儒教と道教と徐福伝説 その1
(・・;) ウソの情報と間違った情報を流してしまいましたので訂正する事にしました。
ー・→
訂正所 ‥>
そして、その 文観 もまた、
どことなく『男色』した エロい信仰 を持っていました。
訂正所 ‥>
ー・→
(・・? それは、
男と男の合体した象? だと思い込んでいましたが、その後調べてそれは「男女合体尊」の象だといいます。
男女合体尊
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ヤブユム
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/立川流_(密教)
いったい何を意味しているのかは? わかりませんが、どことなくエロい「密教」に関する象であるようです。
平安時代に天台宗の最澄 (さいちょう) と真言宗の空海 (くうかい) が持ち帰った密教は中期密教 →『純密』 に分類され ⇔ 奈良時代の法相宗・道鏡 の初期密教は『雑密』に分類されています。
さらに、
天台宗の 最澄 が持ち帰った密教 (純密) は 「台密」 ⇔ 真言宗の 空海 が持ち帰った密教 (純密) は 「東密」 と呼ばれています。
密教は秘密仏教 ≒ 景教 (東方ミトラス教の1つ) で、仏教に分類されていますが、お釈迦様のインド仏教とは大きく異なります。
ー?ー
あの時、お釈迦さまは、
テーブルをひっくり返しました。http://ameblo.jp/yuukata/entry-12134749301.html
[ 関連情報 ]
仏教と仏教
http://ameblo.jp/yuukata/entry-12124806022.html
「苦」の教えと『救』の教え
http://ameblo.jp/yuukata/entry-11010657902.html
鎌倉時代 ~ 南北朝時代にかけても 文観 が引き継いだエロい「密教」は、お釈迦様の教えに おもいっきり反していました。
そうした密教僧のエロすはよくわかりませんが、確かに それよりも昔の縄文時代からエロい信仰は存在していました。
紀元前 (BC = キリスト以前) は縄文時代の遺跡からも、東アジアの人々が「エロい信仰」を持っていた事がわかる痕跡が日本列島のあちこちから数多く出土しています。
ー?ー
(・・? どうしてエロいのか?
の結論をいうと、実は「祖先崇拝」がエロすの源 (みなもと) で、祖先が神様という考え方はキリスト教徒から見ると、信じられない事でした。
そして、日本列島のあちこちにエロすの象徴 (エロい地名など) があり、そのエロい信仰のある地は、偶然とは思えないほど、原発の里、米軍基地の町、ダムの底に沈む村などになっています。
*エロすの封印
その源 (みなもと) を強く持っていたのは古代の海部族で、海部族は日置族 / 日置部 → 久米部と佐伯部に通じました。http://ameblo.jp/yuukata/entry-12235586514.html
日置の里は原発の里に、
http://ameblo.jp/yuukata/entry-12102064655.html
山の襞 (ひだ) や海の襞 (ひだ) といった、凹 (へこ) んだ地域や 凸 (尖っ) た地域にエロすの象徴 (エロい地名など) がよくありました。
また、尖った地域には、先、崎など使用され、先 (さき) の古語は前 (さき) で青森県に弘前 (ひろさき) あります。
そして、崎 (さき) の美称が岬 (みさき)、御前、御崎、三崎、美咲など‥ ある。
犬吠埼 (いぬぼうさき) の埼 (さき) は埼 (さい) とも読み → 前多摩 (さきたま) が埼玉 (さいたま) と説もある。
御前 (おまえ) を 御前 (みさき) とも読み → 御前崎 (おまえさき) は「前 (さき) の先(さき) 」を意味しているようです。
(・・;) エロい地名は少し恥ずかしいので、合理的になった現代の人々が隠したりもしているので、古代の人々がエロい信仰 (祖先崇拝) を持っていた事を忘れているとも云われています。
今では、そういう名前をしていなくとも、そうした関連語源が隠れていたりもします。そして、そうした地はエネルギーの宝庫とも云われています。その事は、本来持っているエネルギーは封印され、新たなエネルギーに依存しなければならない。という洗脳作業が行われているようにも思います。
