記載してある、今思えば全く大した事も無いResume(履歴書)と、インターン先を探し ている旨のカバーレターを用意した。そしてYellow pageにて市内のIT関連会社のと思われるFax番号を調べ、自宅のコンピューターにFaxを繋げ、クリックのみでその大した事の無いResumeを次 から次へと市内の会社に送りつけた。500社位に送りつけただろうか ・・ こればっかりは覚えていない。それから、車で市内をドライブしながら、視界にITベンチャー 系の会社を見つけると、勝手にアポ無しで正面からオフィスに入って行き、適当に受付や雑用をしている社員にResumeを手渡しする事もした。

あの当時の前後を省みない行動力には今考えてもハラハラする限りである。まだ社会を知らない分、無茶が出来たのだと解釈していただきたい所だが。まぁ、そんな努力が芽生え たのか、夏の間のインターンが決まった。特にIT分野とは関係の無いAuction/Marketingの会社であったが、そこで夏の2ヶ月間働く事が出来た。

卒業の一年と半年も早くに仕事を探し始めた。これと言って特に理由は無い、ただ単に就職活動が面白かったからだ。最初から日本に戻って就職という気はさらさら無かった。なぜなら日本で自分の経歴が引き手あまたなのを知っていたからだ。こういう言い方は他人を不愉快に させるかも知れない、が、日本のリクルーターからは常々連絡が来ており、よくクライエントの会社と電話で面接をしていた。

それをさらに自分自身に確信させ たのはBostonで毎年行われるCareer Forumに出たことだった。会場には130を超える企業・2000を超える日本人留学生が来ていた。自分は他の企業には目もくれないで、Goldman SachsやLehman Brothers、当時まだ解体されていなかったArthur Andersen等、日本化の進んでいなさそうな外資系会社のブースの前に向かった。金曜と土曜、日曜の午前中と会場はやっているのだが、そういう外資系 の会社は目星を付けた人材20人位を各社毎に金曜・土曜と夜のPartyに誘い、会社の経費でフリーのDinnerを催していた。そしてDinnerに呼 んだ人材達を自分の会社で働くよう口説くのだ。自分は金曜と土曜、異なる会社にそれぞれ呼ばれたのだが、あまりにも簡単に決まりそうな就職に返って不安を 抱いた。もちろん、これにはMasterの学位や専攻であるMISが大きく関係していたのは明白ではあったが、幼い頃あれほど日本では拒絶 されてた自分が・・ という気持ちの方が大きかった。それと同時に、結局蓋を開けてみれば日本の国家も社会もアメリカ追随主義なのかというむかつきも正直感じた。

その時に何か吹っ切れたのだと思う。Bostonでの驚くほどの食いつきに気を良くしたのも事実だが、日本というオプションがあるのなら敢えてアメリカで 勝負してやろうと考えたのもその時だった。それにもっとはっきり言えば、日本でしか生きていけない、井の中の蛙的エリートに憧れも無かった。もし日本というオプションが持てるのであれば、自分がアメリカという地でどこまでやれるのか見てやろうと思った。

大学院を卒業する前の1999年・2000年はITブームの真っ只中、オンラインでResumeを送り、先方から面接の誘いが来るのを待つのであるが、色 々な会社が面接に呼んでくれた。もちろんここでも日系の会社は狙わない。それらの日系会社からは面接へ呼ばれても費用は自分持ち、そしてとんでもない低賃 金で働くことを要求される事になる。

この就職活動で自分を何よりも魅了したのは、ただでアメリカの色々な都市に旅が出来るという事だった。非常に聞こえがミーハーに思われるかも知れない。基 本的に普通のアメリカ企業は、州外からの人材と面接する際にはその渡航費用・ホテル代・食事代・レンタカー代はすべて面接経費で落とす。

本当に楽しかっ た。大学院最後のセメスター等は、行きたくも無い会社で自分のスキルを欲しがっている会社をわざと受け、行ったことも無い都市にただで旅行させてもらっ た。

To be continued

pic - Aliyah -

アメリカ独立戦争が終わり、1787年に合衆国憲法が制定される過程で、「民主共和党」と呼ばれる政党が結成された。これが現在の民主党の始めだ。共和党 はそれより約半世紀後の1854年に結成される。個別救済を主眼とした民主党と比べ、国家への全体観をもちそれを構造的に考える共和党は、国難に遭遇した 場合、その力を発揮し危機を回避してきた。

