
第8回 沖縄の雪国
「アイヌ人は先住民ではない」?『琉球人は先住民か日本人か』という「誤情報」や『対立軸』⇆ ナショナリズム運動がよく見られます。
先住民の定義は近代化を目指す欧米的で、江戸時代か明治時代ころ国際的に決められた定義なので、その時代に先に住んでいた人々が国際的な先住民の定義に当てハマるようです。
…
DNA的には
→
そうしたナショナリズム運動の背景には、国際的 ⇆ 国連的な政治に反発する動きと琉球の独立を心配する政治と重複しているように見えます。
(・・? 気になる点?
琉球の独立を心配する政治は ⇆ 香港や台湾の独立運動を支持している点で。琉球の独立?沖縄の自立?台湾の独立?香港の独立?マカオの独立?日本の独立?日本は独立国だヨ。という人もいると思います。が、本当は琉球の独立を心配するよりも ⇔ 日本の独立を心配した方が良いのかもしれません。
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→
→
日本は「旧体制」〜『新体制』へ移行するため、アジアの中で最も近代化 (西洋化) を急いだ国と云われています。
アジアの旧体制は儒教的な冊封体制。
が、中国も日本も自ら世界の覇権国を目指す事を封印 ⇔ とって代わってE欧各国の覇権体制に進展しました。
4代皇帝 〜 儒家勢力が力を持ち外交 < 内政という関係に。
4代将軍 〜 外交 < 内政という関係に。…
そうした時代
→
↓↑
中国も日本も「外側」よりも『内側』の「ナショナリズム運動』を最も警戒している?お話です。
日本のナショナリズムは、
製鉄 → 繊維 → 商業 〜 産業 → 儒学 〜 国学 → 南朝 ? 等のキーワードが重要に考えています。
(・・? 内容は飛んでいますが?
昨今のSNSで見られる「アイヌ人は先住民ではない」?『琉球人は先住民か日本人か』という「誤情報」や『対立軸』は近代化を目指す国際的な枠組からハミ出た政治?先住民の定義はDNA的 < 国際的ため ⇆ DNAを主張すればするほど国際的な枠組からハミ出る恐れもあります。
そうしたSNSでは、
表面上では「中国と米国」という対立軸を演出しているけど ⇔ 水面下では『国連と米国』という政治が見え隠れします。
また昨今では、
米軍基地は国連軍の機能も体している。との情報も見られるようになって来ました。実は ⁉ 米国も国連の1員で ⇆ 米軍基地は国連軍の機能も体している?と?お話です。
日本は旧体制 〜 新体制へ移行するため、アジアの中で最も近代化 (西洋化) を急いだ国と云われていますので、琉球の独立を心配するよりも ⇔ 日本の独立を心配した方が良いのかもしれません。
云われています。実は
またまた ![]()
海賊たちの華人ネットワークが影響していたようです。ー↓─━
─扉─
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ー Q & A →
琉球人は先住民か日本人か?
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その『答え』は ?『琉球』という文字に隠れています。
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むかし沖縄島の人々は自分の庭 (ナー) ? 自島 (ウチナー) と呼称していた。日本側の文献では「阿児奈波」「おきなは」⇔ 中国側の文献・隋書東夷伝では『流求 / 流求人』と記載され、明代 / 南北朝時代から『琉球』と記載されるようになった。
(・・; 実は ;『流求 / 流求人』という文字は蔑称で、流民や求者を意味。流求人は漂流する海洋民でありました。
✽流求人 ≒ 海洋民
私の庭 (ナー) ?
沖縄島 (ウチナー) には、これといった珍宝 (産物) が無く、中国島・九州島・朝鮮半島・日本島・東南アジア諸島・など。多方面の産物や商品を交換取引する海洋民 (流求人) は、明代 / 南北朝時代から『琉球』と呼ばれ、明朝 (中国) から優遇政策を受けるようになって行きます →
「流求」〜『琉球』に出世した時代 → 那覇港と首里城と唐営・久米村が整備された時代です。
唐営・久米村に華人ネットワーク。

