理想に向かって
最終地点に到達したら
はじめて実現、と思うと
生きることが
苦行になってしまいます。

なぜなら最終地点は
前進するにつれて
必ず更新されていくから、です。



前進を続けると
最終地点どころか
理想そのものも更新され
まるで別モノになるかもしれません。

それでも
いくら更新されたとしても
「理想に向かう自分」は
いつも自分で
今すぐ実現することができます。

そうして理想の状態を続け
振り返ったときには
過去の自分の理想を
いくつも実現していることに
気づくでしょう。

と、いうことは
未来においても
理想の状態を続けてる自分は
今の自分の理想を
実現しているに違いありません。

そう思うと
わくわくが止まりません。



人生は線に見えます。

幼稚園や保育園を出ると
小学校に入る。

次に中学、高校と進み、
そこから働き始めたり
大学に行ったりする選択をしたり。

その後も
そんな感じで
人生は続く。

でもこの線は
拡大してみると
「今」という点で
構成されています。

つねに
自分が「最善だ」と
思う選択を重ねて
線になっています。

「選ばされた」とか
消去法で
「この選択しかできない」
とか見えても
必ず自分で選んでいます。

すなわち、
今の自分の理想を見つけて
その理想に向けて役立つ選択を
重ねることは
誰にでもできることです。



その理想の実現には
時間がかかるかもしれません。

でも、
その理想へと向かうことは
今すぐできます。

その途上で
到達経路の変更することも
疲れて休むことも
嫌になって一度放り出すことも
理想の実現に役立つことです。

最ももったいないのは
今の自分の理想が何かを
見ようとせずに
緊急なことがないからと
重要なことを進めない時間を
重ね続けることです。



人生は誰かと優劣を
競うものではありません。

自分が今振り返ってみて
満足できるかどうか、
今感じる幸福に
今の自分が満足かどうか、が
とても大切です。

他の誰かの人生を見て
刺激を受けたり
参考にしたり
お手本にすることは
できます。

その
他の人の人生を見るのは
手段であって
目的ではありません。

相手がお金をたくさん稼いでいて
自分が「いいなぁ」と感じても
その相手は家族関係で
ひどく苦しんでいるかもしれません。

そんな相手は自分を
「いいなぁ」と
見てるかもしれません。

他の人の人生を
試しに生きてみることは
できませんから、
見た目だけで優劣を比較することは
自分の理想に向かうにあたって
役に立ちません。



私も気づいたら
過去の自分の理想を
いくつも実現していました。

例えば
・財布にいつもお札が入ってる
・キャラクターのウインナーを買える
・好きなお菓子を買える
・好きな靴を買って、履ける
・いつでもゲームできる
・自分の部屋を持つ
・親と別々に暮らす
・安心を感じながら生きる
などなど

見る人によっては
笑われてしまうかもしれないけど、
どれも夢に見るほどに
本気で渇望していた頃があります。

当時の自分が
明確に理想と掲げて
取り組んだわけではないけど
心の中では理想として
とても強く望んでました。

実現できている自分を
見つけたときは
小躍りするくらい
喜びました。

自分のことを
もっと好きになった感覚です。



今の理想の実現に向けて
前進する、ということは
自分の中のいろんな理想に
つながっています。

つまり
「理想に向かう自分」を
続けること自体が
すでに理想です。

その一歩を踏み出したら
その一歩も理想に入ってます。

その一歩の分だけ
理想は実現している、とも
言えますね。

「理想に向かう自分」を
続ける中で
その理想の実現は
わからないけれど、
自分の中の様々な理想は
必ず実現していきます。

共同体感覚を下げることなく
勇気をつかって続けることで
感じるしあわせは
増えまくりです。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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