福岡県糸島市飯原2105
祭神
日本武命(倭建命)
境内入ってすぐ、藤棚が迎えてくれる。
『弟橘藤』 由来
当神社は仲哀天皇の父君、日本武命を祀り神功皇后の創祀と伝える。
古来里人の崇敬深く昭和天皇御即位御大典の記念として藤樹を植え、身を挺して海神に殉じられた愛妃弟橘媛を偲び花藤の香りに寄せて、お二人の純愛を永久に語り継ごうと里人無津呂源内、池園源蔵、筒井兵作の三人は、八方手を盡して相応しい藤樹を探す事三年、やっと樹齢百年に近い大樹を求めて昭和四年奉納、植樹し「弟橘の藤」と命名し今に至る。
以後、当社代々の氏子会三役、氏子総代、宮方の計十名 は、七月、九月、二月に手入れ奉仕を毎年欠かさず続け、当社の象徴として愛されている。
植えた経緯が良いね😊
後半は関係ない文章だけど、締めの部分「藤花の〜」がなんか好きだったので掲載しておく😆
尚、当神社は火傷、火焼の神であり南五百米に、あせもに効く「しょうずの湯」 冷泉が湧き、それ より東三百米に「イボ取り地蔵」がある。
更に南東「不動滝」の落下する水中の岩壁に彫られしは、不動明王の御 神体なり云い、その上の史蹟、神籠 石水門の守神「金刀比羅神社」(筒城 神社、また、七郎権現とも称す)は、白痴の神である。故にこの地一帯は、花藤の匂うが如き美肌を願う人々が訪づれている。
平成六年五月吉日 氏子会長 有富 亨
日本武命は第十二代景行天皇の第二皇子として生まれ性勇猛果敢父天皇に命ぜられ東方十二ヶ国の荒ぶる神たち従わざる者たちを討たんとして相模の国に至り国造にだまされて野原に入り火をかけられ焼打ちにあわれ給うが火打石 草薙飯により逆火をつけ拾い辛うじて難を逃れ拾う(火焼やけどの神)
ここまでは、祭神ヤマトタケルの説明。
ヤマトタケルが火焼やけどの神様だ、って説明かな。
古事記読んだ後は、女装してクマソタケルを討った方が印象強くなっちゃったんだけど、それ以前や世間一般ではこの、草薙の剣のエピソードが1番有名だろう。
以下は、神社独自の伝承。
昔神功皇后高祖より御坂(三坂)を経て雷山に登り給い層々岐岳にて天神地祇を祀り戦勝を祈り給う後山をさがり(嵯峨里)給い此所に宿陣し給う夜夢枕に日本武命があらわれ賊徒討伐の法を教えられたという
雉子の鳴く声を琴の音に聞きて目ざめられ帰還の後日本武命を祀り雉琴神社と崇め奉り此所を雉琴と名付けられた
(面白い形になった木!)
神功皇后、高祖→御坂→雷山って行ってるらしいから、高祖と御坂にも行きたいところだけど、時間ないから今回はここと雷山のみ。
限られた時間での行き先にここを決めた理由はもちろん、ヤマトタケルですよ!
英雄と名高いが若くして亡くなったヤマトタケルは、神功皇后の義理の父。
面識はないだろうけど、繋がりが感じられたらなんか、良いじゃないか。
一部が妙に綺麗な本殿。
何でも、隣に植わっていた木が倒れてきてしまった為、寄付金やクラファンで改築したらしい。
古くても状態の良い部分は残し、
壊れた部分は新しくし、
新旧組み合わさった社殿になりました🏠
社交的な父は、掃除をしていた宮司さんと思しき人とお喋り。
きりが良いところで切り上げて、次へ🚗💨
同日の記録