
しばらくは、自分のホームページで紹介していたものをブログに移していきます。
北京で購入した掛軸
初の海外旅行で購入した掛軸です。
1988年に大学の交流会で北京・上海を訪れました。
その時に北京の「北京工芸美術服務部」というところで購入しました。
いろんな工芸品がありその中から2幅の掛軸を選びました。
生徒が描いたものは安くて、先生が描いたものは高かったです。
私はどのレベルのものを購入したのか記憶がありません。
また、もう一幅はお土産にしたのですが、誰に渡したかも覚えていません。
今思えば、受け取った人も困ったでしょうね、、、。
自分用に残したものの、かつて一度も飾ったことがありません。
今回、撮影用に出しました。
装丁の布は虫に喰われて穴が開いてるし、折り目もすごいです。
裏の部分は茶色いシミだらけです。
この時の旅行ではたくさん買い物をしましたが、手元に残して嫁ぎ先に持ってきたのは、この掛軸だけです。
正直、持ってきていたのも忘れていたのですが、過去旅の記事を書いていて、確か掛軸があったなあ、、、と思い出した次第です。
この時の旅行の記事↑
【過去旅】昭和63年の北京・上海旅行6豫園そして帰国
1988年7月26日
宿泊した和平飯店で朝食です。
薄暗いですが、すごく豪華な食事会場です。
この旅行で唯一冷えた飲み物が提供されたのが、この和平飯店でした。
食事の準備ができるまで、広い廊下に置かれた重厚なソファーに座って待ちます。
ここも灯りがなく、薄暗い空間でした。
朝食後、バスに乗って上海観光にでました。
20分ぐらい走り、「玉佛寺」へ到着。
1882年に建てられた禅宗のお寺。
当時の私には全く興味が沸かず。
その後、民家がひしめく路地を歩いて移動。
お寺より、ここいうところの散歩の方が楽しい。
北京も路地裏を通ったけれど、はやり上海の方が賑やかで活気があります。
上海、お気に入りかも。
「豫園」に到着です。
とたんにすごい人だかりです。
鯉がたくさん。
入場チケット。
豫園の中にあるレストランは庶民用と外国人用に分かれていて、値段も倍ぐらい違うらしい。
湖心亭。
2018年の家族旅行でこの豫園を訪れた時は、食べ物屋さんやお土産屋さんなど、いろんなお店があって飽きることなく楽しかったけれど、1988年当時は何もなく、ただただ似たような建築があるだけで、退屈でした。
まあ、若かったしねー。
昼食は再び和平飯店にて。
当時の中国のトイレは、ニーハオトイレといわれるドアもなにもない丸見えのトイレです。
そんな訳で、私たちは旅行会社が連れて行ってくれる外国人用のドアのあるトイレだけを使用していました。
それ故に食事会場も限られていて、ここ上海では和平飯店に戻ることが多かったです。
昼食の後、飛行場に向けて出発です。
先日嵐の中降り立った上海虹橋空港は、晴天の下でみると普通のきれいな空港でした。
帰国の空は穏やかでした。
あの夜の飛行が嘘のようです。
この旅行の翌年の1989年の6月に天安門事件が発生して、私たちが歩いたあの広場は血の色に染まり、毛沢東の像は崩れ落ちました。
1990年、東西ドイツの統一。1991年、ソ連邦の崩壊。
共産圏は急激な速度で変化していました。
その後の中国の変化を、この時どのくらいの人たちか想像できていただろうか?
