平日の夜だったけど「○○励ます会」の報告会へ。
この会はかなり前、15年くらいかな?薬害訴訟の大きな裁判があった頃に運動が行われて、たしか大もとの大きな組織と幾つかの小さな組織が統合されていたのだと思う。
デモとかもやっていてかなりの盛り上がりをみせた。
その中の小さなグループが裁判終了後、地元で原告団に入って無かった被害者の支援を細々と続けていたのだ。
僕自身は訴訟や医学なんて分からないし、せいぜい現場の力仕事しか出来ないし、また大もとのグループがやや政治色が強かったこともあり何かに加入することはせず、このグループに通信費(切手代)を払って経過報告の手紙をもらっていた。
難しくてよく分からなかったが大事な問題だと思い関心を持って経過を見守っていたが、その後裁判は勝訴して、その後の流れとして大きな前進だったと思う。
裁判後は色々な活動に枝分かれしていって、この「会」のように被害者の生活支援とか原告洩れの人の指導なんかを継続するグループもあった。
 寄付か何かのみでの活動だったのか、台所はきつそうだった。
何度か通信費の振り込み用紙が来て、追加の振り込みもした。
インターネットの一般普及はまだまだの頃で、この会もワープロ打ちの手紙でやってた。
代表の人は真面目そうな人で、まだ残る原告洩れの人をカバー出来ない悩みや予算不足を率直に書いたりして後半は痛々しかった。
その後通信費を使い切ったか、手紙が止まり僕も感心が薄れ忘れてしまっていた(←だめだね)
 先日、区の出張所にあったコピー用紙のポスターを見て懐かしく思いJA公民館に行ってみたが、平日で仕事が遅くなってしまい、また近かったのでバイクで行ったら迷ってしまい、スタートには間に合わなかった。
その後資金問題をどうクリアしたかは聞けなかったが流れができたおかげで裁判までの道筋の圧縮や個々のノウハウの向上があったという。
着いた時にしていた話では地元の病人支援?の説明をしていたが、これは訴訟とは関係無いようだ、さすがに十数年も経ってるから新しい裁判は無いのだろうね、対象を地元で広げたのかも。
会場は静かで参加者はけして多くはなかった。
でも忘れていたとはいえ、まだ続いているのを見てほっとしたというか少しうれしかった。
たしか他の大きなグループは戦争責任問題や政治活動に広がって行ってやや過激になっていったが、(これがいやだった)このグループは手の内にある問題に特化していたのでよかった。
代表は引退をほのめかしていたが、まだ高齢という年令ではないので続けてほしいと思った。

それから、これらの活動の話は記憶に基づいての活動の話そのものであり、何かに言及するものではないです。駄文で失礼!
年は明けたと思ってるので動機や意味が無いです。
思考と指向のベースです。
他の記憶は甦った時にまた書きます(^-^)

 
終わってバイクで走り出すと刺すように寒いけど気持ちいい(^-^)
近いのですぐ着いてしまうが、エンジンが暖まったところで止めるとエンジン内部に結露して(ビールのジョッキに水滴が付く時の逆パターン)エンジンに良くないので水蒸気化して出ていくまで近所を走った。
江戸川沿いからオリオン座を探すけど、走りながらでは見えなかった。

懐かしい空気に触れたり人に会ったり寒い中走ったりいろいろして少し気持ちが和んだな、ありがたや(^-^)ハリクリシュナ



年末、正月と休み中なかなかバイクに乗れなかったので最終日の夕方や雨の降る前の夜などに、チョコチョコと走りに出かけてた。
2度目の車検が近づいてるから「バッテリー」は名目上の寿命が過ぎてる。いつもその3倍は引っぱってるけど(笑)
でも昔とちがって走行距離が少ないから引っぱりすぎるとある日急にパタッと死ぬから注意が必要だな。
案の定セルの回りがゆるくなってた。

柴又帝釈天裏の江戸川河原、下町に沈む夕日。
風が冷たい。

携帯カメラは遠くを撮る時、手前にピントがくるみたいだな。
江戸川河原は好きだな。矢切側を見渡す景色も独特の風情がある。
荒川の民家や工場の多い景色も好きだけど(^-^)


