土曜日はサイモンとガーファンクルのライブへ。
くわしい知識は無いんだけど、テレビで映画「卒業」を見たりした記憶がすごく印象深い。
サイモンとガーファンクルを最初に聴いたのは小学生の頃、姉が「コンドルは飛んで行く」と「サウンド・オブ・サイレンス」のドーナツ盤を急に買ってきた。
なぜ突然買ってきたかは今だ謎だ。
自分の小遣いで最初に洋楽LPレコードを買ったのはカーペンターズだったけど、それより数年前だった。
南米風のアレンジは日本人にはぴったり来るみたいだし「おーっ」て思った。
サウンド・オブ・サイレンスのイントロのつかみも歌い出しのコーラスの厚みも強烈だった。
有名な曲しか知らないけど・・、でも今回とても楽しみだった。

(以下、これからライブを観る方はネタバレしますのでご注意を~!(^-^))

席はアリーナの真ん中あたりで「音」は心配したほど悪くなかったのでよかった。
1曲目、曲名良く知らないけど「オールド・フレンド」かな?静かな滑り出し、ハモリの美しさ健在、あーいいな!って即座に反応してしまう。
2曲目は「真冬の散歩道」(「冬の・・」だったかな?)「Hazy Shade of Winter」ね!(^-^)
このイントロからの12弦ギターのリフはほんとかっこいい。
このライブでは10人編成の大所帯バンドで、ポール・サイモン自身もD-28-12に持ち替えた上に、主にバンドのギタリストが赤いフェンダーの12弦ギター、エレクトリックⅩⅡでこのリフを弾いていた。
(これの金色っぽいヤツを91年にジョージが来た時のココでのライブで「If I Needed Someone」の時に使ってたのを思い出した(^-^))
曲はサウンド的にはエレクトリック寄りとなったけど、再現度高いと思う。いい感じ。
ピッコロ・トランペット?て言うのかな?鍵盤の人がポイントで入れていてシンセで出すよりリアルで良かったな。
ポール・サイモンのメインギターはマーチンのOOO-42か45らしきモデル。
トップは飴色でブリッジにスノー・フレイクが見えた。
サウンド・ホール周りのロゼットが太くてピックガードが小さく見えるほど!
他に黒いヤマハらしき6弦。
ポール・サイモンのフィンガリングは正確で色々なパターンのスリーフィンガーも美しく安定している。
時折入れるリフもツボに来て文句なし。
二人の歌声も年齢的衰えなど感じさせない完成度の高いもので感動した。
あのハモリを聴けてほんとに良かった。

このあと曲名が分かるのは「アメリカ」「家に帰りたい」などが続いて嬉しかった。
英語のMCで「エヴァリー・ブラザースが・・」と聞き取れたあとに「Be Bop A Lula」がかなりアップテンポで始まって驚いた。
その後オーロラ・ビジョンに映画「卒業」のシーンがフラッシュで映し出されて、その最後に女優アン・バンクロフトが映し出されるのと同時に「ミセス・ロビンソン」がスタート!(^-^)
やられたね。
テレビで「卒業」を見たのは中学くらいかな?小学校高学年かも。記憶はかなり怪しいけど断片の印象は強烈に残ってる。
「ミセス・ロビンソン」はベンが赤いスポーツカー、アルファロメオ・スパイダーか何かを買い与えられて、やや持て余すんだけどエレーンを捜して走り回るシーンでも効果的に使われていて印象深い。
ガス欠の時はテンポがだんだんゆっくりになったりして・・(^-^)
また「スカボロー・フェア」はやはり赤いスポーツカーであちこち彷徨い歩いて、ベイブリッジみたいな大きな橋を渡るシーンで流れて、何とも言えない印象を残している。

夕暮れ時に彷徨い歩く、やや心細い情景はその他の音楽や映画のシーンになぞらえると幾つも浮かんできて・・・。
ウイスキーか何かのCMで子犬が夕方の商店街や住宅街を彷徨うやつ・・曲は男性スキャットのみで後に詩がついたのとか・・帰る場所を失ったカネゴンがやはり夕方の商店街を彷徨うやつとか・・NHKの年ドラ(少年ドラマシリーズ)でイラストレーターの「たきだ ゆう」さんのイラストをフューチャーした作品のオカリナのテーマ曲とか・・
「スカボロー・フェア」を聴くとそれらがまとまって思い出されてしまった(^-^)
子犬のやつが一番好きだな。

「コンドルは飛んでゆく」ではあのマンドリン的な音は一見ギタレレっぽい楽器で全編弾いていた。
管楽器の人が、あれ「ケーナ」って言うのかな?縦笛を吹いていてこれまた聴き入ってしまった。
二人それぞれのソロのコーナーもあって、これらは初めて聴く曲だった。
二人のステージに戻って、MCはアート・ガーファンクルが多かったんだけど、すごくゆっくりとした語り口で・・腰が低い感じで好印象!
画面に映し出される二人は67歳ということでそれなりの年令には見えるけど、この「ゆっくりなやり取り」が何かに似てるなー?と思ってよく考えたら・・「いとしこいし」だった。ベテラン漫才コンビの(^-^)(オリエンタル「がっちり買いまショウ」)
ゆっくり口調で「あの~・・君な・・」 「はい?」みたいな会話したらぴったりかも!
実際アート・ガーファンクルは覚えたての日本語で「あの~」「そうですね~」を連発して笑いをとってたのでニヤリとしてしまった(^-^)
(コアなファンの皆様ごめんなさい(^-^))

「ボクサー」も聴けてよかった。
「サウンド・オブ・サイレンス」はアンコールで・・。
やはりいいな。
客層は若い人も多いけど年令層はやや高い感じ。
アンコールでスタンディングになるけど、曲が始まると静かに席に着く・・
PAの人がその行儀良さに関心してた(^-^)

ステージ上の二人の立ち位置はとても接近していて映像も「どう撮ってもワンショットに収まる」構図になっていた。
一つのフレーミングに収まることがとても重要と考えたステージングなんだね(^-^)
初日ではなかったけど、ラストのスタンディングでの喝采を受けて会場を見渡す二人の満足げな表情が印象的だった(^-^)
一説ではラストのツアーといわれる今回のコンサート、観られてほんとに良かった。
暖かいコンサート。

知識があまり無いのでデタラメ書いてたらスンマセン。
やはり何事も事実の経緯にそって解釈することが大切だね。
昔のテープだけでCD持ってないから買おうかな。
ムック本も読んでみよう(^-^)

アンコール終わって、速攻!急いで小田島さんたちのライブに向かって新宿LHへ急いだのでした(竜ちゃん観れなくてごめんよ!m(_ _)m)
結局出口で退場規制に引っかかっちゃったけど何とか新宿へ!

