親しい人、近しい人(※)とは特に、
ちゃんと本音でコミュニケーションを取ることが
【あらゆることのベース、土台になるほど】大事なんだけど、
意外とおろそかにしているというか、ざっくりしているというか、
あんまり気にしてない、そこまで深く捉えていない人が多いんだなあ…などと感じたことがあります。
(※あなたが人生において深く関わると決めた人、とも言えます。
もちろん全ての人と本音で関わる、でもOKなんだけど、
いきなりそれはハードルが高いと思う人が多数であることと、
本音を出し始めた時の不安定さ・慣れなさの考慮と、
人と人とのご縁の浅さ・深さ、それに伴う本人の人生の流れみたいなものの考慮など諸々から、
このような表現にしています。)
自分は自分のままでいい。
今の自分にOKを出せる。
どんな自分も、自分。
そのような感覚が土台にあることは、
人生を楽に、楽しく、自由に生きていくことに不可欠と言えると思います。
で、
そのように意識改革をしていくことには熱心な人が、
普段の会話では本音にぎゅっと蓋をし続けている…としたら、どうでしょう。
「私は私でいい」と『頭』(←腹ではないんですよね、こういう時)で思いながら、
実際の『行動』(←腹の感覚の現れですね)として「私のままではダメだ」「私は私のままでは受け入れてもらえない」、をやっている。
これでは、アクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態です。
宇宙にしてみたら、「え?どっちに行きたいんです…???」っていうことです。
※ちなみに、本音は出してないけど、「自分は自分のままでいい」が土台に定着した上で、「あえて今は言わない」を選んでいるだけ(その方がしっくりくる、多角的に観て自然である)、という場合は、アクセルブレーキ同時踏み案件にはなりませんね。
※さらにちなみに、そのような状態(あえて言わない)の中でもいろんなレイヤーが存在しまして、それで本人も楽だし周りも楽だしエネルギーの循環もある、といったケースもあれば、本人の自覚はそれほどでもないが我慢・抑圧のエネルギーをうっすら採用していてほんのり辛い、といったケースもあり、様々です。(ほんのり辛い、は無視しないであげてくださいね。大事な感覚です。)
アクセルブレーキ同時踏み案件の中にいる人は、
「私は私でいい」と『頭』で思い、
『腹』で「こわいこわいこわい!」と感じながらでも、
「本音をこぼす」という『行動』を選んでみる。
行動してみた後に大事なのは、
どのような反応を相手にもらえたか、ではなく
慣らしていくことと、
都度自分が何をどう感じたのか、どう捉えているのか観察すること、です。
そうやって
自分は自分のままでいい
というエネルギーを、創っていくのです。
すると、そのエネルギーが具現化していく。
人はどうしても
いつどのように具現化するのかという結果、
今この瞬間具現化していないじゃないか!という結果、
都度都度周りの人にどう反応されたかという結果
にばかりフォーカスしがちで、囚われがちですが。
その囚われを選んでいる限り、その囚われが現れる、のですよね。
アクセルブレーキ同時踏み案件の中にいる人は、
「私は私でいい」と『頭』で思い、
『腹』で「こわいこわいこわい!」と感じながらでも、
「本音をこぼす」という『行動』を選んでみる。
行動してみた後に大事なのは、
慣らしていくことと、
都度自分が何をどう感じたのか、どう捉えているのか観察すること。
(2回言った)
新しい行動を選んだ自分を、
えらいえらい超えらい!
と、毎回ほめちぎりながら、進みましょう。
(真剣に言ってます。自分をほめ慣れてない人多すぎなので。)
それでは、またね。
<YUTORIAN(ユトリアン)>
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