■不適切な行動とは

不適切な行動とは、
共同体に迷惑をかける行為です。

共同体の目的の
達成に貢献する行為ではなく
達成を遠ざける行為です。

例えば
セミナーで
そのセミナーに無関係な話を
延々と話したり、

趣味の集まりなのに
その趣味と関係のない商品を
熱心に販売しようとしたり、

みんな揃っていただきます、と
言って食事を始めた横で
突然掃除を始めてホコリを立て、
そのホコリが食事にかかったり。

課題の分離ができずに
劣等感を抱える人が
好評価を得ようとしたり
注目を集めようとしたり
権力争いを仕掛けて
勝とうとしたり、

はたまた
嫌がらせしようとしたりして、

共同体の目的とは無関係な
行動をすると、
こんな不適切な行為になりがちです。

そんな不適切な行動する人に
適正な手順を踏んで
その行為をする人に
改善を要求することは
共同体として自然なことです。


■共同体の目的と行為の目的

職場や趣味の集まりであれば
目的がはっきりしている分、
不適切な行動はわかりやすいです。

例えば
職場は仕事の成果を
上げることが目的です。

その成果を上げることに
関係のない行為は
不適切な行動に見られます。

無断欠勤など、その典型です。

今日は仕事をする、と
職場と約束しているのに
それを一方的に反故にするので
仕事の成果があがることは
ありません。

改善要求されるのは
自然なことです。

趣味の集まりだって
その趣味を楽しむことを
目的に集まります。

その中で自分の劣等感を癒そうとして
注目を集めるようなことばかり
してたら改善を要求されるでしょう。


■友人や家族の場合

友人の集まりや
家族は共同体ですが
目的よりもその関係が
優先されがちです。

友人の集まりは
最初はただ顔を見に来てみたけど
顔を見たら一緒に〇〇したくなった、
なんてこともあります。

集まる目的が固定されず流動的で、
しかもそれぞれが持つ目的が
異なっていることもあります。

自分が目的に貢献しても
相手から見たら
不適切な行動に見えたり、
その逆なことだってあります。

家族にいたっては
目的とは無関係に共同体と
なっています。

相手と違う目的を持っていても
共同体としてくくられてしまうため
一方的に不適切な行動だと
裁かれてしまうこともあります。

とくに親の目的を
共有しない子に対しては
厳しい裁きを下しがちです。

「親に迷惑かけてはいけない」
「家族の平和を乱してはいけない」
などといって。

友人の集まりや
家族では
目的の共有をよく確認しないと
対等な関係よりも
上下関係を育てることと
なってしまいます。


■Aさんとのトレッキング

以前、
友人のAさんとトレッキングに
出かけたとき。

私は、
すてきな写真が撮れるかもと
期待して出かけました。

しかしAさんは私と違い、
自然の中を気持ちよく
歩きたいと思って出かけました。

そんな互いの目的を
確認せずに歩き始めました。

私は歩いている途中で
写真を撮るので
休憩でない時間でも
立ち止まります。

そんな私に
Aさんは不満を感じます。

Aさんは
しばらく歩いたところで
「そんなに立ち止まってばかりでは
予定の時刻に予定の地点まで
行くことができないよ」と
不満を伝えてくれました。

それを聞いて私は驚きました。

カメラを持っているのだから
写真を撮るのは
見ればわかるでしょうに。

写真を撮るということは
途中で止まる、ということ。

Aさんもわかってくれてると
思っていました。

Aさんから私を見ると
写真のために立ち止まる行為は
不適切な行動です。

私からAさんを見ると
すてきな写真を撮れるチャンスを
見過ごして先へと進むのは
不適切な行動です。

言われてなるほど、
互いに認識する目的を
共有できていなかったんだ、と
よくわかりました。

そこでAさんと相談します。

予定している行程を
「普通に歩く」から
「ゆっくり歩く」を基準に
作り直してもらう。

その代わりに
その行程通りに進めるように
私も協力する。

「これかな?」と
むやみやたらに立ち止まらず
「これだ!」と感じる
ここぞというときだけ
写真を撮るようにします、と。

Aさんの理解と協力をいただき
改めて目的を共有できました。

その後Aさんは
立ち止まる私を見ると
不満を感じるよりも
「ああ、そこに何か
良いものがあるんだね」と
どんな写真が撮れてるのかを
後で見るのが楽しみに
感じるようになったそう。

行程通りに予定の地点に
到達できて、
そこでお弁当を食べます。

お互いに不満はありませんから
本当においしく食べられました。


■目的の共有の確認は大切

職場や趣味の集まりなど
共同体の目的が明確な場では
もちろんのこと、

友人の集まりや
家族の中での
不適切な行動を見つけたら

適切な手順を踏んで
改善を要求しましょう。

その適切な手順の最初は
不適切な行動と見える
その行動の目的を
いきなり否定するのではなく
まずは確認することです。

裁きにかけて
裁きを下そうとすると
上下関係になって
対立しがちです。

対立は上下関係を
育ててしまいますから
お互い安心より緊張が
増えてしまいます。

でも対話によって
目的の共有を進めようとするなら
それは対等な関係を
育ててくれます。

対等な関係は
お互いの緊張より
安心を増やしてくれます。

安心が増えると
共同体の目的の達成も
容易になります。

これって平和であること。
平和だと、楽しいです。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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