平日の夜に出かけた日の帰り、近所のおじさんがホンダ・スティード400を必死で「押し掛け」してた。
「バッテリー」だね。
週末晴れそうだから久々のツーリングかな?(^-^)
プラグもキャブも見ないまま必死の形相で寒い中丸首シャツ一枚で汗だくでかなりトホホな感じになってた
でも必死の思いを笑う事はするまい。
僕も人ごとじゃない、これは自分自身だ。
声かけようかな、と思ったところへ仲間らしきバイクが到着したのでもう大丈夫だろう。
自分ももう家に入ろうと思ったけど、それからまた出かけちゃった(^-^)


今週末は忙しいけど、暖かくなる前にバイクで湘南散歩に行きたいな(^-^)
伊豆は冬の初めにブラブラしたので真冬の今は晴れた日に江ノ電の周りをウロウロしたい。ゆるゆる~っと(^-^)
あれは一日うろついても全然飽きない
今の季節、土リスいるかな?


ひえ~!前回イデオロギーについて派○村を時事ネタで例に取って書いたんだけど、これ、ネットで見るとマイナス方向にもかなり場外議論になってるんだね!
タイミングが悪かったな。よく見ておけばよかった。
でも、ネット上では「村」の登録者の仕事についてのスタンスや野党政治家の政治利用が言われてるけど、僕の話はそれとは直接関係無い。
僕が言ってた派○村は例にすぎず、要はイデオロギーについての話なのです。
「村」の登録者が500人いれば500通りの事情があって、そんなことに干渉しませぬ。
それに好景気の時でも毎年凍死者はたくさん出てるのに今だけ博愛を謳うのは欺瞞というものだ。
それらに対する救護処置は日頃、普通に行われているのだ。静かに。
まあ僕が過去、倒れてるホームレスを通報したのは国道の本線上に寝て(倒れて?)る時くらい、あとはホームレス同士のケンカとかくらいだけど。
でも、それらは震災時のそれとは取り組む状況が全く異なるのだ。

拙い文章だから解りにくくて申し訳なかったけど、僕がイヤなのはこういう場所を仕切ってる「プロパガンダでイデオロギーな人々」なのです。
長期に渡って見ていれば分かります、「本当に支援が目的なのか?」って。
でも下部組織で作業する人々は純粋に情と愛で動いてるから・・かえってやっかいなのだ。
途中で気付いて絶望するか、取り込まれるか・・・。

それは14年前の阪神・淡路にも出没した。
被災地に到着して「さてどうしようか」とウロウロする僕らに「免許書き換えの試験場周りの『代書屋』の呼び込み」がごとく呼び込んで住所等を聞かれる。
僕らは頭でっかちで予備知識があったから「あっ」と思ってそれを断ると罵倒される。「平和」について何か言っていた。
正規のボランティア登録所にも普通に出入りしていた。
震災後一週間目と、2度目に一人で行ったのが2週間目、大火災起きたのは確か一週間か十日目くらいの時だったはず、そんな大変な時期にそんなことやってるなんて理解に苦しむ。
必要なのは目の前でスタックしている支援物資輸送トラックをアスファルトの割れ目から出す事だ。
保安や作業ノウハウの関係で正規なボランティア登録は必要だが、状況に応じてサッと仕事を休んで、サッと働いて、サッと帰って来ればそれで良いのだ、本来。

数年前の新宿「動く歩道プチ暴動」でも暴れたのはホームレスじゃなくて西から来た活動家だという。
良い面にも触れておくならば、薬害など、企業や国が不祥事や事故の責任を回避しようとするとき、その「有り余るパワー」のベクトルが良い方向に向けば望む結果に繋がる例もある。
ただし、終わったらすぐ解散すべきだ。他の課題にズルズル移行するのはお断りだ。
「シュプレヒコールを上げるため」のネタなら何でもいいのか?または自分探しなのか?
彼らの思想がどういう物なのかは知らない、でも「支援活動はそのためだけに」行うべきだ。
自分的には日常に戻ったら黙って静かにしていればいいと思う。肩書きなんていらない。





