・人の行動の約9割は、無意識で行われているといわれる。

・無意識を「意識」し、それを耕すことで、日々の意思決定は確実に変わり始める。それはまた、想像性を高めることにも寄与し、あなたの日常をもっと豊かなものにするだろう。

・無意識における決定は、脳、あるいは身体全体でなされており、同時に複数のことを処理できる点において、意識より優れているといえる。

・自分の思考の傾向を無意識から意識化することで、日々の言動や人間関係、あるいは人生そのものを大きく変えられる。

・僕たちは無意識化においてこれまで見てきた顔から平均の顔を脳内で作り上げ、それに近い顔に交換を抱くようにできている。

・行動経済学では、人の不合理さや考え方の癖のようなものを「プロスペクト理論」と呼んでいる。それによると、多くの人は「利益を獲得する喜び」よりも、「損失を被る悲しみ」の方が強い傾向にあるとされる。

・日本は、ハイコンテクスト文化である。ハイコンテクストとは、コミュニケーションの基盤である共通の知識や経験、価値観のことを示す。これらの共有性が高く、あえて言葉お交わさなくても相手の意図を察しあえる環境はつまり、ハイコンテクスト文化の発達を意味する。一方で西欧の多くの国はあくまでも言語に依存するローコンテクスト文化が根付いている。コミュニケーションの価値のほとんどを言語においているから、日本人の不得意とする論理的思考力やディベート力、交渉能力に優れているのが特徴。そして、グローバル化が目覚ましい現代においては、こうしたローコンテクスト文化の重要性が叫ばれている。当たり前のことだが、異なる文化、歴史、経験、価値観がひしめく国際社会においては、」いわなくてもわかるだろ」というハイコンテクスト的理論は通用しないからだ。

・伝統的な自然崇拝として日本人の生活に根付いてきたものゆえ、神道は、宗教というより思想や哲学,あるいは生活そのものととらえることもできる。八百万の神を祟めることで身につく調和性や多様性、感謝の気持ち、清廉性などは、日本人の気質として連綿と受け継がれてきた。そういう意味では、神道はほかのどの宗教よりも、限りなく無意識の領域にあるのと言えるではないだろうか。

・アニミズム性を保ちながら近代国家として自立した日本は、本当に稀有な国だし、そこではぐくまれた感性もまた、独自の高いものと言えるだろう。

・仏教は、アジアに広く浸透している宗教の一つで、各国ごとに多少のの特色がある。しかし、日本で信仰されている「日本仏教」においては、群を抜いて独自路線を貫いている。

・日本人は、元来のものを受け入れるのではなく、自分たちの理解しやすい「型」に変えてしまう。

・日本人の深層には、外部からの新しい刺激を受けながらも、根本的な自分たちのやり方を変えない頑固さがある。

・もともとの大和言葉に漢字を当てはめて訓読みを作ったり、独自の漢字を編み出したりと、半ば無理やり自分たちのやり方に漢字を当てはめ、消化することに成功してしまった。

・日本人は、漢字という表意文字と平仮名という表音文字、つまり「画像」と「音声」という全く異なる性質を持つ二つの言語を並行処理している。これは世界的にみいも極めて例外的なことで、僕たちは文字を読み書きすることにおいて、特殊な脳の使い方をしているといってよい。

・自然と人はそれぞれに存在するのではなく、人は自然の中に存在し、むしろ自然と一体的なもの。僕たちの集合的無意識にそうした概念があるとしたら、環境問題に対して、日本人ならではの着想で取り組める何かがあるのかもしれない。

・「もののあはれ」という概念は、人や自然、地球上のすべての物質が「ありのままである」ということを肯定している点において個性や多様性を生む土台となっている。

・無意識とは、暮らす環境や文化、民族性、あるいは気候や風土など、多くの要素で形成されていく。

・自分が怒るというよりも自分の中の別のものに「怒らされている」という感覚でいるとわかりやすい。そういう意味では、は極めて無意識の領域に近いところに存在し、無意識の消息を伝えてくれるものである。

・負の感情やストレスと上手に付き合っていくために、昨今ではアンガーマネージメントが随分と話題になっている。感情というメカニズムを俯瞰して眺めることで、それをコントロールするための重要なヒントを見つけられるかもしれない。

・人は、多様なリスクにさらされながら、常に「どのように生き延びるか」を最優先して生きてきた。そのような環境では「恐怖」「怒り」「ストレス」というネガティブな感情が大いに役立った。恐怖という感情があるからこそ、危険を察知することができ、身体が逃げることを選択できるのだ。

・「怒り」をはじめとする様々な感情は、古来人間に備わる本能そのものであるため、自分では制御できない。

・大脳新皮質とは、知覚や計算、推測、運動の制御といった知性全般を管理する脳の重要な部位だ。その一部である前頭前野は、記憶や感情の制御など、とりわけ高度な精神活動をつかさどっている。

・喜怒哀楽という分類は言語的便宜性からつけられたにすぎず、実際にはもっと複雑で繊細な感情が、僕たちに渦巻いているのだ。

・感情のコントロールには、大脳新皮質、中でも前頭前野の機能が極めて重要になる。

・本や映画、音楽、様々な芸術に触れることは、前頭前野の訓練にすこぶる有効だ。さらに、いろいろな人とコミュニケーションをとることも経験の糧になる。そうした教養や経験が脳の内部モデルとなり、感受性を深め、怒りに対して「そんなこともあるよね」という心の余裕をはぐくむ。

・どんな感情でも長続きしないのは、脳科学的な事実だ。

・怒りや悲しみなどの感情と一体化するのではなく、「怒っている自分」と「それを客観的にみている自分」を分類することで、脳の安定状態を維持できる。

・何らかの事象があり、それに対してまず体が反応し根その反応に伴い感情が生まれる。この理論を提唱した二人の学者の名前にちなんで「ジェームズ=ランゲ説」と呼ぶ。

・落ち込んだとかに笑顔を作って心を軽くするように、形から入って感情をコントロールすることも、ある程度は可能かもしれない。

・人間関係についてまず理解しておきたいのが、他者とは決して分かり合えないという事実である。

・「わかり合えないこと」をわかっている。これだけで、人間関係はずいぶんと楽になるような気がする。

・分かり合えないことを前提としたうえでどのように他者と折り合っていくか。他者のことを完全に理解するのは不可能でも、僕たちの脳には元来、相手に共感しようとする能力が備わっている。

・内部モデルとは、簡単に言えば、過去の経験に基づき、自分の外の世界の仕組みを脳内でシミュレーションする神経機能のことだ。つまり、人との触れ合いとそれに伴う経験値、あるいは身に着けた教養が豊かなほど、内部モデルのデータベースも豊富に蓄積されていく。それに伴い「心の理論(他者の感情や言動を読み取ろうとする人間の性来の衝動)」も成熟され、共感の幅が広がり、他社の感情をくみ取ることができる脳が育成される。

・なぜ、「人の不幸は蜜の味」という感情がヒトの脳に備わっているのだろうか。人は昔、今よりもずっと小さく、閉鎖的なコミュニティで生きていた。そういう世界においては、個人の幸福は極めて相対的なものになる。たとえ儀、恋のライバルが不幸になれば自分が有利になるなど、他人の不幸で自分が幸福になるケースが現実に多かったため、脳も必然的に、そのような回路の進化を遂げたと考えられるしかしながら、コミュニティの数が拡大し、そのコミャニティ同士がつながるようになったグローバル社会では、「他人の不幸=自分の幸福」という単純な方程式は、もはや成立しなくなりつつある。だからこのような感情はなるべく切り捨てた方がよい。もし、このような感情に支配されたら、「自分にとって有益かどうか」という軸で考えて見てほしい。すると意外と、他人のことなどどうでもよくなって煩わしい感情から解放されるかもしれない。

・ヨナ・コンプレックス(自分に変化が訪れることに対する恐怖心)」という自己防衛の機能があることを理解して「本当はできるるのではないか」と自己を疑ってみることは、変化の大きな第一歩になる。あなたの可能性を低く見積もっているのはあなた自身であり、それを解放できるのもまた、あなた自身なのである。

・ナッシュ均衡とは、複数のプレーヤーが自分の利益を最も大きくすることを目的として戦略を選択した場合に生じる均衡状態のことを言う。例えば、社員の給料をもっと上げるべきだと内心思っていても、それを叫ぶことが、自分の立場的にマイナスになってしまう可能性がある。欠か、現状変えられず、ナッシュ均衡のジレンマに身を置くしか選択肢が名のなってしまう。

・様々なシーンでナッシュ均衡状態にることを理解し、自分らしさとは違う価値観に身を置いても、「そんなものだ」という気楽な気持ちで堪えること。現状に疑問を抱いているのは、決してあなただけではない。いつか多くの人と共有できることを願って、今は、そこにある自分の価値観を大切にしてほしい。

