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清多夢クラブ

ランして、歩いて、観て思うことを・・。

 クルーズ船「ノルウェージャン・スピリット」の船内を少しアップします。右舷7階バルコニー付の客室に泊まる。ロビー・受付、シアターへ行くのに、階段・エレベータを使用せずに行ける、各港での出入港の際、12階および13階デッキに行くのには不便。喫煙できる場所は、ビアガーデン(13階デッキ)のみ。小生は喫煙しないが・・。

 カジュアルな服装で一日気軽に過ごせるのが嬉しいノルウェージャン・クルーズライン(NCL)。NCLは、米国マイアミに本社を置く。クルーズ船は、7.5万トン級から16.5万トンを17隻の保有している。小生らは、これらの中で最も小さい、スピリット号75,900トン×長さ268m×定員/乗組員=1972人/904人に乗船。この規模なら乗船下船時に、長い渋滞にならない。

 クルーズ旅の大きな楽しみは、飲食にある。無料レストランは、メイン2カ所 (ウィンドーズとテイスト)、サブが2カ所ほど。有料レストランは、6カ所ほどある。夜公演のシアターの内容により、12階ビュッフェを利用する。コーヒーと紅茶は、船内箇所で自由に飲める。スターバックスも見かけた。
 

写真1 船尾展望カフェで夕景を。

 

写真2 デッキ12階の周回レーン。

 

写真3 中央の吹き抜けアトリウムカフェ。

 

写真4 メインプールの昼と夜。

 

写真5 船尾のプールサイドの昼と夜。

 

写真6 船首の展望ラウンジとショーを観覧するシアター。

 

写真7 6階の船尾メインレストラン・ウィンドーズで朝食。

 蔵前橋の上流に、緑色の「厩橋(うまやばし)」が隅田川に架かっている。江戸時代、隅田川右岸に幕府の米蔵があり、その荷駄馬を管理する馬屋があったのが橋名の由来。現在の橋の街路灯は、陣笠風で馬番人が被っていたものかな。江戸時代、御厩河岸の渡しがあり、榧寺の高灯篭がその目印だったようだ(葛飾北斎)。

 厩橋は、関東大震災復興事業として昭和4年に完成した。橋長154m、鋼製三連タイドアーチ式橋で、都道本郷亀戸線を通す。今年は午年。橋の高欄や照明支柱などに馬のレリーフがある。また親柱は、馬をモチーフしたステンドグラス細工が施されている。日が暮れると、通行人の目を楽しませてくれる。

 グリーン色に塗装されている厩橋。草原を懸ける馬を想像させる。現在、2スパン分が仮囲いに覆われ塗装工事が進む。橋の色は、昔の色彩検討会で決まったという。蔵前橋から上流の白髭橋まで、黄・緑・青・赤・白となったようだ。台東区側にアートなトイレがある。男女4名の横顔した「厩橋際公衆トイレ」。台東区まちかど賞を受賞しているという。
 

写真1 緑色アーチ・厩橋。

 

写真2 塗装工事用仮囲いと駒形橋を望む。

 

写真3 街路灯や支柱に馬のレリーフ。

 

写真4 親橋に埋め込まれた馬のステンドグラス装飾。

 

写真5 ユニークな厩橋際公衆トイレ。

 

写真6 高欄の透かし彫り馬と御厩河岸乗合絵(葛飾北斎)。

 富士山の上空に、黒い帯状の雲が棚引いていた。帯雲と山頂のわずかな隙間から夕日が降りてくる光景を見ることができた。帯雲を突き抜ける、数条の光芒があった。

 夕日が沈んで暫くすると、黒帯雲の上方に紅帯雲が出現した。より上空の雲が夕日に照らされて茜雲になったもの。夕空に二重の帯が棚引く。東京スカイツリーの先端の灯が白く輝いていた。江戸川の水面に樹の枝が浮いているように映っていた。

 早や、第51回衆議院選挙も終盤になった。1285人が手を挙げるなか、約1/3の立候補者が当選する。小生の住む選挙区(有権者数約29万人)では、自民前に国民と「減ゆ」の3名が挑む構図。「黒帯」自民がほぼ確実視されている。開票して見なければ分らないが・・。
 

写真1 富士山上空の黒い帯雲。

 

写真2 江戸川土手と夕富士。

 

写真3 富士山頂の夕陽と光芒。

 

写真4 棚引く黒い帯雲。

 

写真5 紅色の帯雲とスカイツリー頂部の光。

 

写真6 江戸川の夕水面。

 佐世保を19時30分に出港して、韓国済州島へ向かう予定。12階デッキで食事しながら港の夕景と夜景を観る。佐世保港国際ターミナルのある三浦岸壁は、海上自衛隊が使用する倉島岸壁に隣接している。13デッキから輸送艦「くにさき」(8900トン)が間地で見られた。この艦船は、スマトラ沖地震際に派遣されている。

 海上自衛隊の五大要衝港(横須賀、呉、舞鶴。大湊)の一つ、佐世保港。しかし、主要な港の岸壁は、米海軍が使用している現状は変わらず。海上自衛隊・保安庁、そして佐世保重工など棲み分けている。港の主要岸壁に、米海軍強襲揚陸艦「トリポリ」(45,000トン)が接岸していた。

 佐世保港の中核を成すのは「立神係船池」であろうか。もとは旧海軍「工廠修理船繋留場」で、二つの岬と二つの島を利用して、総延長1.7kmに及ぶ岸壁を明治39年から11年かけて築造した。旧海軍最大の土木工事だった。現在9つある岸壁のうち、日本が利用できるのは3つ(500m)ほど。基地が返還され、長崎県が港を再開発できればと願う・・。
 

写真1 佐世保「軍港」の夜景。

 

写真2 海上自衛隊輸送艦「くにさき」。

 

写真3 米海軍基地と海自艦船。

 

写真4 湾西側の赤崎岳と佐世保港夜景。

 

写真5 見送り太鼓隊と輸送艦「くにさき」に別れ・・。

 

写真6 立神係留池方面の夜景。

 隅田川右岸に東京都下水道局の建物がある。両国国技館ができる前まで、東京での大相撲本場所が開催されていた(蔵前国技館)。そのすぐ傍に蔵前橋が架かっている。西岸は台東区蔵前、東岸が墨田区横網町。蔵前橋を渡って、横網町公園方面に向かう。蔵前橋の高欄には、力士と屋形船の透かし彫レリーフが設置。

 蔵前橋は、関東大震災の復興事業(昭和12年完成)として架けられた。長さ173mの上路式コンクリートアーチ橋。 黄色い橋として知られ、穂の籾殻をイメージしている。関東大震災前には、橋は無く、御蔵の渡し(富士見の渡し)があったという。歌川広重の「不二三十六景 東都両ごく」に渡場の屋形船が描かれている。

 横網町公園では、1923年9月関東大震災の際に、避難した住民3.8万人が、火災旋風で犠牲になった。その場所に、現在「東京都慰霊堂」が建っている。また昭和20年3月の東京大空襲などによる殉難者の遺骨を併せて約16万体が安置されているという。毎年9月1日と3月10日には、慰霊大法要が行われる。
 

写真1 隅田川テラスと蔵前橋。

 

写真2 上路式アーチコンクリートの蔵前橋。

 

写真3 蔵前橋高欄のレリーフを見ながら歩く。

 

写真4 御蔵の渡しと現在の両国橋。

 

写真5 横網町公園に建つ東京都慰霊堂。

 

写真6 慰霊堂ホールと平和記念碑。