上海発14時20分。
福岡着15時30分。
初めての海外旅行が終わりました。
↑最初から読むには
↑2018年の家族旅行で買ったもの
【過去旅】昭和63年の北京・上海旅行5上海観光
1988年7月25日
ホテルで遅い朝食をとり、9時半ごろ街並みの見学に出ました。
黄浦江公園。
令和の時代から見れば、レトロ感がすごいですが、北京と比べれば雲泥の差があるほど都会です。
外白渡橋(ガーデンブリッジ)
蘇州湾(呉松江)と黄浦江との合流点。
2018年に家族旅行で上海を訪れたのですが、全く違う景色になっていました。
その時のことを触れた記事があるのでリンクさせておきます。
南京東路。
上海のメインストリート。
自転車の数がすごい。
上海は英国の租借地だったこともあり、ヨーロッパの香りがします。
街の活気も躍動感も北京とは全然違いました。
上海友誼商店なるところでお買い物。
外国人は兌換紙幣しか使えないので、買える場所は限られています。
そして、必ず領収書が必要なのです。
お土産にしおりを数枚購入。
一枚は自分用にアルバムに貼っていました。
一枚一枚手描きで、切り絵も人の手によるものです。
虹口公園。
虹口公園の奥深い緑の中に魯迅のお墓があります。
墓碑には毛沢東直筆の金文字が刻まれています。
昼食は「上海大厦」にて。
上海工業展覧館。
ソ連の援助によって1955年に完成したというロシア風建築。
ちなみにソ連が崩壊したのは1991年で、この年の3年後です。
何故かマイケルジャクソンっぽい人の絵が、、、。
華東師範大学。
毛沢東の像があります。
今回の旅行の最大目的である大学の交流会です。
書道選択の学生らによる揮毫会が行われました。
私はただのひやかし参加なので見てるだけです。
夕食は錦江飯店でとりました。
前述した2018年の家族旅行の時のホテルは、この錦江飯店にしました。
しかし1988年の夕食時の写真も無いし、全く記憶が残っていません。
旅程のメモが残っているだけです。
その何十年後に訪れてみても、やはり覚えている箇所はありませんでした。
↑最初から読むには
【過去旅】昭和63年の北京・上海旅行4過去一怖かった飛行
バスに乗り、北京首都空港へ向かいます。
一日中ぐずついていた天気がいよいよ悪くなり、雨が激しくなってきました。
時間ぎりぎりで、空港内なら駆け込みますが、なかなか搭乗手続きが始まりません。
添乗員さんや現地係員さんがバタバタと動き回っています。
どうやら、天候悪化により運行を見合わせているとのこと。
北京首都空港に到着したのが、20時前ごろ。
空港内の売店は閉まり、待合室は薄暗くひっそりとしていました。
私たちは一日の疲れと、ぽつりと空港内に取り残された感も相まって、言葉少なく待機していました。
↑ボーディングカード
やがて、飛行機に乗り込み、予定より2時間近く遅れて離陸しました。
22時30分北京発です。
空港内は真っ暗です。
その上海に着くまでの1時間半が地獄でした。
飛び立った瞬間から乱気流の中です。
窓の外には雷光が見えます。
小さな飛行機の搭乗客は私たち以外にはほぼ居なくて、もしかして、我々のためだけに離陸した?と思わせるぐらい人がいません。
あまりの揺れに飛行機酔いをする人が現れて始めました。
私は乗り物酔いは全くないので平気です。
やがて、私たちが座っているところの天井から水が落ち始めました。
CAさん(当時はスチュワーデスと言っていましたが)から全員後方の席に移るように指示がありました。
大揺れの中、ふらふらと移動します。
飛行機の揺れで、荷物を入れる棚の蓋がバタンバタンと開いていきます。
