出会った言葉たち ― 披沙揀金 ― -13ページ目

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 県外で一人暮らしをする大学生の息子から、「27日か28日に帰る」と連絡がありました。

 「もっと早く帰ってくればいいのに・・・」と思いつつ、自分も大学生の時は、コンビニでバイトをしたり、お歳暮の配達のアルバイトをしたりなど、大晦日まで帰らないこともありました。まさしく「親の心 子知らず」だなと苦笑いしました。

 

 大学生の頃は、一人暮らしの自由さが楽しくて、そして実家に帰っても刺激的なことは特になくて、だから結局帰省する期間も短くなっていました。

 でも、歌人・俵万智さんは、こんな歌を詠んでいます。

 

 なんでもない会話なんでもない笑顔なんでもないからふるさとが好き

 

 ふるさとは、帰ってみると、実になんでもないところである。そして、そのなんでもなさが、ふるさとの魅力なのだと思う。

 (俵万智、『101個目のレモン』より)

 

 息子は、ふるさとをこんなふうに感じられる人に育つのでしょうか。

 もしかしたら4月からは、同じように県外に出て行く娘は、ふるさとをどんなふうに思うのでしょうか。

 

 私は、せめて、のんびりとあたたかい雰囲気をつくって、帰ってくる子どもたちを迎えたいなと思います。

 

 転校を繰り返す宏美は、あるクラスで、男女の全面戦争を目の当たりにします。

  ─原くんは、ああ見えて、1年生のときには逆上がりができなかった。

   絵里香は3年生の社会科見学でお弁当を忘れてしまい、バスの中で泣きどおしだった。

   奈々ちゃんは音楽会のときにカスタネットに指を挟んで大泣きしてしまった─

 そんなやりとりを見ながら、宏美は思います。

 

 みんな悪口のネタをたくさん持っている。思い出がたくさんある。それがいま、むしょうにうらやましくて、ねたましい。

 (重松清、『さすらい猫ノアの伝説』より)

 

 ある小学校の授業場面を思い出しました。

 小学校2年生で『スーホの白い馬』を読んでいたときのことです。

 主人公の少年スーホが白馬に、“兄弟に言うように話しかけました”というくだりがあります。

 一人の女の子が立ち上がって問いかけます。

「『兄弟に言うように』なのに、どうしてスーホは白馬にこんなにやさしいの」

 他の子が語り出します。

「『兄弟に言うように』だからやさしいんでしょ」

「うちのお兄ちゃんはやさしくなんかないよ。この間もプロレスの技とかかけられて、とても痛かったんだから」

「うちのお姉ちゃんは先に大きい方を取っちゃうよ。やっぱり兄弟は下の方が損だと思う」

「そんなことない。喧嘩して叱られるのはいつも僕で、お母さんは『お兄ちゃんなんだから我慢しなさい』って言う」

 そんなやりとりを聞いていた、ある一人っ子の子どもが思いを吐露します。

 

「今のみんなの話を聞いていてね。僕は一度でいいから兄弟喧嘩がしてみたいって、そう思ったよ」

 (奈須正裕、『「資質・能力」と学びのメカニズム』より)

 

 恥ずかしい過去も、喧嘩も、人と人とをつないでくれていることを教えてくれる2話でした。

 

 

 

 人はみな、大切なものをいつの間にかなくしていて、時には、なくしていることさえ忘れている。

 さすらい猫ノアが訪れたクラスは、そんな大切なことを思い出させてくれるという。

 あなたにとって、大切なことは何ですか?

 私にとって、大切なことは何だろう?

 

 禅問答のようで、ちょっと捉えどころがないけれど、これも一つの答えなのでしょうか。

「みんな、すごく本気でノアを探したんでしょう? ノアに会って、何を忘れてるのか知りたかったんでしょう?」

「はい・・・」

「それでいいの。それが一番大事なことなの」

 (重松清、『さすらい猫ノアの伝説』より)

 

 私の大切な忘れ物が何かは分からないけれど、少なくともこの物語は、私が忘れていた多感な子供時代の日常を思い出させてくれました。

 

 

 競馬、競輪、麻雀、カジノ・・・。賭け事には負のイメージがつきまといます。私にとっては、「株」もその仲間でした。

 しかし、外山滋比古さんの著書『お金の整理学』を読むと、株へのイメージが少し変わりました。株は、一人ひとりが優秀な企業をサポートし、ひいては国の経済を活性化する「社会貢献」であり、サポートするべき企業を見極めるという点では、「社会勉強」であるというのです。

 

 資本主義の根幹は、民間企業が市場からお金を集める株式にあるはずである。それなのに株投資を恥じたり、嫌がったりするのはおかしい。このままでは、いつまでたっても、日本の経済は成熟しないであろう。

 (外山滋比古、『お金の整理学』より)

 

 さらに外山さんは、今や、日本人の多くは、「定年後」という冬の厳しさを真面目に考えず、何となく働き続ける〈キリギリス〉になっていたのではないだろうか、とも言います。年金も、銀行の利息も当てにならない時代に、あなたは、どう自分の生計をたてていくのですか、と。

 

 投資のプロの人や、企業関係者の方がこう言うのなら、私は少し警戒します。ただ、外山滋比古さんは、『思考の整理学』などでも有名な「知の巨人」とも言われる人です。定年後の刺激の一つに、株も入れてみようかという気になりました。

 破産しない程度に。

 

 

 高校時代、バレー部のキャプテンだった「私」は、生活の全てをバレーにかけていました。だから、試合でミスを重ねた山本さんを許せず、彼女に厳しい言葉をぶつけてしまいます。

 翌日、山本さんが飛び降り自殺をしたことを知ります。

 以来、「私」は、バレーボールから離れていきます。

 

 中学時代、サッカー部のキャプテンだった垣内君は、夏の練習中、一人の部員が倒れ、半年近く入院してしまったことに責任を感じ、以来、サッカーから離れていきます。

 

 真剣であるが故に、心に傷を負った二人。そんな二人が、高校の文芸部の顧問と部員として出会います。顧問は「私」一人、部員は垣内君一人。

 

 ある日、二人は偶然、地域のバスケットボールクラブの練習に参加することになります。中年のおじさんも、大学生らしき人も、体格のいい消防士も、70歳過ぎのおじいさんも交えてのバスケットボール。

 

「どんまい」

「任せて」

「こっち」

 みんなの声が体育館に響く。ボールを落とせば、すぐに誰かの励ましの声が飛ぶ。うまくシュートが決まれば、拍手が溢れる。楽しい。それはとても気持ちがよかった。この声が、昔から好きだった。汗を拭いながら、私はそのことを思い出した。

 (瀬尾まいこ、『図書館の神様』より)

 

 この本の題名は『図書館の神様』。でも、神様は、体育館にもいれば、教室にもいる。夕焼けの中にもいれば、明日にもいる。たくさんの神様の存在に気付かせてくれる再生の物語です。