・人は集団に振り分けられただけで、自分が属する集団をひほかの集団を差別する可能性がある。たとえそれが、無意味で利害関係のない特徴を共有する集団で、そのひいきに大したメリットがないとしても、現実的に起こってしまっている。このような心境を呼び起こす背景には、自己への自尊心がある。自分が所属する集団をポジティブに評価することによって、自信への評価が高まることを期待してしまう。自分が所属する集団に感情的な意味合いが加われば加わるほど、人種や国民といったレベルで相手を過激に非難するようになってしまう。

・グローバル化が進み、人々の結びつきが国境を超える現代においては、「国」が持つ意味合いは絶対的なものではなくなってきている。

・養老先生曰く、個性とは、「発揮せよ、と言われなくても自然に身についているものであり、周囲が押さえその人に残っているもの人に残っているもの。」つまり、個性とは、自分がコントロールできる範囲外のもの。そして、無意識を耕すことによって、より思い道りに生きられると信じる。

・その人の人格や個性、あるいは無意識の領域については、出会った人や体験に大いに左右されるので、育ちや家庭環境はあまり問題ではない。どんな人でも、あなたが何歳でも、個性や無意識は耕していける。

・無意識へのアプローチとしてまず身に着けていただきたいのが、「全体を柔らかく俯瞰する視点」だ。要は、狭い範囲のことにあくせくしながら向き合うのではなく、可能な限りおおらかな気持ちで、物事全体を見つめるクセを付けてほしいのだ。

・ふと耳にした言葉や目にした言い回しで心を動かされたもの、なぜか気になったものをメモしておく。

・マインドフルネスとは、「今、ここ」で起きていることに対して注意を向け、自分が抱いている感情、思考を判断せずに、冷静に観察している心の状態のことだ。瞑想などは有効な手段の一つだ。マインドフルネスが完璧に自分のものになれば、「今、ここ」でやるべきことに100%の集中力を注ぐことができるようになる。

・「今、ここ」に目が行っていない人ほど、迷ったり悩んだりして八方ふさがりになってしまう傾向が強い。「仕事をやる意味は」「人生の目的とは」と大きなことは考えず、ひとまずは現状に集中すればよい。それが、マインドフルネスの神髄だ。

・マインドフルネス状態になることで、情報が整理され、頭がスッキリとクリアさらに、それぞれの情報や記憶が結び付きやすくなり、想像性が高まる。

・新しい情報を自分の知識として蓄えるプロセスは、脳が最もエネルギーを必要とするプロセス。

・情報を目で見て理解することと、それを自分のもとて消化することは全く別の作業。

・情報が過多なデジタル時代において、デジタルデトックスは定期的に必ず実践した方がよい。

・無意識を鍛える雑談。雑談は、いわば脳のマッサージである。「今、ここ」にある話題に意識を向け、オープンマインドでいるだけで、脳は自然と活性化していく。

・偉大なアーティストや企業の経営者にスピリチュアルなメンタルの持ち主が多い。音楽を作るにしても、事業を立ち上げるにしても、そこには絶対的な正解はない。先の見えない状況で不確定な選択をしなければならない際に、自らの直感やひらめきで行動することも少なくないはずだ。

・合理的には説明できない不確定な心理、つまり、「成功する根拠はないが、挑んでみよう」という野心的な意欲や妄信的な衝動が、時に大きな成功をもたらす。そして後に「成功の理由は?」と聞いても彼ら自身が明確な答えを持ち合わせていない場合が多い。だから、「あのときに毎朝トイレ掃除を欠かさなかったからトイレ掃除を欠かさなかったから」といったスピリチュアルな理由を付けることによって、無意識のうちに自分を納得させている。

・超常現象、あるいは第六感などの言葉から連想される「目に見えない世界で起きること」の本質は、無意識と密接にかかわっている。

・五感と六感の大きな違いは、その情報が外部からくるものなのか、内部からくるものなのか、という点である。第六感は、過去の経験などが無意識に蓄積されてて、それが判断に影響したという見方ができる。しかし、そのプロセスはあくまで無意識で行われているため、「見ない力」と解釈されるのだ。

・ダマシオは、体の内部から発生するシグナルを「体性感覚」と呼んだ。内臓や血液の状態、筋骨格の空間的位置情報、皮膚の表面感覚など、僕たちが意識しないところで、体性感覚は膨大な量の情報を脳に伝えている。その情報をもとに、第六感的な直観が働くようにできている。

・長い進化の歴史を鑑みれば、まず身体が形成され、その後、それをサポートするために進化したのが脳なのだ。何事も身体ありきで、SF漫画に描かれるような「水槽の脳」は、現実にはあり得ないということだ。

・これまで、ストレスや鬱などの原因は、脳内の神経伝達物質であるむセロトニン不足など、脳の状態が健康に影響を及ぼすと考えられていた。ところが最近の研究では、腸の健康状態によって、気分や感情に影響を及ぼすことがわかってきた。

・ストレスを感じるとおなかが痛くなり、便意をもよおすことがある。これは、脳が自律神経を通して、腸にストレスの情報を伝えるからだ。逆に、腸に病原菌が感染すると、腸管神経系を介して脳に伝わり、不安を感知する。このように、脳と腸はお互いに情報を交換し合い、影響を及ぼしあっている。

・ダマシオの研究では「体の声に耳を傾ける」ことの大切さを実感させられる。それは第六感とも直感ともいわれるものだが、スピリチュアルな文脈ではなく、糸の意識を司る極めて重要なモジュールとしての性質を、身体全体が兼ね備えているということなのだ。

・成功者にはスピリツュアルな人が多い。その理由については、彼らが直感やひらめきで行動することが多いからだ。言い方を変えれば、行動力のある人は成功しやすいということである。

・「自分が運がいい」と思っている人は、積極的に行動することが、様々な研究で分かっている。それはおそらく「運がいい人は行動力がある」のではなく、「行動力があるから運がいい」のだろう。

・「幸運が訪れるのを待っていればいい」は間違いで、それと出会うための準備をしておかなければならない。そして、それには行動、気づき(チャンスに気付く洞察力)、受容(革命や変化を受け入れること)が必要である。

・無意識は、あなたより、あなた自身のことを知っているのである。

・何かを続けようと思ったら、必要なのはやる気ではなく「習慣」である。

・やる気があろうがなかろうが、太陽が昇ったら「今日も仕事するか」と取り掛かるのであり、その無意識の行いが習慣化につながっていく。は様できなかったからダメというわけではなく、途切れ途切れでもかまわないから、とにかく続けること。三日坊主でも1000回繰り返せば、立派な習慣である。

・方向性が決まったらあとは淡々と続けるだけだ。続けることがなせ大切なのか。それは、脳が変化を嫌うものだからである。脳は基本的に安定性を重視し「いつも道り」をキープするようプログラムされている。「無意識を鍛えて明日から変わろう!」と思っても、簡単に人は変わるものではない。毎日の習慣で少しずつ脳に刺激を蓄積させていくことで、思考や意思決定を緩やかに、でも確実に変化していく。

・行動力があれば可能性も広がり、成功体験が増える。成功体験が増えればさらに行動力が増し、いわゆる「運がいい」スパイラルに入っていく。

・僕が行った研究では、スピリチュアルな思想を持つ人ほど、自由意志を強く感じていることが分かった。自分の意思に従って積極的に動く信念があるということだ。結局のところ、成功者にスピリチュアル-人が多いのは、これに尽きるのではないかと思う。他者や情報に流されず、なすべきことを自分で意思決定を下しているという点である。

・全く新しいものができたと思っていても、ゼロから発想しているのではなく、どちらかと言えば「思い出すこと」に近い感覚である。アイデアが「降りてきた」のではなく、自分の無意識の中から「探り当てた」という方が正しいのかもしれない。そういう意味では、ひらめきを得るためには、ベースとなる知識と経験が必要になる。

・「日常のルーティーン化」は、「今、ここ」への集中力を高めるのに有効である。・行動をある程度ルーティーン化することは、決断する機会を減らして脳の負担を減らすことに寄与し、脳科学的にもそのメリットが実証されている。優先順位が低い決定事項を決断する力を省エネ化することで、もっと重要なことに集中力を費やすことができる。

・歩きながら禅を組む「歩行禅」は、マインドフルネス状態になるのに有効だ。ひたすら無の境地で歩くことである。

・歩いたり走ったりという有酸素運動は、脳にいい影響を及ばすことが明らかになっている。前頭前野は、適度な有酸素運動によって鍛えられ、集中力や判断力の向上につながる。また、習慣的な運動は、自律神経の興奮を抑えられる。

・落書きは、想像力やひらめきをつかさどる右脳を活性化させ、左脳に偏りがちな脳の働きを回復させる。それによって、記憶の定着、発想力や思考力の向上など脳への様々な良い効果につながることが期待できる。