CAさんが時折り締めていましたが、すぐに開くので結局開いたままになっていました。
そのうち、機体内部の側面の板(?)か何かが剥がれてきて、近くの人たちで押さえ付けました。
今思えば、シートベルトもろくにしていなかったような気がします。
恐怖も通り越せば、笑いしか出でこないのか、私たちは変なテンションで何か起こるたび「こんなことある?」と大笑いしてました。
若いって恐ろしい。
その後の人生、飛行機にたくさん乗りましたが、初めての海外でこれを経験しているので、少々揺れても動揺することはありませんでした。
あの状態で無事に飛行できたのですから。
上海の空港(上海虹橋機上)に到着したのは24時。
真夜中の空港はほのかな灯りしかなく、係員の姿さえ見えません。
機内預かりの荷物だけがポツンと置かれていました。
それを受け取り、出口へと向かいますが、どう見ても裏口っぽい。
ドアから出ると、この人たちはどこから来て、何をしているの?と思うほどの人が突然現れました。
私たちが歩いている通路とは金網で隔てられているのですが、その金網を鷲掴みにして何か叫んでいます。
自然と早足になります。
みんな無言です。
するとその通路の先にバスが停まっていて、疲れやら何やらで思考が停止していた私たちは、そのままそのバスに乗り込もうとしました。
「違います! そのバスに乗らないで!」
現地係員さんの叫ぶ日本語が後ろから聞こえました。
この時の上海は怖かったです。
のんびりとした北京とはあまりにも違いました。
ようやく正しいバスに乗り、その中からぼんやりと上海の夜の街を眺めていました。
都会できれい。
幻想のように美しく整備された街並み。
空港でのあの怪しげな雰囲気とは全く別物でした。
ホテルは「和平飯店」
着いたのは午前1時半。
長い長い1日でした。
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【過去旅】昭和63年の北京・上海旅行3紫禁城
昼食をとってから、紫禁城(故宮博物院)へ。
この旅行の前年にベルナルド・ベルトリッチ監督の映画「ラスト・エンペラー」が公開され、世界中にブームが起きました。
もちろん、私もその世界観にハマった一人です。
ここに来たくて、この旅行を申し込んだのです。
団体旅行なので、みんなで移動。
自分でもびっくりするぐらい写真が下手です💧
35ミリフィルムは撮影できる数も限られているし、現像するまでどんな風に撮れているかわからないかので、仕上がりにがっかりするこど多かったです。
特に紫禁城では舞い上がって興奮していたので、逆に記憶があまりありません。
当時のアルバムにもコメントがありません。
ラストエンペラーの映画を気取った、黒歴史の写真がただあるだけです😅
これは絵葉書。
紫禁城を出て、人民大会堂のある天安門広場へと行きます。
この翌年に天安門事件が起きます。
民主化運動を求めた人々と、抑圧する軍との映像をなんともいえない気持ちで見ました。
翌、1989年は激動の年でした。
昭和が終わり、ベルリンの壁も崩壊しました。
この後、天安門広場近くにある「北京工芸美術服務部」という美術工芸品のデパートに連れて行かれました。
折りしも、日本はバブル絶頂期です。
後から振り返れば外国人向けのぼったくり価格だったのでしょうが、日本人の私たちにとって、わざわざ円換算して確認するほど高くもなく、初日に両替したお金で買いまくりました。
美術工芸家を目指す人たちが作ったもので、この売り上げはその人たちに還元されるようなことも言っていました。(本当か?)
