(再録)思わせぶりな謎で引っ張る・②(加筆修正) | せいぜいひまつぶしの小話

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5年目から創作系ブログとして新装開店しました。
色々と思うところ書いてます。講談社への抗議不買は一生続けます。
2022年12月からは小学館もリストに加わりました。
「人を選ぶ」とはつまり「自分は選ばれた」ということです。

思わせぶりな謎で引っ張る

①、 ③、 ④、 ⑤(終) 

 

なんということでしょう
圏外常連のゴミブログが驚きの右肩上がりです(笑)。
まぁすぐにガクッと落ちるンですけどね。
 

『新世紀エヴァンゲリオン』のアニメが放送されたのは1995年の10月ですが、
それ以降のアニメや漫画、特撮…いわゆるサブカルチャーには大きな変化がありました。

まるで雨後の筍のようになんか主人公がウジウジして動かなかったり、
媒体やTPOも考えずに胸糞の悪い話や描写ネジ込んだり、
『思わせぶりな謎で引っ張る』ようなのが増えたりして、
客の側でもそうした流れが受け入れられ始めたのは、明らかにエヴァ以降の話です。

『THE ビッグオー』『ベルセルク』『20世紀少年』『無限のリヴァイアス』
『ベターマン』『ARMS
(アームズ)…特撮だと『クウガ』以降の仮面ライダー、
ウルトラマンなら『ガイア』『ネクサス』なんかが、この系統に入るかもしれません。

ただもちろん、これらの作品が全部ダメという話では決してありません。

26話やって結局ワケ分かんなかった『THE ビッグオー』とか、
ミスリードでさんざ思わせぶりに引っ張り過ぎて本編よりも
先に読者に“ともだち”の正体がバレた『20世紀少年』
とか、
家族団欒の時間にブギーポップもどきが誰も喜ばないような
小難しいコト言ったりヤったりしてたら結局話の収拾が
つかなくなっていきなり終わった『無限のリヴァイアス』
みたいな
ダメな例はもちろんありましたが、別にそういうのをバカにするのが目的じゃありません。

自分で自分に責任を持てるのであれば何が“好き”で“嫌い”で
あろうがそれは可能な限り敬意を払い、尊重すべきものです。

見てるモンを人に自慢して分かる自分カッケーするのは、
まさに唾棄すべきファッションオタクの悪習・悪癖であり、

それこそ愚か者のすることです。

本題に戻りますと、問題の根本は要するにそれらの要素を、ここでは『思わせぶりな謎』に
絞って話を進めていきますが、演出としてキチンと使いこなし、物語をまとめていくには
何が必要で、何をやったらダメなのか?ということです。

さて『思わせぶりな謎で引っ張る』のが客を釣る撒き餌としてきわめて優秀なのは、
20年以上も前に既に実証された通りであり、今さら疑う余地もありません。
あとはやたら無意味にグチャグチャ人が死んでみたり、
何やら含みのあるような言い回しで煙に巻いてみたり、
劇中用語をテキトーにつぶやいてみせたりすれば、

どうやら緻密に作り込んだ深遠で壮大な世界観なのかもしれないと予感した、
そんじょそこらの凡俗とは見ているモノが違う俺かっけーしたがるだせぇオタクどもが、
いかにもノイジーマイノリティ丸出しの大声で勝手に盛り上げてくれる、という寸法です。
 

話を畳むことを考えさえしなければ実に優秀な集客システムですが、
『謎』があって、手がかりやら何やら思わせぶりにバラ撒きながら引っ張り続ける以上は
いつか『答え』を知りたいと思うのが当然で、みんなそのために見てるようなものですが、
長く引っ張って思わせぶりに色々バラ撒くほどに客の期待と想像は、雪だるま式に膨らむ
借金の利息のように重くのしかかり、中でも特に頭のいいフリをしたがる

頭の悪い考察バカのそれはトイチの闇金も真っ青ですが、ただ単純に

物語として考えてみても、まともにモノを考えるだけの知能が少しでも残っていれば、
伏線回収と帳尻合わせに苦労する未来は容易に想像出来ます。

後先考えずにただその場の思い付きで意味も無くばら撒いているだけだったとしても、
大筋の物語“だけ”はキチンと完結させてる状態ならともかく、
本来そんなのに忖度して見てやる義理は客の側にはありません。


思わせぶりに『謎』をバラ撒いた挙げ句に投げっぱなしで何十年も放置したりして
まともに向き合おうともしない姿勢は、ただの詐欺やペテンと思われても仕方の無い、
プロとしてのモラルを問われる行為であり、また物語自体も『謎』を引っ張れば引っ張るほど
作者の手に負えなくなっていくのはもちろん、あらかじめ『答え』を用意していたとしても、
肥大化した客の想像と期待に応えられるとは限りません。

見ていて次の展開が「どう“なる”」から「どう“する”」に変わり始めたら、
それは話の収拾がつかなくなっているのを予感した自分自身からの警告です。
早々に足抜けすることをおススメします。

ここまで『思わせぶりに謎を引っ張る』演出に関してかなり否定的に
書いてきましたが、でもだからってそれを全面的に否定するつもりはありません。
物語のあちこちにちりばめられた、単体で見れば不可解でしかなかった様々な“点”が、
物語の進行と共に理解出来る“線”でつながり、やがて大きな“絵”が出来上がっていく

…その過程で味わう静かな興奮と感動は『謎』あってこそのものです。

要は『謎』に対してキチンと答えを用意すれば良いわけで、そしてそれを物語という『流れ』の中で

やる以上、謎解きの種明かしには然(しか)るべきタイミングというものが存在します。

ただそれはタイミングというより、

『これ以上は引っ張れないデッドライン』
といった方が正確かもしれません。

『ARMS(アームズ)は、その辺の見極めをとても上手くやってくれていました。

漫画の歴史に燦然と輝く名作中の名作と言っても過言ではないでしょう。
ステマの巨人が擦り寄ってるのはガチで殺意が湧いてきますが
一度は読んでおいて損はありません(出来れば旧版で読むことをおススメします)。
講談社への抗議不買は一生続けます。

というわけで次回に続きます。

〈続く〉

 

漫画の歴史に燦然と輝く名作中の名作(出来れば旧版で読もう)