バプティスト派をはじめとする宗教右翼は、1970年代後半から急速に勢力を拡大し、1980年代には、諸宗派とともに一大勢力となった。いまや宗教右翼 を抜きにしては大統領選は戦えないと言われる。その宗教右翼は、バプティスト派と同じように共和党との結びつきが非常に強い。主流派は教理の一致で教団を 統率することを、聖書解釈よりも優先するが、バプティスト派は、あくまでも聖書に書かれている内容に忠実であろうとする。

アメリカ人は、子供の頃は親に何かしらの教会に連れて行かれる。
それが6Th Gradeあたりから段々行かなくなる。だが、自分が成人して家庭を持ち、子供が出来ると自分が親に受けた教育を子供にも実践しようと、同じ様に子供を教 会に連れて行くようになる。そしてアメリカの過半数の州立学校ではダーウィンの進化論を教えない。この世界は「神」によって創造され、「人」もまた神によ る創造物の一つだという考えである。この考えは特にアメリカ南部では殆ど全域と言っていい程徹底されている。これらプロテスタントの中でもアメリカの南部に根強く勢力を誇 るのはバプティスト派。メソジスト派はブッシュ大統領が所属する宗派でもある。ブッシュ大統領は40歳でブッシュ家代々のエピスコパル派(監督教会)から 夫人の信じるメソジスト派に改宗した。どちらもプロテスタントで、英国教会の流れを汲むアメリカの代表的な宗派だが、メソジストの教義には特徴がある。

メソジストは「人間は罪深いもの」として「悔い改め」を強調する。「罪」と「悔い改め」はキリスト教の全宗派に共通する基本だが、メソジストではこの点が 他宗派以上に重視され、教義の中心に置かれている。さらに重要なのは、人間の生活の目的は神の意思を実践することであるとして、具体的な社会行動を求めて いることだ。そのことにより、人は自分が救われることを確信する。つまり、神を信じて罪を悔い、自分の信じる善を積極的に行うことが、正しい信者の生き方 であり、それを怠ると、救われると確信することができない。ブッシュが40歳を過ぎ、それまでの彼とは別人のように仕事や政治に積極的になったのも、こう した教えを考えると腑に落ちる。

それから自分が他の歴代大統領と比べて、大統領としての資質に欠ける事も、自身で自覚しているようにも思える。その思いが強い為に、自分の信じる神の教えにより忠実である事を強く望んでいるような気がする。

イラクにアメリカが侵攻した理由を、Michael Mooreの様にオイル・マネーの為とする人も居れば、正義の為と結論付ける人も居る。その真相ははっきりとしていない。、自分もその真相をここではっき りと言及するのは避けるが、ただ、なぜアメリカがイスラエルを過保護するのかは自分なりの見解がある。それはアメリカのユダヤ人協会が毎年民主・共和の両党に莫大な寄付をする からでは無い。もっと根本的なものだと考える。

聖書は前半旧約と後半新約の二つの経典からなる。新約はもちろんキリスト教の経典、旧約はユダヤ人・ユダヤ教の経典である。聖書の中でもその2つの異なる 宗教の位置づけがはっきりしている。イスラエルが中東で異教のアラブ国家に滅亡させられキリスト教の聖地であるエルサレムがアラブ人の手に渡る事は、ユダ ヤ教の流れを汲むキリスト教を信奉する宗教国家アメリカにとってあってはならない事なのである。そしてまた聖書の歴史を汚す事や聖書の内容を脅かすような 事はあってはならない事なのである。イスラエルとユダヤ教は、キリスト教を正当化する為その存在が無くてはならないものなのだと自分は考える。


この国の政治機構を語る上で良く耳にするのが「南部政策」だ。大統領選では、ビッグ4と呼ばれるカリフォルニア、ニューヨーク、フロリダ、テキサスの選挙 人(Electral Vote)を取ることが戦略上重要とされるが、もう一つの要は、保守的で変化を求めず、宗教右派と理念・思想で結びつくアメリカ人の本音を実践した生き方 を続ける、この南部をどう抑えるかなのである。

Peace
アメリカのNY等の大都会に住む日本人でよくアメリカを勘違いしている人間が居るように思える。NYは他の州に比べて非常にリベラルであり、英語が喋れなくても暮らしている外国人も多い。それゆえ、アメリカの文化を理解していない人々でも、生まれても育っても無いNYに住んでいるだけで、自分は「ニューヨーカー」だなどと言うのかも知れない。アメリカは人種のルツボでアメリカ人という定義は存在しないという、マイノリティーの自分達にとって非常に都合の良い解釈を良く聞く。 NYCやカリフォルニアに住むとそういう錯覚を起こすかも知れない。が、自分から言わせれば、確かに色々な人種こそ雑居するが、この国は紛れも無く白人のものだ。

