カシンです。これは、アタシ(50代)の今週のブログ活動のあとがきです。2024-01-13 = uxam 版。いつもお付き合いくださり、ありがとうございます。

気持ちのままに「いいね!」を押してます。もし「いいね」したこの人なにもの? と見に来てこの記事が目に留まった方がいらっしゃいましたら。「共感する」「そういう考えもあるかも」「書いてくださってありがとうございます」という「いいね!」と受け取ってもらえれば幸いです。

{あとがき}{自分}
今週は、日曜日

月曜日 

が先週のあとがきの続きでした。

そもそも 12/31 

に他人のブログについての微妙な記事を書いたのと、1/1 の能登半島地震で、あとがきを書くのが難しかったからです。今もまだ引きずってます。

日結さん、年が明けてからは、ブログ記事を削除して更新が途絶えました?? アメブロでは集客だけで、他所でやってるんでしょうか。もしかしたら、そもそも集客だけで、お金を振り込ませた後には活動実態はないのかもしれません。アタシ自身は、アメブロの外まで様子を見に行くことはしません。

假屋さんは、(新サービスを売る以外) マノアの残り 500 万円の見通しはないと書かれてました
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人に読まれる何かを書いてる以上、能登半島地震の被災者に連帯を示すのが「当然」ということもわかります。ほとんどの人がそうしてるのを、批判するつもりは毛頭ないし、むしろ内心では賛同してます。

ただ、やっぱりアタシ自身が仮にそれをやっても、「流れに乗ってる」だけで、本心かと言われると、たぶん違う。

ちょっと話が変わりますが、ウクライナやイスラエルの戦争についても、このブログには書いてません。

ただし、ウクライナに関しては、アタシ自身が自分ごととして思ったこと (モノとしての戦車が「好き」な気持ちと、実際にそれが使われると思うときの辛い気持ち) については少し書きました


実際の人の生き死にがかかった話ですけど、でもアタシ自身について言えば、それは「戦争のない世界を創る」物語と、メカ戦を「かっこいい」と感じる、ガンダムのアニメを見てるときの矛盾する気持ちとそう変わらないものでもあります。この、他人ごとだと現実も作り話も同様に感じられるところがあることでも複雑な気持ちになります。

そういう想いもあくまで一過性のもので、「自分ごと」でなくなると忘れてしまうものです。

ロヒンギャ難民はその後どうなった?? とか、この記事を書くために、「忘れてたことの例」を出そうと思い出してみるまで、今の今までまったく忘れていたわけです。

多かれ少なかれ、誰でもそういうところがある。皮肉や批判ではなくて。それを「自然に」してるかどうかがアタシの気になる所です。

能登半島地震でも、被災者に直接の知り合いがいたりしたら、自分ごととして書いていたかもしれません。

ブログを書き始めた当初は、アタシ自身は「自称発達障害」 

というのを前面に出して書いていました。

上に書いたような、「他人について考えを巡らす」ということは、自分で意識的にするようになるまで、アタシはしていなかった自覚があります。30 年前の自分なら、みんな被災者に見舞いを書いてる、ということに「気がつかなかった」、形式的に気がついても、特に意味は感じずスルーしてたんじゃないかと思います。

今でもまだ自分は「自然に」気づかいができるほど「健常者」にはなりきれてない。でも、まったく気づかないふりもできない、と言い訳したい気持ちです。

この 2 週間くらい持ち越してた気持ちを、ようやく言葉にできたように思います。
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お読みいただきありがとうございました。