・サニー・ブラウン曰く、「落書きとは、思考を促すために思いのまま描くこと」

・読書は、無意識を耕すのに極めて有力なツールである。そして、集中力を養うツールとしても有用。

・脳にとって読書は、総合的かつ抽象的な刺激である。読書を通して五感の刺激が触発され、それらを言葉を通して整理することは、脳の最も高度な働きの一つでもある。さらに、本を読むときは、頭の中で何かしらのイメージをするが、その行為自体が、抽象的な思考力を高めるのに糸役買っている。深い集中力の中で、言語とイメージの両面から情報を組み立てる脳の神経活動が、知性のスペクトラムを形成する。

・日本では「学力=知性」というイメージがあるが、本当の意味での知性とは、こうした教養の幅広そを言うのではないかと思う。

・教養を蓄えることは個性を磨くことである。あなたが何歳でも、どんな人生を歩んでいようと、教養を身につけることは十分に可能だ。そうして無意識を耕すことが、本当の意味での「自分らしさ」につながってく。

・脳科学的に言うと、実は、自由意志(人が自発的に行為を決定する意思の在り方)の存在は否定されている。脳、そしてそれとつながった身体の活動は、因果的な自然法則にしたがったに過ぎない。わかりやすく表現すると、あなたの行動はすべて、意思ではなく脳が決定しているといえる。脳という多様な分子から成る組織の中では、きわめて複雑で物質的な神経活動が行われており、そこに「意思」が介入するということは科学的に証明できない。

・自由意志という幻想を信じることは、人間だけに与えられた最大のギフトと考えることもできる。そもそも、自由意志が存在するという前提がないと人はまともに生きていくことができない。日々の行動や意思決定が,自分ではなくほかのだれか(=脳)によるものという認識では、正常な精神状態を保てなくなってしまうだろう。ハーバード大学のダニエル・ウェグナーは、自由意志を「脳の最大のトリック」と表現したが、そういう意味では、自由意志を信じることは脳が健康な状態であることの証である。そして当然、「私は私の意思で、自由に選択して生きている」という獣医師の本質的な概念が、人の類まれなる感性を育み、人生をキラキラと輝かせている。

・自由意志の存在を否定することで享受できるメリットもある。それは根すべての決定権が脳にある以上、自分も他人もそう簡単には変われないという客観的事実を理解できることだ。脳は、その人の育った環境や経験を土壌とし、それに伴った意思決定を下すことしかできない。これを理解できれば、自分にも他人にも過度に期待することもなくなって、かえって気楽で自由な心持になれるのではないだろうか。

・基本的に、脳は安定を求めるものであるから、それを変えるためには長期的なプロセスが必要になる。「こうなりたい」という願望があるなら、本を読むなり、人と会うなりして様々な情報を脳に送り、無意識の領域へアプローチを地道に続けていくしかない。

・自由意志という幻想を打ち破ることはつまり、「なりたい自分」への努力を積み重ねていくことに他ならない。

・自分もいずれ、それほど遠くない時期に死を迎えるらちがいないということが実感として理解できるようになりました。その結果として、生に対する執着が弱くなりつつあります。

・私のように年を取ったものの死と、若い人の死、あるいは不慮の災難、事故による死とは分けて考えるべきかもしれません。

・カミュ曰く「真に重要な哲学上の問題は一つしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断するこれが哲学の根本問題に答えることなのである。」

・実在主義が繰り返し問うたのが、、自殺の是非を含む、自分の死との向き合い方でした。

・普通の人間が普通に育っていけば、どこかの段階で死にたいと考えることが一度はある。それはむしろ人間の精神的成長の一段梯なのではないか。

・人はいずれ死ぬのだから、死期を自分で決めていいんじゃないかと主張する人に対して、だめだという必要はない。「死にたいのなら死んでみればいい。だけど、やり直せないよ」とだけ言えば十分だと思っています。

・何しろあの番組は、脳科学の最近の知見を踏まえて、臨死体験梯の世界体験ではなく、死の直前に衰弱した脳が見る「夢」に近い現象であることを科学的に明らかにしたからです。(注釈:NHKスペシャル「臨死体験 死ぬとき心はどうなるのか」を、一部の人たちが激しく反発したことについて)

・人間が、これが真実と思い込んでいる相当部分が、実は自分のリアルな記憶と、学習記憶や、文化文明が与える思い込みやらで合成されたフォールスメモリー(偽の記憶)の塊である可能性があるということです。

・実は、意識が脳のどの部分の働きなのかは霧と特定できたわけではありません。

・トノーニ教授の「統合情報理論」では、意識は脳の特定分野に存在するのではなく、「脳の情報と情報」の「つながり」が作るネットワークによ生み出されるとしている。

・一番の問題は、その「意識」の中に主体性を持ち込むことが可能かどうかという点に、未来社会の最大の分岐点があるような気がします。機会に主体性を与えなければ、機械は機械を使う人間の道具ないし奴隷でしかありません。

・人間とは何か。生とは何か・死とは何か。その謎を問い続けていくのが人間なのかもしれません。

・人の性の前半部分は,人の死に何度も何度も出会って、人の生と死の間にあるものを学んでいく過程なんだと思う。

・人の死が当たり前の日常の事実となっていく後期高齢者になっていくと、私的な自分の周囲の人々の死も、日常のニュース番組で流されるような、ある程度、公的社会的な死も、ともに、当たり前の事実の一つとして自然に受け止められるようになるのだと思う。こういう過程を経て、いずれ来るべき自分の死も、当たり前に受け止められるようになるのだと思う。

・私は、人間としての見当識(私は誰か?ここはどこか?今はいつか?)を得たいのである。

・実際、世の中を眺めまわしてみれば、美しい相利共生関係ではなく、寄生から片利共生関係にいたる、あるいはずるく、あるいはさもしい関係が人間社会の中にもいたるところ展開されていることがわかるだろう。

・勉強しているときが一番楽しいんです。遊びたいという要求より、知りたい、勉強したいという要求のほうが、はるかに強いわけです。

・人間というものは、最も基本的な欲求として、知りたいという欲求をもっている。

・文明社会というみのを人がなぜ築くことができたのかというと、これはすべてヒトの知的要求の歴史的積み重ねがなしたものとっていいでしょう。

・人間はみんな60兆個の細胞を持っていて、その細胞一個一個の中にDNAから成る生命活動のプログラムを持っている。それはATGCの遺伝暗号で書かれたプログラムで、物質的には30億個の塩基対から成っている。いわゆる遺伝子は全部そこに塩基対としてコードされている・60兆個の細胞は常に自分のDNAのの中のその時の必要な部分を読み取っては自分の役割を果たしていく。

・人と動物との間に一線を画すことができるとするなら、それはヒトと、ヒトの最近縁種であるサルトの間に画されるはずである。ということは、サルの何たるかを知ったときはじめてヒトはヒトの何たるかを知ることができるということである。

・20世紀後半になって、分子生物学が飛躍的な発展を遂げ、それまで生命現象として特別視されていた様々の現象が物質レベルで解明されるようになった。生命現象に神秘的な未知の領域がたくさんある間は、そこに特別の意味を求めることは容易だった。しかし、分子生物学が生命現象を物理現象として一歩一歩解明していくごとに生命の神秘は消えていった。

・環境問題の深刻化によって、ヒトは事故の役割の大きさに気付き、ヒトと自然のかかわりを認識しなおし、自己の行動に責任を持つようになり、盲目的行動者から世界のマネジメントに自覚的にかかわる世界のケア・テイカーへと自己を変貌させようとしている。

・人類史における一大転換点、盲目的行動者から責任行動者への転換点に我々は立っている。

・地球という天体にたまたま特別の構造を持った物質環境があった。その中でいくつかの物質が結合を繰り返しているうちに、たまたま自己複製能力を持った物質的集団が出現した。これが環境との相互作用を繰り返していくうちに、次第に複雑な構造をとるようになり、ついには意識という手に負えない負えないものまでも持つ人間という種族を生むにいたった。ていうのが一口で述べた生命の歴史である。

・地球環境が生んだ生命であるがゆえに地球環境を離れては生きていくことができない。これが人間を含むいっさいの生命の宿命である。

・かつてアメリカの宇宙飛行士ラッセル・シュワイカートは、人類の宇宙進出を評して、これは太古において水中にしかいなかった生物が初めて陸上に進出したときにも比すべき生物進化の一大ターニングポイントであると指摘した。その比喩になぞらえて言えば、宇宙を時々出かけてはすぐ戻ってくる場所としかとらえない人々は、陸上生物にはならず、両生類に留まらんとする発想に立つ人々と言えるだろう。

・人間の認識というのは、すべてが経験、感覚入力の基盤の上に成立するものであって、もし、感覚入力をすべて取り去ったら、認識能力そのものが崩壊してしまうということを、感覚遮断実験が証明しています。

・人間から視覚を奪い、聴覚を奪い、あらゆる皮膚感覚を奪っていくと自分と自分を取り巻く世界とのつながりが失われていき、自分がある客観世界に属した存在であるという一切の感覚が失われ、世界が崩壊します。それとともに、自己の存在感が失われ、自己が失われ、幻覚世界の中に事故が溶け出していくような感覚に襲われます。