*エロすの封印
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例えば、
恩納 (おんな) 村の伊武部 (いんぶ) は凹へこんでいる ⇔ 反対側の辺野古 (へのこ) は凸尖っています。http://ameblo.jp/yuukata/entry-11862721693.html
古い日本語で、
♂ 辺野古 (へのこ) 凸は♂ 辺野古 (ち ・ ぽ) 凸を意味していました。
♂ 辺野古 (ち ・ ぽ) 凸 の反対側にある♀伊武部 (いんぶ) 凹も ? 何かを‥意味しているように思います。
琉球 (日本ではない) の時代から、沖縄島には九州島や日本島から宗教関係者がたくさん来ていましたので、地名にも何が隠れているかもしれません。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/斎場御嶽
∧斎場御嶽 (せーふぁうたき) の「V字」は女性の二股・二俣など‥ 意味し、日本の古い信仰は「生殖器信仰」が多いと云われています。
今は名護市辺野古、東村高江という住所になっている所も、
昔は「久志 (くし / 串) 村」と呼ばれていました。
旧・久志 (くし / 串) 村の 辺野古 凸へのこ♂ は 凸 より一層 ♂ 尖っていなければならないのだが、
久志 (くし / 串) の 凸へのこ♂ に「V字」滑走路を作り、海を埋め立てようとしています。
*エロすの封印
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古い信仰は、五穀豊穣祭 → 子だくさん → 二俣 = 二股 → 参道 = 産道 → 生殖器信仰に通じます。
沖縄語では、お墓の事を『墓(腹 / はら)』といい お腹 (おなか) の事を腹 (わた) といいます。また、産み → 海の古い日本語は海 = 倭太(和田 / わた)です。
*海神(ワタツミ)など、
『お墓(腹 / はら)』は∩女性器∪の出産時の形 しています。
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むかし、日本海の長瀬高浜遺跡から 朱色の丹生 (にう / 水銀朱) が塗られた人骨が見つかりました。
古代史発掘―1978-82年新遺跡カタログ (1983年)/朝日新聞社
古代の人々は、蘇生呪術として病人や死者に朱色を施していました。
朱色は血液の色で、生命は血液から丹生 (たんじょう) し、血液の消失によつて終わるので、古代の人々は血液を敬い ⇔ 恐れました。
死から再生保存のために朱色の丹生 (にう / 水銀朱) を用いて保存をしていたようですが、分量や質、使用法により、かえって腐敗をはやめる失敗例も見られたようです。
また、
吉野裕子氏によると、注連縄 (しめなわ) は、交尾をする蛇 (ヘビ) を表現し、蛇 (ヘビ) は脱皮 (生まれ変わり) するので「再生思想」にも通じたと云われています。
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(・・;) 内容は飛んでいますが、
どうやら、古代の人々は「再生思想」というものを持っていたようです。そして、これまで「再生思想」というのは道教の色をしていると思っていましたが、儒教の色をしているようです。
古代の海部族は、常世 (とこよ) の国 → 常 (つね) の世 → 不老不死の理想郷。と考えを持ち、蛇 (ヘビ) をトーテムとし、鵜 (う) が常世 (とこよ) の国に連れて行ってくれる。という考え方をしていました。
死生観では、
『不老不死』は道教色、
「再生思想」は儒教色をしているようです。
(・・;) これまで何度か、ブログで「儒教は宗教というよりも学問」と文を載せていましたが、儒教はとても難しい『学問色した宗教』という方が正しく、中国人や韓国人、日本人の死生観については儒教色の方が強く見られるといいます。
*仏教に溶け込んだ儒教
また意外と、東アジアの古い信仰が「エロい」のも『儒教の色』が含まれているようです。
(・・? どうしてエロいのか?
