やっとこさ休み・・・・生誕150年 鎌田三之助の宮城県大崎市鹿島台(旧鹿島台町)へ

 生誕150年イベントで休館??だった鎌田三之助展示室へも無理やり事務所に空けてもらい200円で見学をしてきた。

 やはり洋服はボロボロで・・・・ハバナ帽子もボロボロのものだった。 苦労に苦労を重ねてきたと思うとボロがやたら高貴に見えて涙が出る思いだった。

 三之助展示室を後にして鹿島台小学校へ銅像と小川閘門2枚を使った校門が昭和5年のものを見てきた。

 1930年だから約80年前の校門がボロボロになっている部分があるものの,まだ現役で使われているのにはびっくりである。

 鹿島台小学校を後にする。  今度は明治潜穴を見学。 雑草が生い茂る中,水は松島町高木方面へ流れていくのを見て・・・・・また感動する。

 潜穴(くぐりあな)の延長は1309m×3条のレンガ造りである。  明治の遺産としてはまだまだ古くはないような気もしたが・・・・・現代の工事とは違う雰囲気だった。

 最後に鎌田三之助の漢詩
     魚鼈蛟龍何処辺(ぎょべつこうりゅういずこのへん)
     蒼波萬傾尽稲田(そうはばんけいことごとくいなだとなる)
     若教世道如人意(もしおしえせいどうじんいのごとくんば)
     豈費経綸三百年(あにけいりんさんびゃくねんをついやさん)

 魚やスッポンや伝説の蛟龍(みずち)は品井沼のどこに見られるだろうか
 今や見渡す限り青い波打つ稲田となる
 もし世の中の事柄が人の意のままになるのならば
 どうして三百年の苦心を費やすことがあろうか




 

 
覚悟は人を変える。

 仙台藩士の流れを汲む家で、小作米が900石も入るという大地主の家柄でありながら,「真の人間」を目指そうとする鎌田三之助の人間像を学ぶ。

 
 参議院議員であった自分を 維勤維倹を哲学とし、髪を「いがぐり」にして,カイゼル髭を落とし,夏も冬も同じツギハギだらけの粗末な衣服、腰ににぎり飯を下げ、わらじ脚の人間に変われるのだろうか。

 鎌田三之助は「仮令(たとい)、文明と呼び開化と叫ぶも、信仰にして欠くるところあらんか、そは皮層の文明のみ、皮層の開化のみ、健全なる文明にあらず、健全なる開化にあらず、見るべし、現今犯罪の多くは学者又は仮粧政治家あるを」と言っている。

 今の政治家や学者も形式ばったことを言い,ペテン師や詐欺まがいのことをしていることは変わっていない。

 三之助は「本物」「真」を追求していた・・・・・そのためには「結局、本村の急務は、村民の頭脳を感化するにあり。即ち村長自身の行動を以て村の範となし、彼の化石谷に入るものは、其の動物たると、植物たるを問わず、悉く之を化石し去るが如く、村長に接するものの悉くは、斯く感化せしめんことを欲し、日夕行動を愆あやまらざらんことを期す。就任先ず諸神を合祀し、大事は村民一統と共々神前に誓い、如めて之を決行するもの、また信仰上に於ける範を示さんとするに外ならず。」

 つまるところ「村長である自分が模範とならなければ村民はついてこない。」と悟ったのだけれど,常人はこれをできないと思う。  覚悟があったとしても長続きしないのが人間の弱さである。

 三之助は終生変わらないスタイルを貫いた。

 何が彼をそうさせたのかは家訓や躾などだと思う。  鎌田家は三代に亘って干拓に東奔西走することとなる。

 三之助の祖父は天保の飢饉を経験して「當(とう)地方は洪水の害を除けば旱害(かんがい)の虞(おそれ)は更になく、豊年の作物を貯蔵する義倉を各郡村毎に設置して、備荒の儲蓄をさえ充分にあれば、飢饉の愁いを除くこと易々たるものであると思い立ち、排水事業の竣功こそ急中の念であると堅く決意した」と家訓が示され,遺訓が父に引き継がれた。