・一方に単独者のほうが安定するというのがありながら、同時にそういう人間関係を求める原始的要求がある。結局、その葛藤が常にあるんでしょうね。

・Let's everybody keep cool. Let's solve the problem.そういう大事故の時は、それしかないわけです。頭をクールにして、とにかくの前にある問題解決をやり続けるしかない。

・意識を混濁状態に置いたままの生とか、苦痛が激しくて、意識がほとんど苦痛と苦痛の克服にとらわれたような状態での生の維持は望まないということです。

・人生における最大の悔恨は、自分が生きたいように自分の人生を生きなかったときに生じる。

・動物が進化するとは、自分がそれまでない覚えた生活パターンが全く通用しない新しい生活環境に身を置き、新しい適応の努力を続けるうちに、心身両面で、新しい能力が開発され(自らのうちに発見し)、新しい生物種になっていくということである。

・自分の脳を育てるのは、自分自身以外にいない、ということです。脳に何を体験させるかというのは、要するにその人が自分の時間を使って何をやるかということです。

・自己の価値体系が個的であることに満足することことを学ばねばならない。どこの企業でも嫌われ者の管理者がいる。例外なく、自己の価値体系の相対性を学ぶことができなかっ人物である。

・人間何が幸せかと言えば、「やりたいことを、やりたいように、やる」という一点に尽きる思っている。

・勝ち負けでことが決まると思う人たちの人生げーけからいち早く脱して、勝ち負けに我関せず、と思う人たちの側に身を映してしまうこと。

・「simple is best」はあらゆる世界で通じる偉大な真理である。自然界には最小エネルギーの法則というのがあって、あらゆる自然現象は「水は低きに流れる」ように、より少ないエネルギーですむ方向に自然に進行するていうのもこれに似ている。

・「あれか、これか」という話になってしまうと、すごくバランスの失われた話になるので、「あれもこれも」、どちらにどれくらい重みを置くべきか、という観点で議論することが重要です。

。絶えざるインプットによって蓄積され形成された豊かな個性的知的世界こそが、よきアウトプットの土壌である。

・いろんな思想を味わってみるという経験をある程度積まないと、新しい思想に出会ったときにそれを正しく評価することができません。

・結局、「考える」という行為は頭の中で言葉を並べていく行為ですから、言葉を並べることで著者の思考過程を伝えるメディアである本を読むことが考えるのに一番役に立ちます。

・本を読もうとするときに、それが自分が死ぬまでに読める残り何冊の一冊樽に値する本であるかどうかを吟味してから読むべきである。目の前に読もうと思っている本が何冊かあるのであれば、読むべきプライオリティの高い順に読んでいくべきである。

・トラウマ体験を受けた後、逆にそういう体験をしたことが人格形成にプラスに働き、人間的に大きく成長させる「心的外傷後成長(PTG)」、すなわち「ポスト・トラウマティック・グロウス」という原子用が起こることが世界的に注目されているのだという。

・「万物は流転する。」こそ、永遠の真理なんです。

・どうか忘れずに生きていってほしい。そういうどん底の中から立ち上がった国が世界有数の大国へと背一葉できるていう事実が、過去の経験からすでに実証されていることを。そして、そういうどん底の中で育った人間は,ちょっとやそっとじゃ折れない強靭な心を持つことができるていうことを。

・「いま世界で何が起きているのか」「いま世界はどう変わりつつあるのか」「この変化し続ける世界の中でにほんはどうすればししのか」「そこで自分はどうすればいいのか」ということを常に考えることが大切なのです。

・精神分析学は、「我」の重心は意識よりもむしろ無意識の中にあると主張することによって、「我」を中心に据え、「我=意識」だとする考え方に大きな打撃を与えた。

・精神分析とは、フロイトによって創設された、人間の心理を研究することによって人間の心を理解しようとする学問である。

・行動心理学は、人間も動物の一種と考え、動物の実験や観察の結果をそのまま当てはめるが、精神分析は、それを否定し、あくまでも人間そのものを研究する。

・動物と人間の差異は、本能が正常に機能しているかの違いである。人間に本能がないわけではないが、その本能は壊れており、そのため正常に働かない。

・どうして本能が壊れたかというと、脳が急速に発達したため脳が膨張し、脳の中に新しい部分が生まれ、それによって本能が壊れたという説がある。

・動物は、本能を媒介として自然の中に納まっている。つまり、自然の一部である。しかし、人間は本能が壊れたことにより自然と乖離した。差の乖離を埋めるためにできたのが、「心」である。そして「こころ」は、無意識と意識に分けられ、さらに「自我」が生まれた。自我こそが人間にとって生きる指針であり、武器である。自我を失った人間は生きていけない。そして、その武器を使って人間は道具を作り、釈迦巣を作り、文明を作り上げてきた。それによってほかの動物たちに対抗し、生き延びてきた。

・「自我」は、動物における本能と違って自然に根差しておらず、存在の根拠がなく、実体のない幻みたいなもの。そのために、人間は「心の病」に悩まされるようになった。心の病とは、自我の病である。

・満足、充足を知らないこと、それが広い意味での人間の心の病といえよう。

・不満や悩みが全くない人間などいないという意味で、すべての人間が何らかの心の病を抱えているて言われる。

・精神分析とは、無意識を前提に、心の病の治療法であると同時に、その治療によって得られた知識を基にした理論であり、その理論によって人間の心の仕組みと働きを解明しようとする学問である。

・フロイトは、無意識を前意識と無意識に分け、前意識は、普段は無意識の中にあるが注意を向ければ意識に浮かび上がってくる部分で、無意識はねそのままの形では意識に浮かび上がってこない部分とした。

 中世までの人々は、心の問題は、神の祟りやお熊や何者かに取りつかれたと考えていてねその治療法は、祈祷やお祓い、悪魔祓いなどであった。

・18世紀後半になると、科学技術の発展もあり、心の病の治療に電気や磁気が使われるようになり、やがて催眠術も使われるようになった。催眠術でこれまで表に出てこなかった心の一部や別の人格が現れるこことがわかり、人間の心の中には本人の知らない部分があることがわかってきた。心の病の原因は、その人の心の中にあるの手はないかという考えが主流になり、そうした新しい考えを集大成したのかフロイトだった。

・西洋の哲学では長い間17世紀のフランスの哲学者デカルトの「われ思う故にわれあり」、つまり、今ここに考えている自分がいるのだから、自分は存在しているのだという考え方が主流だった。20世紀の半ばになると「構造主義」と呼ばれる、個々の人間が自由意志で生きているのではなく、人間は大きな構造に組み込まれており、その構造によって、自分でも知らないうちに行動を規定されている、という考え方が出現した。コリ構造主義の先駆者の一人がフロイト。

・人間は、自分ではわからないのだが、かなり無意識によって振りまわされているのであり、心の重心は無意識にあると考えた。

・無意識は、、錯誤行為(日常生活における失敗、間違い)、夢、心の病の3つの形に姿を変えてで現れる。

・錯誤行為は、疲労や不注意だけではすべて説明できない、つまり、心理的要因があることも少なくないし、自分でそれに気づいていない。

・夢は無意識についての重要な情報を与えてくれる。だから、精神分析療法においては、夢をどう解釈するか、夢から何を連想するかが非常に重要な課題となる。

・ひとは、夢を毎晩見ているが、起きたら忘れてしまうことが多い。

・体は寝ているが脳は起きているレム睡眠期に夢をみる。

・「夢」は、何らかの刺激によって目が覚めぬよう、睡眠を守るために生じる。

・実際見た夢と起きてから語った夢の内容は違うと考えられる。見ていた夢はストーリーにまとめ上げられて語られる。この目が覚めてから夢をストーリーにまとめ上げる作業をフロイトは夢の「二次加工」と呼んだ。

・心の内部からの刺激が生んだ大人の夢は意味が分かりにくい。その意味を探り当てていくことが「夢の解釈」である。

・夢に出てきたものがすべての人にとって同じ意味を持つとは限らない。夢を解釈するのには、それを見た人の「個人史」を知る必要がある。精神分析では、夢を見た人の経歴と切り離して、夢だけを分析することはない。

・夢は、願望の充足である。

・大人の見る夢が不可解なのは、粗利が歪曲されているためである。元の内容のことを「洗剤思想」、それが変形されて夢ら出てきたものを「建材内容」、潜在し佐生を建材内容に歪曲、変形する過程を「夢の作業」と呼ぶ。

