例えば山の登頂を
理想とするなら
その実現は
「今の最善の一歩」を
続けることです。



「今」持つ理想に対し
「今」の最適な進捗で
「今」最も効果的と思う
一歩を踏み出す。

この繰り返しで
必ず理想は実現します。

踏み出す一歩を踏み出すたびに
より効果的な一歩となり
その一歩を続けていくと
いずれ山頂に到達します。

その道のりは
「最短」ではないかもしれないけど
「最善」です。
最も自分らしい道のりです。



いつも中心は「今」です。

以前に最適と思った理想は
「今」の理想と違います。

似ているかもしれませんが
違うものです。

なぜなら
時の経過の分だけ
自分の持つ情報と経験が
増えているからです。

増えた自分で改めて見ると
自分に、よりふさわしい理想が
見えます。



人生で理想を
叶えられるのが一度なら、
本気で欲しい理想を
実現したいですよね。

過去に決めた理想を
そのまま今の理想として
取り組んだ時に
「ちょっと違う」と
違和感を感じたら
更新が必要です。

そのまま実現しても
それは本気で欲しい理想では
ありませんから。

一度決めたからといって
過去の理想をそのままに
し続けるのは、苦行です。

大枠は似ていても
細部は違っているのが
自然なことです。

「今」本気で欲しいと
感じる理想へと
更新を繰り返すのは
大切です。



例えば
「太陽をたのしむ」という
理想を冬に掲げたら
寒い時期はそのままで
楽しいかもしれませんが、
夏になったら
暑くて辛くなってしまいます。

そんなときは
「太陽をたのしむ」から
「季節をたのしむ」へと
更新すれば、
苦行はなくなって
理想の実現が楽しくなります。

理想の実現は
「今」を
どれだけ充実させられるか、が
とても大切です。



DV・虐待をする
元配偶者と婚姻関係があった頃、
平和に暮らす日常を渇望していました。

しかし、いくら望んだところで
すぐには実現しません。

離婚すれば
平和になるかもしれません。

でも
離婚と子の福祉は別問題で
DV・虐待があっても
親権は母親です、と
行政機関からも専門機関からも
何度も言われていましたので、
簡単には離婚できませんでした。

私一人が平和になれても
子が虐待を受け続けていたら
心は平和になれません。

そんなニセモノの平和より
DV・虐待を受けてでも
そばで子を守れる状況の方を
選びました。



元配偶者は
自称「専業主婦」ですが
家事も育児も
機嫌の良いときに
自分がやりたい分を
やるだけ。

私に関することなんか
「やらない」と明言してました。

帰宅すると
子が下着姿で
おむつにうんちを
いっぱいためたままで
行き倒れるようにして
寝ている姿を
よく見ました。

子から
「今日はおかし食べた」と聞き、
「ごはんは?」と訊くと
「ごはんまだ」との答えを聞いたりして
まともな食事が与えられてないことを
知ることもよくありました。

また、元配偶者は
私とセックスはしないと
公言しておきながら
私の性器を服の上から
触ってくることもありました。

「機嫌を損ねると子が虐待される」と
思うと何も抵抗できずに
されるがまま、
元配偶者の機嫌をとるのと
湧いてくる性欲とで
頭がおかしくなっていたことも
ありました。

こんなことばかりで
子と私は
どうなっちゃうんだろう?と
不安な日々を繰り返していました。



「平和に暮らす」
理想はとても抽象的です。

詳細は見えません。

でも、すごく欲しい理想です。

どうしたら良いのか
わからない、と
いつもやることを
ただ繰り返す日々を
重ねてました。

でも、
それでは何も変わりません。

DV・虐待は
時間の経過とともに
強度を増しているので、
早くなんとかしないと、と
焦りだけが増えてました。



何かすごい解決策や
何かすごい助っ人が現れる。

そんなことを
期待している自分を見つけ
絶望しました。

そんなの
起きるわけないよ、との
確信だけはあったからです。

もう
どんなに嘲笑されても
どんなにバカにされても
いいじゃないか。

自分が最善と思うことを
恥も外聞もなく、やろう。

そんな決意をしました。

これって
「今」を充実させる決意です。

「今」持つ理想に対し
「今」の最適な進捗で
「今」最も効果的と思う
選択を実行する。

言葉にすると簡単ですが、
実際にやるのは
当時の自分には難しいことでした。

その困難に
向き合う決心をした感じです。



理想の実現のための
具体的な行動を
起こしていない頃より
様々な変化が身の回りに起きました。

性別は違えど
似たような環境に居る人と
知り合ったり、

支援してくれる人に
出会ったり、

母親より父親の方が
子の面倒を見る能力が
高いこともあると言う専門家と
出会ったりしました。

また、
DVを受けても
ただ悲しむのではなく
そこで湧く感情を
「必ず平和を手に入れるぞ」と
自分の前進する力に
するようになってました。

元配偶者の心の健康を
回復させる活動をしたり
これぞと思う機関に相談したり
セミナーに参加してみたり。

果たして効果があるのか?と
自分でも疑うようなことでも
「溺れる者は藁をも掴む」の思いで
やってみました。

絶望を希望に
自分を自分で鼓舞しながら
継続すると、
どれがどのようにはたらいたのか
わかりませんが、
自分の思う理想である
「子の親権を自分にして平和に離婚する」
が実現していました。

おかげで今、
「平和に暮らす」は
普通にできています。



登頂ルートがいくつもあるように
理想の実現の方法も
ひとつではありません。

役立つと感じて
やってみて、
実際には役に立たなかった。

こんな空振りになることも
怖れずに効果があると見えたら
やってみる。

そこには「勇気」を
使っている自分がいます。

そうして「今」を
充実させることを
継続することで
やがて理想は実現します。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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