織田信長の像!
明神橋を渡って正面が劔神社。
劔神社古絵図復元。
手前にさきほどの信長像が描かれている。
「戦国第一の武将 織田信長を始めとする織田一族発祥の地」!!
劔神社
福井県丹生郡越前町織田金栄山
鳥居の斜め前方に、「戦国武将 織田一族発祥地」と書かれた碑と、顔はめパネル。
投信が低い織田信長が「戦国一の美女 お市の方」と「乱世のアイドル 森蘭丸」の面白いな
日本第一の大武将信長公を始めとする織田一族の発祥の地が、織田の地であることは広く世に知られている。
昭和五十九年十月 劔神社宮司緒方教明識
石碑建立寄進 津田近江守直系子孫 東京都中野区 津田正治
劔神社の由緒
(前略)この劔神社は劔明神様とあがめられ氏子の村数に53に及び領地甚だ広く神社付属の寺院36坊19院あったと言われています。
それで昔の武将たちの信仰もあつく朝倉織田徳川松平の諸将達の書状も大切に保存され又、国宝のお鐘は1200年の歴史があって有名であります。
織田信長公の御先祖は此の神社の社家から出られたお方で尾張の国へ行ってから織田氏と言いました。
おもかる石のある建物に信長のイラスト。
「天下布武」って石を軽々と持っている
小松建勲神社御由緒
御祭神 平 重盛公 織田信長公
平重盛公は小松殿と申し、忠義の至誠に厚い武将であります 焼失した劔神社の社殿の復興を行うと共に、広大な領地を寄進し、深く信仰致しました。後世里人は公の徳を称え、小松殿として神霊をおまつりしました。
織田信長公は先祖が劔神社の神官であり、その子孫であること を自覚し当社を手厚く保護し、田地凡そ千四百九十石を寄進し 領民を安堵しております。柴田勝家が当社に差し出した諸役 免許状と言う文書に、「当社の儀は、殿様の御氏神の儀に候へ ば、いささかも相違あるべからずの状・・・」と記されております氏神様として信仰したことを知ることが出来ます
今日多くの人達が信長公の功績を賛仰し、御加護を頂かんと全国から参拝に訪れる人が多くなりました。
福井県指定有形文化財 昭和46年4月16日指定
劔神社の摂社 織田神社おたじんじゃ(旧氣比社) 江戸時代
祭神 保食大神(豊受大神) 足仲彦尊(仲哀天皇) 誉田別尊(応神天皇)
『延喜式神名帳』(927年完成)には越前国敦賀郡の一座として「織田神社をりたのかみやしろ 」とある。
「をりた」の神名が示すように、 もとは養蚕・織物などと関係する保食神を祀る産土社であったが、「劔神社古絵図」(15世紀)によると、本社の鎮座 地には御本社(劔神社本殿) 東側に「氣比社」が描かれており、 古くから敦賀の氣比神宮とのつながりの深さがうかがえる。
北鳥居の正面には、越前町織田文化歴史館と織田図書館がある。
この旅が結構移動の多い旅で時間がなくて見れなかったけど、デジタル博物館見てもはなかなか興味深かったので、いつか時間を作って行きたい。