今後は「デレク・トラックス」、次に「ライ・クーダー」!がやって来ます!楽しみ!(^-^)




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最近バイクに乗る時にホンダ・アクセス製の「ボディ・プロテクター」を使用している。
モトクロス用のブレストガードの前部分のみを小さくしてジャケットの下に装着しやすくした感じの物だ。



(通販ページより拝借)

事故の際に負傷しやすい部位として頭部などがあるが、色々な事故ケースに於いて「致死率の高い部位」というのが「頭部」に次いで2位なのが「胸部」なのである。
背中を守る「脊髄パット」はもう何十年も前から使っていたが、胸部に関しては数年前にデータが公表されるまで知らなくて、製品としてもこのタイプはあまり普及していなかった。
でも、以前モトクロスの草レースで転倒した時、確かに胸を打って肋骨を骨折した。
その次からMoto-FOXのブレストガードを買ったけど装着してる時は前方への転倒無しだった(笑)
今度の物は日常的普段使いからサーキット走行で皮ツナギの下にも装着できる小型の物だ。

GPライダーのノリック(阿部選手)が一般道路の事故で亡くなった時も致命傷は「胸」だった。
これを受けてノリックが所属していたヤマハは自社製バイクウェアの「ワイズ・ギア」のジャケットのオプションとして「ホンダ製ボディ・プロテクター」を採用する事を決めた。
僕はこの時のこの対応がすごく嬉しかった。
全ては安全のために・・。
バイクメーカーってレースでも販売でもお互いすったもんだしながら進んでるわけだけど、こんな時ポロッとこんな対応をしたりする。
結局企業なんて入れ物であって、大事なのはそこにいる「人」だよね。
いろんな局面でいろんな「人」が良くも悪くもいろんな判断をし、行動をする。
2輪メーカー、そこが面白い(^-^)

93年かな、鈴鹿8耐レースでスコット・ラッセル/アーロン・スライト組が優勝した年。
チームはカワサキ・ワークス。
この年はレギュレーションとしては「TT-F1規格」が最後の年、翌年からは「スーパーバイク規格」に変更になってしまう。
それまで勝ちが無かったチーム・カワサキはこのラストイヤーに見事勝って見せた。
ホンダと逆で、「勝てそうなカテゴリーにしか出てこない」と言われるカワサキだが、8耐では勝てないままも撤退せず参戦を続け、そして最後に勝った。
その後、すぐ発売された雑誌ライディング・スポーツ等にホンダ・ヤマハ・スズキが連名で

「おめでとう!やりましたね、ミスター・カワサキ!」

という広告を打った。
TT-F1規格最後の年の勝利、というのも大きかった。
その意味の大きさを現場のプロたちは良く解っていたんだ。
商品宣伝とは無縁の広告。
あの時、コレを見た2輪ファンはみんなホンワカしたものだった(^-^)
良かったよな、あれ。

安全について、次世代に何を伝えるか。
ノリックほどのライダーだって街乗りで命を落とすのだ・・・街乗りを甘く考えてはいけない。
方法論は多種多様、プロテクター付けたってそのすぐ脇を強打して死ぬかもしれない。
事故に「遭わない・起こさない」という所からスタートして、あらゆるパターンを考えて走りたい。






これは07頃のホンダRA007。
地球儀みたいなカラーは「アースカラー」と呼ばれる環境保全を訴える、という意味があると言われたが、ニック・フライ発案・・てことでコレはいやだったな。(F1版アラン・クレイン)
この地球儀には日本が無いらしい。
ノーズ・コーンの赤バッジが悲しい。
06年はコンストラクターズ2位の実力だったのに・・・。






例えば、もし嘘をつくのなら「相手がどれくらい知っているか」を確かめないと取り返しのつかない墓穴を掘っていることもある。
これは聞く側も辛い。

人として信頼にかかわる本当に大切な局面毎でこれをやってしまったら、その後始末は必要だと思う。
自分だけ忘れても、捨てたゴミ、周りに与えた影響はそのまま残る。
自らを省みることは必要だと思う。




泥は関わった全員が被るものだと考えている。
自らそれを自覚出来るか否かが価値だと思っている。

しかし良い期待はできないのだね。
心の問題だね。




さあ今年の鈴鹿8時間耐久ロードレースは決勝7月26日だ!
久しぶりに行きたくなってきたな!
でもこの日はマザー牧場だ(^-^)
子ブタのレースを見よう(笑)


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監督の葬儀が終わって一週間とちょっと。
いろいろ片づいては来たけど、自分はどうにも役には立たなかった。
奥さんは葬儀当日からみるみる痩せてしまって少し心配だ。
昔みたいに毎日仕事や学校終わってバイクに乗って集まって、ココのバイク屋の軒下で缶コーヒーで話し込んでた頃は様子も解るし気を回せたけど・・今は今のリズムがある。
スタッフも若い人が増えたし。
亡くなった当日や通夜の時は奥の部屋で顔見るまで亡くなった実感なども持てず外でさながらクラス会みたいだったけど、出棺の時や数日経ってみるともう居ないんだなってしみじみ感じてしまった。



