はいどうもぉ。
さて、今回は恒例のプーさんシリーズ語りです。
プーシリーズの大ファンなおときち。
どうしてもプー作品の語りはマニアックな内容になってしまう事をご容赦くださいw
これまでの記事でも語ってきましたが、ディズニーのプーさん作品は大きく分けて3つのカテゴリーに分類することができます。
①ディズニーアニメーションスタジオ、そしてディズニーピクチャーズ制作による「ディズニー本家シリーズ」
②ディズニー・トゥーン・スタジオ制作による劇場作品を中心とした「トゥーンシリーズ」
③ディズニー・テレビジョン・アニメーションが制作したテレビ向けの「カートゥーンシリーズ」
今回語るのは②の「トゥーンシリーズ」から、今はなきディズニートゥーンスタジオ制作のプームービー三部作の最終作となったこちらの作品について語ります。
(※当ブログは基本ネタバレありです。ご了承下さい。)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

くまのプーさんザ・ムービー はじめましてランピー!
(原題:Pooh's Heffalump Movie)
2005年
監督
フランク・ニッセン
データ
ディズニーによるくまのプーさんシリーズ4本目の劇場公開用長編アニメーション映画。
前々回「ティガー・ムービー」の大ヒットを受けて今はなきディズニートゥーンスタジオが本格的に参入し、制作を行った劇場用プーシリーズの最終作。
トゥーンスタジオの日本の支部スタジオが中心となり制作され、多数の日本人スタッフが携わった作品。と同時に同スタジオの最後の作品となった事でも有名です。
A.A.ミルンによるイギリスの児童小説を原作としていますが、今作のストーリーに関しては完全なるディズニーのオリジナルとなっています。
原作や1977年の「完全保存版」にも登場するゾウ(elephant)の言い間違えから生まれた架空の怪物ズオウ(Heffalump)を主題として制作され、長編アニメーションとしては実に28年ぶりに新キャラクターが登場したプーさん作品となりました。
プー達が怖いと思い込んでいたズオウのランピーとルーの触れ合いや絆、さらに「多様性」を子供にもわかりやすく描いたハートウォーミングストーリー。
監督は「シンデレラⅢ」を手掛けた事で有名なフランク・ニッセン。
脚本は数々のプーシリーズを手掛けている事で知られるブライアン・ホールフェルド。
さらに実写版「美女と野獣」も手掛けたエヴァン・スピリオトポウロス。
音楽は「ティンカー・ベル」シリーズをはじめトゥーン・スタジオの作品を何本も手掛けてきた実力派ジョエル・マクニーリー。
楽曲制作はトップミュージシャンであるカーリー・サイモン。アカデミー賞、グラミー賞、ゴールデングローブ賞を全受賞している稀有なアーティストであり、余談ですが彼女は竹内まりやさんが名曲「元気を出して」を作った相手として日本でも有名です。
彼女は今作を含め3作品のプーシリーズに書き下ろし楽曲と歌唱を提供しています。
今作の主役となるランピー役をカイル・スタンガーが演じます。当時わずか5歳。彼の演技は多方面から絶賛されました。日本語版は醍醐侃幸さん。
プーさん役はお馴染みのジム・カミングス。
日本語版は亡き八代駿さんの跡を継いだ亀山助清さん。
ピグレット役のジョン・フィドラー。
今作で唯一のオリジナルからの継続ボイスキャスト。彼が完全にピグレットを演じきった最後の長編映画となりました。日本語版は小形満さん。
ティガー役はプーと二役でジム・カミングス。
日本語版は玄田哲章さん。
ラビットにケン・サンソム。
日本語版・龍田直樹さん。
イーヨーはピーター・カレン。
日本語版・石田太郎さん。
ルー役にニキータ・ホプキンス。
7年に渡りルー役を務め、最もポピュラーなルーボイスとして知られる彼の最後の作品となりました。日本語版は杉本征哉さん。
劇場版前作「ピグレット・ムービー」に引き続き日本では劇場公開が中止となりソフトリリースに変更されました。
興行収入としてはそれほど大きな成功にはならず、直後のトゥーン・スタジオの方針変更もあり今作が同スタジオによる最後の劇場用プーさん作品となりました。
時を同じくして2000年代初頭からのプーさんの再ブームも徐々に終焉を迎えはじめ、今作も他シリーズ作品と比べると知名度としては若干コアな1本になりますが作品評価としては全体的に上々であり、子供向けながら丁寧に描かれた多様性へのメッセージや新キャラクター・ランピーの魅力的なキャラクター性が好評を博します。
特にランピーは一部で高い人気を獲得し続けていて、パークやストアでのグッズ販売に加え、2007年〜ディズニージュニアのテレビシリーズ「プーさんといっしょ」では晴れてレギュラー入りを果たしました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あらすじ
