誰かの気持ちに寄り添うには | 【恋愛依存症のシングルマザー】依存症から脱出せよ♡新しい世界線へJump!!

【恋愛依存症のシングルマザー】依存症から脱出せよ♡新しい世界線へJump!!

離婚して10年。
元夫の両親と離婚後も暮らしながら世界でひとつの恋の話がスタート!
スピリチュアルの世界線を通り、抜けた先で分かったのは私は「恋愛依存症」だったってこと。次の世界線へJumpするぞー♡

こんばんは♡



今年の元旦に更新したブログに

書いていた高校1年生の頃の

同級生の話ですが




昨日の昼過ぎ頃に

癌を患っていた友達の妹さんが

「姉の全身状態が悪く、電話やLINEが出来ません。なにか確認したいことがあれば」

妹さんの電話番号を入れてくれました。


あのグループLINEが出来てから

たったの1ヶ月です。


あのときに

「わー!◯◯さんだー!」って

私のことを言ってくれた人が

もう話すことも文字を打つことも

出来なくなっている。



私は仕事中ずっと考えていました。



本当は、半年以内には会いに行きたいな、

みんなで会える機会があるかなと。

体調はどうなのかと気になっていましたが

まさか、こんなに早く状態が悪くなるなんて。


何かしたい。

私に出来ること。

なにか。。。


考えてもなかなか思考が辿り付かなくて

私に別にLINEをくれていた人に

詳しいことが分かるか聞いてみましたが

実はその人ももう15年くらいは

本人に会っていなかったみたいで

「頻繁に会っていたのはあまりいないかも」と。


でも発症したのはもう10年くらい前で

入退院を繰り返していたのは聞いていたらしく


今回はやばいかもなぁ、、、って。



友達は札幌なので

私の地域からは高速使っても

片道2時間。


でも、もし本人に意識がある程度あって

本人が望んでくれるなら

少しでも会いに行きたいと思いました。



思い切って

妹さんの電話番号にメールをしてみました。


お姉さんのご容態はいかがですか。

近く会いに行きたいと思っていたので

容態が気になって。

お姉さんとはコミュニケーションが

取れる状態ですか?



ものの5分ほどで返事が返ってきました。


ご連絡ありがとうございます。

姉は意識がなくなってきてコミュニケーションが取れない状態です。

残念ながら、この先コミュニケーションが取れることはないと思います。

友達に弱っている姿を見せたくないと思うので、お気持ちは姉の耳元で伝えておきます。



私は、育ててくれた父も母も

癌で亡くしているので

末期の癌患者がどのような状態かは

想像は出来ます。



本人の状態的には

私が行っても出来ることはないなと

理解出来ました。


慌ただしい中に対応して頂いたお詫びと

感謝をお伝えして

懐かしい友人との縁を繋いでもらって

ありがとう、と伝えてくださいと

お願いしました。




1年前までの私であれば

妹さんからLINEにメッセージが入っても

きっと何もしなかったと思います。


「何か」の仕方が分からなかったと思います。



こんな時に、これまでたいして

親しくしてきた訳でもないのに

家族に連絡するなんて迷惑だとか


誰かが大変な時に

寄り添うってどんなことか

かける言葉は

どんなものが適切か


ベストが分からない。


分からないから無視しよう。

それしか出来ない。



そう、自分で「不甲斐ない自分」を

自覚するのが嫌だから

忙しいふりをしたり


誰かにつっこまれたりしたら

「私もそう考えたよ」とか

都合良く適当に合わせることで

分からないことを直視しないようにしてた。


そう、ここが私

いつまでも大人として対応出来ない自分

だと思っていたのですね。




でも、今回で思ったんです。


誰かが辛いとき

誰かが悲しいとき

誰かが大変なとき


どうすれば良いかは


自分ならどうして欲しいか。

これが分かれば良いの。


人間それぞれ性格や価値観は違う。

だけど

苦しかったり悲しかったりする

極限の非日常のとき


自分ではない他人に

なにをしてほしいかは

基本的にみんな同じなのだろうなと。



気持ちに寄り添ってほしい。

ただ、それだけで良い。


気を遣ったり

何かを与えようとしたり

無理に笑ったり

合わせて泣いたり

何も出来ない言い訳をしたり


ましてや無力な自分を責めたり

否定したり隠したりすることじゃなくて



自分のありのままの

悲しさや寂しさを感じたまま

相手の気持ちにそっと想いを馳せる。


そうしたら

自分がしたいこと

相手に伝わってほしいことが

ちゃんと自分の心に留まる。


無理しなくても偽らなくても

寄り添う愛があれば

相手には余計なことは言わなくても

ちゃんと伝わるんだと思いました。



私がもし逝く立場であったり

家族や大切な人の最期が近いとき

「かわいそうだ」とは思われたくない。


ただ、穏やかに想って欲しい。

大切な人達に囲まれて

温かく愛のある空間で送られるように。








改めて思いました。


自分ではない誰かの気持ちに寄り添うには

自分のことをしっかり理解していること。


そして

自分のことをしっかり理解していることが

私がイメージしてきた「大人」である

ということ。


親の気持ち、子供の気持ち、

友達、同僚、パートナー、

その誰の気持ちも分からなかったとしても


自分のことさえ理解していれば

自分以外の人の気持ちも

必然的に理解出来るようになってくる。



理解出来る、って

「私もそう思うよ」とか

「こう思ってるよね?」じゃなくてね。



私はこう感じるよ。

あなたはどう思うか分からないから

私に教えて。


察することが出来ない申し訳なさとか

否定や劣等感や恥ずかしさは

持たなくても大丈夫。

「分からないから教えて」って言える

そして、その答えを真っ直ぐ受け取る

それだけで相手を理解することになる。




この思考の原理ってすごいと思うの。


こうなってみて分かるのは


もし何か失敗に感じることがあったとしても

大丈夫だと確信があるんですよ。


感覚としては

幼い頃に何かをはじめてやるとき

隣にお母さんがいて

「大丈夫よ、失敗してもいいんだよ。」と

温かく笑ってくれている心理状態に

とても似ていると思います。


私がどんな失敗をしても

お母さんが「大好きだよ」って

いつも抱きしめてくれるって言うような

絶対的な安心感があるのです。



だからきっと

自分を信じて行動出来るんだって

思います。



成功する自信じゃない。


失敗しても愛される自信。







有料記事を書くために

自分の書きたいことと頭の中を

整理するべく

色々書き出したりしていますが

まとまった時間をなかなか取れないので

あまり大きくはすすみません。


少し時間がかかるかもしれないですが

のんびりお待ち頂けると嬉しいですニコニコ





私たち人間は

いつ命が尽きるか分かりません。

ひとつひとつの出来事を

大切に感じ取り

じっくり味わって

与えられている時間を

過ごしたいですね。




ではまた♡