ここは20代を過ごした場所。
高校の頃に学校でバイク禁止されてるのに停学承知で隠れて乗ってた故郷よりも自由に乗れるようになったココの時代の方が何だか懐かしい。
その後バブルと呼ばれる時代になってレース界もスポンサーが増えて賑わいはしたけど、もちろんそれは表層面の話で僕ら末端の製造業は膨れあがる部材費や地代に苦しんだ辛い時代だった。
「濡れ手に粟」で潤い舞い踊ったのは世の中の一部だけだと思う。
そのあたりを思い出すと懐かしいとばかりは言っていられないのだが(笑)

近年、中国製金型で成形された製品ですごく高品質なものを見かけて驚くことがある。(構造的にはダメダメ)
中国製もここまできたか、と不安になるが、それはバブル後、仕事が激減した個人経営の優秀な金型屋さんが日本から中国に活路を求めて大陸に渡り向こうでやった仕事だったりする。
中には低賃金で使い倒されてる例もあるという。
泣ける。

イタリア人は言う
「我々にはもうデザインしか売る物が無いんだ」
ここで言う「デザイン」とは「発想」や「センス」やそれを育んだ歴史を指している。
そしてそれを表すブランド・・この「ブランド」もブランド信仰的な対象物としての意味ではなく、その歴史と信用を表すしるしという意味での「ブランド」
これを大切に育て、売って行くことが大切なのだと訴えている。

では日本に残された「売る物」とは何か?
それは「量産品のクオリティ」だと思う。
農業も食品も全て含む「日本製品」の・・である。
量産技術の本場はイギリス発祥アメリカ展開の典型的分野で、今だ敵わない部分があるが安定供給はやはり「日本」だ。
量産てのは「モダンタイムス」で言われるネガティブ世界はある意味過去・・現代はその内容、クオリティからして誇りをもっていい仕事だと思う。
高根沢、亀山、豊田はいうに及ばず、それを支える小規模経営・・。
それらは上で言う「ブランド」なのだ、「MADE IN JAPAN」という名の。
量産を笑う者は量産に泣く。
それを理解しなければMADE IN JAPANは死ぬ。
今それがとても心配。
実質的部分で経済を支えているのだ。




何年か前に清里で何故か広島風お好み焼きを食べた。
味は・・微妙だった(笑)
(旧いフォルダから掘り起こし写真)


通夜の前に久しぶりに再会した連中はクルマのチューニングに凝ってるヤツも多かった。
といっても年も年なので一段落していて最後の作品(笑)をのんびり乗ってるみたいだがサーキット走行もやる。
4秒出すヤツもいてこれはヤラレタ!

(Wikiの資料写真より拝借)
R32-GT-R この時のシリーズはある意味世界標準への日本車の夜明けかも。
コレに乗る友人は10数年間累積でポルシェターボが買えるくらいつぎ込んだという(+0+)


(Wikiの資料写真より拝借)
R34-GT-R こちらに乗る友人はnismo純正コンプリートエンジン載せ替えでノーマルエンジンはnismoに預けておくシステムらしい。
やはりメンテ費用は目玉が飛び出るほどかかるらしい(+0+)


このあたりになると話聞いてるだけで気が遠くなってとてもマネできない(笑)
まあボーイズレーサーでもなんでも走る方法論はいろいろあっていい。
走るのはやはり楽しいな(^-^)

それから、「反省する必要の無い人間」なんてこの世に存在しないと思う。



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昨日の昼間、メカニックのカワウソ君から携帯に電話があって、監督が亡くなったことを告げられた。
監督とは以前の仕事の4輪レーシングチームではなくて、プライベートで出入りしてる2輪レースチームの監督。
もう30年の付き合いだ。
ブレーキのかけ方からメカニズムから加重移動まで、ほとんど全てをここで習った。
まあ「走り」を褒めてもらえた事は一度もなかったが。
就職時期に具体的にこの世界で食って行く事を決めたのもここがあったから。
普通じゃ行けないワークスのピットエリアで有名な業界人と会えたり、見たこともなかった当時の最新メカに触れられたり、普通では得難い経験もたくさんさせてもらった。
有力プライベーターだからね、地方戦にくっ付いて行ってメカニックのまねごとしたり・・。
大酒飲みだったけど近頃じゃすっかり弱くなって医者からも止められていたのに、こっそり飲んでたみたいだな。
すぐ酔っちゃうからすぐバレちゃう。
なんだか寝てるみたいだった。

ここの人たちも監督もマニアックな意味では音楽には全然興味無い人たちだったけど、それでもカラオケが一般的になった頃にはスナックなんかで歌うようになっていた。
当時、曲名をメモに書いてお店の人に渡してかけてもらうのだけど、お店の人が「申し訳ありません、この曲は無いみたいです」と言って返して来た監督のメモには「ヘアピンカーブの歌」と書いてあった。
そんなの無い。
人が歌っていると「気持ち悪い!やめろ!死ね!」とか言って柿の種や唐揚げを投げつけて、もうカラオケがきらいになったよ。
でも監督、GSは好きだったみたいだ。よく歌ってた。

監督自身若い頃は現役レーサーだったしテクニックも凄いんだけど、伊豆にツーリングに行った時、狭いワインディングを狂ったように飛ばして、監督ヤバイよなー・・と思ってたらやはりブラインドコーナーからはみ出してきた観光バスに突っ込んで行っちゃった。
最終型ブルー/白のCB750FCは大破、廃車。
シェケナベイベーでロケンロールだな。(GSだったけど)
病院ではケロッとしてた。

昨夜は古い仲間が大挙して一度に集まった。
たまに店では誰かしらと会ってたけど一度に集まる事は無くなってた。
それがこんな機会とはな・・。

僕は16歳で免許を取ってから今まで一度のブランクも無く走り続けてきたけど最近は走行距離も少なくなって草レースからも遠ざかってた。
それでもう一度コースを走ろうか・・なんて言って、「スポーツ」の部分を活性化しようって言って、予算やカテゴリーや車種を相談してたのに・・。
タイムや走りに文句言う人が居なくなっちゃったじゃないか・・。
でも走りたい。どんなカタチでもいい、走り続けようと思う、忘れないために。




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・・・って言い方、いいな。
(ロケンロールな生活・生き様、というと思い出すのはやはりA&Bさん!(爆))
いいよね(^-^)

でもロケンロールかどうか・・なんてグダグダ言っちゃったらもう違うよね。
ロケンロールに・・行けるかな。 ?


