今日は、

アドラーの指摘する

”協力の能力を伸ばすよう

育てられた子ども”

について書きました。

 

これの反対の

”協力の能力を伸ばすよう

育てられなかった子ども”

についても書きました。

 

これらのどちらが優秀か?と

比較することに意味はありません。

 

比較の目的が

「他者によく見られたい」とか

「自分だけの利益(優越感)を感じたい」

とかしかないからです。

 

感じるしあわせを増やすことに有効なのは、

「協力の能力を使う」ことです。

 

協力の能力をすでに持っているなら

使って感じるしあわせを増やすし、

まだ持っていないなら

持てるように育てることです。

 

目次

・適切に育てられた子ども

・適切に育てられなかった子ども

・不利であったがために得られる価値観

・私の思い

 

■適切に育てられた子ども

アルフレッド・アドラーは、

子ども時代に協力する能力を

最大限に伸ばされて育った子どもは、

超人的な要求さえなければ、

人生のすべての課題を共同体感覚によって

解決するだろう、と指摘してます。

 

ここでの”子ども時代”とは、

アドラーの当時で6歳までです。

 

現代であれば10歳くらいまでを

子ども時代とすることもできるでしょう。

 

”協力する能力”とは、

他者と「貢献」によってつながる能力です。

 

自分が相手を支えるし、

相手に支えてもらうことも歓迎するし、

いつも相手との共通の何かの利益を

実現させようとする力です。

 

その関係は、尊いです。

 

相手にも自分にも

過度な犠牲を負担することは

最初から想定していません。

 

と、いうことは、

互いの関係は”仲間”です。

 

「敵・味方」と分けることなく、

常に自分と相手は”仲間”であることが

前提にあるのです。

 

例えば、

友人を”仲間”とするなら、

友人が成功を得たときは

自分も嬉しくなって祝福するでしょう。

 

それが「敵・味方」であると、

友人が成功すると

その分、自分が不利になると考えるので、

素直に喜べません。

 

 

他者と協力関係を築き、

貢献によって相手とつながることができると

共同体感覚、すなわち、

自分の居場所がある感覚が高まります。

 

自分の居場所がある感覚が

高まるときに感じる感覚が、

しあわせ」です。

 

これが子ども時代に身についていることは

感じるしあわせを増やすことについて

圧倒的に有利な状況にある

ということです。

 

ちなみに、

”超人的な要求”とは、

相手に過度な犠牲を

払うように求めることです。

 

■適切に育てられなかった子ども

子ども時代に協力する能力を

最大限に伸ばされて育てられなかったなら、

それは

感じるしあわせを増やすことについて

圧倒的に不利な状況にある

ということです。

 

子どもはまず、力の追求をします。

 

相手と競争して

自分の力で相手を敗北させることで

優越感を得る、ということです。

 

これは「適切な教育」によって

「他者への関心」が養われれば

「協力する能力」も養われるので

課題に直面したとしても、

力の追求によって

相手に勝利するような活動よりも、

相手との協力関係を築く活動をして

共通の利益の中に自分の利益を見出し、

実現することを選べるようになります。

 

この「適切な教育」は、

子どもひとりで学ぶことは

まず無理です。

 

適切に導いてくれる大人の存在が

必要なのです。

 

子ども時代に協力する能力を

伸ばされる育て方をされなかった場合には、

その「適切な教育」は

自分で自分にするほかありません

 

それは例えば、

「世界地図はネットで見られるよ」と

教えてくれる大人がいなかったばかりに、

子ども時代からひとりで

世界地図を自力で作成するようなものです。

 

失敗を繰り返して

その都度、痛い思いをして、

「こうすると、痛い思いをするのか」と

学ぶことで地図が出来上がっていくのです。

 

それは子ども時代に

協力する能力を伸ばされる育て方を

された子どもとくらべて

「協力する能力」を知り、育てるまでに

途方もない時間と労力がかかる

ということです。

 

だから、やっぱり、

感じるしあわせを増やすことについては

圧倒的に不利な状況なのです。

 

■不利であったがために得られる価値観

ただ、圧倒的不利であるために、

得られるものもあります。

 

それは、

協力する能力の重要性」です。

 

協力する能力があり、

それを使って課題を解決していくことが

どれだけ大切なのかが、

血のにじむような思いをしてきたがために

ものすごくわかるのです。

 

それは涅槃の境地とまではいかずとも、

かなりの悟った境地に立ったようなものです。

 

他者を自己都合で「敵・味方」に分け、

いつも他者を支配するか、

敗北させるかしないと

安心できない生活から、

「協力する能力の重要性」を知ると、

相手を支配もせず、敗北もさせずとも

安心できる生活となって、

世界がガラリと変わるのです。

 

今まで頑張らないといけないと

信じていたことはもう頑張る必要がなくて、

かわりに他者との協力関係を

築いて共通の利益を実現させていくことを

頑張りたくなるのです。

 

そして他者との協力関係が

広がり深まっていくと

安心もさらに深くなっていきます。

 

子ども時代に協力の能力を

最大限に伸ばすよう育てられた子どもは、

この「協力する能力の重要性」は

あたりまえのように理解しているのですが、

”落差”がないためその価値に

なかなか気づきにくいのです。

 

それは例えば、

地上で生活していると

空気はいくらでもあるのは

ごく自然なことですが、

水に潜って息が苦しくなると

空気を吸える重要性を

確認することに似ています。

 

「当たり前にように有る」と

「当たり前のように無い」との

違いです。

 

■私の思い

子ども時代の私は

親の快楽のための道具扱いでしたから、

協力する能力を伸ばすような育て方を

されませんでした。

 

幼い頃から

一人であっちにぶつかり

こっちにぶつかり痛い思いをしながら

生きてきて、

アドラーに出会い、

アドラーを学んでやっと

協力する能力の重要性を知りました。

 

それを知るまでに30年以上かかりました。

 

その30年以上の時間と経験が

協力する能力の重要性を

私に教えてくれています。

 

もっと早く知りたかったと

やっぱり思いますけど、

もっと早く知っていたら

ここまで大切だとは

思えなかったとも思います。

 

どちらが良いのかは

両方生きてみないとわからないことであり、

それは無理なので、

くらべること自体に意味がありません。

 

今この自分でこれから

感じるしあわせを増やす活動を

していくことが

もっとも感じるしあわせを

もっとも確かに増やせる生き方です。

 

同じように感じる方も

少なくないと感じています。

 

 

 

 

 

お読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ10年目、常楽でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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