■気分で生きるか、意志で生きるか

世の中には
三大幸福論なる本が
あるそうです。

ヒルティの幸福論
アランの幸福論
ラッセルの幸福論

この中のアランの幸福論の
中に出てくるのが
「悲観主義は気分のもの、
楽観主義は意志のもの」
という言葉です。

人は意志を持たずに
気分だけですごしていると
悲観的になり、

人が意志を持って行動すると
楽観的になる、という意味です。



■楽観主義

楽観主義とはずばり
「人事を尽くして天命を待つ」
という生き方です。

目的や目標に向けて
今の自分の精一杯を注いだら
あとは天命にお任せする。

今の自分の精一杯を注いで
それでも無理なら、
そりゃしょうがない。

目的や目標の設定を
まちがっちゃたよ、
という感じです。

そして
意志を持って行動するので
一度やってしまった「間違い」は
”糧”として次の行動に役立てます。

こんな生き方、
考えるだけでも
楽しそうですよね。

でも当然、
困難と感じる事態にも
遭遇しますから
それを乗り越えるために
「今の自分は何ができるだろう?」
と創造的に向き合っていくわけです。

そこにも意志の力が働いていますが
その力が「勇気」に相当します。

勇気があるから楽観主義になる
というよりも
楽観主義で生きると
自然と勇気を使っちゃう感じです。

だから勇気の有無よりも
「今自分はどこに行こうとしているのか」
という目的や目標がはっきりしていて
その目的や目標が
今の自分にとても魅力的で
あることの方がはるかに重要です。

ちなみに
目的や目標が魅力的に見えるときは
「自分だけに貢献するもの」よりも
「共同体の利益に貢献するもの」と
なっているときです。



■何もしなと悲観主義になる

意志を持たずに
気分に任せていきると
必ず悲観的になるように
人の心はできています。

なぜなら
行き先を決めてないので
自然と防衛本能によって
外敵から自分を守るために
危険を察知しようとするからです。

危険とは
生存可能性を低める要素が
あるものならなんでも該当します。

「窓を開けておくと虫が入る」
「早く買物に行かないとお店が混雑する」
「今日は暑くなりそう」
「今日の夕食は何にすべきか」
などなど。。。


地図の上に
現在地と目的地が書かれていれば
目的地までの経路がわかります。

途中で急な上り坂があっても
「目的地へ行く」という
目的がわかっているので
その上り坂を”何のために上るのか”が
明確にわかります。

でも気分で生きるということは
地図の上に現在地しか書かれておらず
「あとは好きにしていいですよ」
という状態と同じです。

どこに行くと何が起きるのか
わかりません。

なので自然と
「自分の生存可能性を高めよう」と
防衛が始まります。

地図の中に上り坂を見つけても
”何のために上るのか”は
とくにありませんから
上ろうとはしません。

興味があるとしたら
どこにいると安全そうか、
くらいでしょうか。

こんな感じで
気分で生きると
悲観的になっていくのが
わかります。

悲観的になって
心が曇ってきたら
「あ、今自分は気分で生きてる」と
意識できると
気分で生きる状態から
意志で生きる状態へ変えられます。

変えると、
心の天候も変わります。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ9年目、常楽でした。



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