ジェイソン・バトンはこのまま行くとタイトル取っちゃうかな。
さすがにF1ファンはみんな解ってるから「エンジンがメルセデスに替わったから強くなった」なんて言うバカはいないね。
性能調整の関係でエンジンのパフォーマンスだけで変わる時代じゃない、そのトータルパッケージはホンダ時代に1シーズン捨てて得たものだ。
それはメカニズムも采配もドライバーも・・。

たとえ日本チームでもトヨタはあんまし応援する気になれない。歴史的に。

F1やると倒産するかも・・そんな状態でもノコノコ出てきて、負けた時だけニュースになって・・それでもまだやるアホなホンダの方が応援しがいがある。
それは歴史を見れば分かる。ロケンロールなレースの歴史。
負けて帰って、宗一郎にスパナをぶん投げられて、泣きながらまた出張って行く・・(^-^)
今、そのシーンにホンダだけが居ない。
肉フライがやった事はいつか明らかになるだろう。
(F1版アラン・クレイン)
本当のことは最後に判ればいいさ。
フェラーリも上向きになってきたかな(^-^)

Can you enjoy rock'n rol now?
今の自分には体面や体裁を気にする必然さえ無くなっちゃった。
良くも悪くも。
でも本当の事は最後に分かればいい。
今、実の部分が見えにくい中、多くの人が心砕き、瞳を探り合い、戸惑いながら修復の道を模索し気遣い合うそのさなかに、当の当事者が論点の核から目をそらし、あさっての方角を見ながら愛を語って見せる事がどれほどまでに無神経であるか・・。
そして、こっそりと油を捲く事は決して忘れない。
それを見た愚かなる者は「祭りはまだ終わっていない」とさらに薪をくべる。
第一当事者が自らの影響力、という意味でそれに気付かないのならそれは単なる馬鹿者であり、分かった上でやっているのなら鬼だ。
「何も知らなかった」という偽りの弁を説き視線泳いだままそれを正すことをしなかった事は以後、自らの発する言葉の価値を下げた事と知るべし。
でもそこを撃たなかったのは単なる武士の情けにあらず、それにより起こる改善への流れの喚起を望んだが故だ。
それすら望めないのか。
自らが捨てたゴミを今、多くの誰かが拾ってゴミ箱に入れてるのに。
完璧など無い。望めないし求められる物でもない、しかし問題の核を見据える事は出来たはず。

多くの人が同じ事象を見て衝動的に取る行動は色濃く分かれたわけだが、でも完璧は難しいだろう。
しかし自分の行動・反応は「ロケンロールでありたい」と・・誰もが思うはず、そしてその答えは自ら行動の記憶を辿ればいつでもそこにあるはず。
完全なんて無い、でも決して揺るぎないのは毎回その度ごとの衝動の記憶なんだろうって・・。
そして次への行き方有り方は必ずあるはずだって・・そう思う。
Are you rock'n roll?






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I will enjoy rock'n roll!(^-^)





開聞岳へ。

きれいな円錐形でどこから見ても同じシルエット(^-^)
でも写真によっては斜面がもっと急に見える物もある。




「薩摩富士」とも呼ばれるとか(^-^)
周囲が平らなので遠くから際だって見える。


そして秘密の外周路へ向かう。




それは「まんが日本昔ばなし」の背景のような風景じゃった~。

   (↑ 常田 富士男風味でお読みください)





そして外周路の入り口は草ボウボウの細~いトンネルから始まる(^-^)
トロッコ用トンネルみたい。
天井の明かり取りの窓からも草やツタがたれ下がって廃墟感満点!
でもこの細さでも一方通行じゃないからクルマのすれ違いはムリ、所々にすれ違いスペースがある。

そしてトンネルを出ると道沿いの木々の間から海が見える、のどかな風景が続く。
もっと写真を撮ればよかった。
クルマが駐められるかどうかが分からないけど、海岸に降りてぼーっとしたら「時間が止まった感」を満喫できるはず。
でもこの時、天気は良かったけど午後から崩れる予報で、さらに今日は「移動日」とする予定でもあり、ゆっくりできなかった。
いつかもう一度来れるかな・・、ここ。





坊津付近の湾。
予報どうり雲が広がって暗くなってきた。
降り出す前に荷物に防水カバー掛けてしまったのでカメラが出しにくくなっちゃって以後、携帯写真が多くなってしまった。





内陸部の町に差しかかった時、走り去る視界に飛び込んできた看板・・!
いつの間に・・カフェギャラリーを・・?
えぇ?と思って引き返してしまった(笑)
引き返してよく見たら「ポツリ」だった



15年くらい前は東京にもあった二輪・四輪分離停止線。
一長一短だったかな。
なつかしい。



このあと一気に阿蘇まで戻らなければ休日の残日数で余裕を持って東京に戻れなくなる。
でもすぐに高速に乗ってしまうのはつまらないので海岸線を通って坊津の先まで来てから内陸へと向かったが、このあたりで雨が来てしまった










かなり降られながら高速走って夕方、やっと辿り着いた阿蘇。
雨にけむるログハウス。
寒いくらい

明日からは帰路のキャノンボール走行なので買い込んだビール飲んで早めに寝る。



翌朝は何とか雨があがっていた。
ありがたい。
阿蘇をちょっとうろついてから港のある佐賀関へ向かう。
高速で移動する距離と比べたら遠くないと思ってたが、全行程一般道で意外と時間かかってしまった。
四国側の港は佐「田」岬の三崎港。
そう、九州最南端の「佐多岬」から四国最西端の「佐田岬」へ(^-^)