30分ほどの買い物時間を経て、次は瑠璃廠(ルウリーチャン)へ。
色鮮やかな中国建築の店々が並ぶ一角です。
ここはさらりと通り過ぎて終わりました。
そして夕食会場まで歩いて行ったのですが、それが今まで見てきた道とは違い、完全に市井の生活が見える場所でした。
路上にはスイカの皮がそれこそ文字通り山のように捨てられていて、悪臭が漂います。
子どもが履いてるパンツ(下着)のお尻の部分に切れ目が開いています。
ガイドさんに聞いてみれば、そのまま排便するためだとか。
その不衛生さを嫌がっていた人もいましたが、私はそこに暮らす人々の様子が見られて嬉しかったです。
海外に出て、日本と違っていやだなあ、という思いはこの頃からありませんでした。
違うからこそ、面白い。そんな感じです。
夕食は「同和軒飯荘」。
ここで、北京ダックが提供されました。
皮だけしか食べない、というのも衝撃的でしたが、その美味しさも衝撃的でした。
ちなみに、結婚して家族旅行で2018年に上海に行ったとき、わざわざ北京ダックの美味しいお店をリサーチして食べに行きました。
ぜひ子どもたちに北京ダックの美味しさを知って欲しかったのです。
夕食をとったら、上海に向けて飛び立ちます。
この飛行機が最も恐ろしいものとなるとは、この時は思ってもいませんでした。
つづく。
最初から読むには↑
【過去旅】昭和63年の北京・上海旅行2霧の中の万里の長城
過去に行った海外旅行のまとめをしていきます。
35ミリフィルムで撮った写真をアルバムに貼って整理しているのですが、それをデジタルに起こしていきます。
私の姿やその他、状況に応じて人物は画像処理して消してあるのもがあります。
そのため、不自然な箇所があります。
アルバムに貼ってある当時のコメントを抜粋しながら記事にしていますが、ずいぶん前のことなので、記憶違いもあることを前提に読んでください。
******
1988年7月24日(日)
万里の長城はとにかく混み合うからと、朝食も取らずに6時45分にホテルを出発です。
濃霧の中、八達嶺へと向かいます。
バスの中では、現地のガイドさんが好きだという中島みゆきさんの音楽が流れます。
7時25分。万里の長城の八達嶺へ到着。
外国人料金は取られますが、その代わりに入り口近くの駐車場が利用できます。
中国の人たちは遠くの駐車場から歩いて来なければならないらしい。
城壁の坂は思っていたよりもはるかに急で苦しい。
歴史の重さを考えると、立ちこめた霧が余計に現実から離れて、幻影の中に自分が立っているような感覚にとらわれます。
再びバスに乗り込み、次は万里の長城にある九つの関所の中のひとつ、居庸関に向かいます。
そのバスの中で、ゆで卵の差し入れがありました。
烏龍茶で茹でてあるため殻の色が茶色くて、それが私たちには珍しい。
朝食前の空腹ということもあったが、このゆで卵の美味しかったこと、美味しいかったこと。
何もない辺鄙な山道の片側で、バスが突然急カーブして停車しました。
今にも崩れそうな粗末な家が断崖のはずれに一軒あります。
そこが居庸関でした。
門にはレリーフがあります。
見えにくいけど、四天王が彫られています。
ここでは軽く見学しただけで、宿泊していたホテルに戻りました。そこで朝食です。
9時30分の遅い朝食。
ここでもゆで卵😆
「明の十三陵」
朝食の味、明の十三陵に行きました。
とにかくすごい人だかりです。
それに朝上がった雨の関係か、湿度がすごい。
それに加えて暑さもあり、歩くのがやっとです。
更に、地下室で柩や副葬品を眺めながら今にも倒れそうでした。
話しは逸れますが、私は今までに倒れそうになるほど気持ち悪くなった場所が2ヶ所あります。
ひとつはこの明の十三陵の地下室。
もうひとつはエジプトのピラミッドです。
ピラミッドは私にはパワーが強すぎました。
