映画 “夢みる小学校” を観に尼崎へ。
 
ちょっと遅刻しちゃってニヤニヤ
 
座ったときには、もう
映画はスタートしちゃってたんだけど
 
とにかくよかったーーー笑い泣き
 
子どもたちが夢中で好きなことやってる
走ったり、笑ったり、話し合ったり、料理したり、何か作ったり・・
そんな様子を見てるだけで涙が止まらなかった。
 
一緒に観てた娘は、不思議そうにグラサン
なんでオカン泣いてんの?笑い泣き
 

 

 

子どもたちにはのびのび育ってほしい。

 

けど、そうできるのも

小学校に入るまでだろう。

 

学校に行くことは、不自由そのもの。

 

不自由の中から自由を見つけることも

 

不自由を体験することも

生きていく上では必要なこと。

 

そんな風に思ってた。

 

 

この映画は

違うやり方もあるよ飛び出すハート

 

他の選択肢を示してくれている。

 

私立の学校でも

フリースクールでもない。

 

公立の学校でもこんなにできるんだよ、と乙女のトキメキ

 

そういや。

通知表って絶対必要なんじゃないんだってね。

 

 

 

映画で氣になった言葉。

 

自由には責任が伴う。

 
これは、大人の問題であって
子どもには関係ない。
 
子どもが自由にのびのび過ごせるために
大人が責任をもって守る。
 
守るってそういうことか。
 
何にも問題が無いように
囲って何もさせない。
 
そんなイメージをもってた。
ことに氣づいた。
 
 
 
子どもの頃に
自由にのびのびいろんなことして
子どもをしっかりやる。
 
それもせず
大人になってしまったら
 
子どもの頃の
自由に夢中に生きる自分を
取り戻そうとする。
 
守ってもらってないよなと感じたら
自分を封印する。
 
大人のようにふるまい
何とか生きていこうとする。
これも防衛本能なんだと思う。
 
なんでそんな言い切れるのか?
私がそうだったからニヤリ
 
 
 
もうひとつ。
 
何か好きなことや興味のあることを
夢中でしているとき
この世に存在することを許している。
 
という言葉が、映画の中にあった。
(ちょっと言い回しが違うかも)
 
 
 
映画の中では
子どもたちが夢中で好きなことやってる。
 
走ったり、笑ったり、話し合ったり、料理したり、何か作ったり・・
 
その姿を見てるだけで涙が止まらなかったのは
きっと小さい頃の自分を重ねているからだグラサン
 
 
私は大人になってから
子ども時代の自由を取り戻した。
 
味噌作ったり、ダシを取ったり、お茶を淹れたり・・・
夢中に無心にやり続ける。
手をかけ、時間をかけ作り出す。
 
夢中になって何かをしているとき
 
 
自分の居場所がない
何か文句言われたら嫌だな
毎日面白くないなぁ
 
いつも氣にしてたのに
そんなのも全部忘れていた。
 
生きにくい人生だったことも
自己肯定感の低さすら氣にも止めなかった。
 
大人の私が、責任をもって
子ども時代の私を自由にさせてあげられた。
 
峠は越えたと
この映画を観て感じた。
 
よく頑張った照れ
 
 
そして、次は
同じような想いを抱いている人に
伝えていきたい。
 
この映画を自主上映したい!と
ブログに書いたのが1月17日だった。
 

 

周りにテンション高いまま言いまくっていたら

 

 

実行委員会ができ

メンバーが今は6人になりました乙女のトキメキ

 

上映する場所を決めようまじかるクラウン

言う話になっています。

 

 

 

 

今日の上映後、尼崎で

実行委員会のメンバーとランチ花火

 

 

 

 

 

 

 

生きにくさを感じてたり

居場所が無い氣になってたり

やりたいことがない

人の目が氣になる

 


そんな大人のあなたにこそ

この映画を観てみてほしい。


これら

自由な子ども時代をやり直す

ことで軽くなる。


 
いつだってやり直しできるオーナメント
 
 

それ私のことっ!?って人ニヒヒ

LINEから教えてーまじかるクラウン

 

 

 

夢みる小学校の予告編ね。
ブルーハーツの曲が沁みる爆笑

 


 

 

今日も尼崎で上映してますよ!!

 

 

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最後にお知らせ⁻ガーベラ

 

3月27日は大阪でコラボイベントですハートのバルーン

愛の周波数とともにハートのバルーンハートのバルーン

 

もう一人で頑張らなくてもいいんだよーって

ピアノと中国茶は教えてくれます。