これまで、久米村の入口を下から何百回も通り過ぎていましたが、まったく気づきませんでした。

昔の久米村の入口が久米大門 (くめうふじょう) で ⇔ 出口は西武門 (にしんじょう) といい、中央通りは 現在の「久米大通り」になっており、その「久米大通り」は『龍の身体』を表現しているようです

歩道橋の上から見ると! 何となく龍の頭のようにも見えました
↓↑
唐営・久米村が整備された時代の日本は 
(・・; これまでお話とこの度お話 ; 無関係に見えるかもしれませんが ⇆ 秘かな関連性がある
と見ています。
→第7回 沖縄の雪国
また、組には家と朝と君と伯・侯・藩?ほか、土地と人民の関係など。複合的な仕組みがあったように思います
例えば、
バチカン市国は世界1小さな国だけど ⇆ カトリック教の総本山 (本店) になっているので大きな組。また、国の中に国や人と民・ケースも見られます。
またまた ![]()

↓↑
ハプスブルク家 ⇆ オーストリア公国:神聖ローマ帝国:スペイン朝:ネーデルラント王国:ボヘミア王国:ハンガリー王国・クロアチア王国:ポルトガル王国:ナポリ王国:シチリア王国など。
スペインのハプスブルク家、オーストリアのハプスブルク家、スペインのブルボン朝、フランスのブルボン朝、ほか、
・・王の土地、・・君の土地、
・・公の土地、
・・伯の土地、
家と国 ⇆ 国に属する人と民 ⇔ 家に属する人と民、朝・君・公・伯・侯・藩?など。土地と人民との複合的な関係があったように思います。
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─扉─
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ところ代わって、
アジアの中国でも日本でも ⇆ 国と組 ⇆ 家と藩など。日本でも「公家と武家と寺家」3家の所領が存在。土地と人民と宗教の複合的な関係があった (ある?) ように思います。
古代 〜 江戸時代まで、
「公家や武家が商業するは恥ずべき事」という儒教的な思想があったので、形式上は宗教 ⇆ 実質上は商業を寺家が担当 ⇆ 僧侶は外交官として商的外交を行い、それに付随する商人も見られました。
…
第6回お話
→
日本海 (越の国) は近世から絹と木綿の繊維の里
古代の信濃国と上野国は麻の繊維の里で。ともに南朝の里でもありました。
むかし天皇の衛府と将軍の幕府あった。
近衛文麿の衛は防衛省や自衛隊の衛と同じく軍的な文字。奈良時代ころ五衛府 ⇆5つ衛門府が整備され。後ほど、天皇に近い衛門府は近衛府と呼ばれるようになったようです。
https://ameblo.jp/yuukata/entry-12977672529.html
…
第5回お話
→
長野県と山形県と熊本県とある共通点が見られ
また満州と沖縄と台湾 ⇆ 3つ緩衝地帯は「緊張の里」と同時に『商業の里』でありました。
ユニテリアンとキリスト友会 ⇆ ともに、イギリス国教会から分派したプロテスタント教で
タイプは異なるけど類似点も見られた
5千円札の新渡戸稲造と津田梅子の父親はキリスト友会 ← またの名は、クエーカー教フレンド派と呼ばれた。との事です。
…
沖縄語では
→
友人 = 同志小 (ドゥシぐぁー)、
https://ameblo.jp/yuukata/entry-12977112457.html
…
第1回お話
→
(・・¡¿ 南北朝時代ころ ⁉
出羽国の最上川流域は刀剣の里に。




