感情は、排泄物です。
ただ、出てくるものです。



アルフレッド・アドラーは

感情を変えようとしても
意味がない。

排泄物と同じで、
ただ出てくるだけ。

その排泄物を
いくら変えようとしても
何も変わらないだろう、と
言っています。

そして、
何かを変えたいなら
自分のライフスタイルを
変えることだ、とも言っています。

確かに、
食べるものを変えなければ
う〇ちも変わりませんものね。



ライフスタイルとは
基本的信念のことです。

信念って、
モノの見方や捉え方のこと。


例えば、
待ち合わせの時間になっても
現れない相手に対して

「途中で何かあったのかな?」と
捉えて相手を心配する感情を
感じる人もいるでしょうし、

または、
「自分のことを軽く見てる証拠だ」と
相手に対して怒りの感情を
感じる人もいるでしょう。

同じ状況でも
自分のライフスタイルによって
捉え方が違ってきますから、
そこに出てくる感情も
違ってきますね。



怒りをコントロールする、とか
怖れを乗り越える、とか
言われることがありますが、
それは感情自体を
変えることではありません。

その怒りや怖れの感情の
元となってるライフスタイルを
見直していくことです。




子供が幼い頃に
「父さんキライ」と
何度も言うようになった
時期がありました。

こんなに大切にしているのに
キライと言われるなんて!

初めて言われた時は
心がひどく痛んで、
とてつもなく悲しくなりました。



その後、見ていると
子供のふるまいは
とくに何も変わらず
「父さんキライ」とだけ言います。
むしろ、言ったあとは楽しそうです。

言葉は痛いけど、
本当に嫌われてるわけでは
ないことだけはわかります。


なるほど
自分には、

「子供にキライと言われると悲しい」

という信念があるのだと
わかります。

そして、
その信念のために
悲しみの感情を感じていたのだと
わかってきました。



悲しい感情を
なんとかしようとしても
なんともなりません。

感情に任せて
子供に向けて
「自分を悲しませることはするな」と
言うのも、違うと思い
しませんでした。



観察しているうちに子供が
「キライというと、
私が普段と違う反応をすることが
おもしろい」
と思っていることが
わかりました。

こんなに変わる父親は
見たことがなく、
自分がしたことで
父親を変化させられることが
楽しかったようです。



わかってからは
「キライって言われるの、キラーイ」
とやり返したりして
たくさん「キライ」で
子供と遊びました。

「キライ」がブームだったのですね。

あれがキライ
これがキライと
さんざん遊び尽くすと
興味も変わって
「父さんキライ」とは
言わなくなりました。

「キライ」と言う子供を責めずに
「キライ」というと言葉で
子供とつながりを深められました。

気づけてよかったです。



相手とライフスタイルが同じなら
良好な人間関係は築きやすいですが、

相手が自分と違うライフスタイルなら
良好な人間関係を築くのは
簡単ではないでしょう。



互いのライフスタイルを
互いに話して共有し、

変えられるものは
統一するなど工夫して、

変えられないものは
そのまま尊重し合えれば

良好な人間関係を築いていけますね。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。



《関連記事》
子にお前呼ばわりされたら
「今」がご馳走になる人
イヤはイヤ、スキはスキ、どうしようもない
自分を変えたい人が最初にすること
愛してる、禁止