そして、十三陵は気温と湿度のせいだけでなく、とにかく地下室は私には合いませんでした。
今でもあの気持ち悪さは覚えています。
陵墓の参道。
死後も皇帝を守り、皇帝が支配する象徴としての石像。
両側に数多く並んでいました。
明の十三陵を出て、昼食会場へと向かいます。
途中、この年(1988年)に公開中だった日中合同制作の映画「敦煌」の看板を見つけました。
昼食をとった「六応飯店」
そして、このあと私の中での最大目的地、紫禁城へと向かいます。
【過去旅】昭和63年の北京・上海旅行1 北京のホテルへ
過去に行った海外旅行のまとめをしていきます。
35ミリフィルムで撮った写真をアルバムに貼って整理しているのですが、それをデジタルに起こしていきます。
私の姿やその他、状況に応じて人物は画像処理して消してあるのもがあります。
そのため、不自然な箇所があります。
アルバムに貼ってある当時のコメントを抜粋しながら記事にしていますが、ずいぶん前のことなので、記憶違いもあることを前提に読んでください。
まずは、初めての海外旅行の上海と北京編からです。
これは大学の学部の交流会で行きました。
希望者だけの参加でしたが、私は前年(1987年)に公開された映画「ラストエンペラー」の影響もあり、親に頼み参加費用を出してもらいました。
旅行の準備はパスポートの取得から始まりました。
まだ大きなサイズのパスポートで、一回だけ使える旅券というのも存在しました。
中国の入国にはビザが必要でしたが、それは旅行会社がしてくれました。
添乗員さんがついた団体旅行なので、事前知識などは全くないまま、のんきに出発しました。
*****
1988年7月23日(土)
福岡空港発13時20分
中国民航機にて空路、北京へ。
ボーディングカード↑
裏面です。
搭乗機番号と席番号がスタンプで押されています。
機内の窓から。
太湖、無錫の街を見下ろす。
北京空港着 15時30分
「首都北京では蝿や蚊の繁殖によるマラリア患者が増え、上海ではこの半月間に暑さによる急患として百万人からの人が病院に入った。」
という新聞記事のメモが、アルバムに貼ってありました。
まだこの頃、中国はエアコンはおろか、冷蔵庫も一般には無く、冷えた飲み物が提供されることは滅多にありませんでした。
入国審査を終え、用意されたバスに乗り北京市内に向かいます。
約20キロの道のりで、車で40分ぐらい。
道路の両脇にはのどかな風景が広がっていました。
北京駅
北京市内
空港からの景色に比べれば急に都会になった感じがします。
当時、外国人は兌換券と言われる紙幣の使用しか認められていませんでした。
夕食は「華風饗聴」にて。
真夏なのに、飲み物は室温のぬるいオレンジジュースのみ。
夕食の後、再び北京郊外へ。
建設中の建物多い。
だんだんのどかな風景になってきます。
荷馬車もよく見かけます。
本日の宿泊所、「明苑賓館」です。
四合院と呼ばれる各個別棟作りのホテル。
1年前に建てられたばかりだとか。
いかにも中国風で、外国人が喜びそう。
白い曇り硝子や水彩画。迷路みたいなその回廊にしばし見入ってしまう。
本館2階にはディスコがあり、北京駐在のドイツのみなさんが楽しんでいました。
翌日は万里の長城に行きます。
⚠️人物の消し方の処理が甘くて、良くみると身体の一部が残ってたりしているかもしれません。決して心◯写真ではありません。
ベトナム〜バッチャン焼き
旅から帰り、そこで買ったものを眺めながら過ごす時間が好きです。
旅の最中はもちろん、その計画を立てている時や、帰国して旅のまとめをしている時も、たいせつな幸せな時間です。
ベトナムで購入したものたち。
蓮の実と蓮茶。
器はバッチャン焼き。
古い時代のものは入ってないそうですが、近年ではバッチャン焼きにはそのバックスタンプが入っています。