佐賀関からフェリーで三崎。
このルートは以前に来たときも使った。
やはり後半の帰り行程で・・旅先で知り合った人たちとも夕方別れて・・帰りたくない症候群になって・・しかも着いたのは夜の最終便の頃・・(笑)
暗くて景色も見てないし、四国に渡った後の宿も決めてない状態だった。
出航ギリギリに着いて、係のおじさんに
「乗る?」
と訊かれ
「乗る!」
と答えた。
「じゃ切符買ってすぐ乗って~」
と言われカウンターでお金を払ってそのまま甲板へ乗り入れた。
九州を離れるのを惜しむ間もなく車体を固定するとすぐゲートが閉まりロープが巻き取られて出航だった。
やはり一時間ほどの航路なのでビールは飲めない。
真っ暗な港にガラ空きの船内、降りてからまた走るので仮眠を取るため雑魚寝の船室に入った。


そして今回の佐賀関港・・。
明るいと、こんなかー、と思った。もう夕方だけど。
着いた時に入港した便は満席で、その次の便に乗る事に。
フェリーの料金って、オートバイは「特殊手荷物」扱いで、何故か750ccを境に値段が上がる。
今もそうだけど何故だろね、750が境って(笑)
その昔、バイクは最大が750ccでそれ以上は全てハーレーだけ、と船会社が思いこんだから・・それで日本のナナハンより軽いドカティ900SSのオーナーがいつも怒った・・とかいう話が都市伝説的にあるけど、ホントの理由は知らない(笑)
でも昔の900SSだと「タバコも積めない」デザインだったから長旅する人も少なかったかもね(^-^)


そして出航。
前と違って離岸して遠ざかる九州をゆっくり味わえた(^-^)

湾を出る頃、船体に何も書いてない小さな白い漁船が汽笛を長~く鳴らしながら猛スピードで追い上げて来た。
捕鯨反対のS/Sか?または半島付け根の工作船か?なんて思ってたらほんとにフェリーにぶつかるくらいギリギリ前を横切って行った。
船会社と漁民が揉めてるのかな?
でもその時もフェリーはスピード落とす素振りも無かった(笑)
予定調和か?   のどかなのかもしれない(^-^)




そして三崎港到着。
これが乗ってきたフェリー。
僕らを降ろしたあとまたすぐ佐賀関に向けて出航していく。

ついに雨がパラついてきた(悲)

三崎港は佐田岬の先端よりはやや中程に位置してるので雨は降ってきたけど先端の岬灯台まで行っちゃおうかな、と思い岬先端に向けて走り出した。







海沿い、崖の高い所の県道を走って行くと小雨に煙る海岸線の景色はわりと良かった。

そしてふと海を見ると、さっき乗ってきた「国道九四フェリー」がとんぼ返りで佐賀関に帰って行くのが見えた!(^-^)
フェリーは岬の先端をかすめて行くのでしばらく競争(^-^)







去年も思ったけど、四国の標識案内は関東と比べるとややテキトーな感じで、目的地や距離は信じないほうがいいみたい(笑)
でも雨で地図が見にくいので標識を見ながら行ったけど、辿って行こうにも指標となる地名が岬先端の3つ位の町名をランダムに示して一定でないため、土地勘がないと残りの距離が増減するように感じてしまう(笑)
決してウソを書いてるわけではないんだろうけどね(^-^)

岬先端に着くころにはやや雨足が強くなってきた。
どんどん道幅が狭くなってきて、たまにすれ違う岬帰りのクルマや地元軽トラが来るので注意しなければ。
結局岬の先端からはとんぼ返りで、これから佐田岬を突っ切って松山あたりまで行かなければ宿は無いだろう(笑)昔から進歩無し(泣)

そして走って走って、岬の中程に来る頃には雨が本降りになってしまった。
松山はまだ遠い。
(帰ってから改めて地図を見ると佐田岬、けっこう長い!)



深夜、松山に着く頃には幸い雨が止んだ。
でも見つけたビジネスホテルは町中なのでバイクのセキュリティーがヤバイ所ばかりで泊まる気がしなかった。(盗難等)
で、いつも最後の手段の健康ランドを探して国道を今治方面へ向かう・・・しかし、無い。
全然無い。
こちらでは北海道ほど健康ランドが発達してなくて、しかも24時間営業ではなく0時くらいで閉まってしまうところが多いのだ。
またガソリンスタンドも早く閉まってしまいガス欠も心配になってきた。
いつもはSIGボトルに500ccほど持ってるんだけど今回は忘れてしまった。
やや不安になる頃、見たことのない怪しい銘柄のセルフスタンドを発見して給油。
これがまたプリペイドカード専門、という変なシステムでカードの残高をどうするのかでバタつく(笑)

そのあと一軒見つけた健康ランドは12時で終わりでダメ。
カウンターの女性が、さっきまでの雨で汚れてヨレヨレの姿を見て、申し訳なさそうに松山のビジネスホテルとか紹介してくれたけど、さっきダメだった所だった(笑)
それにここは松山からかなりの距離来てるし。

で、近くにもう一軒、やはり1時で閉まってしまうスーパー銭湯があって、そこは「家族向け限定」で宿泊施設があるとのこと。
ダメもとで行ってみることにした。

行くと部屋は満室だった。
でも「ヨレヨレの姿」を見てカウンターのあんちゃんが哀れに思ったのか上司に相談してくれて、一部屋、すっぽかしのキャンセルがあって、規定時間までに来なかったら使わせてくれる、とのこと!ラッキー!(^-^)

で大浴場の温泉に入りながら暫く待って、目出度く泊まれることになった。
ありがたや(^-^)


そして、その部屋がなかなかびっくり!(^-^)




温泉の付帯施設だからホテルじゃないし、いたってシンプルな六畳。
でも家族風呂、というコンセプトで家族水入らずで温泉を楽しんで貰おうという施設!(^-^)

部屋ごとに家族で入れる立派な温泉が付いてる!
翌朝の写真だけど、窓の外はプライベート・ビーチ!(^-^)
¥6200なり!(^-^)

朝、カウンターの彼はシフトで居なかったけど、マネージャーさんにお礼を言って出発!(^-^)
天気、午前中は晴れ午後雨予報。

今治の海岸沿いを楽しんでから高速に乗る予定。


今治あたりの道の駅で出会ったモト・グッチ・ルマン850。
直線的デザインが特徴の80年代のモデル。
驚異のミントコンディション!
綺麗だけどレストア車じゃないみたいだ。
実働で維持してる感じなのだ!スゴイ!
オド・メーターが実走かどうかは判らないが一回り10万㎞を経て1万2千㎞ってところかな?
スバラシイ!



