母は幼少期から山形へ移住する前まで、
過ごした場所でした。
これまで母のルーツに触れる機会が少なく、
この機会に母の事をもっと知ってみたい!
と感じた事をよく覚えています。
私がお世話になった伯母は、
甲子園球場の近くに住んでおり、
母も昔居候していたことがある場所。
色んな所に連れて行ってもらい。
実の娘となんら変わらない程、
お世話になりました。
見下されたり、否定されたりしない、
そんな安心できる環境が、
硬くなってしまった心を、
少しづつ緩ませてくれました。
でも…
母の監視下に置かれている様な、
閉塞的な感覚に捕らわれる事があり、
自分が想像する自由ではない事に、
焦りや、モヤモヤが募るようになり、
1年弱で関西から出ることにしました。
東京・仙台・地元のどこに行くか、
沢山考え、東京に行く事を決め、
関西で東京の就職先を探し、面接を受けまくるべく、
面接日を決め、東京に1週間の滞在を決め、
従妹の家にお世話になりました。
そして、
翌年1月から麻布のエステサロンにて働く事に決めました。
貯蓄が全く無かったので(:_;)
何年かぶりに連絡した、
友達の家に転がり込み(笑)
ですが…。
サロンの店長と上手く関係性を築けず…。
3ヶ月程でサロンは退職(爆)
知り合いから紹介された
家電量販店の携帯販売の仕事を始めました。
当時の彼とはなんだかんだ別れられず…。
遠距離で続いていました。
「私にはこの人しかいない」
「この人にも私しかいない」
「こんな私でも好きでいてくれる」
「可愛くもないしスタイルも良くない私と一緒に居てくれている」
「この人と別れたらもう誰とも付き合えないかもしれない」
「彼氏がいる安心感」
etc………。
ほかにも沢山似た様な事を考えていました。
今思うと、昔の自分が可哀想とか通り越して、
逆に怖い…。
それだけ生育歴や環境に
思考・感覚が影響される
可能性が高いという事だと思います。
そして、
友人の家の大家さんに私が住んでいる事が
バレてしまい…。
その家にいる事が難しくなり、
新大久保のシェアハウスで生活を始めました。
2段ベッドがふたつの4人1部屋で、
盗難事件がよく起こって、
犯人と疑われて、揉めたりしてました(笑)
最初は良かったものの、
1人の空間や自分の空間って
やっぱり恋しくなるものです。
半年くらいでシェアハウスを出て、
高円寺で一人暮らしを始める事にしました。