父が、糸島の平原遺跡に行くと言うので着いて行った。
私が古代史にハマったのはここ2年位の間なんだけど、父はそれより前からわりと好きではあったみたいなんだよね。
私は別に父を真似して後に続いたわけでは全くなかったのだけれど、似たような事を一緒に楽しめているので良いなと思う。
遺跡巡りをする為にも、先に情報収集しよう!って事で。
伊都国歴史博物館
福岡県糸島市井原916
立派な玄関だなーと思ったのに、なんとこちらは旧館で閉まっていて入れない!
ぐるっと回って
新館へ入る。
65歳以上は無料ってことで、私だけ支払って入った😆
訪れたのは6/3。
終わり間際の、鉄についての展示を見た。
世界的に見ると、青銅器は紀元前3,000年頃メソポタミア・エジプトで始まり、紀元前1,500年頃には現在のヨーロッパ全域に伝わった。
鉄器は紀元前1,500年アナトリア高原で始まり、各地に広がった。
メソポタミア・エジプト、早すぎじゃない?
日本はまだ縄文時代。石器を使っている。
【弥生時代】
日本はそれよりかなり遅く、紀元前200年頃。
青銅器と鉄器が同時期には始まったと考えられている。
日本の中の、北部九州には紀元前100年頃には鉄器が普及し、農具や工具を中心に鉄器化が進んだ。
紀元前108年に、前漢が朝鮮半島に楽浪郡を設置している。
そこから日本に中国のものがもたらされているから、鉄器もそうやって北部九州に入ってきて普及したんだろうね。
でも、北部九州以外の地域ではしばらく鉄器は少なくて、農具などの鉄器化はほとんど進まなかったそうな。
わぁい、北部九州進んでる〜⚔
糸島地域では紀元前400年頃とされる鉄器片が出てるけど、色々な意見があって、この頃から鉄器があったとははっきり言いがたいみたい。
石の剣!もなかなか良いもんだね😊
似たような大きさ・形の銅剣と並んでる様子は、何か、良い✨
剣は時代によって材質が変化する。
石から青銅器へ。
鉄は青銅器より耐久性や鋭利さで勝るので、武器としては鉄剣が多く使用されていった。
だけど、鉄は錆びやすくて美しさで青銅器に劣るから、祭器や装飾品にはあまり使われていない。
そうね、それは今に至ってもそうでしょう。
【古墳時代】
古墳時代には工具の多くは鉄器化している。
鉄錐の出現によって、石に小さな穴を開ける事が出来るようになったぞ!
鉄錐。こんなんよく発掘出来たよね。小さくてゴミと間違えそうよ。
ほら、こんな風に、石に小さな穴が開けられる。
古墳時代前期の武器は主に、短剣・弓矢・槍。
有力者には冑や素環頭大刀。
中期になると長い刀や剣が増え、帯金式甲冑が普及など、重装歩兵用の武器様式に。
後期には馬具が普及し、騎兵も含めたスタイルに🐴🐴🐴
古墳時代後期、糸島でも馬具が多く出土している。
実用に特化したものと煌びやかなものとあって、煌びやかなものは中央から地方の有力者に贈られたものだと考えられているらしいんだけど…何で?🤔
金属が北部九州から始まっているように、馬具も北部九州から各地に広がったりとか、それ以外の地域から各地に広がった可能性だってあるんじゃないかと思う私である。
糸島にある西堂四反田遺跡では、古墳時代中期に轡が出土している様子。
これが全国で見た時に早いのかどうか、よく分からない。
弥生時代には鯨の骨や鹿の角で出来ていたアワビオコシ(岩についたアワビを剥がす道具)。
鉄に材質が変わった。
鉄製の銛や針も出土している。
深く考えた事がなかったけれど、山幸彦がなくした元海幸彦の釣り針って鉄製、よね?
山幸彦がお詫びに用意した釣り針は?
…山幸彦が十握剣を針にしたって記述あったから、少なくとも金属ではあるみたい。
てか、じゃあ既に、金属を溶かして形を作り変える技術があったって事⁉︎
海幸彦山幸彦の話がいつ頃に相当するのだろうかと考える。
鉄は元々輸入品。
では、国内で作られるようになったのはいつ?
6世紀後半以降と考えられている。
糸島の元岡・桑原遺跡では、6世紀後半の古墳に鍛治道具等が見られる。
古代の志摩地域では盛んに製鉄が行われていたようで、沢山の製鉄遺跡が見つかっている。
志摩地域周辺の海岸から良質な砂鉄が取れる。
8世紀半ばから後半(奈良時代)の製鉄炉の見つかった元岡・桑原遺跡。
近くで木簡や硯等が出土している事から、大宰府管轄の、官営製鉄所だったと考えられている。
この頃、日本と新羅の関係が悪化し、唐では安禄山の乱が起こり、国際状況が不安定だった。
今現代を鑑みても、国際状況に不安があると、軍備強化しようって流れになるから、その流れの中で製鉄はますます盛んになっていったんだろうなと思われた。
「鉄の力」展‼️
おかげで、鉄について理解が深まった♪