ルート61と49の交差点が、あの「クロスロード」のモデルらしい。
なんの変哲もない交差点で風景的には特に趣はないのだそうだ。
一応それらしいモニュメントの写真があったのでちょっと拝借(すみません)
悪魔のエピソードのロバート・ジョンソンは後付で出来た話らしく、別のギタリストが元らしい。
名前を忘れてしまったがラルフ・マッチオじゃない事は確か(笑)
なんの変哲もない交差点らしいけど、一度行ってみたいな(^-^)
ここしばらくは葬儀の後とか、実家の野暮用などでバタついてました(^-^)
庭の手入れは年末に自分でやったシロウト仕事ではダメで造園屋さんにお願いした。と言っても庭園があるわけでもなく、やり方とか切った物の処理も今はゴミ出しのやり方が厳しいので手に負えず、やはりたのむことにした。
もう造園じゃなくて短か~く刈り込んでもらった。
それで何とか安~く見積もってもらった。
今後は伸びすぎないうちにこまめにやらねば。
 住人を失った古い家屋は荒れ放題で胸が痛む。考えねば・・。

先日ばあちゃんが亡くなった母の実家がある横須賀も数往復することに。
ここは自分にとっても第二の故郷。
夏休みはほとんどここに居たから子供時代の楽しい思い出はここでの記憶が大半かも。
告別式は宗教色をなるべく廃し、かといって自然葬ではなくお墓に入るので坊さんの顔もたてて、金はかけず・・、のバランスを考えたモデルケースを提示してくれた。
従兄弟がいろいろシュミレーションしていた。
こういう行事ごとを華美に行うのがみんな大嫌いなので努めて地味に行なった。
それでもまだ不要と思える部分はあるので今後自分のラインを決めていくのにとても参考になった(^-^)
本来の目的は家族がばあちゃんを送ることなのだ。


これは全く「素」の意味での話ね(^-^)
都内の大きな公園に派○村というのが出来て、支援のために大勢のボランティアが集まっているという。
でも僕は行かない。もちろん餓死者や凍死者は出ないであろう見込みのもと。
(住民登録者は今までちゃんと働いていた人々だ。そこにホームレスが混じるのもべつにいい)
これから実体が明かになっていくのだろうけど、問題は「支援活動」の名の下、そこに活動する一部の怪しい人々(?)の本音と目的。
判らない事が多すぎる。
 少なくともイデオロギーで物事を捉える時代なんてとっくに終わってる。
大切なのは自我のラインとバランス感覚だ。
生活支援だけじゃない、災害支援も全部!支援活動はあくまで
「労働力の提供」として行うべきなのだ。
淡々とただそれだけ。名前なんて残さなくていい。終わったらサッと帰る。
14年前の今の時期、「阪神・淡路」でも
「感動するために来たのなら、もういいから帰ってくれ」
それが現場の常識だった。
この事の意味が解らない多くの困ったちゃんが現場で戸惑っていたりした。
でも「感動したい」、ならまだ純粋かもね、そこで新たに学べばよい。
でも「支援」の前に何か二次的目的が横たわってたら、表に掲げた目的に賛同できても行動を共にするわけにはいかない。変な思想に取り込まれてしまう。
何たら大臣が何か発言したら速攻で批判が集まったが、それが正しいかどうか、どう解釈されたかはどうでもいい、でもこの大臣が言わんとした事は多分このあたりなんだろうね。
人道支援を謳う活動を見かけたとしても、あくまで「労働力の提供者」でありたい僕らはちょっと「用心」する必要がある。
理念の根本が本当にそこにあるかどうか。
たとえ反戦活動であっても一呼吸置く余裕が必要。
イデオロギーで物事を捉える時代なんてとっくに終わってる。
大切なのは自我のラインとバランス感覚だ。
僕は過去何らかのイデオロギーや宗教等に傾倒したことは無い。
時代によってはそれぞれが果たした役割に敬意は示しつつ、バランス感覚を持つことが大切だ。