の結論をいうと「祖先崇拝」がエロすの源 (みなもと) で、祖先が神様という考え方はキリスト教徒から見ると、信じられない事でした。
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意外と思われますが、
古代から日本の「国家体制」は『仏教体制』でした。その仏教の中に、さまざまな宗教 (東方ミトラス教など) が隠れていましたので、その仏教の中に何と何が隠れているのかを見ると、人々の『思想の源流』が見えて来るように思います。
日本の仏教は、中国大陸を経由して来ているので、中国の仏教事情を知る必要に狭まれます。
中国では、仏教よりも「儒教と道教」2つの宗教観が古く、仏教はこの2つ考え方に溶け込む形で日本にも渡って来たようです。
*その他の宗教も
中国の宗教観 (儒教と道教) では、人間には元気、病気、邪気、陽気、呑気などという『気』が流れていると考えていました。
そして人間の『気』には、魂 (こん) と魄 (ぱく) の2つの気 (魂魄 / こんぱく) があるとされ、魂 (こん) は精神を支える気、魄 (ぱく) は肉体を支える気。
2つの気 (魂魄 / こんぱく) の考え方は道教色 (陰陽易) をしており、魂 (こん) は陽に属して天上に帰し、魄 (ぱく) は陰に属して地下に帰す。と考えられていたようです。
そして儒教では、2つの気 (魂魄 / こんぱく) が分別する (死ぬ) とき、天に昇った祖先 ≒ 魂 (こん) は門中 (むんちゅう) の繁栄を見て、自分もいつか門中 (血縁一族) の元へと還って来るゾ と旅立ちます。
https://kotobank.jp/word/門中-143233
死して三年は祭祀 (招魂) 儀礼を子孫に司ってもらい、魄 (ぱく) が眠る お墓は天から戻ってくる時の目印となります。
命日に子孫は招魂儀式を行い、祖先の考えに耳を傾けたり、清明 (しーみー) 祭では血縁関係のある門中 (むんちゅう) がお墓に集まり先祖供養をしたりします。
お墓のほか、位牌も儒教の先祖崇拝のシンボルで、その故人の「官位」や姓名を書いた「霊牌」を『位牌』と呼んだようです。
そして、子孫が先祖を祀る招魂儀式を行えば、天と地から2つの気 (魂魄 / こんぱく) 戻ってきて再生する。
*招魂再生
最大の不安は、天下の乱れ (戦争など) で子孫が途絶え、先祖である自分を祀る招魂儀式を誰も行ってくれないと、魂 (こん) と魄 (ぱく) は分裂したまま地球をさまよい、永遠に再生できない事でした。
⇔ そうならぬよう、
儒教では正しい政治を重んじたので、儒教は「宗教」というよりも『学問』と思われるようになったといいます。
ー・ー
「仏教と儒教と道教」3つはどこが違うのか。http://d.hatena.ne.jp/fusen55/touch/20100527/1274968371
ー死生観ではー
仏教は「輪廻転生」、
道教は「不老長生」、
儒教は「招魂再生」。
仏教では、この世の人生は「6つの苦 = 六道輪廻」であり、永遠に「苦」から逃れる事ができない。そのため、悟りをし「苦」のサイクルから出た人が『仏陀』に、http://ameblo.jp/yuukata/entry-11010657902.html と考え方をしていた。
儒教では人間は死ぬと魂 (こん) は天上に、魄 (ぱく) は地下に行く。死者の子孫が、祖先を祭祀すれば、現世に再生できるとする。しかし死については運命を受け入れ無抵抗である。
⇔ 一方、
道教は死に対して敢然と挑戦する。気功や太極拳で体を鍛え、キノコなどを材料に薬を作った。その努力の到達点は永遠の生命を持つ仙人になる。
仏教―因果や運命に基づく輪廻<転生>
儒教―子孫の祭祀による現世への<再生>
道教―自己の努力による不老<長生>
仏教は生死を超えて「仏陀」になろうとする。
道教は生死を一体化して「仙人」になろうとする。
儒教は生きているときには「聖人」になろうとし、死後は祖先祭祀によって生の世界に回帰 (再生) する。
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(・・;) これまで ;
ダイブ誤解していました。
(・・? それにしても、
確かに古代の海部族は、常世 (とこよ) の国 = 常 (つね) の世 → 不老不死の理想郷。と考えを持ち、蛇 (ヘビ) をトーテムとし、鵜 (う) が常世 (とこよ) の国に連れて行ってくれる。という考え方をしていました。http://ameblo.jp/yuukata/entry-12235586514.html
常世 (とこよ) の国 = 不老不死の理想郷は道教の色 ⇔ 脱皮 (生まれ変わり) する蛇 (ヘビ) = 再生思想は儒教の色をしています。
(・・? 古代の海部族は?
儒教色と道教色の両方を持っていたのか?
心当たりある お話として、縄文時代 ~ 弥生時代にかけての紀元前に日本に亡命して来た『徐福伝説』と お話があります。
また考えてみたいです。