なぜそんな前置きから入ったのか・・ その回答は後半に用意しようと思う。

それでは果たして、この国の人々の本質とはどういうモノなのか?である。
アメリカのMajorityはイラクに侵攻する決定をしたBushを支持してしまう人間達である。NYやWashington D.C.においてビラや看板を持って抗議デモをしている人間達では決して無い。間違ってもNYのYankee達やハリウッドの民主党系俳優組合に属するムービースター達では無い。(ちなみに全く関係ないが、元合衆国大統領ロナルド・レーガンは元々は民主党で、俳優組合の会長だった人だが、大統領選の前に共和党に鞍替えした人だ。)

アメリカがテロや戦争等の国家的危機状態にある時に、この国が必ずと言っていいほど立ち返る考え・行動パターンがある。アメリカが、テロや戦争等の国家的危機状態にある時に立ち返る考え・行動パターンについて、それを宗教という観点を交えて論じてみたい、そして今回は敢えてアメリカ社会のタブーについて触れたい。なぜタブーなのかと言えば、宗教と政治は分離するというのがこの国の建国理念であり、自分が今から書くことはそれに相反する結論を導こうと試みるものだからだ。

アメリカの宗教の最大的特徴としては、この国の大多数の人間の宗教が、キリスト教の中でもプロテスタント(新教派)と呼ばれるカテゴリーに属するという事。

下にアメリカの主な宗派を並べてみた。
<アメリカにおける宗教分布>
<主流派教会(mainline church)>-プロテスタントで、「アメリカ合衆国全国教会協議会(NCCCUSA)」に所属する36団体。各派の特徴を簡潔にまとめると

①監督派(聖公会 Episcopal Church)-イギリスでは国教会(アングリカン・チャーチ)と呼ばれる。ピューリタンが移住したマサチューセッツとは違い、ヴァージニア植民地では国教徒が主流派であった。いわゆるWASPの中でも最もステイタスが高いとされる(代々ブッシュ家も含まれる)。
②会衆派(Congregational Church)-ニューイングランド植民地を形成したピューリタン。もともとはカルビン派。
③長老派(Presbyterian Church)-スコットランドで創設されたが、アメリカではフィラデルフィアで始まり、独立戦争で大きな役割を果した。また代議制民主主義にも示唆を与えた。教義もプロテスタント諸派で最もリベラル
④メソジスト派(Methodist Church)-英国教会派から分離独立。独立革命時は微力だったが、20世紀中番に最大のプロテスタント教派に成長した。
⑤ルーテル派(Lutheran Church)-ドイツ系移民が中心となって始まる。「福音」重視
⑥バプティスト派(Baptist Church)-幼児洗礼を認めず、成人の全身を浸す洗礼(immersion)を信じるカルビン派

「アメリカの宗教 2」に続く

To be continued

続き ..



White Trash = 低所得層の白人を指す蔑称。


Trailer Trash = White Trashのさらにパワーアップ系。家が無くトレーラーで暮らす様な、Eminemの幼年期の様な境遇の人間達を指す蔑称。


Chink = 元々は中国系の蔑称であったが、今はアジア人を指して使われる。


Politically Correct = (人種別・性別などの差別廃止の立場での)政治的正当性。偽善国家、アメリカでは自分が思っている事を隠し、社会的に正当化されると考えられる立場・考えを持つことが時折必要となる。その根本となる考えがこのPolitical Correctであろう。例えるなら、イラクへの軍事介入。個人レベルではイラクへの介入に反対する人間も多いが、周りにアメリカの為と言われると個人レベルより国家の威信を選んでしまうといった具合だ。マスコミもBush政権に対し積極的にイラクへの軍事介入批判は出来ていないのはこのPolitical Correctnessが強いからだと考える。また、ヒラリーもイラクに軍事介入する事を賛成したのはPolitically Correctに負けた為であろう。


Egg = アジア人に迎合し、アジア人の様に行動する・もしくは行動しようとしている白人を揶揄する言葉。外側が白く中は黄色い卵はそれを連想させる・・ もしくはToken Whiteとも言う。