ここから一気に東京まで走ればこれまでの一日(24時間以内)で走った距離の最長1000㎞を更新できるけど、去年の四国の帰りに、安全上、疲労度を考えて無理はしない、と決めたので滋賀県あたりで一泊する予定。


高速に乗ると、ゴールデンウイークではお馴染みの光景が・・。
何も気付かずに追い越し車線を100㎞/h以下で延々と走るミニバンと・・それに車間距離ビタビタで排気ブレーキをプシュプシュ言わせながら煽る大型トラック・・(悲)
一頃「減った」と言われたけど無くなったわけじゃないね。
僕も後ろに付かれて気付かなかったり、また逆に車間距離が足りなかったり・・はたまにやってしまうが、混雑時、これらの有効な解決策は正直分からない。
嫌がらせでやるなんてもちろん論外!、見たくない光景だけど、でも目を背けてはいけないね。
いい方法があればいいんだけど。
この距離では人間の身体能力では間に合わない・・それを忘れないようにしなければ・・。

大雨+渋滞の鳴門橋、淡路島、明石大橋経由で大阪から琵琶湖方面へ。


どこで撮ったか忘れちゃった写真(^-^)


滋賀県の国道沿いのどこかで一泊して、最終日は余裕を持って帰宅しましたとさ(^-^)
約一週間、全走行4072㎞。



これで今まで未踏だった南九州を周ったので、ざっと全国を走ったカタチにはなるけど細かくいうとまだ内陸部にも行ってない所は多い。南紀とか。
日本一周ったって厳密に周るのとサラっと周るのでは距離が何倍も違う。
細切れでいいからさらに詰めて走りたいな(^-^)
内之浦ロケットセンターの写真をもう少し(^-^)
この大きい「M-V-1」は模型ではなくて、元は地上訓練用の実物なのだそうです。
塗装もきれいでメンテもしてあり野外設置にしては良い状態を保っていると思います。

ここに来て子供の頃の秘密基地や旧い円谷作品のイメージがまた湧き上がってきてしまった帰り道(^-^)
脚本家たちは戦争や環境や生い立ち等をセカンドストーリーとして実に深く織り込んでいたね(^-^)、スポンサー筋や局側と戦いながら。
(ミュージシャンとおんなじだね)
そんな中、思い出すのは当時、子供は恐竜の子孫のような「普通の怪獣」は野生動物的に捉えていて、回によっては勧善懲悪的な話の展開に違和感を唱える子が少なくなかったように思う。
(脚本家たちは充分解った上で次作品を展開していったけど)
大人は何も教えてない。
・・多分「狼王・ロボ」とか、日本ならイノシシ(うりんぼ)の「ぎざみみ物語」とか読んだのも要因としてあるのかも(^-^)
どちらの話も安全と生活のために危険動物を駆除する村人と、オオカミの側の群の中の秩序や事情・・またはイノシシの親子の情愛を平行して描いていて、相互の主張したい部分である絶対正義の立場や定義を無意味化させてから読ませている(^-^)
読書したのも円谷の本放送も再放送も、公害・環境問題等の問題が大きく取りざたされていた時代・・人間様の所業は幼稚園児にも小学児童にも強烈に擦り込まれていた頃だし子供にも状況が解り易く、「放送後」「読書後」はクラスの中の多くの連中が同じ感じ方を示したけど、自分の立ち位置をまず正義と定めてから肉付けするタイプの子はこの話の道筋を理解しないし、興味なき子は反応なしだったり。
まあ放送後の子供議論は毎度とても盛り上がった(笑)
我々が文明生活を営む以上、動物や環境に対する環境負荷責任からは逃れられない。
そしてそれらはなかなか筋を通しにくい。
でもそれを理解した上で、そこから目を背けてはいけないと思う。
第一当事者として・・。
最大の愚は何らかの理由を設ける事でその責任から離脱できるのではないか、と考えることだ。




深呼吸すれば二酸化炭素、バイクに乗れば窒素酸化物や一酸化炭素やCPも。


「狼王・ロボ」は強くて頭の良いオオカミの群のリーダー「ロボ」と人間、保安官だったかな・・の戦いを群の中の物語と人間側の物語とを交互に描いている。
ノアだったかな?群の中の妻を守るために人間に捕まってしまい、餌を食べずに死んでしまう。
「ぎざみみ物語」はタイトル違がうかも・・。
やはりイノシシ親子と村人とを交互に描いていた。
むやみに人を悪者化するでもなく、人間側の子供の心描写もある。
母親が捕まってイノシシ鍋にされるが、鍋用にバラされる残酷と貧しい村人の久々のご馳走と、それを喜ぶ子供の様子もそのまま描かれる。
後半は残されたウリンボの「ぎざみみ坊や」冒険チックになるので覚えてない。
「ぎざみみ」の名の由来は、猪の子供(ウリンボ)が山猫か何かに耳を噛まれて耳たぶがギザギザになった事により命名。

でも両作品とも良いな、と思うのは、つまらない感情移入でお涙頂戴に終始せず、永遠に明快な答は得られないけれど、でも志あらば絶対にスルー出来ない大切なテーマをしっかり背負わせてくれた事だと思う。