  三之助の父は幕末から明治に変わり行く中,国や財閥に干拓を働きかけ続けて,ついには病死する。
 「品井沼排水事業は祖父様、死を以て決行を誓い、神仏に祈願をこめて成功せずんば一命を召されと堅い決心で企(くわだて)たので、これが出来なければ御互が此の地は勿論(もちろん)此の世に居ることも出来ない。步士は二君に仕えずと、御祖父様も戒めてござるから自決するより外に途(みち)はないのである。命の続く限り、財産のある限り、尽力しなければならない。決して他より旅費を貰うの、日当を払うのと言う事に耳を傾けてはならぬ。裸一貫まで橋の下に住むようになっても他力を乞うてはならぬ。」の訓戒があった。

 三之助が村長になって38年間も無報酬で旅費日当は学校へ寄附していたのも この教えからである。

 家訓に背くことなかれ・・・・・・鎌田三之助は祖父と父の教えを守り続けた。 今の時代から見れば,精神の糧はあるだろうが,生活の糧も落として干拓だけに捧げる人生を本望とする生き方に感動するばかりである。

 「わらじ村長」こと鎌田三之助は宮城県大崎市鹿島台にあった『鹿島台村』の村長であった。 明治11年 政治家を志し上京し、漢学塾や明治法律学校で学ぶ。郷里に戻り農業に従事しながら木間塚に青年教育の場として大成館を設立し夜学で教える。

 維新の時代は『金よりも名を惜しむ美学』であると思う。 おじいさんと父のあとを継ぎ,私財を投げ打って郷里を発展させることが夢だったのである。  

 わらじを履いて広島で公演した三之助翁・・・・・貴賓な方と会うのもこの姿で通した気骨は尊敬の極みなり

復興シンボル客寄せパンダと水族館を画策中-▲広島講演のときの鎌田三之助


 村長となった三之助は給料をもらわず三十八年間無給で村のためにつくし、講演の謝礼が出れば小学校に寄付(きふ)して教材費に使ってもらいました。 三之助は村人と膝(ひざ)を突きあわせて話をするために村内行脚(あんぎゃ)を始めました。毎日毎日、行脚する村長の姿に、村人たちは 「日の照らない日はあっても、村長さんの見えない日はない」というほどでした。
 三之助は、役場の小さな土間(どま)を村長室にして、土間から板の間に上がる段に村長の席をつくりました。破れた帽子をかぶり、古びた上着とつぎはぎのズボン、脚半(きゃはん)(旅などで歩きやすくするためにすねにまとう布)にわらじばきの三之助を見て、いつしか、村の人たちは親しみを込めて「わらじ村長」と呼ぶようになりました。

 純粋な気品とはこうゆうことなのか。  今は守銭奴に見える政治家ばかりである。 わらじ村長のつめの垢を飲ませたいくらいだ。

 日本人の伝統は我が身を犠牲にしても郷里や国を想い,発展させていく真のリーダーの存在にある。 そして,それらの伝統を重んじ,後進を育てていく文化が美しいと思う。

 うんざりな・・・・仙台市長はパンダを身上にする。 役人上がりでいつもお花畑が頭の中を駆け巡っているのだろうか。 わらじでも履いて復興すべき仙台市沿岸部を周って欲しいが・・・・こんな人を市長にしたのも我々なのだ。 
 どうしようもない共産党以外の対立候補が出現を待つしかない。 仙台市長が岡崎トミ子元議員のようになるのは4年後だ。 復興そっちのけパンダとハコモノ・・・・地下鉄東西線の商業PRがその任期中の仕事らしい。

 自らボロをまとい,わらじを履き村民と真摯に向き合い,質素倹約を説いた鎌田三之助翁は,復興へ向かう宮城のシンボルである。

 
 米軍事予算は冷戦終結後、米軍需産業は生き残りをかけてすさまじいM&A(企業吸収・合併)を繰り返し、ほんの数年でロッキード・マー チン、ボーイング、レイセオン三社を中心とする少数企業による高度の寡占状態が形成された。

