劔神社
福井県丹生郡越前町織田金栄山
その頃織田北方の山々にはすごい山賊が居ててびたび村人を傷つけ家をこわすなど非常にあばれ廻りました。王はそれを聞いてその山賊を退治するのに大変苦戦されましたが素佐男尊の御神助により遂に平らげられました。それで村人たちはやっと安心して仕事ができるようになり、田畑を開き山に木を植え蚕をかってだんだん良い村となりました。村人たちは其の御恩を有難く思いお社を建てて祭りました。これが劔神社の始であります。
忍熊王が、この地で暴れ回っていた山賊を退治して、村人達は大変有り難がったようだよ。
御祭神
素盞嗚大神(すさのおのおおかみ)
氣比大神 (けひのおおかみ)
忍熊王 (おしくまのみこ)
神功皇后摂政の頃、忍熊王はここにいて、賊徒討伐に当たったんだってよ⁉︎
忍熊王は神功皇后との戦いに敗れて亡くなっていない!
生きているぞ‼︎
白鷺が鳴いていた。
なんか、良かった。
誉田別が兄の忍熊王の徳を追慕したんだってよ。
兄弟仲が悪くないんだったら良いなぁ。
神功皇后が我が子を立てる為に仲哀天皇の前の奥さんとの子供達を倒してしまうっての、私は受け入れ難い。
私は神功皇后推しだけど、客観的に見て、応神天皇より忍熊王達の方が正当な後継者感ハンパないって感じる。
応神天皇が次期天皇ってのは無理があり過ぎる。
ただ、当時は必ずしも男性で継ぐとは限らなくって、神功皇后が次期天皇(大王)に相応しいって皆に認められて、皆、神功皇后の元についたってんだったら、まだ良いかなって。
劔神社の伝承はなかなか面白くて、軽く読んだだけじゃ何とも判断出来ないものがもりもり。
織田文化歴史館のHPに詳しく詳しく書かれているから、これを読み解こうとするだけでも大変。
でも、ここすごく大事そうに思われるので、追々深掘りしたいところ。
境内には他にも沢山の摂社末社があって、特にこの北参道入って広がる場所は昔からの神域って感じがして良かった。
「夏杉の忍熊王のごと立てり」
個人的にすごく気になる碑。
忍熊王のように立っているってことは、逆に、忍熊王が杉のように爽やかにスッと真っ直ぐしたイメージって事なんだろう。
忍熊王は「熊」という字が使われていたり、忍熊王を「劔御子」とかって呼んでた節があるっぽいし、勇ましくて格好良い印象を受ける。
福岡にいると、熊襲との事や三韓討伐の話ばかりで、後半の忍熊王達とのいざこざって縁遠かった。
今回の旅で、忍熊王について身近に感じる事が出来て良かった☺️
御朱印。