話し合いや会議で
「何が原因か」を
追求するものほど
つまらないものは
ありません。

犯人捜しのように
なってしまいます。

責任とる人は誰で、
罰は何にするか。

責任とる人が決まって
与える罰も決まると
他の人は安心する。

その後、どこへと向かうのか。

こんな話し合いや会議は
生きづらさが増すばかりです。



話し合いや会議が
イキイキとするのは
「何が目的か」を
意識してるときです。

私たちが向かう先は、〇〇。

〇〇、を実現するために、
今の私たちができることは
何だろう?

やってみた。
そしたらうまくいかなかった。

何が悪かったのか?ではなく
何が良かったのか?を見る。

良かったもの以外は
何をどうしたら
もっとうまくいくだろう?

何を取り換える?
何をやめる?
何を追加する?
そもそも自分たちでやらずに
外注しちゃう?
先人はどうやったのか
もう一度調べよう。というか
直接訊きに行っちゃおうか?

さらにやってみる。
より良くなった。

この「良くなった」は
目的の実現状況が進んだ、ということ。

でもやっていく中で
当初の目的だと
範囲外になってしまう箇所がある。

それなら目的を更新しよう。

目的を更新したら
その実現方法も更新しよう。

いつ
何を
どこで
どのくらい
どうやって?

ぐんぐん進む。

仲間も一緒だと
心もさらに強くなる。

困難に直面しても
乗り越えていけると
根拠不明だけど確信できる。

わくわくが止まらない。
すてきな状況。



アルフレッド・アドラーは
原因より目的を見た方がいいよ、
と言っています。

例えば
子が言うことをきかないとき
それを原因と扱うと
罰して今後の再発を
防ごうとしたくなったりします。

子が言うことをきかない、
その目的を見てみると
「ああ、〇〇がやりたいんだな」と
わかったりします。

すると
罪をみつけて罰するのではなく
「〇〇したいなら、この方法もあるよ」とか
「今〇〇は周囲に迷惑かけちゃうから
他の時間にやろうよ」とか
伝えることができます。

子の目的がよく見えないときは
親の注意をひくためだったりします。

親が子にしっかり向き合って
子が親にちゃんと話を聞いてもらえた、
という経験を提供できると
協力してくれるように
なったりします。



「何が原因」は
責任者を見つけて
罰を与えるような
状況になってしまいます。

これでは
目的に向けて進みません。

「何が目的」だと
目的に向けて進むことが
中心となるため、
目的に向けて進みます。

進んでる感覚を感じられると
楽しいです。

当然といえばそうですが、
意識することで
より確実に楽しくすごせますね。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



《関連記事》
やる前から疲れてしまう時は、目的を見たい
アドラー5原則:目的論
安易な否定より、肯定に手間をかけてみる
今ある材料をどう使う?は自分次第
注目を集める方法、4段階