人生勝負~夢が叶うまで~

人生勝負~夢が叶うまで~

一度きりの人生、やるしかないでしょ。

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毎日毎日悩みすぎて頭が禿げそう。

 

 

 

 

考えも弱気。

 

判断や弱腰。

 

 

 

 

歳を重ねるごとにその全てが弱気になっていくのを感じます。

 

 

 

世間の27歳は何が楽しくて何が生きがいで日々生きているのだろうか。

5日間頑張って働いて2日間休んで、また一週間始まって。そんな感じなのかな。

 

 

他人比較でしか答えを求めようとしていない、これも弱い象徴。

 

 

 

 

 

3年前、此処に来たのは強気な自信と判断だった。

 

 

けども。

 

 

 

 

こうやって弱い自分をさらけ出すこと、文章にすることがかっこいいなんてこれっぽっちも思っていない。今のこの弱さを恥として残すために書いているだけ。

 

 

 

 

 

どうなるのか自分にもわからないけど、これからも毎日毎日悩むこと。

目標が叶えられなかった時よりも
目標がなくなった時の方が何万倍も怖か。

そう思う。
朝起きて準備して

8時間仕事してご飯も食べたりして

寝て起きる


仕事終わりに飲みに行くこともたまにはあるし

週末にはどっか出かけてみたり。



そしてまた月曜日が来る。



こういうルーティンで一週、また一週と時間は過ぎていきあっという間に20代が終わっていくんだと考えたらなんだかなあ





『平凡な生活こそ一番の幸せ』


どっかの名言みたいなあれけど。

確かにこのご時世、平凡な生活を送るのも決して簡単なことじゃないと思う。

お嫁さんと子供2人くらい?家はないけどマイカーはあって、たまには外食や旅行もして。3人養うのにいくらかかるのかと考えたら世の中の父ちゃんたちが凄く見える。これが平凡な生活なのかとても裕福な生活なのか、はたまた幸せなのか不幸せなのかは経験したことないからわからない。



ただ、働いてお金を得て生活をするって点は今も同じだし、これから先も同じ。




どうせ働くなら自分がやりたかったことを職にしたい。好きなことを職にするんじゃなくて、やりたかったことを職に。

それでワンルームのアパートで中古の軽自動車だとしても、それはそれで全然幸せ。



だとしたら、やらんばね。


唐揚げは美味しいけど、せめて3つまでとか。


そういうこと。




「女性はベストなタイミングで、心に響くセリフで告白されたいと考えている」

ネットの参考ページにこんな文言が書かれていたが、、、




ごもっともだね~。


人生は9割タイミングで出来ているんだからね!

半期に一度の戦い、その第一ラウンドが終わり、そして今思うこと。







高校生でサッカーをやっている時、自分なりに見つけ出した答え。


「いかにバカになれるか」


ただのバカではなく、いろいろな意味でバカに。


バカなほど喜んで、バカなほど悔しがって、バカなほど練習して、バカなほど自身を持って。



これが12年間のサッカー人生の答えだった。





あれから8年経った今、

この歳になってもバカになれるもの(こと)があることがすごく嬉しく感じる。





世間の26歳は一体どのように過ごしているのか。

「一番最近必死になったことは何?」と問いたい。


充実度なんて人それぞれだけど、他にも増して色濃い中で生きているな~っていった充実感がある。





漢字もまともに読めなかった18歳が、必死になれば教員になれる。
ノートも取ったことがない学校にもろくに行っていなかったヤツが、本気になれば全てが叶うことを証明したい!!

だからそれまでは走れそうな気がした。どこまでも。

人生、気づいた時には「あっ」という間なのかもしれない。実はね。



それに気がつくことができた人間は、駆けてもよし。賭けてもよし。





まだまだ先は長いぞ。
少し前まで選挙はもとより政治とかに対して一切の興味が無かったんだけど、仕事を機に色々と知って今では興味津々。


そもそも、街宣カー使って「ご近所の皆様方には御迷惑をお掛けしています」と言いながらうるさくビービー宣伝している矛盾な政治家も嫌いだし、選挙前だけみんなの前に現れて一生懸命やってるフリをする政治家もテスト前に一夜漬けする学生のようで嫌い。
多分ほとんどの政治家に当てはまると思う。




若者の政治への興味が0であるように、自分自身も0であった。
だから、「どうしたら興味が出るか」を知っている。



それは、いかに無駄な税金を使ってるかを知ること


オーソドックスな言葉だけど、すごく身近な場所に訳の分からん税金が使われていることを知ると怒り疑問が湧いてくるはず。
興味0の若者であっても、税金を納めている限りその使われ道に興味、ましてや無駄な使われ道だとすれば尚更興味が出てくるんじゃないかな。


あまり突っ込んだ話をすると某組織から刺される恐れがあるので、オブラートに包んで例え話をしてみよう。




税金を使って地域活性化をしなさいと市から仕事を受けた某会社が奮闘した物語である…。
(ここで各々好きなオープニング曲を頭の中でかけてください)