フェリー埠頭からの夕日。
飛行機雲は例の訓練機だ。









沈む間際、ふと気が付くと次に自分の乗るフェリーが随分近くに迫ってきていた。





着岸前に方向転換。
訓練機は4機編隊で飛んでいた。







明るく見えるけど、同じ時間帯。
ゲートから乗っていたクルマ達がどんどん降りてくる。
岬先端近くまで来ると人も少なく渋滞も無かった。
クルマも地元ナンバーが多い。

今の気分ではサンダーバード2号気分(^-^)


車両甲板にタイダウンベルトで固定。
北海道行きの某社のどうしょうもない甲板作業員と違い、ココの人たちはとても丁寧。
ありがたい。
乗り降りの際もみんな挨拶を交わしていい感じ。


ここは生活航路だね。

しばらくここで待ってておくれ、約50分の船旅。


埠頭のコンクリートの隙間に根を下ろした「ど根性ビーロー」。
ほんとに数センチの継ぎ目に生えてる(^-^)
有名らしく雑誌の切り抜きが張ってあった。
ビーローってのは木の種類かな?そてつ?
地図には「野生そてつ群生地」の記述も結構見かけた。



そして離岸。
暗くてボヤボヤになっちゃった。
湾を渡るだけだから北海道を離れる時みたいな気分とは違うけどやはり船旅はいいな。



そして湾の反対側からもよく見えて、すごく目立っていた「開聞岳」へ!
外周道路は細~いトンネル抜けて行く不思議な空間(^-^)





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「JAXA 内之浦ロケットセンター」へ。

予約も何にもいらない。
入り口ゲートで身分証さえあれば記名のもと入場できる。
ロケット型の携帯ストラップももらっちゃった(^-^)


でっかいパラボラアンテナ。
これだけでワクワクするな(^-^)






半島、というほどじゃないけど海にやや突き出た地形に施設が点在している。
かなりウルトラな感じでとても良い。






男子たるもの「ロケット基地」に「ボタン」があれば
「もしや!?」と思うのが筋というもの。
周りに悟られぬよう心の中で「発射!」と叫ぶのは言うまでもない。








メンテナンス/発射施設はコントロールセンターからは少し離れたところにある。
山の斜面がガバーっと開いてカタパルトが出てくる、というのは無いが、かなり秘密基地っぽくてよろしい。






右に視線を移すと丘の上にコントロールセンターとパラボラアンテナ。
真ん中の専用通路を走るのはポインターじゃなく施設の軽自動車だがそれもまたよし。








パラボラアンテナを見上げる。
白が美しい。
しいたけだったらここから胞子が出るなと思った。





ここから見ると格納庫から発射台に移送中、って感じ。
秘密基地テイスト満点。
子供の頃から乗り物が好きだったから、ウルトラセブンとか見ていても基地から飛行機やクルマのメカが発進する所ばかり見ていたな。
主人公が変身してしまうと「あー、一応今日は終わりかー」とサザエさん症候群的な気分になったもんだ(笑)
やはり乗り物はいいな。




M-3型模型。
かなりラフな造り(笑)本物とは多分かなり違う。
空飛ぶ物なのに外フランジのボルト止めなんてあり得ないだろうな(笑)
我々外来者のためのサービスに置いてある感じ(^-^)
でもロケット発射なんてしょっちゅうやってるわけじゃないからこういう模型の果たしてる役割はけっこう大きいだろうな。
外来客の満足度(?)に大きくかかわる。
南国の島のパームツリーや砂漠のラクダみたいなもんかな(違)





以前、GPライダーのワイン・ガードナーが戦闘機のF-15だかF-18とレース用バイクとで発進加速の競争するというイベントがあったんだけど、さすがに戦闘機の発進は次元の違う加速だったらしい。
初年度はスーパーバイク仕様のVFR750Fインターセプター(RC35)で、翌年のリベンジの時は最速のGPマシンNSR500(!)を使用。
でもやっぱり戦闘機は速かったらしい(^-^)
勝負にならないと最初から分かっていてもワイン・ガードナー、地団駄踏んで悔しがるところがレーサー魂。

ちなみにこの発進加速、2輪も4輪もそれぞれの最高峰の「F-1」と「motoGP」マシンは、ゼロヨン専用の「ドラッグマシン」と大差ない加速力を持ってるけど、決定的に違うのはスタートしたらそのまま90分以上も「競争」をする、ということ。
それこそヘアピンでは強烈なブレーキング、立ち上がりは発進と同じフル加速。
片やゼロヨンは数秒で終了だからね。
2輪も4輪も最高峰はやはり偉大だ。






こちらのMV-1はかなり大きくて出来もリアル(^-^)








有名な最新のH-1ロケットはもっと大きいんだろうな。
H-1はきっと種子島基地だね。







ここもウルトラ感満点だな。


昔見たウルトラセブンの第何話だったか宇宙人が地球上に前線基地を作って、そこにウルトラ警備隊が潜入するんだけど・・その前線基地というのがプレハブの平屋で窓のサッシの立て付けが悪く開け閉めするとガラスがぐらぐらしていた。
隊員が潜入すると宇宙人はあいにく留守で、ウィ~ンという円谷的なSEが鳴っていて、爆弾を仕掛けて脱出した。
でもプレハブってきちんと建てるのは難しくて、昔バイトで手伝ったんだけど、バイト組が建てたのはいかにも歪んでいてドアも閉まらなくて駄目出しやり直し。
ターンバックルの締め込みもバラバラ。
プロが建てると早くて、立ち姿もビシっとしてドアもガチャンと閉まった。
あれはちょっと感動だった。
宇宙人バイト使ったな。







メンテナンス/発射施設。
地面にレールみたいなものもあるけどきっと移送はゴムタイヤの台車だろうな。
何時間もかけて移動するのかな。
そして組み立てもここなんだね。
発射、見てみたいな。