https://ameblo.jp/yuukata/entry-12960267060.html
↓↑
出羽国 (いま山形県) の最上川流域は
月星信仰の里で
最上氏 (北朝) と寒河江氏 (南朝) の抗争地、製鉄と繊維の里。
…
第3回お話
→
同志社英学校を作った山本覚馬 (かくま) は津田流の砲術家。産業の殖産家でもありました。
またまた ![]()
同志社英学校の山本覚馬 (かくま) の津田流砲術は根来衆 (鉄砲衆) の津田監物算長 (つだケンモツかずなが) を由来。
↓↑根来衆 (鉄砲衆) の津田算長 (監物) は南朝の重鎮・楠木正成 (まさしげ) の子孫を自称していた。
またまた ![]()
(・・; 内容は飛んでいますが ;
火縄銃は竹や麻・木綿を綿打 ⇆ 叩いて繊維状の紐 (←竹や麻・木綿) に水で溶いた硝石を紐に染み込ませ乾燥後に紐 (←竹や麻・木綿) に火。木綿が優秀な素材であったようで。また当時、中国には硝石あるも硫黄ない ⇔ 日本には硫黄あるも硝石ない。商的問題もありました。
2つ鉄砲衆と職人村 →
根来衆 (鉄砲衆) は密教的な真言宗、雑賀衆 (鉄砲衆) は浄土的な一向宗。和泉国の堺市と近江国の国友村 (いま長浜市) は鉄砲鍛冶の職人村になっていました。

その昔、
前半は日本海の石見銀山や佐渡金山など活用し ⇆ 中国島 〜 硝石や絹糸、朝鮮半島 〜 木綿。等の繊維を輸入し ⇔ 日本側 〜 銀や金・硫黄・鉄製品など輸出。
中半 〜 銀や金の流出を控え、アイヌ産の俵物 (たわらもの) や 諸式の海産物を輸出 ⇔ 中国島 〜 硝石や絹糸、朝鮮半島 〜 木綿。等の繊維を輸入。
後半 〜 絹糸や木綿などの自国生産 → 商業 〜 産業の時代になって行きます。← その繊維産業は南西諸島 〜 日本海にかけて見られました。
またまた ![]()
前半は朝鮮半島の海賊が普及させた灰吹法 ⇔ 後半はスペイン商人 (海賊) かポルトガル商人 (海賊) が普及させたアマルガム鍍金法が利用。当時の覇権国は中国で。中国は「銀』を「交換税制』にしていたけど ⇔ 銀は海外依存 ⇆ 海賊たち任せであった事も後ほどE欧の産業革命によつて敗戦1因で。また、当時の海賊問題は決して小さな問題ではなく
…
第2回お話
→
同志社大学の校舎は2つあるようで。

多々羅は「たたら製鉄」を由来。
8世紀の大宝律令などの史料には、6年交代で南九州から上京する「朝貢隼人」と畿内の各地に移住させた「移配隼人」がおり、種々の祭祀儀礼に奉仕したり、彼らを統治するために衛門府のもとに隼人司を設置。また、6年交代で上京する「朝貢隼人」は、新しく来た人 →『今来隼人』とも呼ばれていたようです。