100エーカーの森にある日鳴り響いた不思議な音。
そのよくわからない大きな音をズオウのものだと思い込んだ森の仲間達は恐怖し、ズオウを捕まえる計画を練る。
そんな中、なぜそのズオウという生き物を皆が恐怖するのかイマイチわからないルーは、まだ小さいからと計画から外されてしまう。
子供だと言われた事にショックを受けたルーは、翌日一人でズオウを捕まえるために彼らが住むと言われているズオウの谷へ向かう…
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
第一作のティガー・ムービーでは「家族とは何か?」第二作目ピグレットムービーでは「大切な人の存在の大きさ」と、毎回核となるテーマを置くことで『プーさん』という難しいパッケージで子供も大人も楽しめるようなストーリー性のある感動作を生み出すことに果敢に挑戦してきたこのシリーズ。
最終作となる今回のテーマはズバリ「多様性」です。
今でこそディズニーのある意味代名詞みたいになってしまっているテーマですが、この当時はまだまだ全面には押し出されていませんでした。
そんな中で、以降のWDAS作品に先駆ける形でよりにもよってプーさん作品でこんなにも絶妙に多様性を扱った作品が制作されていた事は実はあまり知られていません。
このシリーズはこれまでも原作の設定をたくみに利用した挑戦的な展開や投げかけを多く行ってきましたが、今回に限ってはこれまでの比ではありません。
相当果敢なところを攻めてきたなぁ…というのが当時の第一印象でしたね。
なんとここにきて完全オリジナルの新キャラクターを投入という大胆ぶり。
しかもそれがあの「ズオウ」のキャラクターという…。
これは紛れもなくプーシリーズの禁じ手の1つであり、作品破壊の何ものでもありません。
やりたいテーマの為に、プーさんの世界をぶっ壊しちゃった作品である事は間違いありません。
個人的には正直もっと炎上すると思ってました。
しかし、不思議な事にこの作品は現在に至るまで圧倒的に肯定意見の方が多く、ファンにも愛され続けています。
それはいったい何故なんでしょうか…。
ズオウとは

一応説明しておくと「ズオウ」とは「象」をクリストファーロビンが言い間違えたところから現れた100エーカーの森の空想の怪物で、森の住人にとっては「よくわからないもの」や「恐怖」の象徴。
当然原作では実態はなく、実際に皆の前に現れることは無いし、それは一部のパロディ的スピンオフを除いてディズニー版も同じでした。
夢や空想にしか出てこない子供達の恐怖の概念=「ズオウ」として表現されているのです。
そう、プー作品においてズオウとはキャラクターではなく「概念」なんです。
それを実際に登場させてしまったのが今作。
これは一つのプー作品における禁じ手です。
プーワールドそのものの根底の世界感を崩壊させる一手です。実際にこの禁じ手をおかしたテレビシリーズ新くまのプーさんの世界感がどうなったかは…知ってる方ならご存じですよねw
しかし今作はギリギリのところでそこをうまく切り抜けていると思います。
プー作品としてちゃんと世界観を保っています。
やはり大きな要因はメインのストーリーが丁寧に描かれていること。「よくしらないものって、本当にこわいの?」というテーマに沿ってうまく話をまとめています。
そして他の部分で過去作へのオマージュをふんだんにまぶしている事。
何よりランピーというキャラクターが魅力的に描けている点だと思います。
いかにも100エーカーの森の中に居そうな、それでいて今まで居なかった天然型の幼児キャラクター。非常にかわいらしい魅力的なキャラクターで、実はこのランピーは公開からだいぶたった今でもファンの中でかなりの人気があります。
このストーリー性とキャラクター性の良さでなんとか世界感の崩壊を防げているかな…と。
ギリギリですけどね…。
ルーというキャラクター
そしてもう一つ大きな特徴は物語をルー目線で描いていること。
これはディズニートゥーンのプーシリーズ全てに通じていることなのですが、やけにルーというキャラクターに焦点が当たることが多いです。
それは何故かというと…
ごめんなさい、またかなりディープな話をします。
プーという「面白いストーリー」を作ることが難しいパッケージでストーリー性を重視したいこのシリーズにとって、ルーはうってつけのキャラクターだったからです。
そもそもプーという作品は、幼いクリストファーロビンの空想の中で繰り広げられる童心と純粋さに満ちた、大人から見たら少しズレたその世界を楽しむ作品です。
そんな中で最年少の、しかも途中から100エーカーの森に越してきたという設定のルーからの視点でこの世界を見せることで何をが起こるかというと、、その少しズレた世界のプー達の異様さが浮き彫りになるんです。
つまり第三者的な立ち位置のルー視点で見せることでプー達のしてることや考えるてることに「ちょっとおかしいんじゃないの?」「そうじゃないんじゃないの?」という現実的な思考を視聴者に許す。