Banana = 上のEggと同じような使われ方をする。 要するに、アメリカ生まれのアジア人で白人Wanna-beな人間達を揶揄する言葉。


Oreo = オレオの外側は黒クッキーで中身は白クリーム。要するに白人に迎合する黒人の事。白人のようにしゃべり、白人のように行動する黒人は、教育レベルの高い家庭では結構いる。


これらは知っておくといいが、使う際はタイミングと場所をよく選んだ方がいいと思う。

あまり使われないが、知っておくと為になるような言い回しやボキャを思いついた範囲で載せてみたい。

* FOB = Fresh off the boat これを知らないアメリカに住む外国人はFOBという事だろう。
直訳すれば難民ボートで下りたばかりの人と言う意味。要するにアメリカ式を受け入れず、自分達のスタンダードでしか暮らす事の出来ない人間達の事だ。英語を知ろう・アメリカ文化を知ろうと努力している人間はそれに非ずであるが、いわゆる勘違い君達にも使われる。(例を挙げれば、日本人で英語を喋べる時、面白くも無いのに意味も無く笑う人達が居る。本人は愛想良くしようとしているのだが、アメリカ人の感覚からすれば非常に耳障りだ。そういう事というのは実際誰も教えてくれず、本人のセンスみたいなもので理解するものなのではないだろうか?そしてそういうニュアンスを理解できない人達はおそらくこの言葉を知らない。自分やアメリカ・ベースの友人達の間で良く使う言葉でもある。ちなみにこの言葉を使うのは友達間だけに限定した方が良い。

* Wanna-be = 以前のエントリーでも紹介したボキャである。”なりたがり”な人間達の総称だ。
want to beの省略形、ワナビーと発音される。Wanna-be American、Wanna-be English speakerといった感じで使われる。

* Faggot = 意味はゲイだが、ニュアンスは最高級に悪いので使わないようにしたい。サンフランシスコ周辺では得に気をつけたほうがいいかも知れない。

* We hit it off well from the start ”私たちは最初から仲ばっちりだよね”

* get hitched = 「結婚する」のスラング。冗談みたいに使われる。

* 車のガソリンの事をアメリカではGas、British英語ではPetrolと言う。

* Yellow Cab = 俗に簡単にやらせる東洋人女性の意だ。これを名前につけるアイドル・グループが以前日本に居たと思うが、そのセンスにただ、ただ驚く限りである。

peace
 幼くしてまだ日本に居た頃、親戚一同何かにつけてよく集まった。代々公務員の家系を持つ自分の親戚達は、日本に居ながら日本の教育を受けていない自分をあまり良くは 思っていなかっただろう。10代の終わりに”アメリカに行く”と言い出すと、一人の親戚のオヤジに”日本でいい所いけないお前がアメリカでどうやってやっ ていくんだ”と言われた事もあった。言われたことも悔しかったが、それよりも、まだ若くて人生において何も成し遂げられていない自分に対しての情けなさも強かった。

日本では高校から大学にストレートで、もしくは何年か浪人を経て入る。大学に行かない子達はそのまま仕事に就く、もしくは専門学校等に入ってその後就職す る。そういう大学に行かなかった子達が就職後、大学に行くことは非常に少ない。大体なぜこの一番遊びたい盛りに勉強をし なければならないのか、なぜ今後将来全く役に立つことの無いかも知れない勉強をして、テストでいい点数を取っていい大学に入らなければいけないのか、それをしないと将来どういう事になるのかということについて、今振り返ればその当時の自分にきちんと教えてくれた人間は居なかったと思う。だから正直、何も考えていなかった。ましてや自分の進む大学によって、将来就職できう るであろう企業も、将来受け取る給料の額をもある程度予測出来てしまう事等、到底分からなかった。

ところが自分みたいに10代で気が付かないで他の事にそのエナジーを使う人間は実際数多く居る。そういう人間は実際頭が悪いのかと言ったらそんな事は全く 無いのだが、日本の社会はアメリカに比べると一様であり、皆と同じ時期に、理由がなんであれ、人生設計エスカレーターに乗ることの出来なかった人間に対して非常 に冷たい。

