失敗続きと見るか
トライ&エラーの作業中と見るか
選べる自分でいたいですよね。




思うようにできない。
思うように進まない。
努力を尽くしたが成果が上がらない。
ない、だらけ。

これは失敗だから
そんな自分はダメだ。

そう決着をつけて
その件を捨てるのも、ひとつの選択。




当初は欲しかった成果が
今はどうでも良いものになって
取り組む理由がなくなったけど
一度やると言ったから、やってる。
自分に無理させてるのもわかってる。

それに気づいたから、
思い直して、やめる。




でも、
本当に欲しいもののためにやってるなら
トライ&エラーの真っ最中なはず。

簡単にできることなら
もうやってるし、できてる。

簡単に手に入らないから
魅力的なもの。

頂上目指して登山する。
その途中でやめたら
頂上に立つ気持ちは永遠にわからない。

そんな気持ちわからなくてもいい程度の
魅力のない頂上なら
とっとと降りて
魅力的な山を探した方がいい。




私は生きづらさを抱えていました。
今も今なりにあるけど
中学生の頃から
(もしかしたらその前から)
自分は罪人だ、みたいな
強い生きづらさを抱えていました。

親と暮らしている間は
その生きづらさは増えるばかり。

死ぬことも考えたけど
それこそ親の無罪の証明の
役に立てられるかもしれないと思うと
死ねませんでした。




1999年12月に実家を出て
一人で暮らすことができたとき
ようやく生きづらさの増加は
止まりました。

やっと安心できる時間を持つことができ
解放された気分です。
「もっと早く出ればよかった」と
過去の自分を責めたりしてました。

その後、その生きづらさは
増えもせず減りもしない感じです。

なんとかしたい、と漠然と感じながら
向き合うエネルギーがなくて
他のことばかりしてました。

重要だが緊急じゃないこと、の
典型的な取り扱い例ですね。(失笑)




その後、暴力しちゃう相手との
結婚、離婚を通じて
何かと自分と向き合う機会が避けられず
向き合うようになりました。

漠然とした思いは
「やっぱり生きてるうちに
生きづらさを解きたい」と変わり、
意識的に取り組むようになりました。

今までの自分ではありえない
・弱音を吐く
・泣きたいなら遠慮なく泣く
・建前なんてどうでもいい
なんてことを次々とやってみて
最も重たい生きづらさは、小さくなりました。

消えないけど
小さくなった。
これは自分史では偉大な成果です。

言葉で言うと簡単なことですが
実際に自分には、とても重大なことです。

具体的には
「自分は性被害を受けた」と
認めることでした。
身投げでもするかのような覚悟で
認めました。

そこにたどり着くまでに
30年かかりました。

「そんなの認めたら終わりだ」と
信じていたことを認めてみたら
いろいろと始まりました。

そして、
そんなに時間かけなくてもいいと
わかったのは、
30年という時間かけたおかげです。
その間のトライ&エラーのおかげです。

失敗だ、と終わらせられない
イコール
成せないと生きられない

そんなレベルのものは
今は失敗続きでも
いずれ成功するんだな、と
体感覚で深く実感しました。




簡単に達することができないような
魅力的なものへと続く道は
困難で、その都度判定すれば
失敗続きかもしれない。

でもそれは
成功を実現するための経験
トライ&エラー=作業中って
ことなんだと見ると、
自分を責めることが減って
「今何ができるか?」と
自分の一体感が増えていく感じがします。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。


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