清多夢クラブ

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ランして、歩いて、観て思うことを・・。

 都内に出る用事があり途中、花見後半の上野公園に寄る。相変わらず外国観光客が多い、但し中国人は少ない。清水観音堂の枝垂れ「秋色桜(しゅうしきざくら)」を観た後、舞台から「月の松」と下方に広がる桜を眺める。

 江戸初期、天海僧正が江戸城の鬼門方向に東叡山寛永寺を開基した。その際、京都の清水寺を模倣して舞台の上に観音堂を建てた。現在の位置へは、元禄7年(1694年)に移築された。本尊の秘仏は、千手観音菩薩坐像。御開帳は、年一回、2月の「初午(はつうま)」の法楽の日。

 「上野の山」は、江戸一番の桜の名所だった。咲く時期を異なる桜を工夫して山内に植えた。桜の時期だけ入口の黒門が開かれて、庶民の入山が許されたという。歌川広重は、名所江戸百景「上野山内月のまつ」を描いている。明治初期の台風で被害を受けて永らく失われていたが、2012年に復元された。
 

写真1 上野清水観音堂。

 

写真2 秋色桜と清水観音堂舞台(デッキ)の桜。

 

写真3 月の松と浮世絵(歌川広重)。

 

写真4 清水の坂と満開の桜。

 

写真5 上野公園桜通りの人出。

 

写真6 参道街道と花見とゴミ箱。

 横浜みなとみらい地区の海側には、大型複合施設等が建ち並び「パシフィコ横浜」と呼んでいる。ヨットの帆をイメージした大型ホテルを抜けると、海に浮かぶ「ぷかり桟橋」に到る。潮風を感じて、横浜港をも渡すことができる。

 緑屋根の洋館風の佇まいのぷかり桟橋。1991年に完成した浮体式の艀(はしけ)。2本の桟橋(バース)と客船ターミナルからなる。ハンマーヘッド新みなとふ頭桟橋が完成するまで、横浜港周遊船など定期航路があった。現在、観光クルーザー、屋形船など発着している。1階は待合室、2階が海上レストランとなっている。

 パシフィコ横浜のメイン施設は、「国立大ホール」。東日本唯一の「国立」会議場で、正式名称「国立横浜国際会議場」。コンサートや各種イベントを開催。外観は「二枚貝」、ホール内が「巻貝」を意識むして設計されている。この他に国際会議場や会議センターの建物が並んでいる。近未来の「ヨコハマ」とされる。
 

写真1 横浜港の「ぷかり桟橋」。

 

写真2 洋館風の客船ターミナル。

 

写真3 ぷかり桟橋のオープンデッキと待合室。

 

写真4 パシフィコ横浜の景観。

 

写真5 国立大ホール。

 

写真6 女神橋方面とヨットの帆型ホテル。

 三渓園の敷地は、東京ドーム4個分にもなる。京都・鎌倉などから集められた歴史的建造物17棟が園内にたくみ配置されている。そのうち臨春閣(りんしゅんかく)や旧燈明寺三重塔など10棟が国の重要文化財。庭園は、梅や桜、躑躅、紅葉などの名所と知られ、2007年国の名勝に指定されている。

 内苑は、原家が私邸として使用していたエリア。かつては「桃山御殿」と称された臨春閣を中心に、古建築物と庭園が一体となった空間。渓流が流れ込む庭園池を見渡す「亭榭(ていしゃ)」で休み、豊臣秀吉によって建築された「旧天瑞寺寿覆堂」などを観て回る。

 京都木津川に逢った燈明寺は日蓮宗の寺院。建武年間の兵乱で廃絶の憂き目をみる。室町時代に再建されるも衰退する。そんなか原三渓氏が保有して横浜に移築する。三重塔を大正3年、本堂を昭和62年に移築。三重塔は、関東地方における木造の塔では最古とされる。
 

写真1 三渓園の内苑。

 

写真2 臨春閣とその庭園。

 

写真3 聴秋閣と旧天瑞寺寿覆堂。

 

写真4 松風閣(展望台)。

 

写真5 旧燈明寺三重塔と桜景色。

 

写真6 横笛庵と旧燈明寺本堂。

 隅田川において上流から23番目に架かる中央大橋。橋長211m×幅員25mの凛々しい斜長橋だ。橋中央部に聳える主塔が日本古来の兜をイメージさせる。昔、この辺りには三角州があり、「兜島」と呼ばれていたという。

中央大橋は、平成6年(1994年)に竣工した比較的新しい道路橋。フランスのデザイン会社が設計している。主塔基礎の上流部に、フランス彫刻家のザッキン氏による「メッセンジャー」像が立っている。「波をたてども、船は沈まず」という船の守護神だという。

 隅田川の佃島に所在した石川島播磨の東京工場の跡地にスーパー堤防を築き、超高層住宅街「大川端リバーシティ21」を整備する。1986年に工事を着手して1989年頃から入居を開始した。超高層7棟と高層5棟からなる住宅街が出現した。その中で最も高いのは、センチュリーパークタワー(180m)。ビル頭部のピラミッド型のルーバーが特徴的だ。
 

写真1 隅田川に架かる中央大橋(1994年開通)。

 

写真2 中央大橋主塔と東京スカイツリー。

 

写真3 中央大橋を上流から見る。

 

写真4 和風兜をイメージさせる主塔頭部。

 

写真5 「メッセンジャー」像。

 

写真6 大川端リバーシティ21

 

写真7 北斎の富嶽三十六景「武揚佃島」。

 横浜本牧にある三渓園に、約30年ぶりに桜の時期に訪れた。昔も川崎市内の社宅で数年間を過ごした。紅葉時期頃に、家族全員で弁当を食べた記憶がある。ハイカライメージする横浜でありながら、古都を思わせる景観がある。

三渓園は、明治末期から大正時代にかけて、製紙・生糸貿易で財をなした横浜の実業家・原三渓が作った。広さ175,000m2の広大な日本庭園。明治39年(1906年)に一般公開された外苑と内苑の二つの庭園がある。四季折々の自然と歴史的建造物とが調和している。

 正門から園に入ると、目の前に大池が広がっている。大池の周囲には、サクラが植えられているので、池沿いを歩きながら花見をする。3つの池がある。大池と蓮池そして睡蓮池。三重塔の岡下に茶屋があり、休息・水分補給して散策を続ける。三渓園については、2回に分けて投稿します。
 

写真1 三渓園 桜と大池。

 

写真2 旧燈明寺三重塔と桜。

 

写真3 涵花亭と睡蓮池

 

写真4 大池南のサクラ。

 

写真5 歓心橋の櫻。

 

写真6 大池東畔の桜。

 

写真7 三渓園のマップ。