金網越しのアングル。
横須賀の米軍/自衛隊基地(ベース)を思い出すな(^-^)
母方の爺ちゃんがベースに努めてたので夏休みに行くとよく見に行った。
もう定年で引退してたけど顔パスで入れた。
地面に魚雷のドンガラが転がってたっけ。
ウイリスのジープは見られなかったけど、FORDと書かれたグレーのピックアップトラック、ベージュの大きなバンがあった。
そして「GI」たちが好んで乗ってたのがホンダの「S600」・・。
何故かみんな「800」ではなく「600」だった。
あの音・・。レストア車はあの音がしない・・。
ホンダのS・・「エス」、僕には特別なクルマだ。
60年代の事だ。
「基地の中」「金網越し」・・独特の共通な空気があるな。






思いのほか良かったな、ロケットセンター(^-^)
行き帰りの道の脇に発射を見物するための物なのか、観客席と駐車場があった(笑)
発射シーン、見てみたいな。


さあ次は半島反対側までワインディング・ロードを飛ばしてフェリー埠頭まで!
短距離フェリーで薩摩半島側に渡るぞ!(^-^)



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佐多岬へ.。


宿からの距離はもうたいしたことなくて海を見ながらすぐ到着。
灯台を模した電話ボックス。








岬先端展望台まではトンネル抜けて遊歩道をしばらく歩く。
遊歩道脇から見おろすとこんな感じ。






ツーリング中は天気がいいことを本当にありがたく感じる。
海が青い。
















小さめの灯台はかわいい感じ。







しかしこの展望台のぶっ壊れっぷりは素晴らしいな(困)
「解放的な作り」なのではなくて、壁が取れちゃって床しかない。
そこに足場を組むパイプ柵をつけてあるだけ。
まあ好きだけど、こういうの(^-^)








昨日見た開聞岳を錦江湾入り口方向から見るカタチになる。
今夜短距離フェリーで湾を渡り向こう側に行く(^-^)








あぶね~!
壁、取れてやんの。 下は海だからねぇ。

崩落展望台、岬入り口とは別料金なり。


でも次に来たときに立派な展望台に代わってたりすると寂しかったりするんだよね、勝手なもんで(^-^)









岬遊歩道の途中にある神社。
階段を通せんぼするように伸びて、つっかえ棒がしてある(笑)









北海道ほどじゃないにしろバイクは集まってた。
その北海道も一時期のフィーバーぶりはなりを潜めている。
今はどこに行ってもハーレーだらけ。
ディーラーも九州内でもたくさんあるみたいだし、正規かどうかは知らないけどけっこう見かけた。
これにドカとBMWを合わせると半分くらいが外車じゃないのか?と思うくらい多い。
この今の価値観が次に一旦崩壊した後、日本のマーケットの成熟度がもう一度試されるのだろうな。
おれはこのCBが擦り切れるまでたくさん走ろうと思う。
九州最南端から夏は再び最北端宗谷を目指そうかな(^-^)








復路、近くの名も無き漁港。








そして次は「JAXA内之浦ロケットセンター」へ(^-^)



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1994年のゴールデンウィーク、やはりバイクで旅の空の下にいた。
場所は京都。
有名な寺とかへは行かず、人の少ない白川沿いの細い道を遡ったり、西陣の裏通り、機械織りのパッタンパッタンという音を聴きながらエンスト寸前の回転数でスーっと歩き回った。
当時はまだノーマルマフラーだった先代CB1000SFの静かさが功を奏した。
さらにエンジン止めて押して歩いた。
そして信号待ち、道路脇のコンビニの前のラックにあったスポーツ新聞の見出しでアイルトン・セナの悲報を知った。
今週サンマリノのはず・・またタンブレロなのか?!
わなわな震えた。



そして今年・・ゴールデンウィーク・・・阿蘇の安宿・・。
一通のメールでその悲報を知った。
「スローバラード」を聴いた時、あっ「God」だっ!って思った。
Johnのこと、ほんとに好きだったんだね。
駐車場・・市営グランドでもゲーテ会館でもファミレスでもいいさ・・
ああ、いい曲だなって、そう思った。 ほんとにそう思った。









外輪山から外側をもう一枚。
落っこちる感じ・・・。








阿蘇、黒毛和牛。   おいしい(^-^)



お店の名前、忘れてしまった・・。




このお店ではこのレコードを実際にレコードプレイヤーで「レコード演奏」していた。
これはポイント高いな。現在ではこれ自体、十分にパフォーマンスだ。
針を落とす時のノイズ・・・そこからボリュームを上げた時のヒスノイズの高まりと静電気のプチプチノイズ・・。
このノイズはショーの始まる前の会場のざわめきだ。
そして十数年ぶりに「針飛び」を聴いたよ(^-^)
山口百恵がかかってたんだけど、A面とB面の間になぜかジミヘンの「フォクシーレディー」が・・(謎)僕的には良かったけど(^-^)
あと小椋桂の「白い一日」が・・。
長居してしまった。








そして高速キャノンボール。

一気に桜島に移動。







水無し川。
噴火の時、火砕流をこの川に導き海に流す。
雲仙普賢岳にもある。






下流方向、このまま海へ。







桜島、海側から。








さらに海沿いの道を南下していると、民家の真上、低い高度で飛行機がぐんぐん迫って来る。
プロペラ機なので音も小さく何だか不気味な感じ。
映画の1シーンみたい。
B-29や-52はもっと大きいのだろうけど、爆撃のために迫ってくる時はこんな感じかな。






4機で編隊飛行していて、近くの自衛隊基地で近く行われる航空ショーの練習らしい。
編隊飛行から急上昇して花びら状に広がって旋回したり、大きな輸送機でやるのでなかなか迫力だった。






一番左のプロペラは停止していた。





夕日ポイントを探して海沿いの「道の駅」へ。






錦江湾の向こうに薩摩半島を望む。夕日はその向こうへ。


















左に見えるのが薩摩半島先端の開聞岳。

明日は遂に九州最南端佐多岬へ。
もうすぐそこ(^-^)




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