マークはたぶん工房によって違うと思いますが、BAT TRANG の文字が入っています。
バッチャン焼きの色は全て天然素材からのものだそうです。
これもバッチャン焼き。
手描きよりも、この削って色を付ける技法の方が遥かに難しいらしい。これができる職人さんは少ししかいないみたい。
でも、使い勝手は蓮茶を入れているカップの方が良くて、そればっかり使っています。
カップの色が黒だと、飲み物の色が分からなくてなんか嫌なのよね、、、。
若干、後悔気味のカップです。
ハノイのイオンモールで購入したベトナムコーヒー。
右はベトナムの有名なコーヒーチェーン店ハイランズコーヒーの粉。
左のはこのメーカーの売り子のお姉さんがいて、すごく推されたので購入。
家にあったベトナムのコーヒーフィルターを使って抽出。
もちろん、ベトナム風に練乳を入れます。
ベトナムは世界第2位のコーヒー産出国なのです。
旅の様子は↑
雨季のハノイ旅13 深夜便で発つ
ホテルに戻り、預けていたスーツケースを受け取ります。
イオンで購入したものを詰め込みます。
夕食に出たいので、再びスーツケースを預かってもらいます。
Googleマップで、歩いて行けて口コミが良いレストランを探しました。
「Spagetty Box」
パスタがメインのお店だったけど、それ以外のメニューも豊富。
夫はイオンでパスタを食べていたので、フライドチキンを。
私はサーモンステーキを注文。(写真撮り忘れた)
マンゴースカッシュ。
ここも美味しかったです。
英語が上手なとても感じの良い店員さんがいて、私たちのテーブルをお世話をしてくれました。
夕食を終えて、ホテルへ。
空港までの送迎バスは21時10分です。
私はコンタクトレンズを外してメガネにしたので、あまり良く見えません💧
ほぼ時間通りに来て、そのまま空港へ直行です。
結構バスには人が乗っていました。
空港に到着して、私たちを降ろしたらそれで終わりなのかと思ったら、現地係員さんがベトナム航空のカウンターまで案内してくれました。
私たちは昨日のうちにオンラインチェックインを済ませて、QRチケットを手に入れていました。
そのことを伝えたのですが、また紙のチケットを印刷してくれました。
ちなみにオンラインチェックインをする時に席は並びになっていたので、そのまま変更せずに手続きしました。
出国審査もセキュリティチェックもスムーズに終わりました。
プライオリティパスが使えるラウンジを探しますが、見当たりません。
4階の28番ゲートの近くという情報があったのですが、見つかりません。
免税店の人に聞いてようやく発見しました。
(それがどこの場所だったのか説明できない、、、)
こんな季節ハズレのクリスマス仕様の看板がありました。
ここのエスカレーターを上ります。
しかし、中に入ってみてびっくり。
夜遅いせいか、ソファーをベッドみたいにして横になっている人が多く座れない![]()
肘掛けが付いているタイプで横になれないソファーのところが少し空いていたので、そこに座るも、前にいた人の食べた残りがそのままです。
見渡すと、そんなテーブルがたくさん。
軽食があるけど、さすがにこんな遅い時間だと食べる気がしません。
11時過ぎたあたりから利用客も少なくなってきて、テーブルの上のものを片付けはじめてくれました。
でも、なんだか退屈してしまい、ラウンジを出ました。
一般の待合場所の方がガラガラでゆったりできました。
ノイバイ空港を1時35発です。
もう日付が変わっています。
普段23時に寝ている私は眠たくてしかたがありません。
飛行機乗り込み、離陸するとドリンクサービスが始まりました。
それを断ってブランケットを肩までかけて、目を閉じます。
すると機内灯が消えて暗くなりました。
そのまま少し眠りに落ちます。
1時間ぐらいで機内灯が付きました。
ね、眠すぎる!