てなわけでベトコンとか言うと誤解されそうだね(^-^)
背後のソ連なんて無視さ。解放戦線もサイゴン陥落後「ドイモイ」をやるわけだからイデオロギーなんて関係ないね。
住処を壊されないためだけ。
だから僕はもういいです
庭に除草剤は撒いてないよ。

横須賀は海からすぐ、小さな山が連なる地形で山肌に張り付くようにたくさんの家が建ってる。
ばあちゃんちも高さ30メートルくらいの山というか丘の中腹。
木が生えてるから鳥や動物もいる。
んで、庭先で「グエッ!グエッ!」というかわいくない鳴き声がするので、「あれ何?」と従兄弟に聞くと「リス」と答えた。
「リスう!?」
「台湾リス」
従兄弟は無口である。
外来種らしい。
湘南江ノ電の土リスと感じがやや違う。

携帯写真なので分かりにくいけど、黄色いのがキンカンの実で、両手で持って食べてる。
いいところだけ食べて、皮を人の方へ投げてよこす。
あれ、絶対わざとだ(怒)
人が見てるとピーピーと鳥のような声で鳴く。
何だか可愛げなくて憎たらしい感じ。
しばらくしたらまた見に行って来よう。
地震雲についてはあまり詳しくないんだけど、ここ数日飛行機雲がよく出てるなあ、と思ってたら、きょうの昼間も夜もいかにもな地震雲が出てました。
以前一度だけ、たまたま地震雲らしきものを見て話題にしてたら翌日新潟地震があって驚いたことがあったけど、その時の雲によく似た感じで飛行船みたいな形で、長くて空の端から端まであるくらいに大きい。
真ん中はウロコ雲の模様。
夜に見たのはUFO的にぽっかりしたヤツが大、中、小と三つ斜めに並んでいた。
あとは低いところに秋空みたいにウロコ雲が出てたかな。
ネットのもサンプル写真があって同じような物が出てたけど種類がいっぱいでよくわからん。
 実際変わった感じの雲なんて毎日のように出るみたいでいちいち気にしてたらキリが無いハナシだよね、でも本来地震に対する心構えなんて毎日してた方がいいはずなのについつい忘れてしまうから変な雲を見た時はそれを思い出すいい機会かも。
 手近なトコロでは、もし地下の商業施設に入ったらまず緑色の非常口のピクトグラフ表示を確認しておくだけでもいいよね。
非常持ち出し品をチェックするとかね(^-^)
明日は雪みたいなので早く起きなきゃならないけど、何となく気になったのでちょっと書いてみました。

年末年始の休みはあっというまに過ぎちゃった。
Back in the ROCK SHOW vol.2、おかげさまで無事終了しました!
おこしいただいた皆様ありがとうございました!(^-^)
(そのまんま放置しちゃってすみません!)

年末は日数調整で出勤がギリギリまでとなり焦りました。
最後はタイムカードを押しに行っただけでした(笑)
でも仕事があるだけでもありがたいよね。

明けて新年はホームに行ったりいろいろ。
3日は箱根駅伝の混雑を避けるため5時出発で箱根大観山へ。
天気が良くて海から昇る日の出が見られました。でも・・

携帯で撮ったらひどいピンボケ。
車のフロントガラスに合っちゃったのかな?

午後は「パーティールーム」の新年会へ(^-^)
久しぶりで楽しかった!
誘ってくれて本当にありがとう。    
鍋もカレーも美味しくて・・。

帰ってきたら、またまた久しぶりの深夜のメッセージ!うれしや、ありがたや(涙)
そして明日、じつは年末に母方のばあちゃん亡くなって、日をずらして明日が通夜。
もう98歳くらいだから大往生だね、悲壮感はあまり無い。でももうちょっと会いに行っておけばよかったな。

予定変更であちこち回った正月、あっというまに過ぎちゃった。
北爆の焼け野原でもアルカリ中和された土壌には丈夫な雑草が育つ、そう考えたい。
焼き畑農法だ(^-^)
今年は棚上げにしっぱなしだった工作物もいっぱいやる。
アルゴン溶接にも挑戦だ!(^-^)




