話の途中で
話と関係ない話題に
突然かわる。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/ba/0a/j/o0640042714967056410.jpg?caw=800)
だから、お前はわかってない。
だから、お前はバカなんだ。
だから、お前はうまくいかないんだ。
そんなんだから終わってると言われるんだ。
そんなんだから誰にも相手にされないんだ。
そんなんだから友達いないんだ。
話し合いだったのに
突然、評価を下されて
捨て台詞のように
「お前の負けだ」と宣言される。
それは
話し合いをしたいのではなく
勝って安心したいだけ。
権力争いをしているだけ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/a6/78/j/o0640042714967056115.jpg?caw=800)
自分は
相手に謝罪したり
相手を優秀とみとめたり
することは、ありえない。
上下関係で生きてるから
自分が下になることは
あってはいけない。
なんとしても
上になれるように
自分を守らねばならない。
自分に非があるとしても
下になることだけは
避けなければならない。
自分で自分を
呪縛するような
苦しい生き方をしてる。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/71/4f/j/o0640036014967059155.jpg?caw=800)
話し合いで旗色が悪いと感じると
権力争いに持ち込もうとする。
お前が負けで
自分が勝ち。
敗者は黙って勝者に従え、と。
話し合いではなく
権力争いで勝つことで
終わらせようとする。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210325/09/yurushino/aa/e4/j/o0640049514915532795.jpg?caw=800)
私が小学生の頃。
父親が探し物をしてて
私がなくしたと疑ってきた。
何度も「知らない」と答えるのに
それを信じようとしない父親。
私がなくしたと信じている父親は
自分が信じていることを実現させようと
懸命に何度も私を疑った。
死んで証明するしかないのか、と
思ったくらいに、
父親は私の話を信じなかった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/ce/1f/j/o0640042714967059555.jpg?caw=800)
その後、母親が
その探し物を父親自身が
仕舞うところを見ていて
自分で仕舞っただけと
判明した。
見つかってうれしいと
私に報告する父親。
ものすごく不快で、
あれだけ疑ったのは何だったんだと
謝罪を父親に求める私。
すぐ「ごめんね」と
言ってくれると期待したが、
違った。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/a7/be/j/o0640042714967059885.jpg?caw=800)
さすがに父親も
自分が悪いと思ったようだが、
上の自分が
下の子供に
謝罪することはありえない。
断固としてそれだけは
避けなければならない事態。
そのためには
何をしてもかまわないと
本気で信じている。
「お前はそんなこと言う子じゃないよ」
「見つかったから、良かったじゃないか」
「おとうさんは疑ってないよ」
「お前を信じてるよ」
「おかしなこと言うね」
「おとうさんがそう言った証拠は?」
「お前だってあるでしょう?
勘違いすることだって」
「そんなこと言ってると笑われちゃうよ」
「おとうさんは、何も悪いことしてないよ」
「おとうさんは一生懸命に
家族のために働いているよ」
「ひどいこと言うね」
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/b5/99/j/o0640042714967060885.jpg?caw=800)
母親も横から入ってくる。
「そんなことおとうさんに言っちゃいけません」
「見つかったんだから、もう終わり」
「おとうさんのおかげで
私たちは生活できているんですよ」
「そんなこと言う子は、要りません」
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/6f/40/j/o0640042714967061332.jpg?caw=800)
ひどく疑われて
信じてもらえなくて
とても悲しかった。
それを話しているだけなのに
扱ってもらえない。
親の役に立ちたいだけなのに
権力争いにされてしまう。
小学生が大人ふたりに
かなうはずもなく、
さらにひどい扱いを受けたと
おき火のような怒りが
残るだけだった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/11/ba/j/o0640042514967061751.jpg?caw=800)
権力争いをする、ということは
上下関係で「自分が上」を
成立させようとすることです。
自分が上になれば
安心できます。
しかし、
下となる人がいなければ
上にはなれません。
相手に犠牲を払わせて
自分の利益を得ようと
しています。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/d5/d4/j/o0640050114967062912.jpg?caw=800)
上は下にどっぷり依存しているのに
上は自立していて
下は自立できてないと見えてしまう。
そうして権力争いで
他を支配すると
何かと自分に都合よくなります。
その状態を維持継続するために
何かあると
「権力争いをして勝つ」を
すればよいと思う人となります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/23/51/j/o0640042714967063522.jpg?caw=800)
意見や価値観が違うのは
ただ「違う」のであって
どちらが善で
どちらが悪だ、
ということではありません。
設定する目的によって
それぞれの貢献度が
変わるだけです。
常に自分を善とするべく
権力争いをするのは
自分の属する共同体の利益ではなく
自分の利益を優先しています。
それでは
共同体感覚は高まらず
感じるしあわせは増えません。
権力争いよりも
共同体全体の利益を実現する方法を
選べば、
感じるしあわせは増えます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/99/8d/j/o0640042714967063687.jpg?caw=800)
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ8年目、常楽でした。
《関連記事》
・アドラー心理学の目標は「共同体感覚の育成」
・10歳頃までの自分を振り返って、今から違いを生み出す
・信頼関係は、ダメ出しより改善に効果的
・より大きな共同体の役に立つ人は、より多くの居場所を得る
