今日は、
強すぎる劣等感に振り回される子ども
について書きました。

強すぎる劣等感を抱える理由や
その解消に有効な方法について
触れました。

”子ども”としていますが、
これは子どもに限らず
強すぎる劣等感を感じている人なら
誰にも役立つ内容です。

もくじ
・病的な優越性の追求
・「特別」になろうとする
・高すぎる目標にやられる
・行きつく先は「孤立」
・援助する方法2つ


■病的な優越性の追求

アルフレッド・アドラー
子どもが強すぎる劣等感を抱えると
その劣等感の補償も強くなり、
行き過ぎる危険がある

と指摘しています。

劣等感の補償とは、
その劣等感を解消する活動です。

例えば、
「寒い」と感じると
「寒くない状況」を
作ろうと活動し始める感じです。

劣等感が通常の域を越えなければ
その補償も通常の域を超えることは
まずありません。

しかし、
劣等感が強すぎる場合には、
簡単に補償できないだけではなく、
「不安」という形で未来にまで
自ら影響させ、
さらに劣等感を
大きくしてしまいがちです。

現在やごく近い未来の劣等感であれば
限りはありますが、
対象を”この先ずっと”とした場合には
劣等感を無限に増やせてしまうからです。

そうして自分で自分を
脅迫でもするかのように
将来への不安を募らせてしまうのです。

そんな巨大な劣等感を補償するには
それ相応の力と優越性が必要となり、
その力と優越性の追求が極端になり、
ついには病的なものとなる、
アドラーは指摘しているのです。

■「特別」になろうとする

巨大な劣等感を抱えた子どもは
「普通」でいることができず
「特別」でいなければいけない、
と考えがちです。

自分が「普通」であると
誰もよく見てくれないが、
自分が「特別」であれば
誰もがよく見てくれる、と
感じるためです


そうして「特別」となることで
自分が優位になり、
巨大な劣等感に対抗できると
しているのです。

だからその「特別」になるための
力と優越性を手に入れる活動に
励むこととなります。

その活動は
大きく目立つ行動
として出てくると
アドラーは指摘しています。

「自分が特別になること」を
最優先の目標とし、
これに精一杯になるため、
他者のことなど
構っていられなくなります。

傍から見ていると
なんて自己中心的な子だ
と見えることでしょう。

それは数ある方法の中で
わざわざそれを選んでいるのではなく、
選択肢がそれしかないと
信じているために起きていることです。

「溺れる者は藁をもつかむ」
で表現されるような状況なのです。

自分が生き延びることで
精一杯なので、
その補償活動の過程で
他者に迷惑をかけて
犠牲を払わせようとも、
それで生き延びられるなら
仕方がないと思ってしまうわけです。

■高すぎる目標にやられる

他者に自分が
「特別」と見られるかどうかは
自分の課題ではありません。

その他者が
自分をどう見るかは
その他者の課題です


他者の課題を
自分が操作したり
好きに決めたりすることは
できません。

つまり、
他者に自分が
「特別」と見られるという目標は、
自分にとっては「無理な目標」と
なっているのです。

特定の人を相手にすれば
その人との対話によって
どうすれば自分をよく見てくれるかは
わかってくるでしょう。

そうして
相手によく見られるように行動すれば、
その努力を続けている限りは
よく見てもらえる可能性はあります。

しかし、
不特定多数の他者が相手だと
まず無理です。

自分をよく見てくれる他者も
いるでしょうし、
よく見てくれない他者も
いるのが自然だからです。

しかも
「よく見られる」や「特別」において
そもそも他者と自分が持つそれが
一致するかどうかもわかりません。

つまり、
”「特別」になる”という目標は
高すぎる目標」なのです。

■行きつく先は「孤立」

自分が他者に「特別」に見られる、
という目標は「高すぎる目標」です。

通常の手段を選んでいては
まず実現できません。

しかし実現させないと
巨大な劣等感を補償できないと
その子どもは信じているために、
実現を諦めません。

実現できて初めて
安心できると思っているのです。

しかし、
通常の手段を選んでいては
実現できないため、
非常手段を選ぶことになります。


目立つことで「特別」に
なれると思っているため、
人生に有用な面における方法
まずは目立とうとします。

この方法は
相手と対等な関係という立場から
他者貢献によって目立つ方法です。

しかし、この方法では
時間も手間もかかるため、
短い時間ですべての他者に対して
目立つことは困難です。

抱える巨大な劣等感からくる
不安をすぐにでも解消したいので、
とにかく急ぐのです。

そうなると
人生に有用でない面における方法
選んでしまうことになります。

例えば、
他者の注目を得る場合に、
人生に有用な面から
相手に喜んでもらうことをして
注目を得られればよいのですが、
やってみて相手が喜ぶかどうかは
よくわかりません。

しかし、
人生に有用でない面から
相手に嫌な思いをさせれば
簡単に注目を得られます。

相手の喜ぶことは
よくわかりませんが、
相手が嫌がることなら
すぐわかる感じです。

目立つことはできますが、
当然に他者との関係は悪くなります。

その結果、
すべての人と対立することとなり
必死で自分を守ることとなるのです。

こうして「孤立」へと
進んでしまうことになります。

■援助する方法2つ

強すぎる劣等感を補償するには
その対象から”この先ずっと”
除くことが有効です。

つまり「現在」に
注目するのです。

未来に不安を見れば、
想像することでその不安を
いくらでも大きくすることが
できてしまいます。

しかし、
現在やごく近い未来だけを
対象とすれば
そこに不安を見たとしても
限られたものとなります。

感じた劣等感を
現在やごく近い未来において
どうすれば補償できるかを考え、
実際に補償する活動をして
実際に補償できれば、
その劣等感は解消されていきます。

小さなことから始めて
実際に解消を体験できると、
「他の劣等感も解消できそう」と
希望を感じるようになります。

また、もうひとつ有効なのが
他者に関心を向けること」です。

巨大な劣等感を感じると
自分の関心は
自分自身にばかり向きがちになります。

そうして、
自分のことばかり心配していると
「他者は敵」を前提として
生きることになりがちです。

しかし、
他者に関心を向けられれば、
他者を観察するようになります。

「他者は敵」を前提にすると
他者を見る心の姿勢が
「他者は敵」を成立させる証拠探し
になってしまいがちですが、
他者に関心を持つ、
すなわちその人はどんな人なのか?
知ろうとする心の姿勢となれば、
他者の見え方が変わります。

相手に敵対的に接すると
その相手も自分に敵対的に
接してくるようなりがちですが、
相手に友好的に接すれば
その相手も自分に友好的に
接してくれることが
期待できるわけです。

そうして
「仲間」の存在を
体感できる機会を得るのです。

この心の姿勢は
感じるしあわせを増やす鍵となる
共同体感覚を発達させることに
つながります。



お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ10年目、常楽でした。




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