朝食のサービスが始まりました。
さすがに食欲ないよー、と思っていたけど、美味しく食べてしまった。
時差の関係で、もう窓の外は明るい。
福岡空港7時35分着です。
20代の頃はこのまま仕事に行けるぐらい体力がありましたが、もうこの年だとボロボロです。
家に帰ってちょっと寝たかったけど、夜寝付けなかったらいやなので頑張って起きていました。
ハノイのノイバイ空港だとどうしても深夜便になってしまうので、シニア世代には憂鬱ポイントですね。
しかし、総じて今回のハノイ旅行大満足です![]()
ホーチミンより断然気に入りました。
ハノイの旅行記はいったん終わりです。
読んでくれてありがとう。
最初から読むなら↑
雨季のハノイ旅12 イオンモールに行く
ハノイ旅行4日目
今朝は好みの具材でオムレツを作ってもらいました。
今日はハノイ最終日です。
空港までの送迎付きツアーを申し込んでいたので、今日の21時10分に宿泊しているホテルに迎えがきます。
ホテルの部屋はチェックアウトしなければいけませんが、ホテルの人も心得ていて、当たり前のようにスーツケースを預かってくれました。
今日はエアコンがきいているであろう、イオンモール・ロンビエンに行くことに。
バッチャン村に行く途中で、壮大なイオンモールを見つけて気になっていたのです。
タクシーで30分くらいです。
建物の入り口ドアの上の部分。
日本語。
とてつもなく広い。
建物もそうですが、駐車場の広さも半端ない。
そして、その駐車場はバイクだらけ。
中に入るとこれまたすごい人数。
そして、まず色とりどりのフルーツが目に入ってきました。
もう食べたくて仕方がありません。
でも、これを食べる場所ないし、日本には持って帰れないし。
泣く泣く諦めます。
ドリアンもたくさん。
暑い季節は旅行に適さないかもしれませんが、フルーツに関しては最高です。
なにかイベントしていた。
とにかく賑やか、というか騒がしい。
UNIQLOが入っています。
ガラガラです。
ユニクロはベトナム製が多いので、日本より安い?と思って覗いてみましたが、日本より高めでした。
(商品によって違うかもしれません)
そして、お目当ての無印良品へ。
基本、日本と同じ商品なのですが、ベトナムオリジナル商品のコーナーがあります。
数種類のベトナム柄(?)のトートバッグがあり78,000ドン(500円ぐらい)と安くて、家族4人分購入しました。
1番上の棚の蓮の種のお菓子は68,000ドン(400円)。
その下の棚のミックスナッツは117,000ドン(689円)。
これらもお土産にしました。
あとは、イオンの食品コーナーに行ってさらに買い込みます。
イオンのプライベートブランドの商品がたくさん。
お土産にするのは、様々なことを鑑みて日本企業の方が安心感があると思うので、ここで買い込みます。
私はお土産はどんなものでも嬉しく頂くのですが、経験上海外の食べ物は苦手という人が多い。
特にアジアの食べ物は何故か偏見を持ってる人が多くて、、、。
かと言って、関係性によって後に残る物っていうのも渡しにくいし、、、。
そんな訳で、アジアでは出来るだけ日系企業で買うようにしています。
目的の買い物がひととおり済んだところで、ランチをとることに。
レストラン街も広くて、韓国、中華、タイなどアジア各国のお店があります。丸亀製麺もありました。
どれも美味しそうでしたが、ベトナムの洋食屋さんみたいなレストランに入りました。
スイカジュースとパッションフルーツジュース。
果汁100%。
夫はパスタを注文。
私はグリルチキンを。
パリッと焼いたチキンも美味しかったけど、添えられたソースがさらに美味しい。
イオンモールに入っているお店でさえ、このハイクオリティ。
食事の後はもう特にすることがなくて、どこか座るところを探して、映画館とボーリングが入ってる上の階に行きます。
トリックアートを楽しんだり、マッサージチェアを体験したりと時間を潰します。
夕方は道路が混むらしいので、時間に余裕をもってホテルに戻ることにしました。
イオンモールに到着した時にタクシーから降りた場所で、配車を要求しました。
ここなら分かりやすいのかな、と思い。
ところが、到着のお知らせ通知が届いても、その車を探し出せません。
まさか、ここでもピンポイントで場所が特定できていない?と焦っていたら、タクシーの運転手さんから電話がかかりました。
やはり、ベトナム語です。
ちょうどその時、子ども連れの若い家族が通りかかったので、またもや事情を言って電話に出てもらいました。
驚かれたものの、場所の説明をしてくれて、きちんとタクシーが私たちの場所に到着するまで電話で案内をしてくれました。
本当にありがとうございます😭
つづく。
最初から読むなら↑








































































































