人は他人に
注目されたい欲を
持っています。

注意を集めることを
望んでいます。



注意を向ける時、
自分の時間と力を
その相手に注ぎます。

その時間と力って
命、ですよね。

日常的にしている注目は
命を注いでいるくらい
尊いもの、とも言えますね。



とくに親子関係で、
子は親に注目されたいために
注意をひこうとアレコレします。

学業で好成績を出したり
運動で好成績を出したり
芸術で好成績を出したり。

そうして親が喜ぶと
注目されてるために
安心します。



しかし、
そういったことが普通となり
精一杯やっても親の注意が
自分に向かなくなると、
次第に違う手段を選び始めます。

好印象なことで無理なら
悪印象なことで、注意をひこうとします。


それが、
学校で悪い成績とったり
忘れ物などの問題起こしたり
遅刻しまくったり
具合悪くなってみたり、

怪我をしたり
病気になったり、
それでも足りないと
非行したりしてまで。



しかし、
そんな悪印象なことで注目されても、
それは一時的な注目として
終わってしまいます。

継続して注目されるためには
悪印象なことも続け、
さらに親が慣れていくに従って
その度合いも強めていく必要があります。

そうなると
親に注目されるために
自分を滅ぼすことに
なってしまいます。


なので
アドラーは
注目されるなら
好印象なことで
注目されるようにしましょう、と
言っているわけです。




小学校の頃、
私の親、私の話を聞かずに
「お前はこういう子だよ」と
自分の理想を押し付けて
くる人でした。

その通りに行動すると
親は「自分の手柄だ」と喜び、

親の理想と関係なく
自分の思った通りに行動すると
親は「お前はおかしい」と悲しむ。

自分の思う通りに
生きることが、悪だ、と
すりこまれた感じです。



私の話を聞かない親に対して
本当の私を見てわかってほしい、と
渇望してました。

しかし、それは叶うことなく
次第に、精神的に
追い込まれていきました。



誰かに相談しても
「そういうお前が間違っている。
正しいのは親御さんだよ」と
言われるばかり。

死ぬと終わるのだろうか、と
思ってみても、
そんなことで人生終われるかと
思い直したりを
繰り返してました。



ある日、親が探し物が見つからず
真っ先に私が疑われました。

「お前が隠したんじゃないの?」

まったく身に覚えがないので
「やってないよ」と答える。

「そういわないで
どこに隠したか、おしえてよ」と
返ってくる。

何度言っても、わかってくれない。

何かが音を立てて、キレました。



このときだけの憤りじゃなく
今までの分、全部が噴出した感じです。

「やってないって言ってるでしょ!」
お湯が入ったポットを
床に投げつけました。


がちゃん、と中のガラスが割れる音。

床に当たって弾むポット。

落ちたポットから、出てくるお湯。


今までそんなことしたことはなかった。

親もそんなことはしないと思ってた。

床のポットを見ながら
親も、自分も、しばらく言葉が出なかった。



もうこれは
親に殴られるか
「家から出ていけ」と言われるか
2時間くらいなじられ続けるか
親戚にまで宣伝されて
生涯悪者と嘲笑され続けるのか、
そのどれかだな、と思いました。


自分を、親が
見たいように見るのではなく、
自分が、見て欲しいように
親に見られたいのですよね。

その思いが、こんなに大きいとは。



よほどのこと、と親は思ったらしく
何も言わずに壊れたポットを
片付けてました。

その後、よく憶えてないのですが、
「壊すことは良くない」と
ねちねちと言われ続けたと思います。


その中で
親は、私が話を聞いて欲しいと
心から望んでいると
わかったわけではなく、

ただ単に、自分たちが買ったものを
壊されるのを怖れていただけ、

ということがわかって
さらに衝撃を受けたことを
憶えています。



当時は、自分がまさか
注目されたい欲に
そこまで支配されてるとは
わかりませんでした。

そんな執念をもつくらい
生きるか死ぬか、くらい
重大な問題だったのですね。



欲の支配から脱するためには
まず「支配されてる自分」を
認識することが大切です。

客観的に
「自分は注目されたいんだな」と
見ることができ、

欲と行動を分けることが
できるからです。



注目されたい、との欲を
満たす方法はひとつではありません。

欲の支配から脱すれば、
たとえ自分を犠牲にする方法を
選んだとしても、

他の自分を犠牲にしなくても
できる方法を選びなおすことが
できます。



自分も
自分を大切に思ってくれる人にも
喜びが増える方法を
選んでいきたいですね。



お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。


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