アメリカでは各種の奨学金や教育ローンが充実しており、かなりの数の生徒達がその恩恵を受けている。また、親が子供の教育に金を出す家もあれば出さない家もあり一様では無い。それは日本にも言えることではあるのだが、アメリカにはそんな大学に行か なかった子供達にも将来の選択肢が残される。一旦社会で働いてみてから自分に足りないものが分かり学校に戻る者も多いし、ここにはそれを可能にさせるシス テムと社会のキャパがある。その方が人間ベースに社会を考えたときにもっと説得力がある。MBA等はまさにその考えの延長上にあるだろう。自分のようにス トレートで大学からビジネス・スクールに行く奴は少ないし、それをする事は職歴が一つの審査基準になるMBA入学の事実を踏まえると実はかえってマイナスに働く場合が 多い。

そもそもアメリカには、日本の戦後50年の奇跡を支えて来た様な終身雇用システム・年功序列システムは、一部の巨大企業を抜かして殆ど無いと言 える。この国でもっと重点を置かれるのは職歴であり、仕事から自分が得た経験である。だからアメリカに住んでいると、自分の人生を自分自身が設計していけ ると言う事を確信できる。そういう面で人生にやり直しが利きやすい。

日本ももちろんチャンスは公平に与えられる事は確かだ。ただ客観的に見た時に、それらのチャンスを一度逃すと将来のやり直しが難しいというのもまた事実に思う。

冒頭で話した親戚のオヤジ、もちろん今は、会えば必ず嫌味の一言や二言は言うようにしている。

 自身にとって書きやすいトピックを選んでいるのだが、英語についてはこれまた色々ある。
英語と言えども実は多様なアクセントがある。アメリカ英語、インド英語、British英語(オーストラリア・ニュージーランド・UK・アイルランド)、カナダ(Quebec)英語などが主なものだ。

アメリカ人は言葉にリズムをつけて話す。アメリカンスクール育ちの自分にとって、英語とはもちろんアメリカ英語を指し、いつも悪気は無いのではあるがイギリス英語等に対して拒否感があるのは確かだ。実際、事実として大多数のアメリカ人はBritish英語を馬鹿にする。(これはまたイギリス人がアメリカン英語を馬鹿にする事も然り、であるが) アメリカでBritishアクセントをしゃべる人間は、外見はいかにCaucasian(白人の意)でもやはりそれだけで他のアメリカ人とのバリアを作る。個人的な見解で申し訳ないが、会話がやはりスムーズでは無くてぎこちなくなり、何回も聞き直したりするとお互い会話がしづらくなるのだ。

もちろん、ビジネスの際は別の話だ。取引先がアメリカ人でクライエントが日本人だったら、下手くそな日本人英語でも彼らは理解する振りをする。だが、普段の生活でアメリカ人のようにしゃべらないなら、いつまでたっても本当の意味でこのアメリカ社会で受け入れられはないのでは無かろうか。アメリカ人は自分達が、それから自分達が属すこのシステムや環境を、最高のものだと思っている。それは自分達が話す言葉についてもまた然りなのだ。

British英語は、日本人が日本で英語を高校・大学と勉強してもBritish英語の発音に近くなる傾向があるが、アメリカ英語はそうは行かない。普通の日本の教育を受けた日本人は、アメリカでは発音矯正から始めないといけないだろう。現実的に世界のビジネス、エンターテインメント、学問を牽引するのはアメリカであり、その国で話される英語を身につけることは、非常に有益だというのが妥当な所であろう。それにBritish英語をしゃべろうと思えばいつでも出来る。困難な方にチャレンジした方が後先もいいと考えられる。

英語の上達の仕方・・ これは良く聞かれる質問だ。アメリカの映画をよく見るようにと勧めている。最初は字幕なしで何をしゃべっているかを書き留める。それから字幕で確認するといった具合だ。それから映画での使い回しはそのまま普段の生活にも使われる。Idiomやボキャを覚えることが出来る。

映画には、南部が舞台のモノが結構ある。例えば、”Sweet home Alabama"ではアメリカの南部の人間達の話すSouthern Accentがたくさん出てくる。アメリカ英語の中でのアクセントを知ることもまた面白いと思う。人によってはSouthern Accentが良く聞こえないと言う人間も多いが、今はMTVやCableの出現でアメリカ国内でのアクセントの違いは少なくなっている・・・南部は別だが。 

NYに至っては、アクセントというよりかはもうイメージ的な感覚だと思う。普通人々の中でニューヨーカーは、大きな声で、大胆で、人目をはばからずにしゃべるようなイメージを連想させるのが一般的だとは思うが、それはアクセントの問題というより、人によるだろうというのが自分の考えである。

