相手に気づいて欲しくて
何かと比較する。



でもそれって
「あなたは劣っています」と
刷り込むだけ。

相手は自信が減って、
劣等感が増えていくばかり。



そんなことより
相手に共感を示す。

相手は自信も劣等感もなく
「こんなこと
やってみたらどうなるかな?」と
アイデアと好奇心が湧いてくる。
相手は行動を起こしてみたくなる。

優秀に光をあてると
世界がやさしく広がっていく感じ。

気づいて欲しいときは
比較よりも共感の方が効果的。



あの人はちゃんとしてるよ
お姉ちゃんはお行儀よくしてるよ
お兄ちゃんは静かにしてるよ
弟の方が頑張ってるよ
妹の方がよく知ってるね

示した見本の方面へと
努力してくれると
期待して言っているのだろう。

でも、それは叶わない。

なぜなら
「あなたはダメだ」と
言っていることと同じだから。

ダメと言われてうれしい人は
いないから。



振り返れば
自分が何かと比較されたときは
悲しい気持ちになりました。

例えば親に言われた
こんなこと。


「おねえちゃんはできてるよ」
できない私は劣っているわけだ。

「○○(弟)でもできたことだよ」
できない私は劣っているわけだ。


日常的に「劣っている」と
刷り込み続けられると
自信は喪失し、
自分はいるだけで迷惑なんだ、
との信念ばかりが
強化されていった。



一方で、何かと比較されることなく
私の話を「私の話」として
扱ってくれる人には
勇気づけられ
行動してみたい気持ちになった。


小学生時代、
親には
「みんなできてるよ」と
言われた逆上がり。

当時の友人に
逆上がりできないことを話すと
その友人は
自分が逆上がりが
できるようになった時の話を
熱心にしてくれた。

聞いてると
自分にもできそうな気持ちになって
不思議だった。



元配偶者の
DV・虐待に苦しんでいた頃。

その苦労を話すと
決まって言われるのが

「苦しいのはあなただけじゃない」
「もっと大変な人だっている」

そんな中、
共感的に聞いてくれる人と会った。

「それは大変ですね」
「うまくいく方法みつかるといいね」


自分が比較されないことは
とても安心する。

安心すると、
自然と気づくことが
ある。



安易に
相手を何かと比較するのは
自分には利益と感じても
相手に損失をもたらしてしまいます。

比較して相手に劣等を気づかせるより
共感して相手自身が気づきやすい状況を
整えてあげる方が、すてきな感じです。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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