アルフレッド・アドラーは
言いました。

「劣等感を持ってる人が
おとなしく目立たない種類の人に
見えることはありません。
なぜなら、持っている劣等感が
無数の方法で表現されるからです。」


こうして普通でいられないのは
劣等感によってある種の強い欲が
湧いてくるからです。

それは
「わたしをみて」です。



劣等感の表現方法は
例えば次のようなものです。

「派手な服装」

「流行おくれの服装」

「汚れた服装」

「変わった髪型」

「不作法」

「なれなれしい」

「英雄崇拝」

「背の低い人、弱い人、病人への命令」

「他人をおとしめる」

「他人への批判・評価」

「不平不満を言う」

「大きな笑い声」

「大声で泣く」

「取るに足らない機会に興奮する」

「すぐ感情的になる」

「他人の話を聞き流す」

「目を合わせない」

「会話の話題を自分のものにする」

「会話に割り込む」

「自分の特徴を強調する」

「目立つために他者を妨害する」

「わざと罰せられる」

「見栄っ張り」

「紳士淑女を気取る」

「わざと危険に飛び込む蛮勇」

などなど。

一度や二度の経験なら
何も問題ありませんが、
こんなことを「いつも」やってるなら
劣等感にのまれてしまっています。



劣等感を持つこと自体は
何も問題ありません。

劣等感にのまれてしまって
「他者の注目を集めること」を
目的にしてしまうと
生きるのに役に立たないので、
それが問題に見えるのです。

でも
「他者の注目を集めること」を
自分は目的にしてますよ、と
言うのは自分を安く売るような感じで
したいとは思いません。

その結果、
言ってることと
やってることが違ってしまって
そのつじつま合わせに疲れ、

挙句の果てに
対人関係が苦しくなってしまうのです。

現行一致を心がけると
劣等感を劣等性へと
変換していく機会を得られます。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ9年目、常楽でした。



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