 供給する側が寡占となれば消費なき軍需産業は衰退していくこととなる。

 その衰退を免れるためには消費する戦争を起こす必要がある。

 尖閣問題はアメリカにとっては対中国を制裁する絶好の機会である。 自国の製品はメイドインチャイナに侵され工業不振などアメリカ不況の原因は中国である。

 アメリカは・・・・・日本はお金を出して,型落ちの武器・航空機をアメリカから買い入れ,相応の負担をしてもらえる植民地と思っているのだろう。

 仮に日本が尖閣を放棄することがあれば怒るのはアメリカである。 また,大東亜戦争の勝いくさで,日本の航空技術の進歩を遅らせてきたのもアメリカである。

 米と絹しか産業を持たなかった明治維新から60年で一時的ではあるがアメリカをしのぐ航空技術を持った日本を恐れたのであろうが,日本には中国からの脅威を守る代わりに経済援助を求める。  武器は型落ちを供給して,新兵器は自国が使う姿勢は変わらないのである。

 それでも日本は愚直にアメリカに応える。 敗戦国が生き延びるためには仕方のない選択なのかもしれない。

 世界の警察??と呼ばれるアメリカは戦争がなければ生き残れない国なのだ。

 国益のためにアメリカは日本を守るフリと高額な武器負担を強いることでアメリカ経済の復活を狙う計算高いお国なのである。

 今の日本の富国強兵は・・・・国民の願いだと思う。  自分の国を自分たちが守れないことのジレンマというものがある。

 勤勉で愚直を美とする日本の将来は,アメリカからの真の独立であるが・・・・維新以来の先達の想いを後進に伝え,国難を乗り越えていく時期でもある。

 中国は日本への仕返しを尖閣からと考えている。 アメリカは尖閣の緊張こそ自国の利益だとする思惑。 それに乗っていく日本は衰退するだろう。

 軍需産業は日本の得意分野だと考えるが・・・・・衛星技術や航空兵力はアメリカに及ばない。

 ロケット技術は北朝鮮が進んでいるし,日本の技術は平和利用しかなかった今,アメリカに頼っていきつつ国の威信をかけて防御技術を高めるしかない時代である。

 中国と日本の冷戦時代の幕開けで,アメリカは漁夫の利を得る。
 仙台市長選挙の告示があり,我が自民党も奥山氏支持・・・・・・対立候補がアンポン共産党では仕方のないことだ。

 自民から有力候補が出れば・・・・・・奥山氏も岡崎トミ子元議員のようになると思います。

 パンダか共産党か・・・・となれば誰もがパンダでしょう。

 共産党は『確かな野党』とほざいておりますが・・・・『確かにずっと野党』と思ってしまいます。

 それにしても・・・・・・復興のために自民出身の首長となるのを期待していただけに残念。

 再選されても復興よりも・・・・パンダパンタ゛・・・・地下鉄東西線・・・・・ハコモノハコモノ・・・・・頭の中はお花畑で・・・・・痴呆新聞の有力者がバックだから大丈夫。

 仙台市長になろうとするには痴呆新聞社を味方にするしかない。
 南大東島接続海域の国籍不明の潜水艦といっても・・・・・某チャイナだろう。 

 台湾支援とアメリカにも協力を得なければならない。  昔の海軍ならばと思うこともあるが・・・・自衛隊の活躍で制海権を死守すべきである。

 憲法改正は間近である。  誰もが自衛隊を軍隊と言うだろう。  日本は先人たちの努力でここまでやってきたのである。

 国に命を差し出すことを厭わなかった先人の苦労に報いるのためにも自分の国は自分たちで守るべきだ。

 国は国家は・・・・・我々の心にある。  富国強兵というのは外交に不可欠なのだ。

 多民族国家の某チャイナに日本が負けるわけにはいかない。  我々は国は誇れる国で侵略したい某チャイナに負けない軍備を整えるための産業も発展させていくべきだ。  空母も飛行機も作れる技術があるのだ!!  制海権は制空権なしでは守れない。

