相手に気づいて欲しくて
何かと比較する。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210423/09/yurushino/43/e1/j/o0640042714930658091.jpg?caw=800)
でもそれって
「あなたは劣っています」と
刷り込むだけ。
相手は自信が減って、
劣等感が増えていくばかり。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210423/09/yurushino/ba/33/j/o0640042714930659764.jpg?caw=800)
そんなことより
相手に共感を示す。
相手は自信も劣等感もなく
「こんなこと
やってみたらどうなるかな?」と
アイデアと好奇心が湧いてくる。
相手は行動を起こしてみたくなる。
優秀に光をあてると
世界がやさしく広がっていく感じ。
気づいて欲しいときは
比較よりも共感の方が効果的。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210423/09/yurushino/e2/0d/j/o0640037714930660166.jpg?caw=800)
あの人はちゃんとしてるよ
お姉ちゃんはお行儀よくしてるよ
お兄ちゃんは静かにしてるよ
弟の方が頑張ってるよ
妹の方がよく知ってるね
示した見本の方面へと
努力してくれると
期待して言っているのだろう。
でも、それは叶わない。
なぜなら
「あなたはダメだ」と
言っていることと同じだから。
ダメと言われてうれしい人は
いないから。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210423/09/yurushino/a0/c5/j/o0640042714930660463.jpg?caw=800)
振り返れば
自分が何かと比較されたときは
悲しい気持ちになりました。
例えば親に言われた
こんなこと。
「おねえちゃんはできてるよ」
できない私は劣っているわけだ。
「○○(弟)でもできたことだよ」
できない私は劣っているわけだ。
日常的に「劣っている」と
刷り込み続けられると
自信は喪失し、
自分はいるだけで迷惑なんだ、
との信念ばかりが
強化されていった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210423/09/yurushino/28/cf/j/o0640042614930661753.jpg?caw=800)
一方で、何かと比較されることなく
私の話を「私の話」として
扱ってくれる人には
勇気づけられ
行動してみたい気持ちになった。
小学生時代、
親には
「みんなできてるよ」と
言われた逆上がり。
当時の友人に
逆上がりできないことを話すと
その友人は
自分が逆上がりが
できるようになった時の話を
熱心にしてくれた。
聞いてると
自分にもできそうな気持ちになって
不思議だった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210423/10/yurushino/5d/9a/j/o0640041114930662387.jpg?caw=800)
元配偶者の
DV・虐待に苦しんでいた頃。
その苦労を話すと
決まって言われるのが
「苦しいのはあなただけじゃない」
「もっと大変な人だっている」
そんな中、
共感的に聞いてくれる人と会った。
「それは大変ですね」
「うまくいく方法みつかるといいね」
自分が比較されないことは
とても安心する。
安心すると、
自然と気づくことが
ある。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210423/10/yurushino/2e/e2/j/o0640042714930663144.jpg?caw=800)
安易に
相手を何かと比較するのは
自分には利益と感じても
相手に損失をもたらしてしまいます。
比較して相手に劣等を気づかせるより
共感して相手自身が気づきやすい状況を
整えてあげる方が、すてきな感じです。
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ8年目、常楽でした。
《関連記事》
・もっと大変な人がいるよ、と言われたら
・大人しくしなさい、と言うのは大人気ないかも
・あなたは一人じゃない、は捨てる
・「がんばれ」の使い分け
・自分に、気が済むまで言わせてあげると、開ける
何かと比較する。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210423/09/yurushino/43/e1/j/o0640042714930658091.jpg?caw=800)
でもそれって
「あなたは劣っています」と
刷り込むだけ。
相手は自信が減って、
劣等感が増えていくばかり。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210423/09/yurushino/ba/33/j/o0640042714930659764.jpg?caw=800)
そんなことより
相手に共感を示す。
相手は自信も劣等感もなく
「こんなこと
やってみたらどうなるかな?」と
アイデアと好奇心が湧いてくる。
相手は行動を起こしてみたくなる。
優秀に光をあてると
世界がやさしく広がっていく感じ。
気づいて欲しいときは
比較よりも共感の方が効果的。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210423/09/yurushino/e2/0d/j/o0640037714930660166.jpg?caw=800)
あの人はちゃんとしてるよ
お姉ちゃんはお行儀よくしてるよ
お兄ちゃんは静かにしてるよ
弟の方が頑張ってるよ
妹の方がよく知ってるね
示した見本の方面へと
努力してくれると
期待して言っているのだろう。
でも、それは叶わない。
なぜなら
「あなたはダメだ」と
言っていることと同じだから。
ダメと言われてうれしい人は
いないから。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210423/09/yurushino/a0/c5/j/o0640042714930660463.jpg?caw=800)
振り返れば
自分が何かと比較されたときは
悲しい気持ちになりました。
例えば親に言われた
こんなこと。
「おねえちゃんはできてるよ」
できない私は劣っているわけだ。
「○○(弟)でもできたことだよ」
できない私は劣っているわけだ。
日常的に「劣っている」と
刷り込み続けられると
自信は喪失し、
自分はいるだけで迷惑なんだ、
との信念ばかりが
強化されていった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210423/09/yurushino/28/cf/j/o0640042614930661753.jpg?caw=800)
一方で、何かと比較されることなく
私の話を「私の話」として
扱ってくれる人には
勇気づけられ
行動してみたい気持ちになった。
小学生時代、
親には
「みんなできてるよ」と
言われた逆上がり。
当時の友人に
逆上がりできないことを話すと
その友人は
自分が逆上がりが
できるようになった時の話を
熱心にしてくれた。
聞いてると
自分にもできそうな気持ちになって
不思議だった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210423/10/yurushino/5d/9a/j/o0640041114930662387.jpg?caw=800)
元配偶者の
DV・虐待に苦しんでいた頃。
その苦労を話すと
決まって言われるのが
「苦しいのはあなただけじゃない」
「もっと大変な人だっている」
そんな中、
共感的に聞いてくれる人と会った。
「それは大変ですね」
「うまくいく方法みつかるといいね」
自分が比較されないことは
とても安心する。
安心すると、
自然と気づくことが
ある。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210423/10/yurushino/2e/e2/j/o0640042714930663144.jpg?caw=800)
安易に
相手を何かと比較するのは
自分には利益と感じても
相手に損失をもたらしてしまいます。
比較して相手に劣等を気づかせるより
共感して相手自身が気づきやすい状況を
整えてあげる方が、すてきな感じです。
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ8年目、常楽でした。
《関連記事》
・もっと大変な人がいるよ、と言われたら
・大人しくしなさい、と言うのは大人気ないかも
・あなたは一人じゃない、は捨てる
・「がんばれ」の使い分け
・自分に、気が済むまで言わせてあげると、開ける