当たり前と言えば当たり前なんですけれど
ベイビーを見ていてよく思う。
文字を読むということの負荷について。
ベイビー、かなり早いらしくひらがながほとんど読めるようになり
絵本を自分で指差ししながら自分で読んでみたりする。
その様子を見ていると
読み書きによる学習というものが、「スラスラ読める」を前提にしていることを感じ
「スラスラ読めない」ということがどのようなことなのか考えさせられる。
ベイビーはまだ
指差ししながらじゃないと自分がどこを読んでいるのか見失ったりするし
一文字ずつ「お・じ・い・さ・ん・は…」という感じで読んでいる。
各単語はわかっているけれど、文字で読んでいるときに単語の句切れがどこになるのか意識されているかはよくわからない。
たぶん、一文字一文字の音を追うことに負荷がかかっていて、単語の句切れはなんとなくわかっているけれど、意識はいってないし、文の意味をとらえるレベルにはいない。
読んでもらう分には意味をとれるけど、自分で読むと意味が頭に入っているかどうかはあやしい。
これは文字を覚えたての3歳児についての話だけれど、小中学生ではどうだろう。
小中学生に音読させると、驚くほどにたどたどしくしか読めない子はかなり多い。
英語はどうだろう。
アルファベットがスラスラ出てこなかったり、単語をしっかり覚えられていないとどうか。
文字を認識したり、音を認識したり、単語の意味を認識するのに、脳にものすごい負荷がかかってあるはず。
これってベイビーと同じでは??
その状態の子が、意味を把握するのは…無理がある。
わかりきってはいたことだけど、ベイビーを見てると、「どういうことなのか」がすごくはっきりと見えてくる瞬間がある。
それと同時に、自分がいかに、今まで勉強というものがわかっているつもりであったかも。
近年、なかなかに信じられないほどに学力の底が抜けている子が増えています。
そういう子たちの状態はいったいどういう状態なのか。
そして、なにゆえそうなってしまっているのか。
多くの教育に携わっている人が幼児教育にいくのはわかる気がしてきた。