・潜在思想は、自分で知りたくないこと、忘れていたいことなので、無意識的な自分(自我)によって、顕在内容に歪曲される。自我による検閲のようなもの。

・顕在内容から潜在思想を探り当てることが「夢の解釈」である。

・夢の作業による「凝縮」とは、一人の登場人物が複数の人間が合成されてできていたり、馬車や事柄なども同様なことが行われることである。

・夢の作業の「移動」とは、ある事柄がそれ重要なことがさ些細な事柄になっていたりすることがさ些細な事柄になっていたりすること。

・夢の作業の「視覚化」とは、抽象的な思想や観念が具体的な映像になる。その時に用いられる材料が日中残滓(前日の出来事)である。

「夢の作業」は、「凝縮」、「移動」、「視覚化」が行われ、それによってできた断片や要素が「二次加工」され、ストーリーにまとめられる。

・ヒステリー(後に転換性障害)とは、体にはなんの異常もないのに身体的な症状が現れたり、うつ状態が続いたり、発作的に痙攣をおこしたりする病のこと。フロイトは、ヒステリー患者の治療を通して精神分析療法を生み出し、理論をまとめた。

・ある患者に催眠術をかけ、意識下で忘れていることを話させると、症状が消えていったという話を精神科医プロイアーから聞き、この話が、のちに精神分析療法の中核である「自由連想療法」の基礎になった。

・人は、嫌な出来事、不愉快なこと、ショッキングなことに出会ったり、自分でも許せないような考えを抱いたりするとそれを忘れてしまうことがある。それは、無意識の中に押し込められるのだ。フロイトはそれを「抑圧」と名付けた。「抑圧」されたものは無意識の中にとどまり、そしてそれは意識には戻ってこず、症状という形になって戻ってくる。

・「無意識」に「抑圧」されたものを探り当て、それを意識化すると症状は消える。

・抑圧された精神的なものが身体的症状に転換される病気を、転換性障害、それが精神的な症状に現れる病気を解離性障害と呼ぶ。

・フロイトは、催眠術をかけ患者に告白させる方(催眠療法)、前頭法(患者の頭を掌で押し、"ここを押すと忘れていたことを思い出しますよ"と語りかける。)、患者に横になってもらい自由に語らせるという方法(自由連想法)を使って治療した。

・患者は、自由連想法で、話したくないことに接近すると「何も話したくない」などと黙り込むことがある。これを「抵抗」と呼び、「抵抗」を示すことこそ、患者が無意識の中に抑圧したものであり、症状を引き起こした原因がある。

・精神分析家は、「抵抗」を突破し、そこを追求していかなくてはならない。これを「抵抗の徹底操作」という。

・精神分析家は、患者が自分の症状の原因が何であるかに気付き、それを見つめ、理解することを手助けする存在。

・「転移」とは、患者が分析家に、別の人物に向けられるべき感情を向ける現象。「転移」は、治療が進展している表れと言える。

・オディブスコンプレックス(幼児期の男児が母親に向ける性的愛情、幼児期の女児が父親にむける性的愛情)を解消できずに成長すると、神経症の症状が現れることがある。

・性欲は、口唇期→肛門期→男根期→潜伏期(性欲の発達が中断し、母親への愛着を断念し、オディブスコンプレックスが解消される。)→性器期と発展する。

・幼児性欲がうまく正規性良く並行しなかったとき、異性との性器の結合以外の行為(フェティシズム、のぞき、露出など)で性的快感を得るようになる。

・過去に受けた苦痛を繰り返してしまうことを「反復脅迫」という。フロイトは、反復脅迫を深いところから来た悪魔的な性格を持つ傾向があるようなものに感じ、人間はそれには逆らえないと感じた。この考えが「死の欲望」へとつながり、人間にはもともと死の欲望があると考え、フロイトは、人間を、性の欲動と死の欲動の二つに引き裂かれた存在(欲動二元論)だと考えるようになった。

・自我とは、自分が自分だとおもっいるもので、人間が社会の中で生きていくために必要不可欠な、心の主体である。自我は一見すべて意識的のようだが、その多くは無意識的。自我は最初全能感(自分は何でもできるという思い)に浸っているが、次第に全能でないことに気付いていく。

・超自我とは、自我の内部にあり自我を監視して社会的生活を成り立たせているもの。

・エスとは、無意識の中にあらゆる欲動を含むもので、ひたすら欲動を満足させようとする。

・自我は本能に根差していない不安定なものである。

・自我は、外界、超自我、エスの要求にさらされ、不安定で崩れやすいため、自分自身を守るための様々なほうほう(自我の防衛機制)を考え出した。

・自我の防衛機制は、「抑圧(自分では認めたくないこと、嫌なことを無意識にエスの中に法こんでしまう)」、「否認(事実を認めようとしない)」、「分離(出来事と自分の感情を切り離す)」、「「反動形成(ある欲望を抑圧したがためにその反動として正反対の態度をとる)」、「投影(自分が持っている感情や欲望を、自分が持ていると気づかず、相手が持ってると思い込む)」、「同一視(他人の態度や行動を自分の中に取り入れる)」、「合理化(自分の行動を正しいと思い込み、正当化する)」、「昇華(社会的に受け入れられないような欲望を、社会的に受け入れられるような建設的な欲望に置き換える)」。防衛機制で自我を守ることができなかったとき、心が病んでしまう。

・本能の壊れた人間はね自然との間に隙間ができてしまった。自然との隙間を埋め人間は文明を作り出したが、それによって人間は生き延びることができたが、文明や文化は人間に対して抑圧的な働きをし、新たな問題を引き起こした。

・人間は、一人で獣をとることができないので、集団を形成し社会を形成するようになった。そして、社会を維持していくために法律や、るーねなどを設けた。また、その中で生きていくために、人間は個人の中に潜む本能的な要求を抑えなければいけなくなった。特に性欲と攻撃性を抑圧する必要に迫られた。そのため人間は、いつでも抑圧され、欲求不満状態にあり、そしてその不満が心の病を引き起こすことがある。

・戦争における人間の残虐性を見れば、人間には攻撃性が生まれつき備わっているのがわかるのではないだろうか。

・フロイトは、宗教は、無力な用事が親に対して抱く、強い存在に守ってもらいたいという願望の産物であり、幻想であるとした。

・個人の記憶は往々にして自分の都合のいいように修正されるが、国家の歴史についても同じようなことが起きる。すなわちその国にとって都合のいいように歴史が修正されることもありうる。

・フロイトは、理論の枠組みができると、文明や社会、宗教、集団の在り方を精神分析の視点で論じたり、文学作品や芸術作品を精神分析を用いて分析し先品や作家の意図を解釈したりしている。

ユングはフロイトに感銘を受け始めは親密な仲だったが、次第に感情的なもつれや理論の違いにより仲たがいし、その後和解することはなかった。フロイトは、心を動かすエネルギーは性的なものであるとしたが、ユングは、心を動かすエネルギーはもっと広く一般的なものとした。

・フロイトは、大人が心の問題を抱えていた場合、その原因は究極的には幼児期にあるとし、結果からさかのぼって原因を探していった。ユングは、現在のその人がその問題に対してどう対処し、自分がどのような方向に進んでいこうとしているのか、現在から未来を探っていく。

・ユングは、言語連想検査を考案し、言葉のイメージを重要視した。箱庭療法とは、絵画や箱庭を使って、自分の中のイメージを表現したり、膨らませたりして問題を解決する治療法である。

・言葉のイメージを重要視したユングに対して、フロイトは言葉そのものを重要視した。

・アドラーは、人の心は、つねに、劣等感を克服して優位な立場に立とうと「権力への意思」が働いている、と考えた。

・フロイトの娘とその弟子によってフロイトの考えを張ってくさせた自我心理学は、自我は生まれつき人間に備わっているもので、外界との接触を通じて発展していく。心の病んでいる人は自我が弱いとされ、患者の自我を強くしてやることが精神治療の目的となる。

・自我心理学の流れをくむエリクソンは、自我が字が理想を見習って大人になっていく過程を見習っていく過程に注目し、それを、子供がアイデンティティを確立していく発達過程ととらえた。アイデンティティとは、簡単に言えば自分の定義であたいていの人間人間は、それは青年期に確立されるが、なかなか自分のアイデンティティを確立することができず、アイデンティティの確立を先へのばす期間を「モラトリアム」と呼んだ。

・自我心理学の流れに属するコフートは、分析家は、患者の主観を大切にして、症状を分析するよりも患者と共感を持つことが症状の改善につながると考えた。

・新フロイト派と呼ばれる人たちは、フロイトは社会が人間の心ら与える影響を軽視しているとし、フロイトの理論を部分的に批判した。

・フロイトの精神分析は、簡易化されたり、修正されることによってフロイトの時代には適用されていなかった病にも用いられるようになった。

・多くの思想家がフロイトによつて啓発され、その思想を出発点として様々な思想を展開してきたといえる。

・複雑系が90年代半ばにはやった理由は、"未来を予想しずらくなった社会"という共通認識の下、複雑系の理論を理解することによって先の読めない焦燥感を解消し、乗り越えられるのではないか、という希望 の一端を見つけようとしたのではないか。

