私たちはそもそも

100%自由です。

 

それを実現したい目的に応じて

適切に制限(カスタマイズ)してるだけ。

 

 

 

最初の目的は

「生存すること」

 

生存するために、

それにふさわしく自由を適切に制限する。

制限することで実現させる。

 

その手段は、

自律神経系が自動でやってくれる

・呼吸をする

・心臓を動かす

・その他いろいろ

 

「生存すること」は

土台となって

その上で活動していくのだけど

 

この「生存すること」に役立つことは

活動の目的として扱いやすい。

 

というか、すべての目的は

この「生存すること」にひもづいている。

 

 

 

 

例えば

服を着るのは

社会性のある暮らしに役立つ。

社会性のある暮らしをする方が

しないときより「生存すること」の実現が容易。

だから服を着る。

 

 

服を着る目的は

これだけではないけど

やっぱりどれも

「それって何のため?」と

目的を追求していくと

やっぱりどれも「生存すること」に

たどりつく。

 

でも、服を着ることは

自由を制限している面もある。

 

例えば

お風呂に入るときは脱ぐ。

着た服を放置したくないので洗濯する。

 

もともと何もしなくてもよかったけど

脱ぐ、とか、洗濯、とか

「すること」が出てくる。

 

それらをしないことも自由だけど

することで目的が達せられる。

 

反比例みたいですね。

 

 

 

目的は

それ相応の自由を制限することで

達成できる。

 

簡単に実現できる目的は

制限する自由は少なくて済む。

 

でも実現困難な目的は

制限する自由もそれ相応に制限することになる。

 

 

例えば

オリンピックで金メダルをとる

という目的を持ったら

ほとんどの自由を制限して

意図的に生活を整えようとする。

 

日々運動してもしなくても良い

という自由を

日々金メダルに必要な運動をする

となって「しない自由」を

意図的になくしたりする。

 

 

 

 

主体的に

自分の意志で

「しない自由」をなくしているのなら

健康的な時間になりますね。

 

でもこれが主体的でなく

誰かの選択に迎合するように

「しない自由」をなくすことを

自分に強制しているなら

健康的な時間にはならない。

 

「しない自由」がやたら目について

平和な気持ちで時間をすごすことなど

できはしない。

 

 

そんな自分になってると気づいたときは

「私はもともと100%自由だ。

生存するため、または

それに役立つことを目的に持ったとき

この自由を適切に制限することを

自分で選ぶだけだ」

原点回帰できると、心も平和を感じられますね。

 

 

 

お読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ7年目、常楽でした。

 

 

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