・支配したいか、対等でいたいかで、出る感情は違う
話と関係ない話題に
突然かわる。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/ba/0a/j/o0640042714967056410.jpg?caw=800)
だから、お前はわかってない。
だから、お前はバカなんだ。
だから、お前はうまくいかないんだ。
そんなんだから終わってると言われるんだ。
そんなんだから誰にも相手にされないんだ。
そんなんだから友達いないんだ。
話し合いだったのに
突然、評価を下されて
捨て台詞のように
「お前の負けだ」と宣言される。
それは
話し合いをしたいのではなく
勝って安心したいだけ。
権力争いをしているだけ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/a6/78/j/o0640042714967056115.jpg?caw=800)
自分は
相手に謝罪したり
相手を優秀とみとめたり
することは、ありえない。
上下関係で生きてるから
自分が下になることは
あってはいけない。
なんとしても
上になれるように
自分を守らねばならない。
自分に非があるとしても
下になることだけは
避けなければならない。
自分で自分を
呪縛するような
苦しい生き方をしてる。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/71/4f/j/o0640036014967059155.jpg?caw=800)
話し合いで旗色が悪いと感じると
権力争いに持ち込もうとする。
お前が負けで
自分が勝ち。
敗者は黙って勝者に従え、と。
話し合いではなく
権力争いで勝つことで
終わらせようとする。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210325/09/yurushino/aa/e4/j/o0640049514915532795.jpg?caw=800)
私が小学生の頃。
父親が探し物をしてて
私がなくしたと疑ってきた。
何度も「知らない」と答えるのに
それを信じようとしない父親。
私がなくしたと信じている父親は
自分が信じていることを実現させようと
懸命に何度も私を疑った。
死んで証明するしかないのか、と
思ったくらいに、
父親は私の話を信じなかった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/ce/1f/j/o0640042714967059555.jpg?caw=800)
その後、母親が
その探し物を父親自身が
仕舞うところを見ていて
自分で仕舞っただけと
判明した。
見つかってうれしいと
私に報告する父親。
ものすごく不快で、
あれだけ疑ったのは何だったんだと
謝罪を父親に求める私。
すぐ「ごめんね」と
言ってくれると期待したが、
違った。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/a7/be/j/o0640042714967059885.jpg?caw=800)
さすがに父親も
自分が悪いと思ったようだが、
上の自分が
下の子供に
謝罪することはありえない。
断固としてそれだけは
避けなければならない事態。
そのためには
何をしてもかまわないと
本気で信じている。
「お前はそんなこと言う子じゃないよ」
「見つかったから、良かったじゃないか」
「おとうさんは疑ってないよ」
「お前を信じてるよ」
「おかしなこと言うね」
「おとうさんがそう言った証拠は?」
「お前だってあるでしょう?
勘違いすることだって」
「そんなこと言ってると笑われちゃうよ」
「おとうさんは、何も悪いことしてないよ」
「おとうさんは一生懸命に
家族のために働いているよ」
「ひどいこと言うね」
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/b5/99/j/o0640042714967060885.jpg?caw=800)
母親も横から入ってくる。
「そんなことおとうさんに言っちゃいけません」
「見つかったんだから、もう終わり」
「おとうさんのおかげで
私たちは生活できているんですよ」
「そんなこと言う子は、要りません」
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/6f/40/j/o0640042714967061332.jpg?caw=800)
ひどく疑われて
信じてもらえなくて
とても悲しかった。
それを話しているだけなのに
扱ってもらえない。
親の役に立ちたいだけなのに
権力争いにされてしまう。
小学生が大人ふたりに
かなうはずもなく、
さらにひどい扱いを受けたと
おき火のような怒りが
残るだけだった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/11/ba/j/o0640042514967061751.jpg?caw=800)
権力争いをする、ということは
上下関係で「自分が上」を
成立させようとすることです。
自分が上になれば
安心できます。
しかし、
下となる人がいなければ
上にはなれません。
相手に犠牲を払わせて
自分の利益を得ようと
しています。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/d5/d4/j/o0640050114967062912.jpg?caw=800)
上は下にどっぷり依存しているのに
上は自立していて
下は自立できてないと見えてしまう。
そうして権力争いで
他を支配すると
何かと自分に都合よくなります。
その状態を維持継続するために
何かあると
「権力争いをして勝つ」を
すればよいと思う人となります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/23/51/j/o0640042714967063522.jpg?caw=800)
意見や価値観が違うのは
ただ「違う」のであって
どちらが善で
どちらが悪だ、
ということではありません。
設定する目的によって
それぞれの貢献度が
変わるだけです。
常に自分を善とするべく
権力争いをするのは
自分の属する共同体の利益ではなく
自分の利益を優先しています。
それでは
共同体感覚は高まらず
感じるしあわせは増えません。
権力争いよりも
共同体全体の利益を実現する方法を
選べば、
感じるしあわせは増えます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210704/10/yurushino/99/8d/j/o0640042714967063687.jpg?caw=800)
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ8年目、常楽でした。
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