・入手できる情報の質と量が飛躍的に向上しても、社会全体のグローバルな動きを的確に予想することが簡単になったかというと、必ずしもそうなっていない。

・フラクタル図形とは、拡大しても縮めてみても同じ形がおらわれる「自己相似性」をもつ図形。

・厳密に規則的な自己相似性を持つ図形ではないが、逆全く違っている形になっているかといえばそうでないものが自然界にはあふれている。

・株価の変動、地震波、楽曲の音高列、交通量、心拍、脳波など様々な分野で、時間的な変動に対してもフラクタルなものが報告されている。

・非常に簡単な非線形写像からも「カオス(どんな周期の周期振動も作ることができる)」が出現することこそ、驚くべきこと。

・簡単なルールからでも、構成要素が相互作用することによって、システム全体としては複雑な挙動をとる。

・セルオートマトンとは、簡単なルールに従って時間とともに機械的に発展する細胞上の要素の集まり。

・セルオートマトンでは、フラクタルやカオスが現れる。

・パーコレーションの特徴は、単純でランダムな確率的なルールでありながら、それぞれの要素が相互作用するために、予想もつかない複雑な現象(例えばフラクタル)が現れる。

・自然の背後には、自己組織的に臨界現象へ向かうメカニズムが存在しているため、臨界減少に対応するベキ分布が自然のいたるところに現れると思われる。

・「複雑な」現象をできるだけ「簡単に」理解するという科学の精神

・陰陽説は、万物を陰と陽、マイナス要素とプラス要素の二元論で説明しようという考え方。五行説は、木、火、土、金、水の五つの要素から成り立っているという思想で物質だけでなく自然の運行や運命、人間の体調などあらゆるものが五行の影響を受けると考える。この五行陰陽説から生まれたものの中でもっとも有名なのは易。易は占いとしてだけではなく、天地人の運命を語る哲学書として現在も世界中で親しまれている。

・古代中国の人は、この世のあゆるものはすべて気でできていると考えていた。「気」には二種類あって、積極的なものを容器、消極的なものを陰気と呼ぶ。この二つが絡み合って様々なものの特性や性質を形成している。太極とは、陰と陽が混ざりあった、すべてのものの根本となるもの。

・穢れとは、「人間に対して感覚的に不快の念を与えるものとして特に忌諱され、災害や死をもたらす何者(悪霊)の発する悪しき働き」と定義づけられる。具体的には、人畜の死や出産、罪悪や疫病といったものが穢れと目されていた。穢れに触れること、すなわち穢れにとらわれ、その支配下にはいることを人々は極端に嫌がった。このため人々は忌(物忌)によってあらかじめ避けようとし、とらわれてしまった場合には、禊祓によってその状態から脱却していた。

・弥生時代の信仰には、穀物の神霊に対する侵攻や、鏡・剣を祭祀具することなど神道との共通点が多くみられる。縄文人の信仰は弥生人にも引き継がれて神道に流れ込んでいるのか、縄文文化を駆逐した弥生文化と共に振動が成立したのか。かつては後者の説が有力だったが、近年は前者の説も注目されている。

・神道には開組がなく、聖典もない。そして、神道的価値観の伝授に用いられるのは、神話や神社や祭り侵攻(儀礼)である。これらを知り、体験することを通して、神道的価値観が受け継がれてきた。

・人間の生命力のサイクルとは。ケ(日常生活)の中で生命力を使う→ケが続く中、生命力を失いケガレ(ケ枯れ)となる→ハレ(祭り)をして神と交信し、生命力を補充→生命力を更新し、再びケに戻る。

・日本では古来、言葉には霊性(神霊)が宿っていて 、不用意に用いると、悪しきことを引き起こすと恐れられていた。この言葉に宿る霊性のことを言霊(ことだま)という。言霊は、悪しきことだけを招くわけではなく、良いことも引き付けてくれる。

・神道には、天地創造の神はいない。

・天照大御神は、新党の最高神ではあるが、絶対的支配者ではない。

・「氏神」とは、各地の豪族、氏族が進行してきた氏族を守る祖先神だった。そして、武士たちが家臣団を含めて同じ神様を祭ることで結束したような「氏神毛となり、生まれた土地の神様となって行った。

・「古事記」では、神話のうち4割が出雲の話。これは、大和朝廷にとって出雲が強敵だったため。

・江戸後期の国学者本居宣長曰く、「人のことは言うまでもなく、鳥獣木草の類、海山など、何であれ常識を超えて優れて徳があるもの、立派なものを神という。[すぐりて]とは尊いこと、善いこと、武勇あることだけではなく、悪しきこと怪しいことも、世にも稀なことは神という。」つまり、人間の常識を超えたものは神だという。そうした「神」は、恐れ敬うというのが、神道の考え方。

・稲荷社の狐は願い事を稲荷神に伝える神使いであって、神様ではない。

・1931年9月18日、関東軍参謀石原ら柳条湖で鉄道を爆破、奉天占領。(満州事変始まる)

・1931年10月17日、十月事件。(陸軍将校クーデター陰謀)

・1932年1月28日、第一次上海事変。

・1932年5月15日、五一五事件。(犬養首相射殺される)

・1932年5月26日、斎藤実内閣成立。

・1932年10月1日、国際連盟リットン調査団報告書。

・1933年1月30日、ヒットラーのナチス、ドイツで政権握る。

・1933年2月24日、国際連盟総会、日本の満州支配否認決議(42対1)、ついで日本国連盟脱退。

・1933年2月29日、小林多喜二、築地警察署で虐殺される。

・1933年3月4日、関東軍、熱河省占領。

・1934年3月1日、満州国執政溥儀、「皇帝」就任。

・1934年5月3日、中国人民対日作戦基本綱領発表。

・1935年8月1日、中国共産党抗日救国宣言。

・1935年10月3日、イタリア、エチオピア侵略開始。

・1935年11月9日、北平学生対日妥協反対デモ。

・1935年12月31日、関東軍支援の内蒙軍、沽源占領。

・1936年2月26日、二二六事件。(陸軍部隊反乱)

・1936年3月9日、広田弘毅内閣成立。

・1936年5月12日、徳王主席の内蒙政府成立。

・1936年5月18日、陸軍大臣現役武官制復活。

・1936年中旬、フランコ反乱、スペイン内乱始まる。

・1936年11月25日、日独防共協定。

・1936年12月12日、西安事件。(張学良が蔣介石を監禁し、国共内戦の停止を迫った事件。蔣介石も国共合作に同意)

・1937年1月29日、陸軍、宇垣一成の組閣阻止。

・1937年2月2日、林銑十郎内閣成立。

・1937年6月4日、近衛文麿(第一次)内閣成立。

・1937年6月29日、カンチャズで日ソ軍事衝突。

・1937年7月7日、盧溝橋事件、日中全面戦争始まる。

・1937年8月5日以前、「時局ニ関スル記事取扱イ方ニ関スル件」を新聞、雑誌等に伝達。

・1937年8月22日、国共合作により中国共産党軍を第八路軍とする。

・1937年10月1日、矢内原忠雄、公然と日本の中国侵略を非難、ついで東大教授辞任を余儀なくされる。

・1937年11月20日、大本営設置。

・1937年12月13日、南京占領、其の後南京大虐殺続く。

・1937年12月22日、日本労働組合全国評議会解散命令。

・1938年2月18日、石川達三「生きている兵隊」発禁、ついで刑事訴追。

・1938年2月22日、朝鮮人を軍に「志願」させる制度を作る。ついで徴兵制試行。

・1938年4月1日、国家総動員法制定。

・1938年7月29日、張鼓峰の国境紛争で日ソ軍事衝突。

・1938年9月29日、ミュンヘン会議で、英、仏対独「宥和」決定。

・1938年10月21日、広東占領。

・1938年10月27日、武漢三鎮占領。

・1938年11月、国共内戦。

・1939年1月5日、平沼内閣成立。

・1939年1月、尾崎秀美『中央公論」に「東亜共同体の理念とその成立の客観的基礎」を発表。

・1939年2月10日、海軍海南島占領開始。

・1939年3月16日、ドイツ、チェコスロバキアを解体。

・1939年3月28日、フランコ軍、マドリッドを占領。

・1939年4月4日、映画法制定。

・1939年6月21日、灯台社明石順三ら検挙、法廷で不屈の主張を貫く。

・1939年7月8日、国民徴用令制定、軍需工場等への徴用の道を開く。

・1939年8月23日、独ソ不可侵条約。

・1939年8月下旬、ノモハン事件、日本軍大敗。

・1939年8月30日、阿部信行内閣成立。

・1939年9月1日、第二次世界大戦始まる。(ドイツ軍によるポーランド侵攻)

、1939年9月17日、ソ連軍、ポーランド東部に侵攻

・1939年12月6日、小作料統制令制定(国が小作料の料額・種別を管理する) 、次々に地主制の根底をゆすぶる変化進行。(地主に対する国家の統制が実施される先がけとなった)