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老人ホーム開所一周年の記念行事へ。
一周年記念日はもう過ぎてるんだけど、やや遅れての開催となった。
イベントといってもささやかなものだけど、家族会だけでなく地元の中学校の課外授業の一環なのかな?中学生も集まってなかなか賑やかだった。

ほんとささやかな身内の行事だけど、餅つきをやったり豚汁やバーベキューとかお好み焼き、流しそうめんもやった。

餅つきなんて親父が元気な頃やってたけど、それ以降は無かったな。
あとは機械で簡単に済ませてたけど、近年ではそれも無くなった。
懐かしいな。

肝心の老人たちは「これは何をするの?」てな感じだけど(笑)
老人用の餅はあんころ餅もみんなやたら小さく丸めてたのが印象的だった(^-^)
もう大豆やそら豆くらい(笑)食べてる間はずっと見てるね。
こんにゃくゼリーもそうだけど、やり方しだいで安全に食べられるはずだよね。
その他にも側で見ているだけの自分には分からない色んなノウハウがあるみたいだ。
介助のやり方も、手の出し方一つにもハッとすることが多々ある。


室内でも出し物が用意されていて、プログラムは「手品」と「大正琴」(^-^)
手品はやはりかなりご高齢な方だけど有志のボランティアで各老人ホームを周ってるのだそうだ。
でもこの手品が面白くて(失礼)ご本人もそろそろ入所か?な感じのお爺ちゃん?(失礼)なんだけど、衣装もキメて仕掛けはホント本格的!
そしてポール・モーリア・グランドオーケストラのBGMに乗せて軽快に、ステッキをポロッとかしながら、構わず進行する。

空っぽのはずの袋から箱が次々と出てくるネタでは最初に「タネも仕掛けもございません!」と言いながら袋の中を見せるんだけど、折り畳まれた箱丸見え!
「爺ちゃん見えてるよ!」とのみんなの心の叫びも届かず爺ちゃん構わず続行。スムーズに箱を取り出せずに袋に両手突っ込んで組み立ててから「ハイッ」と得意げに箱を見せる!
客席のばあちゃんたち無言!
超シュール!
短いステッキが一瞬でスカーフに変わるネタでは、ステッキの両端を押すとステッキ本体がスプリング状にシュルンと巻き取られて中にあるスカーフに変わったように見える仕掛けなんだけど、巻き取られたスプリングが上手く手の中に隠れなくて指の間からビローンとはみ出してるんだけど構わずポケットにねじ込んで得意げにスカーフを振る。
バンド演奏中でも、この何があっても平気で笑っていられる図々しさ、こういうの必要かもね!(←?)

ばあちゃんたちフルタイム無言。
でも手品のアイテム数はかなり多く、全部覚えるのはかなり大変なはず。
新聞紙に水を入れるネタなんか完璧。
全編にわたって踊りながら楽しそう。これだね。

次は大正琴。
先生らしき比較的若い女性とその生徒さんという感じの構成で3人編成。
近年定年リタイヤされて教室に通い始めたという男性と同年代の女性。
男性が曲によりピアニカとハモニカを加える。
MCは主に男性が担当していて「えー、私たちは各ホームを周って演奏させていただいております、本日は・・・」という感じのMC。
家族会と中学生の「なげーよ」の心の叫びを察知した先生が「では、始めましょうか」と言って演奏が始まる。
カウントは「サン、ハイ!」。
先生が「あ、○○さんゆっくり行きましょう、では、サン、ハイ・・」とTAKE・Ⅱでスタート。
手に汗握るスリリングな展開だ。
曲目は「荒城の月」や「富士山」など。
大正琴は12弦ギターみたいに2本づつのペア弦を鍵盤のキーで押さえて2本同時にピッキングする。独特なサウンド、心地よい。
使っていたのはSUZUKIというメーカーのエレクトリック大正琴で、アンプもSUZUKIだった。
ガットギターのSUZUKIと同一かな?
後半男性がハモニカを吹いた。
ハモニカはもう長くやっているらしく、あのバッキングとメロディを同時にやる技を完璧にやっていた。
もう一人の女性ももう長く習ってるらしく、ソロ部分も長く取って、かなり流暢だ。
曲数も多く、演奏終わって大汗を拭きながらの生徒さん二人の満足げな表情に、一本取られたかな、と思った。
知ってる曲はばあちゃんたちもけっこう歌ってた。


