現在
人生史として幼少期から
覚えていることを順番に振り返りながら
インナーチャイルドや自分責めの説明も
させていただいてます。
これまでのお話
【人生史③】幼少期どんなことを感じ、どんな思い込みを作り出したのか?
今回は小学校高学年の頃のお話。
家庭編です。
男の子と間違えられた頃、、
小学校高学年になると
5歳下の弟も少し成長して、性格がわかってきて
おバカなのに、愛想だけはよくて
大人に愛される弟。
わたしの方がいい子のはずなのに
大人は認めてくれない。
祖母からは『ホンマ愛想なしやなぁ』と言われ
弟への嫉妬から、
いつしかわたしは弟のことが嫌いになっていきました。
吉本新喜劇のビデオを何度も
同じところばかり見て、大笑いしながら
一緒にこけたり
小学校の授業中
急に席を立ち、素振りしていたという話を聞き
超まじめなわたしは
そんな変な子がわたしの弟だなんて恥ずかしい
と思ってしまいました。。
写真を見ると
弟が小さい頃は
それなりに仲良くしていたんだろうと
思うのですが、そんな記憶は一切なく
今でも弟と直接会話をすることはほとんどありません。
6年生の時に妹が生まれたのですが
何とも言えない複雑な気分でした。。
妹はわたしの誕生日に生まれたのですが
その時は確か、
叔母や従兄弟と一緒に
愛媛に戻っていた祖父母の家に遊びに行っていたと思います。
妹のことは
ペットのような感覚?で
気が向いたら相手をするくらいの関係。
かわいいと思った記憶もないけど
弟のように嫌いになることもなかったです。
嫌いではないですが
妹とも会話はほとんどないですねf^_^;
うちの母は祖母と仲が悪く
しょっちゅう言い争いをしていました。
父はあまり積極的に仲裁しようと
してくれなかったので
わたしが何とかしようとしたのですが
うまくいかず、
どちらも折れないので
時が解決するのを待つしかない状況。。
祖母のことに限らず
いつもネガティブ思考で
『生きててもいいことなんてない』
『樂に死ねる方法があれば死にたい』
なんて言い出す母に対し
わたしは
こういう考え方もあるんじゃない??
とポジティブな見方を伝えようとしたのですが
母は受け入れてくれませんでした。
今思えば、
まず母の想いをそのまま受け止めてあげてから
新しい見方を伝えた方が良かったのかなと思いますが
子どものわたしにはわからなかったので
『わたしは役に立てない』
という思いを強くしていったように感じます。
また、
母のネガティブを聞きたくないので
母に迷惑をかけないように
いい子でいようとしていた
のではないかとも思います。
祖母は気性が荒く、きついことも
平気で口にする人でした。
『愛想無し』と言われたことは
今でも悲しいし、悔しい記憶です。
この言葉は
天邪鬼なわたしには逆効果で
愛想よくしてたまるか
とすねていってしまいましたね^^;
世代的に
同じような環境だった方も多いかもしれませんが
わたしは頑張っていい子でいようとしていたのに
家族から褒められた記憶がありません。
いつも間違えないように気をつけていて
自分の良い所より
できない所がないかのチェックばかりしていたので
自分で自分を褒めることもありませんでした。。
もしかすると、
できない所チェックにばかり
気を取られていて、
誰かから褒められたことにも
気づかなかったのかもしれません。
これも自分責めグセのデメリットかと思います。
今もまだ
受け取り下手なところが残っていると思うので
気をつけないと^^;
次回は
中学時代。思春期だけど、、
あなたがますますあなたらしく✨
幸せな毎日を送れますように❤️