■「危険な年齢」とは

アルフレッド・アドラーは、

女性には「危険な年齢」がある

指摘しています。

 

「危険な年齢」とは、端的にいえば、

女性が

「自分の”女性としての価値”が失われる」と

感じ始める年齢のことです。

 

アドラーによれば、

この感覚は50歳頃に現れ、

老いを感じたり、

身体の変化を感じたりして、

自分の価値が減ったと感じ、

とうとう自分の価値が

完全に失われる時期が来たと思い込む、

というものです。

 

アドラーの当時で50歳なので、

現代では60歳とか70歳に

現れる感覚かもしれません。

 

 

最初に確認しておきますが、

これは男性優位社会における価値観であり、

誤った価値観です。

 

なぜなら、

”女性としての価値”があるのは

男性優位社会においてのみ

だからです。

 

男性優位社会の外であれば、

そんなものは存在せず、

あるのは性別によらない

”その人の価値”であり、

その価値が年齢を重ねることで

失われることなどなく、

いつまでもあり続けます。

 

だから、誤った価値観なのです。

 

性別に関係なく

人は誰でも老いますが、

女性だけ価値が減るとされるこの価値観は、

まさに女性に対するひどい侮辱です。

 

これは

”女性は劣った存在”という偏見を

助けるものであり、

すればするほど

男性優位がひきたつものであり、

男性優位社会では役に立つ価値観ですから、

男性優位社会の支持者が

「正しい」としているだけです。

 

■「危険な年齢」の危険の意味

男性優位社会は、

男性というだけで優越的な地位に

居られる社会です。

 

逆をいえば、

女性というだけで劣等的な地位に

置かれる社会です。

 

すべてが”男性”に都合よくできており、

それを支持するものが正しい価値観で、

それを支持しないものは

誤った価値観とされる社会です。

 

つまり、

男性優位社会は、

”男性”を喜ばせるものには価値があり、

”男性”が喜ばないものには価値がない、

という世界です。

 

こうした価値観を

「普通なこと」とすることで

”男性”は何もしなくても自動的に

優越的な地位に置かれるように

仕組まれているのです。

 

そんな男性優位社会における

「危険な年齢」の危険とは、

これまでの自分は

”男性”の役に立てたから価値があり、

その価値のおかげで”男性”から

相応の地位をもらえていたために

生きてくることができたが、

 

年齢を重ねることで

”男性”の役に立てなくなってきて

その分だけ自分の価値が減ったために、

今までの地位に居続けることが

難しくなると思われ、

今後は生きることが危うくなるのではないか、

との危険を感じ始める、ということです。

 

アドラーは明確にこの名前の由来を

示してはいないのですが、

そのような理由で

この名前にしたのだと考えられます。

 

■価値は、消えない

人が今までに成し遂げてきたことは

「功績」であり、価値あることです。

 

その後に年齢が進んだからといって

その価値が消えることはありません。

 

 

老いは身体に様々な影響を及ぼしますが、

その年齢まで生きてみないと

わからないことや、

それまでの経験があるからこそ

示せることもありますから、

年齢で人の価値が減る、とするのは、

とても乱暴な感じです。

 

「年齢で人の価値が減る」とする人は、

そう信じることで

個人的利益を得られる人です。

 

つまり、この価値観は、

個人的なものであり、

一般的なものではありませんし、

さらには絶対的なものであるわけが

ないのです。

 

 

優劣を決めるのは

性別でも年齢でもなく、

目的です。

 

目的に応じて

役に立つことが変わる、

というだけです。

 

例えば、

かけっこでは

老人より若い人の方が速いでしょう。

 

でも老人になるまで

漬物を作り続けた人なら、

若い人よりその老人の方が

漬物をうまく作れるでしょう。

 

男性優位社会も目的があります。

 

それは「男性の勝利」です。

 

男性優位社会を支持する”男性”は、

勝利しないと安心できないために、

女性を敗北させたいのです。

 

その方法として

”女性は劣った存在”という偏見や

女性に「危険な年齢」があるとするものが

あるだけです。

 

目的が「調和」とか「協力」になれば、

この偏見や「危険な年齢」があるとするものは

何の役にも立たないので、

劣ったものとなるのです。

 

 

アドラーは

「危険な年齢」について

次のように言っています。

 

「ただ年老いたというだけで

人が精神と物質の領域から

締め出されることは正しくない。

 

もし正しいとするなら、

それは女性に対する侮辱である。」

 

”男性”の役に立つかどうかではなく、

自分の目的を確認すれば、

そこに「役立つ自分」を

すぐに見つけることができますね。

 

もっとも身近な目的であれば

「食べる」とか

「移動する」とか

「読む」とかです。

 

それが自力でできるなら、

それは価値があるわけで、

そのような見方をしたならば

価値がない人などいないのだと

すぐにわかります。

 

 

 

 

 

 

お読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ10年目、常楽でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中村常楽のランニングクラブ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ACE COACHING's Services here