 空母からステルスの無人航空機も発艦訓練に入った米軍とも協力し,国籍不明の某チャイナ潜水艦にいつでも反撃できるよう訓練をしてほしい。

 日本の軍需産業はこれから国家総動員でやっていくべき課題だ。 戦艦ヤマトも欲しいところだが・・・・ステルス無人飛行機の開発実用化が急務である。

 台南市官田区になる烏山頭(うさんとう)ダムで、同ダムの建設に尽力した日本人水利技術者の八田与一(八田與一)氏の没後71年に当たる8日、八田氏の慰霊祭が営まれた。

 呉副総統が儀式を主宰した。台湾側では台南市の頼清徳市長、高等法院(最高裁)台南分院の鄭玉山院長、政府農業委員会の陳文徳主任委員、台南市議会の頼美 恵議長、前国策顧問の黄崑虎氏、嘉南農田水利会の楊明風会長らが参列。日本側からは八田与一氏の孫の八田修一氏ら200人が参列した。
  八田修一氏は、設計寿命が50年だった烏山頭ダムが、建設後80年が経過した現在も、世代を超えて機能していることに触れ、「日本人と台湾人は、次の世代の人々の幸福のために力を合わせてほしい」と述べたという。

  八田氏の像は1931年に烏山頭ダムのほとりに設置された。像は本人の意向もあり、威厳を強調しない簡素なものになった。日本統治下における金属類回収 令や、戦後の蒋介石政権下で日本統治時代の顕彰碑の破壊が命じられた際には、地元の人が八田氏の像を隠し、1981年に改めて設置された。そうだ。

 台湾のために尽くした先人を敬い尊敬する。

 だが,忘れてはならない。 台湾人が親日なのは『日本人の清らかさ』であり,日本の植民地となることは嫌がっている。  対等な立場で理解しあえるというのが大東亜構想である。 台湾人に見返りを求めない清らかな協力関係でいることを日本人が理解しなければならないことだと思う。

台湾人が親日を続けていることを感謝し,支援すべきと考える。

 自衛隊が台湾を守れないかな。そんなことを思う。  武力で台湾人を屈服させようとする中国を追い払うために国際社会と協力して親日台湾人を保護していくのは重要なことと思う。

 日本政府は9日、沖縄県・尖閣諸島周辺の排他的経済水域(EEZ)に属する一部海域に関し、台湾漁船による操業を認める方向で調整に入った。

台湾の船を日本政府が守ることは画期的なことだ。 

 台湾は東日本大震災で多額な寄付で過去の恩返しをしてくれたことに日本人は感謝しなければならない。 日本政府が中国に気兼ねせずに台湾人を支援できる時代になった。

 日本社会においても・・・・・・台湾人との良好かつ独立を支援すべき良好事例だ。 自民党政権になってよかったとつくづく思う。   民主党は早く中国へ亡命すべし!!


 
 民主党は、30歳以下を対象に「公開大反省会」と題した集会を開きました。菅元総理大臣は、小沢一郎元幹事長のせいだ。(自分は一切悪くない。)また、枝野元官房長官は、2010年の中国漁船衝突事件の映像公開の経緯について別に隠蔽(いんぺい)しようと、誰かがしていたわけじゃなくて(自分は一切悪くない。) 長妻元厚労大臣は、「自民党は官僚を熟知している秘書や党職員が多い」(自分は一切悪くない。) 

大反省会というよりも・・・・自分は一切悪くない。というわけわからんことに終始しました。 

東日本大震災でも菅元総理大臣と枝野元官房長官を名指しで・・・・国民が嘘つきと言うことを・・・・・・民主党政権は理解すらできてないことが良くわかりました。(責任転嫁で反省しない大反省会)

 わけわからん大反省会で国民みな総スカン・・・・民主党は中国へ亡命政権となってくだされ。 
戦国武将の中で一番好きな武将であった。  黒田官兵衛が大河ドラマになった。

 良い良いと自分に言いつつ・・・・・官兵衛の「我人に媚びず富貴を望まず」の生き方をしたいと思ったこともあった。  尊敬できる考え方だと思う。

 日本もアメリカに媚びず富貴も望まない国であったならと思う。 
  富貴を望まず・・・・・苦しい人たちを助け合う
清やかな国であってもらいたい。

  傑出した武将の中でも・・・・・若さがあるときは・・・・・したたかで晩年は欲を捨てるのが日本民族の特徴だと思う。