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―…
→
→
(・・? 内容はダイブ飛び?さらに複雑しますが?古代 〜 江戸時代まで、アジアの中国でも日本でも「日本国・日本人・日本語・領土・」など。そうした概念は無かた?希薄であった。中国でも日本でも儒教的な家族政治が行われ、江戸末期のアヘン戦争ころ 〜 国と家と藩など。1つにまとめる思想が芽生えたようです。
↓↑
その時代ころ、
薩摩の島津斉彬 (なりあきら)、土佐のジョン万次郎、琉球の牧志朝忠 (ちょうちゅう)、信濃の佐久間象山 (しょうざん)、会津の山本覚馬 (かくま)、上野の新島襄 (じょう)、等が登場します。
またまた ![]()
プロイセン公国は神聖ローマ帝国とポーランド王国の2重属国と2重宗教の公国で、帝国 > 王国 > 公国の関係にありました。
↓↑
旧体制は英国式 (体制保守) 、
新体制は独国式 (抵抗保守) 。
大日本帝国憲法はドイツのプロイセン憲法をお手本。E欧的で儒教的 ⇆ プロテスタント教と儒教の宗教的な折衷憲法になっていた。井上毅と元田永孚は肥後国の人で、その源泉は肥後国で起きた神風連の乱 (士族の反乱) を「利用」するも『封印』する → 天皇親政ではなく → 貴族親政?官僚親政?ような対立軸が当初から存在していた
今日でも継続中 →?
AIによると ![]()
侍補グループたちの思想や明治政府の教育・政治方針の転換に大きな影響を与えた。
思想的な影響:神風連の乱 (士族の反乱) が示した「過度な西欧化への反発」という危機感を侍補たちが宮中から政治・教育の保守化(伝統回帰)という形で吸収し実現させていった。
神風連の乱 ⇆
過度な西欧化への反発 → 侍 (士族) が持つ儒教的な道徳を補侍する宮中の侍補グループ。
神風連の乱 ⇆
急激なE欧化への反発 → アジア主義は大本教 (神道) や国柱会 (仏教) の思想にも影響を与え満州にも普及と云います。
…
侍補は
→
1877 (明治10) 年、元田永孚の提議によって西南戦争 (士族の反乱) 後の行財政改革の一環として発足。
https://share.google/BuvCJp2Rvz3yUVupA↓↑
一等侍補は徳大寺実則 (さねのり) ほか、
二等侍補は元田永孚 (ながさね) 。
ー(・・? ー?→
徳大寺実則 (さねのり / 兄) と 西園寺公望 (きんもち / 弟) の関係。
今日の同志社大学の敷地は徳大寺家の領地になっていたようです。
同じ祖先
西園寺家と徳大寺家 ⇆ 両家とも藤原公季を始祖とし、五摂家に次ぐ清華家の分家。藤原公経が建立した西園寺 (浄土宗の寺) の名前に由来。
藤原5摂家の分家 ⇆ 西園寺家と徳大寺家は公家と寺家を結び付く家。室町家と今出川家も西園寺家の分家と云われています。
ー ; →
(・・; 内容は非常に複雑していますが ; 同志社大学の2つ校舎は「対照的」な地となっており
その対照的な地 ⇆ 組を1つに『まとめる』作用があったように思います。明治時代も江戸時代も室町時代 → 東山文化と北山文化の時代にも「対照的」な組を1つ『まとめる』作用です。
江戸時代は公家の近衛家と武家の島津家、室町時代は公家の近衛家と武家の足利家、細川家も大内家も、三条家は公家と寺家と武家の合体家。など
複合的な何かが見られます ![]()
古代 〜 江戸時代まで、
「公家や武家が商業するは恥ずべき事」という儒教的な思想があったので、形式上は宗教 ⇆ 実質上は商業を寺家が担当 ⇆ 僧侶は外交官として商的外交を行い、それに付随する商人も見られました。
「対照的」な組を1つ『まとめる』作用はプラス作用も
マイナス作用もあるけど、今日政治でも影響するはアヘン戦争ころ 〜 E欧主義 ⇔ アジア主義 ⇔ 協調主義ほか、さまざまな社会主義が芽生えた時代に思います。