8年近くをアメリカの南部で暮らしていたが、南部Valueはきっと変わること無くこれからもアメリカにずっとあり続けるような気がする。



John Gotti

前回に引き続いてのアメリカのマフィア その二。

1985年ガンビーノ・ファミリーのボス、Paul Castellanoは配下のJohn Gotti(右)に暗殺される。その後、GottiはNY史上最大のマフィア組織、ガンビーノ・ファミリーのボスとなる。John Gottiはアメリカの経済雑誌Timeのカバーを飾ること数回、イタリアン・スーツを着こなしとにかく派手なパフォーマーで、マスコミへのリップ・サー ビスを忘れない。そのGottiが刑務所に服役し、Gottiの息子がガンビーノを率いていたのが90年代の半ばだ・・ と自分の記憶ではそこまでしかな い。

NY滞在二日目、Jが自分と友人をDinnerで、Manhattanに連れて行ってくれた。Wall Streetにも程近いEast River沿いのManhattanでも高級なステーキ・ハウスだ。Jはなぜか従業員達とは知り合いであり、我々ののテーブルにはフロア・マネージャーが 自らサービスについてくれた。少しするとJは立ち上がって厨房に堂々と入って行き、料理人やら色んな人達と握手をしていた。テーブルに戻ってきた彼が色々 と自分のビジネスや自身の事を話してくれた。

彼は60年代から90年代までNY最大の構成員を誇っていたガンビーノ・ファミリーの正真正銘の構成員である。背は自分よりも高く、肌は浅黒い。光物を腕 や首につける辺りがそれっぽいが、それ以外は普通の中年紳士である。彼が喋ると幾分素性を想像させる。品行方正ではあるが、立ち回りが豪快で社交的、人の 面倒見が良い。イタリア人特有のアクセントで発せられるSlangは、映画Good・FellasのJoe Pesciを思わせる。70年代・80年代と手下を何人も使い、NYのごみ収集を一手に引き受けていた。90年代より余剰金で美容院などのビジネスを始め たらしい。最初の奥さんはイタリア人、息子は18でもう既に2回くらいパクられている。何でパクられたかについては聞いていない。

Jが話している間、彼に対して失礼が無いように神経を削りながらも色々と質問をした。そんな態度が気に入られたのかは分からないが、彼も自分に気を許してくれたのだろう。まだファミリー・ビジネスと繋がりがある事を密かに教えてくれた。

YとJは非常に仲がいい。夫婦だから当然といえば当然だが、どちらも互い昔あったくだらない事をいつまでも喋りあって大笑いしている。そんな同じ話のやり取りを2日間の内、5回は聞いた。その度にでかい声で馬鹿笑いしていた。本当に幸せそうだった。

彼らとは今も繋がりがある。友人Yにメールを出す時はYも必ずJに一言それを告げることを忘れない。彼女も旦那を凄く立てているようだ。

そうそう、NYCから帰るとJから電話が来た。仕事に困ったら是非手助けをさせてくれと。
ありがたく思いつつ、丁重にお断りをさせてもらった。

Peace

gambino

 厳密にこの国アメリカでマフィアと言及されるのはSicilian(シシリア人)のギャングの事である。英語ではMobstersとかWise- guysとも言う。イタリア人でもマフィアにはなれない。1920年代のイタリア人ギャング、アル・カポネがいい例だ。カポネはこの定義ではマフィアには 非ずだ。昔、シシリア人はイタリアの統治に抵抗していた。そのレジスタンス兼自警団としてシシリアの各地に生まれた組織がマフィオーソと呼ばれるマフィア の始まりとされる。

マフィアの各組織はファミリーと呼ばれ、首領(ボス)、アンダーボス(Underboss…暴力団の若頭に相当)、カポ(幹部)、ソルジャー(構成員)の 順で、ピラミッド型の構成となっている。その他に、コンシグリエーレ(Consigliere、顧問)と呼ばれる役職がボスをサポートする。

また、アメリカ及びイタリアのマフィアには服従の掟(上位構成員には絶対服従すること)及び沈黙の掟(オルメタ、Omertà)」(組織内部のことは絶対 に洩らしてはならない)と呼ばれる掟があり、それを破ったときの凄惨な制裁と相まって、マフィアの全容解明を困難なものとしている。が、80年代の相次ぐ FBIのUnder Cover(オトリ捜査)によってその規模は縮小した。

