大人しくしなさい、というのは
あなたは静かにするべき、みたいに
言っているだけ。




静かにできない=悪
静かにできる=善
みたいな価値観に基づいてる。

でも、その目的は?
その目的の共有がないと
何に対して悪で
何に対して善なのかがわかりません。

何のために大人しくするのか
わからない中で大人しくするのは
苦しいですね。

親の顔色伺いが始まるだけです。

そんな
対等でないコミュニケーションする大人は、
大人気ないかもしれません。





子供の頃、
朝になると母親に起こされます。

「起きて、朝ですよ」

初めは疑問を持たずに
起きてたと思います。

でも、母親の起こしに来る動機を知り
朝起きるのが苦しくなりました。


「なんで朝、起きなくちゃいけないの?」

「朝は起きるものだから」

「なんで?」

「学校あるでしょ。
みんなやることがあるから起きるの」

「学校行きたくない」
(ヤなことするヤツがいるから)

「いけません、学校は行きなさい」

「やだ」

「起きて学校行ってよ。
朝ごはんもできてるから食べて。」

「やだ」

「もう、早く起きて
朝ごはん食べてよ。
片付けられないじゃない。」

「知らない」

「あなたが起きてくれないと
私が怒られるから起きて!」

あ、そういうことなのね...




毎朝
ずいぶんしつこく起こされるので
何のためにそんなに一生懸命なのかが
わからなかったのですが、

「私が怒られる」と聞いて
よくわかりました。


朝起きるのも
朝ごはんを食べるのも
遅刻せずに学校行くのも
「母親の予定」だった。

当時はそれが謎だったし
母親を大好きだったので

母親の期待に応えて
母親を喜ばせたい自分と

自分を自分のものとして
自分らしく生きたい自分との
綱引き状態で、とても苦しかったです。





もし、最初から
「時間通りに朝ごはんを食べて学校に行く」を
することが
母親が父親などに怒られないために
協力して欲しいと言われたら違ったでしょうね。

怒られないため、という目的は
尊敬はできませんけど。





大人しくしなさい、と言いたいときは
その目的も一緒に伝えてあげると
大人しくすることが容易になりますね。

相手が、大人でも、子供でも。






お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。


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