(・・? 本京都に多々羅?
西の京に多々良?南の京に多々名?
「海』は「壁」ではなく『道』でした。
第6回 沖縄の雪国
橙党や高1党の関係者の動画chで「
近衛文麿
(このえフミマロ) は共産主義者」? という都市伝説?コミンテルン陰謀論の情報を多く見られます。← ただいま、米ソ冷戦は終了しコミンテルンも解散。近衛文麿は藤原5摂家の華族 (公爵) ← 皇族的な政治家で、満州事変 〜 日中戦争 → アジア太平洋戦争の時代に登場する首相 (総理大臣) でもありました。
https://share.google/eAm4nO1wjGtkHhvacー(・・? ー?→
日米開戦の端緒 (糸口) は近衛内閣の時代に形成され → 東條内閣とき日米開戦が始まる →
敗戦が迫る1945年2月、
「
近衛上奏文
(近衛政治) 」⇔『1撃講和論 (東條政治) 』という相違点が見られ
帝国と宗教はSet関係 ⇔ 共産主義は無神論 ← 宗教も帝国も封印する政治でした。
ソ連は皇帝と宗教を封印、
⇔
ロシアは宗教とSet関係。
ー?→
(・・? 帝国と覇権国?
帝国は皇帝と宗教はSet関係、
⇔
覇権国は見えない帝国
3大覇権国は米国とロシアと中国?諜報国はイスラエル?という情報も見られます。
ー ; →
(・・; 都市伝説 ; ようなブログになっていますが ; 戦前の天皇は「人間」ではなく『神様 (現人神) 』でありましたので、皇族的な
近衛文麿
が共産主義者?というは都市伝説?陰謀論ような誤情報ことも考えられます。近衛文麿は共産主義者ではなく国家社会主義者に近い。近衛文麿の恩師・京大教授の河上肇 (はじめ / マルクス経済学) や近衛内閣の政策ブレーンにはソ連のスパイとして逮捕された尾崎秀実 (ほつみ) や社会主義者の風見章など。共産主義思想と結び付く人がいた点が「近衛文麿は共産主義者」という都市伝説と結び付くようです。
実際ところ、
近衛内閣には隠れ共産主義者?ような人もいれば社会主義者や右派的なアジア主義者に国粋主義者・宮中・官僚・企業・軍部・マスコミなど。多種多様な集まり。近衛内閣が整備した1国1党体制的な「大政翼賛会」自体が異なる思想を「1つにまとめる」政策?あったので、近衛文麿が舵取りした政策は敗戦の道に泥沼化したのかもしれません。
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―…
―…
→
→
またまた ![]()
近衛文麿は皇道派の首相を立てようとしていた。と云われています。
…
陸軍には
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日米開戦時の首相・東條英機は総理大臣であると同時に陸軍大臣 (統制派) 。近衛文麿は皇道派タイプ?東條英機は統制派タイプ?近衛内閣とき日米開戦の下地 ⇔ 東條内閣とき日米開戦を行う。← どちらも敗戦後の国体護持 (帝国維持) を基盤とし ⇔ 方向性が異なる政治であったようです。
欧米中心秩序への疑念とアジア主義的な視点?国際政治学者の三牧聖子氏が近衛文麿の政治を1部『評価する』動画chをしていました。
(・・? 気になる点?
国際政治学者の三牧聖子氏は同志社大学の教授でもあるようで。また、2026年は覇権の移行期とも云われているので、水面下では ⇆ 見えても見えない商的外交があるように思えて来ました。近衛文麿の父親は京都学派の哲学者・西田幾多郎のアジア主義を持っていた事との関連を思われます。