そしてそこをルーを起点として修正するという流れにおいて感動やストーリー性を生み出すのがこのシリーズの手法なんです。
ティガームービーも然り、ピグレットムービーでもそういうシーンがいくつかありました。
つまりルーを主役とするとそれだけで扱いにくいプーシリーズが普通の子供向け教訓ストーリーアニメーションに変身するんですよね。
この手法、確かにストーリー性やわかりやすい感動は生み出すのですがその反面何が起こるかというと…平たく言うとプー本来の魅力が格段に減少します。
まともじゃない集団に一人まともな人を入れて自分達がまともじゃない事をその集団に気づかせる。
やってる事はまさにこれです。
だからこのシリーズはクリストファーロビンがあまり登場しないんですよね。
ディズニープーではまともの代表みたいなクリストファーロビンが最初から居るとそもそも話がそこで終わってしまうからです。
(ピグレットムービーのノースポールのエピソードは原作をもとにしているのでクリストファーが「おかしい側」として描かれていますよね)
これはねぇ。。良い手法を見つけたなと思う反面プー作品としてこれはどうなんだろう…と。
特に今作はそれが顕著で、、
みんながわけもわからず見たことがないズオウを怖がっている姿を楽しむのがプー作品の醍醐味だったんです。
プーという作品は、プー達のずれた童心の世界に触れることで自分も童心に返ったような気分になれる事が大きな大きな魅力のひとつなんです。
それを逆手にとったこういう逆のアプローチは…ストーリーのクオリティーは上がりますがプー作品の本来の魅力というのはやはり無くなってしまうんですよね。
実際トゥーンシリーズの感想を観てみると「プー達って意外と性格悪い」とかそういうレビューが結構多いんですよね。
純粋な故の、童心な故のそういう部分を楽しむのが魅力なんですが…ルーの立ち回りによって皆現実に引き戻されちゃうんです。
物語の起伏を出すために本来の主役達を貶めちゃってるのがちょっと…ズルいなぁとは思っちゃいますね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
しかし。
その分プー作品の独特の難解さや退屈さいう敷居をガクッと下げ、ストーリー映画としても展開のある面白いものに仕上げたのはこのシリーズやはり画期的だったんですよね。
このシリーズでプーにはじめて触れたという人もとても多く、プーファンの裾野を広げたのも事実。
それはとっても大きな功績だと思います。
この作品も、ルーを起点にしながら「よくわからないものを無条件に怖がらず、まず自分の眼でみて確かめよう」という子供も大人もハッとさせられるような多様性へのわかりやすいメッセージがしっかり伝わる上質な一本の作品に仕上がっているのは間違いありません。
それとカンガやランピーの母親を使って母親の愛というテーマもさり気なく描いているのもポイント高いと思います。
お母さん方の中でこの作品を推してる声が多いのも納得です。
そして、作画や各キャラクターの性格をたくみに表現した細かな描写や小ネタも見事で、前作に引き続きカーリー・サイモンによる楽曲もこれまた印象的で素晴らしいです。
エンドロールでクリストファー・ロビンを登場させてちゃんと原作の世界線とリンクさせてるのも巧みだなぁと思いましたね。
作品への熱意や愛情の高さは、観ればわかると思います。愛するが故、このプーという作品をこの時代にどう反映させるか。
考え抜かれた上での英断だったんだと思います。
ちなみに…現在でもこのトゥーンシリーズは、正史かパラレルか公式でも迷っているようなフラフラ感があります。
実際に2011版の本家映画やプーと大人になった僕ではランピーやこのシリーズの出来事は完全に無視されてたりします。
ジョン・ラセターもこのシリーズを否定するような発言を遠回しにですがしてましたしね。
それでも1977年の完全保存版以降、本家ディズニースタジオが何十年もほとんど手をつけなかったプーさんに対し果敢に挑み、素晴らしいクオリティーの作品を世に送り出し、プー作品の認知度を2000年代に再加熱させたこのトゥーンシリーズの登場はやはり、ディズニーのプーを語る上で絶対に無視できない出来事。
今はもうなくなってしまったディズニー・トゥーン・スタジオですが、このシリーズと後のティンカーベル・シリーズはこのスタジオが残した最大の功績だと心から思っています。
「ティガー・ムービー」
「ピグレット・ムービー」
「はじめましてランピー!」
は現在ディズニープラスで配信中です♪
プーさんをあまり知らない人にとっても見やすいシリーズです。
未見の方は機会があれば是非一度!!
はい。
というわけで今回はこの辺で!
今回も長文駄文にお付き合い頂きありがとうございました♪
しーゆーねくすとたぁいむー。
にほんブログ村