ゴッド・ファーザーと言う映画がある。映画の中ではニューヨークの5大ファミリーと呼ばれる5つのファミリーがNYの裏の世界を牛耳っていたが、あれは実 話に基づいている。ニューヨークには実際、一番規模の大きかったガンビーノ・ファミリー(下写真参照)を筆頭にジェノベーゼ・ファミリー、コロンボ・ファ ミリー、ボナンノ・ファミリー、ルッケーゼ・ファミリーと言う5つのファミリーがあった。なぜ過去形なのかと言うと、自分がマフィアについて調べていたの は1990年代。正直その後から今に至るまでのマフィア関連は追っていないからだ。ところが昨年ある出来事によってまたそのマフィアの世界を少しの間 だけ垣間見る事になった。

昔オレゴンで知り合いだった日本人YがNYでマフィアと結婚したのだ。
当時自分は20歳、Yは18歳だった。オレゴンでは我々両方とも学生で、結構遊ぶ事も多かった。Yは変わった女の子で、人目もはばからず将来アメリ カで女優になりたいと言うような娘だった。その後当時付き合っていた彼氏と共にOhioに移り住み、その後その彼氏とは別れNYCにたどり着いたとの事 だった。NYCでは学生も辞め、不法でNY市内の美容院に働き始めた。不法で美容師になっても到底いい金を稼ぐことは不可能だった。2ベッドルームのア パートメントに無理やり転がり込み、そこでは男のゲイ二人と暮らしていたが、自分の部屋は無く、クローゼットで毎晩寝るという生活をするようになる。Yは次 第に自尊心が低くなり、ありとあらゆるドラッグに手を出していく。そんなぼろぼろの状態で暮らしていたYなのだが、美容院のオーナーであった今の旦那Jに 出会う。彼はYにドラッグを辞めるように説得し、更生させる。

Jはバツイチ、既にYの2回りの年齢差、しかも18歳の長男も居る。YはJが昔マフィアであった事も知っていたが、Jは殆ど昔の仕事から足を洗ったと話していたと言っていた。そして2年前に結婚した。

自分は去年NYCに米系投資会社に勤める昔からの友人を訪ねていたのだが、ひょっとした事からYがNYCに居る事を知り再会する運びとなったのだ。ところ が、JealousyなYの旦那Jは、我々が他の友人も含めて食事をしているManhattanにまでわざわざ出てきたのだ。先ほども言ったようにマフィ アについて興味本位で以前調べていた事もあり、あの突然の出会いにはとても戸惑った。正直知り合いたくは無かったのだが既に時は遅かった。

ところがこのJ、会って見ると非常に面白い。イタリア系ならではのアクセントとMob-ster口調、非常に社交的で紳士な態度かつ親分肌な面倒見の良い 性格、何よりも自分の娘と同年代のYの事をとても大切にしていた。自分がYにとって古い昔からの友人だと知ると、Jは非常にオープンに接してくれた。その 時NYに3日滞在したのだが、2日間彼らとNYを楽しんだ。

アメリカでは色々な犯罪組織がある。黒人ギャング、カリフォルニアのアジア系ギャング、フロリダのヒスパニック系ギャングなどがあるが、どれもイタリア系 を恐れるのには理由がある。アメリカの各地に最初に組織的犯罪網を作ったのはイタリア系マフィアであり、そのビジネス規模・統率力は他の比ではないからで ある。それから組織内の結束と復讐の残虐性である。イタリア系にたて突けばその組織は即座に潰され、徹底的に葬られる。これだけ色々な人種が共存するアメ リカで、未だに犯罪組織網でイタリア系マフィアの存在がFBI以外の他のグループに脅かされていないのはそれを裏付ける。他の組織はイタリア系の逆鱗に触 れない程度に2次的な裏ビジネスに付くしかないのだ。

少々長くなったので二つに分けることにする。続く・・・

アメリカン・スクール時代には、よく横須賀のどぶ板辺りから出てきた、黒人狂いで自分達を”Sisters"と呼ぶ女達に遭った。そんな彼女達の中でアメリカに結婚して来ていた2人ほどを知っていたのだが、両方とも旦那と別れて子供と一緒に日本に帰ってしまったらしい。


日本にたまに帰ると、髪を”ドレッド”や”ブレイズ”にした奴らを良く見る。去年渋谷のクラブで遭った女の子は大学のダンス・サークルで踊っていると言っていた。最近の日本をこちらも正直あまりよく分からないのだが、ドラッグ等は全くやらないのをさも自慢していたのを覚えている。