アジア主義にも多種多様な視点があったようで。近衛文麿が整備した「大政翼賛会』自体が多種多様な思想を持つ「烏合の衆』であったので、アジア主義にも左派的 ⇔ 右派的 ⇔ 哲学的 ⇔ 宗教的 ⇔ 官僚的 ⇔ 拝金的 ⇔ など。さまざまな思惑が複合的に錯綜してたのかもしれません。
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ある日のブログでは、
こんな文を載せて見ました。
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同志社学校の沖縄での平和学習は普天間基地が見える嘉数高台公園の『京都の塔』を源泉としていた。← 京都の塔は京都府南丹市園部町の政治家・野中広務議員らが尽力した第62師団 (石部隊) の慰霊塔であったようです。
自・党は利権の政党でありましたが?『昔の自・党』は心があった ⇔「今の自・党」は心が無い。
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─扉─
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2026年9月13日に、
沖縄県知事選挙が行われため、
なぜかSNSでは?他府県の人々も気になる?と、話題に。県知事選挙は「県益」だけど ⇔『国益』? と見るナショナリズム運動も見られます。
沖縄の保守票には、
高1総理 (統従) や 子泉大臣 (米従) に抵抗感を持つ票もある。と云います。昔の橋本政権ころ、野中議員が幹事長、宗お議員が北方沖縄担当大臣ありました。
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2026年8月末、
北方の「宗お議員」と南方の『しも候補』が、涙で始り → 涙で終る ⇆ 涙の利権コントをしていました。それは、沖縄の保守的政治家も寝耳に水お話であったようです。
北方の「宗お議員」と南方の『しも候補』⇆ ともに「the 利権』ような政治家で、宗お議員は橋本政権とき北方沖縄担当大臣であったと云う。宗お議員は「こんな演説」もしていました。
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昔しも議員が先の大戦で沈没した学童疎開船・対馬丸の遺族を連れて宗お議員のもとに来た。そのとき対馬丸の引き上げに反対したのは古泉総理であった。← その理由は、沈没船・対馬丸を引き上げたら ⇆ 他の沈没船も引き上げなければならない。
↓↑
と演説し
またまた ![]()
第32軍の隷下部隊 (師団) は中国の東北部で編成された関東軍の隷下部隊から転出した部隊が多いと云われています。
…
関東軍とは
→
中国の緩衝地帯 ⇆ 山海関の東 (満州地域) の軍で。第9師団 (武部隊) 、第24師団 (山部隊) 、第62師団 (石部隊) 、第28師団 (豊部隊) など。関東軍 (満州の) の隷下部隊が第32軍 (沖縄の) の隷下部隊になる。
第9師団 (武部隊) ⇆ 満州 〜 沖縄 → 台湾。
第24師団 (山部隊) ⇆ 満州 〜 沖縄島、
第62師団 (石部隊) ⇆ 満州 〜 沖縄島、
第28師団 (豊部隊) ⇆ 満州 〜 宮古島、
など。
第9師団は北陸兵で主体
https://share.google/39ZvwMPDEVRzyRNyj
第24師団は北海道兵が多い
https://share.google/b3rHXAAj1jw0BN81f
第62師団は京都兵と福井兵ほか
https://share.google/O5gUsCcPzU3gBN3i2
第28師団は東京兵と新潟兵と福井兵ほか
https://share.google/jnDtEZRBMQjgzGwf0
独立混成第44旅団は熊本兵の
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E6%B7%B7%E6%88%90%E7%AC%AC44%E6%97%85%E5%9B%A3_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D)
など。
第9師団 (武部隊) はサイパン陥落後に沖縄から台湾の第10方面軍に転出。
https://share.google/1CKo0vpAo4F4MDJay
…
陸軍省は
→
第32軍は南西諸島の守備軍、
第10方面軍は台湾島の守備軍。
大本営 > 第10方面軍 > 第32軍の関係に。
またまた ![]()
桜会 〜 庶民的な皇道派 ⇔ 一夕会 〜 エリート級の統制派に流れる者が多く見られ。比較的、皇道派は精神主義と神秘主義 ⇔ 統制派は合理主義の傾向が見られ。方向性は異なるも
庶民的な桜会もエリート級の一夕会も
その源泉は藩閥政治への不満
打倒藩閥政治を源泉としているようで。比較的、庶民的な会派が過激思想と結び付きやすい傾向が見られます。
皇道派 (桜会?) ⇔ 統制派 (一夕会?) ⇆ どちらも雪国関係者が多く見られ
またその源泉は
同じく藩閥政治への不満を端緒 (糸口) としていた。後ほど → 皇道派のエネルギーは封印され
統制派主導で日米開戦をしていたようです。
またまた ![]()
満州の関東軍も沖縄の第32軍も北進論を唱える者が多かったけど ⇆ 南進論の戦争をしていた。また満州と台湾も重複する政治が多く見られましたので『満州 ⇆ 沖縄 ⇆ 台湾』共通政治があったと思います。満州政治も台湾政治も
キリスト友会の新渡戸稲造など
雪国関係者が多く登場します。
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→
→
…
1972年の
→
沖縄返還には2つ密約。1つは核兵器、2つは繊維。です。繊維の里は偶然とは思えないほど南朝的な商業ルートと密接関係にあるように思います。日本海は越の国は近世から絹と木綿の繊維の里
古代の信濃国と上野国は麻の繊維の里で。ともに南朝の里でもありました。
むかし天皇の衛府と将軍の幕府があったと云います。近衛文麿の衛は防衛省や自衛隊の衛と同じく軍的な文字。奈良時代ころ5衛府が整備され。後ほど、天皇に近い衛府は近衛府と呼ばれるようになったようです。
古代から江戸時代まで、
公家や武家が『商業するは恥ずべき事』という儒教的な思想があったので、寺家 ⇆ 僧侶が外交官として → 形式上は霊的 ⇆ 実質的は商的な外交が行われており。また「軍的 ⇆ 霊的 ⇆ 商的』⇆ 密接関係の3的Setも見られました。そこで登場するは ⁉ 相国寺と一休寺 ⁉ そして近衛家の縁地です ⁉ そうした
見えても見えない商的外交は繊維の里 ≒ 南朝の里とも結び付く物です。
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─扉─
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南朝的な商業ルート →
…
南北朝時代
→