会が終わって後かたづけしてから職員さんたちと打ち合わせした。
今は徘徊が落ち着いてるが、そのとたんホームに行く回数が減ってるのは反省材料なのだが脱走が落ち着いてるのはありがたいことだ。

年末もう一度実家に行くが、近所のお年寄りに「帰って来た時にちょっと寄っとくれ」と言われている。
母より少し年上のはずだが、まだ全然しっかりしている。
用件は分からないが、おそらく母の徘徊がひどい時期の話ではないかと思う。
数年続いたけど、ひどかったのは今年の5月から8月くらいかな、落ち着いて安定した、、と思うとまた脱走して読めず、かなりノイローゼ気味になったけど警察から保護の知らせが来る前、どこでどうしていたかは分からないわけで近所に相当な迷惑を掛けていた可能性は高い。
そういう事は忘れてはならない。
手を離れてる間の事なのでもう確認すら出来ないのだが、だからと言って「知らない」というわけにはいかぬ。
目に見えた事以外に色んな出来事がいっぱいあったのだ。
でももう時間が経ってしまってどうすることも出来ないとしても、少なくとも判る事は自覚し記憶に留める必要はあるのではないか。
世間体なんてとっくに無い。
お説教されるのか励まされるのかはまだ不明だが、年末、覚悟決めて行って来ようと思う。

その辺の確認をしてから帰路についた。
節約のため下道だ。
途中岳南鉄道の終点駅「岳南江尾」に立ち寄った。

電車の事はほとんど分からないけど501と記された機関車いい感じ。
貨車が連結していて現役みたいだ。


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雑誌「pen」12月号の表紙に使われてる写真に心とらわれてしまった。
索引にはデータらしい記述はなく「Julio Bittencourt」という名前が記されていた。
情報が無かったのはむしろ幸いで、作品世界に純粋に触れられる、という良い点もある。
モノクロにも見える色調だがカラーで、煤けた雑居ビルに住む家族を写した物だ。
一見して貧しい家庭に見えるが表情が明るい。
どういう家族構成かは不明・・。
上方を指差す子供と母親なのか・・一緒に何を見上げているのかな。
黒人らしき男性は無表情にやや違う方向を見上げているけど、子供が落ちないように体を支える指先にはちゃんと神経がいっている。

実生活の不安や厳しさと、僅かばかり幸せの在りようが一瞬を切り取った中に全部あるみたい。

ジュリオ・ビッテンコート(Julio Bittencourt)ブラジル、サンパウロ在住の若い写真家らしい。
ブラジルは日本なんて比べ物にならないほどの格差社会で、雑居ビルを不法占拠しながら生活する下層階級の人々。
そんな彼らが見せるこんな表情。

幸せとは何ぞや・・なんて分からないけど、少なくとも足し算の積み重ねで数値が大きいほどその度合いが高い、、、なんて事は無いだろうと思ってる。
同じ数値に例えるなら、折れ線グラフの最下値と最上値との振れ幅のスパンが大きい方がそれをより実感できる、と捉える方が好きだな。
それなら子供時代辛かった人も、今がすごく辛い人も、自発的に希望が持てる。

折れ線グラフの最下値・底打ちから上方修正する「きっかけ」はこんな写真に出会った時だったりする。
そんなきっかけって、災害地で食べた炊き出しの白いおにぎりは食べ物の中で一番美味しい!と思ったり、、レースの仕事で鈴鹿に一週間詰めて体も心もだいぶヤバくなってきた頃、泊まってた安宿の無愛想な飼い犬が懐いてきたり、、何かしらあるよ、壊れる前に。
この写真見てあの犬を思い出したんだよ。
さもない事と笑うも良し、でも今夜炊いたご飯で塩だけの白いおにぎり作って食べるだけでもイケるかもよ。