テネシー州のMemphisに3年ほど住んでいたことがある。テネシーはアメリカ南部の中でもDeep Southと呼ばれ未だに人種偏見や黒人と白人間の差別の強い州。そこにはOrange Mountと言う地域で、いわゆるGhetto(ゲトー)と呼ばれる黒人居住区がある。

当時借家で一緒に住んでいたJeffがDomino's PizzaでPizzaの宅配をやっていたのだが、ある日奴の勤めるDomino'sの販売店がそのOrange Mountの黒人住民に訴えられると言う事件が起きた。理由は、その地区を管轄しているJeffの働くDomino's販売店が宅配を一斉にボイコットしたからだ。

行けばかなりの高確率で金の脅しに遭い、Pizzaは盗まれ下手すれば銃までも向けられる。そんなリスクをかいくぐってまでも、その地区にピザを宅配したくないと言う気持ちは当たり前に聞こえた。

何度かOrange Mountに入ったことがあるのだが、道路は荒れ果て、家の芝生も荒れ放題。アメリカでは立ち並ぶ家々の芝生を見ればその地区がいいエリアかどうか分かる。でかい70年代・80年代のポンコツ車が路上に無造作に停められており、小汚い家々の前には長年雨に打たれて汚い色褪せたロング・ソファーがなぜか横たわっている。そこには昼間から青年たちが何人もたむろし、車が通るたびに全員こぞってそれを睨みつける。

大学院での親友は黒人だったが、彼が在学中Ghettoについて語ってくれた事がある。
この国ではGhettoから抜け出るのは容易では無い -親父はアル中、母親は娼婦、兄貴はギャング。今月の家賃ですら払えるかどうかも分からないくらいだから、家には子供を教育させるような金も無い。。そして政府の金を当てにした生活を送るようになる。日本人のMentalityではこれは理解が難しいかも知れないが、その政府からの支給がストップすれば仕事をしない自分達を責めるのでは無く政府を責める。そんな環境で育った子供達がそこから抜け出すのは容易では無い。すべて責任を他人に擦り付ける悪癖がすっかり染み付いてしまっているのだそうだ。



正直、軍隊に行く黒人少年達は事実としてGhetto出身者が多い。白人でも低所得層の家庭から、Marine Corps(合衆国海兵隊)やArmy(合衆国陸軍)に行く子供達が多いのは周知の事実となっている。なぜなら、陸軍や海兵隊のRecruiter達が、軍隊に入れば自分達の専門分野をキャリアとして造る事ができ、さらに自分達が望むのであれば大学にも行くことができると言ったような甘言で彼らをリクルートするからである。それらの甘言は彼らや彼らの家に自力で大学に行くような金は無い、という事実に漬け込んだものなのだ。

日本で悪ぶってるドレッドの子供や、”Sisters"を名乗るドブ板の女達も本当のこの国の黒人のMajorityを知らない。Rapも暴力性もファッションも生まれ育った境遇から出てきたものなのだ。一億総勢中流家庭の日本に住んで居る人間達には、アメリカの社会構造は理解しがたいと考えるのだが・・

さて、冒頭のアメリカに来た2人の”Sisters"はどうなったのか?

彼女達2人はそれぞれ、夢見る旦那達の故郷Ghettoに日本からやってきた。日本では目立つ黒人達が、その地区にはめちゃくちゃ居る、というか彼らしか居ない。家族や親戚は黒人英語もなかなか聞き取れない彼女達に優しかったが、2,3ヶ月もするとうすうす現状が分かってきた。旦那は仕事を見つけようともしない。昼間から大の男が昔の友人達と用も無くたむろしマリファナを常用するようになった。夜は銃声がどこからとも無く聞こえ、おちおち寝ていられない。そして黒人の同年代の女性は自分に対して何か距離を置いていることも分かってきた。友達ができないのだ。黒人の中でほぼただ一人のアジア人である。しかも彼らの黒人特有のアクセントではしゃべれない、聞き取れない。かと言ってこのGhettoでどうやって仕事を見つけたらいいのか分からない。

そんな中、自分が身ごもっていることに気づいた。自分の将来よりも子供の将来を想定してみた。日本で自分の子供が黒人のハーフとして馬鹿にされて生きていく可能性と、このGhettoで自分達の子供を本当に育てる現実性とを天秤にかけてみた・・


その話を聞いた時、そういう話もあるだろうなと比較的容易に理解する事が出来た。