尊良親王は越の国、義良親王 (後の後村上天皇) は摂津国住吉、護良親王は南朝の征夷大将軍。宗良親王は常陸国 〜 信濃国に、懐良親王は肥後国八代など。多くの皇子を自身の分身として全国各地に派遣。上野国は南朝の重臣・新田義貞は越の国で亡くなる。
むかし科野国と毛野国は麻繊維の里で、科野国と毛野国は繊維の農家 ⇆ 阿波国の忌部氏は農協ような関係にありました。後ほど、科野国は信濃国 ⇆ 毛野国は上野国と下野国に分国。上野国の新田家は南朝の重臣 ⇔ 下野国の足利家は京都に室町幕府 (北朝) を開きます。
さらに後ほど →
関ヶ原の戦いが起き、信濃国と阿波国と加賀国 (←むかし越の国) は、親子で豊臣家と徳川家の2家に別れ ⇆ どちらが勝利しても家を残す政治をしていました。また、信濃国と阿波国と加賀国 (←むかし越の国) ⇆ 3国は管領家の細川氏と結び付きます。
またさらに後 →
加賀国 (←むかし越の国) の七日市藩は上野国で富岡製糸場の源泉となる繊維の里を整備し上野国は再び繊維の里として発展して行きます →
またまた後ほど →
信濃国松代藩と上野国安中藩を行来する加賀国七日市藩の時代に3国は再び『繊維の里』になって行きます →
信濃国松代藩の佐久間象山という思想家の門下生に山本覚馬 (かくま) という人物がおり、新島襄 (じょう) とともに同志社英学校を開校。新島襄 (じょう) は上野国安中藩の人で、江戸で生まれたと云い。同志社英学校の第1期卒業生は熊本バンドの人が多くいたようです。
(・・; ソ連崩壊前 ;
ソ連のゴルバチョフ書記長に「日本は最も成功した社会主義国だ」とも言っていました。国家的な社会主義?官僚的な社会主義?宗教的な社会主義?哲学的な社会主義?さまざまな社会主義があるのかもしれません。
またまた ![]()
橙党や百党・N党・高1党の支持者は沖縄2紙 ⇆ 琉球新報と沖縄タイムスを潰す運動をしている事も気になります。
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─扉─
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1450年 / 室町時代、
第一尚氏王統の5代目・尚金福王の時代に、臨済宗 (禅宗系) の僧・芥隠承琥 (かいいんしょうこ) は京都の南禅寺より来沖しました。
芥隠承琥 (かいいんしょうこ) は、第一尚氏王統の5代目・尚金福王の時代に来沖し、第二尚氏王統の3代目・尚真王の時代に亡くなりました。*享年73歳くらい
ー・→
第一尚氏王統 (7代 / 64年間)
5代・尚金福王 (1450‐53 / 在位4年)
6代・尚泰久王 (1454‐60 / 在位7年)
7代・尚徳王 (1461‐69 / 在位9年)
第二尚氏王統 (19代 / 410年間)
1代・尚円王 (1470‐76 / 在位7年)
2代・尚宣威王 (1477 / 在位6ヵ月)
3代・尚真王 (1477‐1526 / 在位50年)
ー・→
芥隠承琥が来沖した後、国王が6人交替。さらに、第一尚氏王統 ~ 第二尚氏王統へと 「王統」 も交替しています。
芥隠は、琉球王府の政治顧問 (ブレーン) として大きな役割を果たし、時の政権交代、王統交替を見届けていました。*芥隠禅師は来沖 ~ 36年、73歳で亡くなったと云われる。
ー・→
1492年、
首里城のすぐ近くに、天徳山・円覚寺が建立されました。
円覚寺は、禅宗式七堂伽藍からなる琉球最大の寺院で、円覚寺の開基は第二尚氏王統の3代目・尚真王 (当時28歳) 、開山は芥隠承琥 (かいいんしょうこ) でした。
1494年、
円覚寺の3つの鐘は未完成のまま開堂供養が急ぎ執り行われました。その理由は、芥隠の健康をおもんぱかり、重要施設、形式上、開堂供養が急ぎ行われたようです。
1495年5月16日
芥隠承琥は、円覚寺落成の祝語を書いたわずか1年後に亡くなりました。その文献を読むと、いかに芥隠が琉球王府の政治顧問 (ブレーン) であった様子が伺えます。
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円覚寺の3つの鐘は首里城の外にありましたが、首里城 ≒ 仏教施設 の中にも非常に重要な鐘がありました。
その梵鐘 (ぼんしょう) は通称・万国津梁の鐘と呼ばれ、首里城の正殿に掛けられていました。
その 「万国津梁の鐘」には『碑文』が書かれていました。碑文 (漢文) の鐘銘を書いたのは、 芥隠と同じく京都五山派の僧・渓隠安潜 (けいいんあんせん) と思われ、鐘を造ったのは、藤原国善という鋳物師でありました。
今は違うところに安置していますが、
政 (まつりごと) → 「政治と祭祀」 を行う首里城の正殿に鐘が掛けられていました。
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鐘の碑文があるといいます。


