当時は自分以外の人はみんな幸せそうで、
「嫉妬、妬み、嫉み」がいつも自分の中で

ムクムクと顔をもたげていました。
 

 

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そんな状態の私でも、楽しい時や嬉しい時も沢山あり、
一緒に過ごしてくれる友人もいました。
今思えば幸せだったし、
人生楽しんでいたなぁ。と思いますが、
 
当時は自分が一番、可哀想で、
無いものばかりに目を向けては、
ネガティブループのカオス状態でした…。


 

 

当時の彼がくれたモノは本当に沢山ありました。
結局ヒモで、振り回され、
お金も、心も、身体もオールOUT
になりましたが・・・・。

 

大切なコトに気づくきっかけをくれた事には、

感謝しています。
 

彼は仙台で路上詩人をしていました。
バイトもしておらず、定期収入もなく、
私は学生で生活費は両親に甘えていたので、
一緒に住むくらい、何てことないと思っていました。
 
 

 

学生生活は、卒業とともに終わりを迎えます
専門学校だったので、2年間という短い期間でした。
 
 

 

ただただ私に寄り添ってくれる
男性が傍にいてくれるだけで、充分でした。

当時は家族への憎悪を糧にして生きていたので、
 

私をこんな風にしたのは家族(両親)だから、
代償(卒業後)の生活費も出してもらって当然と思っていました。
なんなら、これくらい優しいでしょ?くらいの感覚です。
 
 

 

当時の彼が私のスピリチュアルな才能に気づき、
路上で占いとか、透視、セッションをやってみたら?
と提案してくれたので、そこから私のキャリアがスタートしました。
 
路上から始まった私の「スピリチュアル透視セッション」
売上はそこそこ上がりましたが…。
「職がない」「その日暮らし」というのは、
メンタルへの負荷が思っている以上に大きく、


卒業後半年してからやっと、就職する気が起き、
収入を安定させる・普通に働くということへ挑戦をしていくのです^^
 
 

 

翌年3月には母方の伯母の家(関西)へ行くのですが.…。
 
当時の彼との関係性や、
会社へ勤めるという「普通」が難しかった、
そんな私を心配した母が、
 

私のやりたかったアロマの勉強ができる学校を関西で探し、
私をそこに入れさせようと…奮闘…。
 
母の姉の伯母、伯父に母が話を通し、
私の知らないうちに、居候を快諾され…
行かざるをえない状況になっていました。
 
行きたくないなら、行かなくても良かったのですが、
私自身、このままではダメだとどこかで思っていたからこそ、
関西へ行くことを決めたのだと思います。

 

 

 

次回は関西・東京編!
 

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