・1940年1月16日、米内光政内閣成立。

・1940年1月26日、日米通商条約失効。

・1940年2月6日、綴り方教育(意図的,計画的に文章表現の能力の育成をはかろうとして行われる教育)推進の教師たちの検挙始まる。

・1940年3月7日、衆議院、斎藤 隆夫(立憲主義・議会政治・自由主義を擁護し、弁舌により軍部の政治介入に抵抗した)を除名。

・1940年3月7日、今井陸軍武官、中国国民党による政府と秘密和平交渉。

・1940年3月20日、汪兆銘主席の南京「国民政府」樹立。

・1940年4月15日、官憲の意向により一部謡曲詩句改訂。

・1940年5月1日、延安の野坂参三指導下による日本兵士の反戦同盟延安支部成立。

・1940年6月4日、連合軍、ダンケルク敗退。

・1940年6月14日、ドイツ軍パリ占領、次いでフランス降伏。

・1940年7月8日、日本労働総同盟解散。

・1940年7月16日、立憲政友会(久原派)解党。

・1940年7月17日、イギリス、ビルマルート一時閉鎖。

・1940年7月22日、米内内閣、陸軍のため総辞職、近衛第二次内閣成立。

・1940年7月30日、立憲政友会(中島派)解党。

・1940年8月15日、立憲民政党解党。

・1940年9月21日、婦人選挙権獲得同盟解散。

・1940年9月23日、仏印進駐。

・1940年9月27日、日独伊三国軍事同盟締結。

・1940年10月12日、大政翼賛会発足。

・1940年10月25日、日本政府、蘭印資源獲得方針決定。

・1940年11月25日、大日本産業報国会創立。

・1940年11月30日、汪兆銘の「国民政府」と条約を結ぶ。

・1940年12月20日、情報統制局設置。

・1941年1月8日、陸軍大臣通達「戦時訓」

・1941年3月1日、小学校を国民学校に改める。

・1941年3月7日、国防保安法制定。(法律の対象は、御前会議、枢密院会議、閣議ならびにそのために準備した事項を含む国家機密の漏洩、その他通敵を目的とする諜報活動、治安を害する事項の流布、国民経済の運行の妨害および妨害未遂、教唆、扇動、予備または陰謀などである。)

・1941年3月10日、治安維持法改悪、予防拘禁規定。(刑を受け、非転向のまま刑期を満了して出獄した者の「再犯」を防止するために、その者を拘禁し続ける制度。)

・1941年4月1日、生活必需物質統制令(生活必需物資の生産・配給・消費・価格などを全面的に統制するために国家総動員法に基づいて発せられた勅令)、六大都市で米穀配給通帳制度実施。

・1941年4月13日、日ソ中立条約調印。

・1941年4月16日、駐米野村大使、ウォルシュ案(その内容は三国同盟の破棄、中国における停戦、極東モンロー主義{アジアにおける排他的な覇権、つまり自給自足圏を確立することによって、大日本帝国の自立を図ろうとするもの)の承認、米国との経済関係の回復というものであったが、これは正式な日本提案ではなく、日本側の意見をまとめたに過ぎないものであった。このときのルーズベルトの態度は明らかではないが、ハルは懐疑的であり、反対にウォーカーは乗り気であった。ウォーカーとウォルシュ、ドラウトの構想は日米協定を結ぶことにより日本政府内の穏健派を支持し、日本の政策を対独結合から対米協調へと転換させようとするものであった)による日米交渉開始。

・1941年7月2日、御前会議、北方(ソ連)武力行使条件付き決定。

・1941年7月18日、第三次近衛内閣成立。

・1941年7月26日、米英、日本資産凍結。

・1941年7月29日、南部仏印進駐。

・1941年8月1日、米国対日石油輸出禁止。(ABCD包囲ライン成立)

・1941年10月15日、尾崎秀美逮捕。(ゾルゲ事件の瑞緒)

・1941年10月18日、東条英機内閣成立。

・1941年11月5日、御前会議、勝算なくして開戦準備決定。

・1941年11月20日、大本営政府連絡会議、「南方占領地行政実施要領」を定む。

・1941年11月26日、米国、ハル・ノート(日本の一切の陸海空軍兵力を中国,インドシナから撤収すること,重慶 の国民政府以外の中国におけるいかなる政府,政権も支持しないこと,日本,アメリカ,イギリス,オランダ,中国,ソ連,タイの7ヵ国の多辺的不可侵条約の締結,実質的に日独伊三国同盟を廃棄することなどを要求)提示。

・1941年12月1日、御前会議、対米英開戦決定。

・1941年12月2日、朝鮮人強制連行強化。

・1941年12月8日、真珠湾攻撃、対米英開戦。

・1941年12月10日、マレー沖で英戦艦二隻撃沈。

・1941年12月11日、独伊対米宣戦。

・1941年12月25日、日本軍、香港占領。

・1942年1月2日、日本軍、マニラ占領。

・1942年1月23日、日本軍、ラバウル(パプアニューギニアの都市)占領。

・1942年2月1日、衣料、みそ、しょうゆ切符制施行。

・1942年2月15日、シンガポール占領、日本軍による華僑大虐殺始まる。

・1942年2月24日、戦時刑事特別法制定。(灯火管制中や敵襲の危険のある場合などの放火・強姦(ごうかん)・強窃盗,国政変乱目的の殺人,防空公務員に対する公務執行妨害などの刑を加重し,生活必需品の買占め・売惜みなどの罪を設け,訴訟手続にも特例を定めた)

・1942年3月5日、パタビア(インドネシアの首都ジャカルタのオランダ植民地時代の名称)占領。

・1942年3月8日、ビルマのラングーン占領。

・1942年4月1日、台湾人を軍に志願させる制度を作る。ついで徴兵制施行。

・1942年4月30日、翼賛選挙。(衆議院議員総選挙)

・1942年5月7日、日本軍によりフィリピンのコレヒドール要塞陥落。

・1942年6月5日、ミッドウェー海戦敗北。

・1942年6月9日、フィリピンの米フィリピン軍の全部隊が降伏。

・1942年7月、ガンジー日本の侵略に抵抗の意志表明。

・1942年8月7日、米軍ガダルカナル上陸開始。

・1942年12月31日、日本軍ガダルカナル放棄決定。

・1943年2月2日、スターリングラードの独軍降伏。

・1943年4月18日、連合艦隊司令長官山本五十六戦死。

・1943年5月29日、アリューシャン群島の占領したアッツ島米軍に奪還され、守備隊玉砕。

・1943年8月1日、ビルマ独立。(日本はイギリスの植民地支配に苦しむビルマを解放するとの名目で進軍し、ビルマ人から成る反イギリス植民地支配の民族主義勢力ビルマ独立義勇軍と連携した。そして、ビルマは独立を宣言。しかし、日本はビルマが独立した後も1年半以上にわたってビルマに日本軍を駐屯させて影響力を行使しており、実質的なビルマの独立を認めたとは言い難い)

・1943年8月31日、日蓮宗教弾圧。(日蓮宗の曼陀羅の天照大神の位置付けが弾圧の口実となった。しかし、宗教界の大多数は、進んで戦争に協力することにより普遍人類的宗教としての超国家性を自ら放棄していたのが実情)

・1943年9月8日、ファッショ政府を倒したイタリアのパドリオ政府、連合国に降伏。

・1943年10月14日、フィリピン独立。

・1943年11月5日、大東亜会議開催。(当時の日本の同盟国や、日本が大東亜戦争で旧宗主国を放逐したことにより独立されたアジア諸国の国政最高責任者を招請して行われた。そして、大東亜共同宣言はイギリスとアメリカが提唱した大西洋憲章に対抗することを目指していた。参加国は、大日本帝国、汪兆銘政権{日中戦争における日本軍占領地に成立した親日政権}、満州国、フィリピン、ビルマ、タイ、インド{この時点では本土がまだイギリスの植民地支配下にあったインドからは、日本と協力しインド全土のイギリスからの完全独立を目指していた亡命政権である自由インド首班のチャンドラ・ボースが参加した。ラース・ビハーリー・ボースもオブザーバーとして出席したが、オブザーバーとなったのは日本がインドを大東亜共栄圏に組み込まないという意思を明確にしていたからである})

・1943年11月25日、タワラ、マキン(ギルバート諸島)両守備隊全滅。

・1943年11月27日、カイロ宣言。(米英中華民国国民政府によるカイロでの首脳会談でだされた宣言。米国が起草した宣言案を英国が修正し、日本の降伏と、満州・台湾・澎湖諸島の中華民国への返還、朝鮮の自由と独立などに言及した宣言が出された。カイロ宣言の対日方針は、その後連合国の基本方針となり、ポツダム宣言に継承された)

・1943年11月28日、テヘラン会談開始、ソ連対日参戦意向を秘密裡に示す。(アメリカ、イギリス、ソ連の首脳が一堂に会した初めての会談。カイロ会談に引き続き、ビルマ奪回作戦、フランス上陸作戦、地中海作戦といった連合国側の諸作戦における各国間の調整事項やポーランド国境の確定、ドイツ降伏後のソ連の対日参戦などについて話し合われた)

