短歌のようなひとりごと -5ページ目

ネクタイ締めて

スプーンを奥歯で噛んでいるごとしネクタイ締めてひと日はじまる


吉報!

NHKから吉報が入りました。
「NHK短歌」に入選し、私の短歌がテレビで放送されます。


佳作で十分に嬉しいのですが、6月に続いて2回目の入選です。
今回は私にはとても珍しく、楽しい雰囲気の作品です。
題詠だからこそできた、と言える歌です。


放送はだいぶ先ですので詳細はまた後日報告いたします。


「お父さんのマスク」

「お父さんのマスク」と書いた紙袋残して妻は夢にさえ出ぬ


去年の10月20日にこのブログに掲載した短歌をベースにして、

推敲した作品が丁度一年後の昨日、活字になって書店に並びました。


何か不思議な縁を感じます。


B29の音唸る夜

このいくさを母は胎児と生き抜けりB29の音唸る夜

この歳時記

イメージが湧くのを待っていたのだらうこの歳時記を父めくりをり

足の指

シャワーさへ浴びれぬ妻の足の指ひとつひとつを子は揉みほぐす

記憶・思い出

一階のテレビの下がカビ臭かったので掃除をした。
テレビ台の中にあった卓球の道具も掃除をした。


横浜のある地区センターで休日によく妻と卓球をした。

そのときに使っていたものである。


約20年前のことである。
長女は球を拾いに走ったり、ときにはラケットを持ってまねごとをした。
よく行ったのは次女が産まれる前だったと思う。


長女は何も憶えていないと言う。

今では私の頭の中にしか記憶として残っていない。

私が死ねばすべて消えてしまうことがとても悲しい。

いまを生きる

猛暑のために脳みそが腐っていくような感じでぐったりしている。

しかし、ありがたいことに何とか夏休みの予定をこなせるほどの活力はある。

考えてみると、この「ありがたいこと」は結構たくさんある。


仕事があること。

愛する人がいること。

三度の食事ができること。

生きていること。


根源的なものにはなかなか感謝の念はおきにくいが、

列挙しだせばきりがない。


昨日、知人が亡くなった。

まだ50代の若さである。

大腸がんで長い闘病生活だった。

約四年の闘病生活は辛かっただろうと思う。

辛い中にわずかでも幸せな時間があったかも知れない。そう思いたい。


遅い早いはあっても、すべての人は皆死ななければならない。

その一点から逆算して今という時間をながめると

「ありがたいこと」はたくさん見えてくるに違いない。


私の場合、愛情をもっとそのまま素直に表現したいと思っている。

それが私にとっていまを生きることだと思うから。

切手

葦の絵の切手を濡らして貼り付ける つひにこの日が来てしまひけり


「まんめ!」

「まんめ!」という言葉がふいと頭をよぎった。


こどもが小さかったころ一時期、妻がよく言っていた。

「だめ!」の幼児語のような感じで使っていた。


こどもの目をにらむようなしぐさをして、叱るような口調をまねて

「まんめ!」と言う。


こどもも叱られているとは思っていない。

じゃれ合っているような雰囲気であった。


なぜ頭をよぎったのか、よくわからないが、ときどきこんなことがある。


いつもはすぐに手帳にメモすることにしているが、

パソコンを使っていたときなのでここに書くことにした。