今日は、
アドラーの言う「最大の誤り」
について書きました。

これをわかっていることで
どこで「誤り」が起きたのか、
また、起きるのか、を
見ることが簡単になります。

見るのが簡単になれば、
そこからアドラーの勧める
共同体感覚が高まる生き方を
再選択することも簡単になります。

そうして共同体感覚を高めながら
人生の課題を克服していくことで
感じるしあわせをどこまでも
増やし続けていけます。

もくじ
・最大の誤り
・誤りかどうかの見分け方
・「ある女性」の例


■最大の誤り

アルフレッド・アドラー
人の「最大の誤り」について
次のように言っています。

誤りは、人が人生のすべての
勝利その他の長所を
自分の特性に関連づけ、
個人的な生活様式と生活指針を
強化するということに利用することで
なされるものである。


これは、つまりは、
自分の個人的利益のために
相手に競争をしかけて勝利しようと
するこは誤りですよ、
と読み取ることができます。

アドラーの勧める生き方である
共同体感覚を高める生き方は、
他者の関心事に関心を向けて、
その他者に貢献すること
ですから、
個人的利益を得るために
相手を道具として利用する姿勢は
真逆である、とも言えるでしょう。

なお、
共同体感覚とは、端的にいえば、
自分の居場所がある感覚のことです。

この感覚が高まるほど
人は「しあわせ💛」と感じるのです。

■誤りかどうかの見分け方

これは、
自分の安心を
どのようにして手に入れるか、
その方法を見るとわかりやすいです。

自分が安心するためなら
他者が犠牲になろうと構わない
と思っていたら、
それはアドラーの指摘する「誤り」です。

自分が安心するためには
他者の犠牲は必要とせず、
他者に協力を求めよう
と思っていたら、
共同体感覚が高まる方へと進みます。

他者の犠牲には、
相手の勘違いを利用したり、
うそで相手を騙したり、
さらには相手を脅したりすることも
含まれます。

例えば、
相手の説明がわかりにくくて
不安を感じたときに
「そんな話し方じゃ
わからないだろう!
もっとわかるように話せ!!」

などと怒りで相手の貢献を引き出して
安心しようとすると「誤り」です。

一方、同様に不安を感じたときに
「すみません、わからないので
もう少し具体的に話していただけますか?」
「すみません、聞き取れないので
もう少しゆっくり話していただけませんか?」
「〇〇という言葉がわからないです」

などと相手に協力を求めることで
安心しようとすると
共同体感覚を高める方へ進む感じです。

ビジネスやスポーツの場であれば
これらは競争なので
フェイントをかけて相手を出し抜いたり、
相手の勘違いを誘って
自分に有利な結果を得ようとしたり
することは、自然なことでしょう。

例えば、バスケットボールで
ボールを持っている人が
「次に私は〇〇しますよ」と
対戦相手に詳細に説明していたら
ゲームにならなくなってしまいますから。

でも、
それを家族や友人を相手にやったとしたら
互いに生きづらくなってしまいます


夫の勘違いを巧みに利用して
自分の個人的利益を得て喜んだり、
妻にうそをついて騙して
自分の個人的利益を得て喜んだり、
子どもの無知につけこんで
自分の個人的利益を得て喜んだりしても
共同体感覚は高まらないのです。

■「ある女性」の例

アドラーは彼の患者である
ある女性」を例に
これを説明してくれています。

この女性は、
克服できない課題についての不満
をしきりに話してくれました。

克服できないのは
一日にやることが多すぎる状況だからだ、
とのことです。

アドラーはその話ぶりを見て
「せかせかしている」
「不安げな目をしている」
と見てとりました。

この女性は、
自分は、自分の周囲の人に
「なんでも深刻に受け取る人だ」
「仕事の重さにつぶされそうだ」

と見られていると話してくれました。

また、家族からは
「いつも大騒ぎをする」
と言われていることも
話してくれました。

これをまとめると、
この女性は、
万事がうまくいかないのは
自分の責任ではなく
「やること多すぎ」という状況の責任
だと訴えている、ということです。

これをひっくり返すと
この状況であれば
どんなに自分が努力しても
万事うまくいかないのはしょうがない

と自分は不可抗力を受けている状況なので
自分に責任はない、と見せている、
と解釈できます。

つまり、
相手へ見せているのは
「うまくいかせたいけど、できない」
という自分ですが、
その実態は、
「やりたくないから、
うまくいかないようにしている」

という自分なのです。

極端な言葉で表現すれば
ある女性は仕事関係の人や
家族や相談相手のアドラーをも
巧みに騙すことで個人的利益
得ようとしているのです。

その個人的利益とは
「相手に配慮してもらう」
という欲求を強化すること
です。

そうすることで
自分が勝利でき、
勝利が続く限りは
安心も続くと信じているのです。

しかし、
これを続けることは
火のない暖炉に向かって
「私をあたためなさい」と
言っているだけ、に等しい状況です。

あたたかさが欲しいなら
暖炉に薪をくべて
火をつけることを
自分でしない限りは、
暖炉は自分をあたためることは
ないのです。

課題を克服したいなら
「なぜ克服できないのかの説明」に
努力を注ぐよりも、
「どうすれば克服できるのか」に
努力を注ぐ方が役に立つように。

なのでこれを、
アドラーは「誤り」として
指摘しているのです。

「誤り」とわかれば、
共同体感覚を高める道へと
修正可能な状況になります。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ10年目、常楽でした。




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