私が住んでいるO市。

市街地活性化事業の企画として、メディアを使った地域の情報発信番組がスタートした。


地元ケーブル局の朝の5分間という番組枠の中で基本的に「誰でも」「何でも」PRすることができる。1日3団体、各団体持ち時間は1分30秒の完全予約制。


企画のねらいや意図は理解できる。もしかしたら非常に有意義なものに化ける可能性すら感じた。


番組開始後から2週くらいまでは地元商店街の店舗等が出演枠を埋めていたので番組に彩りがあった。
が、その後は段々と出演申し込みが減っていき、開始1ヶ月頃には全く出演の申し込みが無くなった



出演した店舗や団体に話を聞くと、皆口を揃えて「あんなの誰が見てるの」と言う。


極め付けは…
「時間帯も時間帯だし、市内で10人見てるか見てないかだと思う」なんて本音を担当するケーブル局スタッフがこぼす。
視聴率なんてあってないような地元ケーブル局。それに加え、朝10時という視聴者が極端に少ない時間帯。




オレ自身これに対して、企画運営会社の担当者に対して打ち切りを検討するよう何度も促したが大人の都合でガヤガヤ言われ、予定されていた期間いっぱいまでこの番組は行われた。


※大人の都合は言えません(O_O)



この番組、結果として8ヶ月ほど続けられたが最後2~3ヶ月は出演者が1人しかいない日も多く、しまいには毎日同じ人が同じことを喋る面白みがないレギュラー番組となってしまった。



問題なのは、この無意味な企画に対してかかった税金の額…


1万円/1日(5分間)

単純計算、20日×8ヶ月×1万円=


160万円


これが高いか安いかは人それぞれの感覚と思う。けど、視聴者がほぼほぼいない番組に対して巨額の税金を投入する請負会社も許せないし、それを黙認している市も許せない。




この事実はあくまで氷山の一角。
もし気になる若者がいれば、一緒に勉強をしよう。


人生において大事なことは
いかに自分のやりたいことを見つけ
それらを果たそうと行動することである
先日卒業した教え子から久しぶりにメールが来た。


「4月から大学生なんですけど、今緊張と不安だらけです。
友達できるかなとか、いい人間関係を作れるかなとか考えたら不安で…」




思い返せば数年前。

オレも高校を卒業して進学した短大には、同じ高校の人は誰一人いなかった。
当時のオレも、この教え子のような不安はあった。
けどイキっていたので「別にそれでも良い」と強がってもいた。

そんな時、確か隣のクラスのM君が気安く話しかけてきたのを覚えている。
結果、このM君を介し、入学後一週間以内には複数名の友達ができていた。

卒業までの二年間、このM君やその周りの友達とは同じ授業を枠組みしたり、学校外で過ごす時間も非常に多かった。




大学へ編入した際も似たような経験がある。
短大と違い、入学後の学生生活をスムーズにするためのカリキュラム(キャンプなどの集団行事)はもちろん無い。時は3年生だから。

一番最初の授業にいくと、編入生として「物珍しいような視線」と「敬遠されがちな視線」を感じたのを覚えている。

大学は「学業」のために行ったため、さほどそういった関係を必要としていなかった。
だけどそれが1ヶ月2ヶ月と続くとさすがにしんどかった。


「こんなにも友達できないものか」と半うつ状態になりかけ、母親に毎日電話していたような気がする。


そんな時。三ヶ月経つか経たないかくらいの時だった。
スポーツ系の講義で隣に座ったMさんがサッカーの話で話しかけてきたのを覚えている。もちろんどんな内容だったのかは一切覚えていないが、ただただ嬉しかった。
後にこのMさんは変わり者ということを知り、他の学生から若干距離を置かれていたような気もするが、そんなのは関係ない。

その後すぐにMさんを通じて3人を紹介してもらった。
名古屋出身のバスケ好き1個上のYちゃん、宮崎出身のズーマー乗りのRちゃん、茨城出身で警官志望のSちゃん。

ちゃんづけしているけど、Mさん含めてみんな男。ついでにMさんのスペックも。何個か年上で宮城県出身のスポーツオタク。

以上の4人は、大学生活の宝だと思っている。一番の収穫は教員免許ではなく、彼らろの出会いだったと感じる。

彼らと何回たこパーをしたのかわからない。
毎週温泉行ってはくだらないことを何時間も語り合っていた。
彼らにどれだけの元気を分けてもらったか、本当に計り知れない。




オレの思い出話はここまでで。

結論としてオレはこう思う。


「近付くべき人とは近付く運命」なのかなと。

抽象的な言葉で答えになっていないけど、冒頭で紹介した教え子にも同じことを言ってみました。


どんな人と、タイミングやきっかけ、そんなこと誰も予想できません。
それに、もしかしたら見た目は自分とは程遠い人かもしれません。

でも、不思議なことに案外楽しいもんですよ。


「友達は作ろうと思って作るものじゃないと思うな~先生は。気付いたら仲良くなっている、これが友達なんじゃない?」


最後にこう伝えたオレの思いが、この教え子に届くと良いけどな。









ー最後に余談をー



たまたまこの記事を今日(2015年3月11日)に書いているのに気付いたので。

大学の彼らと「卒業式にまた会おう」と再会の約束をしてから、その約束は果たされなかった。東日本大震災の影響で大学は壊滅状態になり、卒業式は中止となった。
加え、Mさんは自宅が津波で無くなってしまったという。


「また会おう」と言った人物と再会できる喜びがある。
例え毎日会うような人でも、口に出すことはないけどなんだか嬉しい。

なんだか嬉しい。