ジュリオ・ビッテンコート(Julio Bittencourt)の資料少なくてネット上で拾えた写真は11/2までやってたという写真展の広告サイトのみで、何故か暗いけど、全体は窓枠をフレーム的に使った組写真らしい。
写真集でもポストカードでもいいから探してみようと思う。

さあ、週末は小田バンドのリハと、あちこちでライブがいっぱいだね。


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プラスティック小田バンド、次回ライブは六本木アビーロードです!(^-^)

Back in the ROCK SHOW vol.2
日時・12月28日(日)
場所・六本木アビーロード
開場・13:50~18:00
出演・Peace on Earth
   ・Plastic Oda Band
   ・Venus and Mars
   ・The Beat Vox

ジョン、ポール、ジョージの各ソロ期と王道FAB4期の揃い踏みです!
詳しいタイムテーブルが分かり次第追記しますね!(^-^)

 

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今日はジョンの命日ですね。
十代の頃ビートルズ聴き始めていろいろ覚えて・・多感な年令期にちょうど重なります。
解散してたった10年・・。
あの日、夕方家に帰ってテレビを見たら以前のNHK子供ニュースの後番組「6:00こちら情報部」の鹿野耕四郎・帯 純子の両キャスターが伝えていた。
昼間からすでに報道されていたらしく、セントラルパークにはすでに人が集まって追悼している、という後追い報道・・。
読み上げられる原稿のその先を読んで「その先を言うな!」「違う結論を言ってくれ」と願ったが「・・死亡した・・。」という完了の形で伝えた。
しばらくぼーっとして、それから民法のニュースや7時のニュースの音声をラジカセで録って・・貧乏だったのでベータマックスとかのビデオデッキは家にはなく、音だけ。
それで消えゆく命を繋ぎ止められるとは思わなかったが、とにかくラインをつないでテレビとラジオのニュースを追った。
でも今やれる事・・思いつく事の最善がコレかと思うと情けなかった。
ニューヨークが今よりずっと遠い頃。
テレビとラジカセを独占したが家族もこの日は黙ってしたいようにさせていた。
このカセットはリンゴがバーバラ・バックと結婚した頃の来日で「ニュースセンター9時」に出た時のインタビューと同じハーフに入ってるはずだけど、近年アルツハイマーの母が掃除して捨ててしまったのか?探しても見つからない。
その入れ物はケンメリやジャパンのスカイライン限定車「シティボーイ」の折り目無し保存用のカタログとかと一緒にまとめておいた物だった(笑)
まあカタログはどうでもいいし、録音も・・聴くのはつらいかもな・・。
再生したことは多分一度も無かった。
しばらくして店頭の「ダブルファンタジー」に黒い帯が付いたのはいやだったな。
その後音楽を聴く機会がパタッと減ってしまって東京に来ても音楽友達はいなかったのでこの時期になっても一人思い出すだけだったけど・・今は一緒に思い出す人が大勢いるって事はとてもありがたいなって思います。


J.L.M、けやき広場のライブおこしいただいた皆様、ありがとうございました!(^-^)
寒かったけどおかげさまで楽しかったです!
ホッカイロをもっと積極的に用意すればよかったですm(_ _)m
今年のストーブはちょっと小さかったですね(^-^)
She saidが「レイン」を演り始めると急に雨が降ってきて、会場周辺では傘を広げる人、ビニールシートを被る人、その様子は歌詞そのままで、何とも印象的なシーン(^-^)
雨はその後強まること無く続行オールOK!
ただのさんが「フォース」を使ったらしいです
POBの時間帯は暗くなって来て、けやきのイルミネーションが映えて来る頃、ステージライトに枯れ葉が反射して雪っぽくて良かったな。
寒い中本当にありがとうございました!(^-^)
また一緒に楽しみましょう!写真もらったら追加しますね!(よろしくれいんさん)


次回は12/28六本木アビーロードです!