・1944年2月5日、正木弁護士、茨城警察官の被疑者拷問致死事件告発。

・1944年2月28日、東条首相、裁判官脅迫訓示。労働力不足を補うため日本に中国人を強制連行する政策を決定。

・1944年3月~7月、インパール作戦失敗、戦没者数万。

・1944年6月6日、連合軍、フランス北岸ノルマンディーに上陸。

・1944年6月19日、マリアナ沖海戦、日本艦隊大損害。

・1944年6月30日、学童疎開方針閣議決定、ついで実施。

・1944年7月7日、サイパン島米軍の手に帰し、多数の日本兵および民間人集団自殺。

・1944年7月22日、東条内閣、重臣層のために総辞職を余儀なくされ、小磯国昭内閣成立。

・1944年8月22日、沖縄の学童疎開船撃沈される。

・1944年8月25日、パリ解放。

・1944年10月10日、那覇大空襲。

・1944年10月24日、米軍、フィリピンのレイテ島上陸。

・1944年10月25日、海軍神風特攻隊出陣開始。

・1944年11月24日、米空軍のB29爆撃機の東京空襲開始。

・1944年11月29日、七万トン空母信濃竣工直後撃沈。

・1945年1月9日、米軍ルソン島上陸。

・1945年1月18日、最高戦争指導会議、特攻化全面採用方針決定。

・1945年2月11日、ヤルタ会談、ソ連対日参戦約束。(ソ連対日参戦と国際連合の設立について協議された他、ドイツおよび中部・東部ヨーロッパにおける米ソの利害を調整することで、世界大戦後の「ヤルタ体制」と呼ばれる国際レジームを規定した。超大国主導の勢力圏確定の発想が色濃く、東西冷戦の端緒となった)

・1945年2月14日、近衛文麿「国体護持」のための終戦意見書上奏。インドネシアのブリタル駐屯義勇軍、対日反乱。(インドネシア人防衛義勇軍(Pembela Tanah Air、略してペタ)のブリタル駐屯部隊が、日本軍に反乱した。日本軍はペタを教育、訓練し制御下においてきたが、唯一の例外が「ブリタルの反乱」だった。反乱の動機は食事や待遇への不満で、政治的理由ではないとされる)

・1945年2月26日、ルソン島リパで日本軍、住民大虐殺。

・1945年3月1日、大審院、翼賛選挙無効判決。

・1945年3月10日、東京大空襲、死者約10万。(東京空襲数十回に及ぶ)

・1945年3月13日、大阪大空襲。(大阪空襲数十回に及ぶ)

・1945年3月19日、名古屋大空襲。(名古屋空襲数十回に及ぶ)

・1945年3月19日以後、全国都市逐次空襲絵により被災。

・1945年3月22日、硫黄島守備隊全滅、米軍の手に帰す。

・1945年3月27日、日本軍に協力したビルマ軍、日本軍に反逆攻撃開始。

・1945年4月1日、米軍沖縄上陸開始。禁制品を積んだ阿波丸、米潜水艦に撃沈される。

・1945年4月7日、鈴木貫太郎内閣成立。戦艦大和撃沈される。

・1945年4月12日、米大統領ルーズベルト死亡、トルーマン大統領就任。

・1945年4月20日、国土決戦勅令。

・1945年4月28日、ムッソリーニ、パルチザンに殺される。

・1945年4月30日、ヒトラー自殺、ついでソ連軍ベルリン占領。

・1945年4月、人民総蜂起により北部イタリア、連合軍の到着に先立ち解放。

・1945年5月2日、ラングーン陥落、ビルマ奪還される。(ビルマをめぐる戦いでは、枢軸国と連合国の軍隊のほか、当時植民地であったビルマ、インド、韓国などの独立運動も大きくかかわっている。そのためイギリスからの独立を目指すビルマ国民軍やインド国民軍は日本軍やタイ王国軍を中心とする枢軸軍に味方し、日本からの独立を目指す韓国光復軍やビルマの抗日運動はイギリス軍や中国軍、アメリカ軍を中心とする連合軍に味方した。またインドではイギリスの植民地軍である英印軍としてイギリス側で参戦した兵士たちも多かった)

・1945年5月7日、ドイツ軍降伏、ヨーロッパでの戦争終わる。

・1945年5月17日、九州帝国大学医学部で米捕虜の生体解剖開始。

・1945年6月11日、米科学者有志原爆攻撃反対意見書提出、採用されず。

・1945年6月22日、御前会議で初めて終戦を問題とする。

・1945年6月23日、沖縄守備軍司令官自殺、日本軍の組織的抵抗終わる。沖縄戦のため日本兵約8万人、民間人約9万人が戦没(日本軍による殺害も含む)。

・1945年6月30日、花岡鉱山の中国人労働者蜂起。

・1945年7月16日、アメリカで原爆実験成功。

・1945年7月26日、ポツダム共同宣言。(米英中華民国の名において日本に対して発された宣言。ソ連は後から追認。連合国が要求する戦争終結の条件として(1) 軍国主義の除去、(2) 日本国領土の占領、(3)カイロ宣言の条項の履行、および本州、北海道、九州、四国および連合国が決定する諸小島への日本の主権限定、(4)日本国軍隊の完全な武装解除、(5)戦争犯罪人に対する厳重な処罰、ならびに民主主義の確立、(6)賠償の実施と平和産業の確保。またこの宣言は、以上の諸目的が達成され、日本国民の自由に表明された意思に従って平和的な傾向をもった責任ある政府が樹立された場合には、ただちに占領軍を撤収することを明らかにしている)

・1945年8月6日午前8時15分、広島に米軍原爆投下。(当時の広島市の人口推定約35万人のうち9万~16万6千人が被爆から2~4か月以内に死亡したとされる)

・1945年8月7日、豊川海軍工廠空爆、小学生を含む動員学徒ら多数爆死。

・1945年8月8日、ソ連、まだ有効であったはずの日ソ中立条約に違反して対日宣戦布告、進撃開始。

・1945年8月9日午前11時02分、長崎に米軍原爆投下。(当時の長崎市の人口推定24万人のうち約7万4千人が死亡したとされる)

・1945年8月10日、御前会議でポツダム宣言受諾決定、連合国に打診。(東郷茂徳外相らは「国体護持」のみを条件としてポツダム宣言受諾を主張したが、阿南惟幾陸軍大臣らは自発的な武装解除、連合軍の本土進駐の回避、戦犯の自主的処罰の3条件を加えることを主張し、無条件降伏に反対した。鈴木貫太郎首相は最後に昭和天皇の判断、いわゆる「聖断」を求め、天皇は外相案を支持して、受諾が決定された)

・1945年8月11日、これより先数年間細菌戦のための生体実験を続けてきた七三一部隊、施設を破壊し撤退開始。

・1945年8月12日、関東軍司令部、新京から通化に退避、軍に放置された在留邦人や非戦闘員、ソ連兵や現地住民により悲惨な状況に陥る。

・1945年8月14日、御前会議でポツダム宣言受諾、また降伏を決定、連合国に通達した。(陸軍の一部は戦争継続を主張してクーデタ決行の準備が進んでいた。緊迫する中、再度御前会議が開かれ、天皇の無条件降伏受諾の決断をふたたび仰いで最終的に決定した。敗戦の詔勅は天皇自ら録音し、翌日放送されることになったが、陸軍の一部将校がそれを阻止しようと放送局を襲うなど混乱した。クーデタは阿南陸相の自決などで失敗した)。治安当局、降伏時の非常措置を準備。

・1945年8月15日、日本国民に向けポツダム宣言受諾の玉音放送。

・1945年8月17日、東久邇内閣成立。

・1945年8月18日、内務省、占領軍のための政敵慰安施設準備、ついで警視庁特殊慰安協会を業者に設立させる。(日本占領下における連合国軍兵士による日本の一般女性に対する強姦事件が予測されたため、日本国政府は「日本女性の貞操を守る犠牲として愛国心のある女性」を募集し、連合軍向けの慰安所を設立。5万人とも言われる人数が集まった)。ソ連軍、千島列島の北端にある占守島を占領。

・1945年8月22日、樺太からの引き揚げ船三隻がソ連軍の潜水艦により撃沈される、死者1708名。

・1945年8月28~9月25日、北方四島に上陸し占領。

・1945年9月2日、ホー・チ・ミン、ベトナム民主共和国独立宣言。

・1946年、日本国憲法制定。

・1948年、極東軍事裁判所、A級戦争犯罪人に有罪判決。

・1949年、中華人民共和国成立。

・1950年、朝鮮戦争開始、在日米軍基地、攻撃の拠点となる。占領軍、日本の再軍備を指令。新日本軍発足。

・1952年、サンフランシスコ平和条約、日米安保条約(旧)発効。

・1960年、日米安保条約改定反対の大規模な運動展開。

・1963年、文部省教科書検定において「戦争の惨禍」等の戦争部分を不合格理由とする。

・1965年、ベトナム戦争激化、日本政府の米軍への全面協力続く。

・1968年、小笠原諸島、硫黄島、日本に返還。

・1972年、沖縄、日本に返還。