碑文の末尾には、明の天順二年 (1458年) 6月19日、鉄の大工 / 鋳物師・藤原国善が鐘を作り、

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さらに、鐘の碑文 (漢文) の中には、

渓隠安潜 (けいいんあんせん) に命じて、銘を求む、銘に曰く ← という部分があり、文字を書いたのは渓隠安潜。その渓隠に文字を銘求したのは芥隠承琥 (かいいんしょうこ) であったと云われています。

芥隠承琥 (かいいんしょうこ) は、
相国寺の僧・渓隠安潜 (けいいんあんせん) に文を依頼した?とあるようです。


広厳寺は南朝の重臣・楠木正成、天龍寺は南朝の後醍醐天皇の怨霊寺?おそらく?普門寺という寺は無関普門 (むかんふもん) の名前を由来しているように思います。
普門寺 (ふもんじ) があった所 → 普門寺跡地 → 普門地 (ふもじ) → 久茂地 (くもじ) になったと云われています。
沖縄県那覇市久茂地 (もと普門寺跡地) はいま、旧・那覇市役所、沖縄タイムス社や琉球新報社といった新聞社、沖銀や琉銀といった金融機関、テレビ局、ラジオ局などが建ち並ぶ、政治・経済の中心地になっています。
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無関普門 → 普門寺 → むかし普門寺 (ふもんじ) があった所 → 普門寺跡地 → 普門地 (ふもじ) → 久茂地 (くもじ) に。
また「軍的 ⇆ 霊的 ⇆ 商的』⇆ 密接関係の3的Setも見られました。そこで登場するは ⁉ 相国寺と一休寺 ⁉ そして近衛家の縁地です ⁉ そうした
見えても見えない商的外交は繊維の里 ≒ 南朝の里とも結び付く物です。
密約は秘密 (ひみつ) でもあるので ✽ 昨今の優越心に満ち溢れたナショナリズム運動にも注意が必要です。危険な落し穴 (トリック) が潜む情報を湯呑みにせづ地道な商的外交を求められる時代。今を見ても今は見えない
昔を見ると今が見える
そうした事もあるかもしれません。また昔を見ようと思います。
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